中島みゆきさんのコンサートに行って

中島みゆきさんのコンサートに行って

何を隠そう、たきがはは中島みゆきさんのファンである。それも「リアルタイムでこの人の歌が聴けて嬉しい」というランクにただ一人中島さん、というとなんか変なので馴れ馴れしいけどみゆきさんと呼ばせてもらいたい。そのただ一人の歌い手がみゆきさんであるというぐらいのファンである。そう言い出してもう十年以上経つので、いよいよ本気になったな、と自分でも思う。

そのみゆきさんのコンサートに3年ぶりに行った。神奈川県民ホールは駅からちょっと遠い。雨の降る10月22日のことだ。生で聴く歌は、CDなんぞには決して出せない迫力がある。私は映像でも音でも生派なのでテレビは見られればいいし、CDの音質もさほどこだわらない。生と録音にはそれぐらい、確固とした差がある。それでもCDを買うのは、好きな時に生のみゆきさんが聴けないからである。

3年ぶりのコンサートはやはり良かった。私はわりと感動屋なので簡単に泣けてくるのだが、聞き慣れたつもりの歌でも涙が出た。コンサートにこれから行く人もいるかもしれないので曲名は伏せる。初めてコンサートで聞く歌はみんないい。それも、最新のアルバムに入っていない、古い歌を聴けるのがコンサートの楽しみであり醍醐味である、と私は思う。

で、前振りがここまで。本題はこれから。コンサートはまだ序盤だった。懐かしい歌がかかる。懐かしいと言うにはちと語弊がある。私がみゆきさんを生で聴くようになったのはアルバム「miss M.」からなんで、リアルタイムで懐かしい歌ではなかったのだ(そこで人の歳を詮索しないように)。また、それほど好きなみゆきさんであっても、やっぱり好きの度合いには優劣がつくもので、耳にしただけで硬直するほど好きな歌もあるし、なんの気なしに聴く歌もあるのだ。「懐かしい」歌はちょうど中間辺りにいそうな歌だった。それほど思い入れもしてない歌だった。

ところがちょっと凍りついた。「鎖をほどいて」とかそんな歌詞を聴いた途端に、私はコンサートそっちのけで既視感に陥っていた。ちょうど「遙かなるリオネス」をアップしてるところだったんだ。鎖につながれて、人体実験にさらされているロゥンが見えた、ような気がする。その瞬間、「自分はなんて惨いことを彼にしたんだろう」って震えがきた。うちのキャラクター、私の頭のなかから出てきたキャラクターに妙な存在感を感じた。

念のために書いておきますが、いまはそんなこと微塵も感じてないんだな。薄情な奴だね。要はそれだけのことなんです。そういう勘違い、ないですか?

(了)

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