愛国心を押しつけないで

愛国心を押しつけないで

教育基本理念に“公の意識”というニュースが2002年10月17日朝刊のトップを飾りましたね。またそっちの方面に行っちゃうのかな、と思って、たきがは断固反対します。

愛国心とか郷土愛っていうのは押しつけられてなるものじゃないです。国や故郷を好きになるのは、人が後から身につけるものであって、他人から与えられるものじゃないはずです。

思えばサッカーのワールドカップ、日本中が「日本応援」一色で、興味のない人やサッカーのない人が肩身狭かったり、そんな人まで巻き込んだりしたものでした。つい4ヶ月前。日本がアジアの国々で戦争中に何をしたのか、そんなことも知らないし教わってもいないし知ろうともしない人たちが「君が代」歌ってて、一緒に日の丸振ってる。被害者の痛みをいつまでも振り返らない、恥ずかしい光景だと思いました。別に応援することが悪いとは思わないし、一体になれるのも素晴らしいことだと思う。でも、その旗を振ることでその歌を歌うことで、痛みのよみがえる人々のことを忘れてしまっているのは、国として恥ずかしいことだと思いました。

しかもワールドカップで、そうやって無邪気に歌を歌い、旗を振った人たちが、今度は「それも悪くないじゃないか。日本の国歌を歌い、日本の国旗を振るののどこが悪いんだ。ナショナリストのどこが悪いんだ」とまで思い始めている。それは聞き逃せることではありません。香山リカさんの言うプチ・ナショナリズム。

有事法制は見送られました。当然です。このまま永久に復活しないでほしいものです。

でも、たきがはの送り返した住民基本台帳ネットワークは我々の意見もろくに聞かないで発動してしまいました。問題ばらまきながら。

官僚・自衛隊の国民のプライバシーにまつわる不祥事は後を絶ちません。終わったかと思うとまた次のが見つかる。信じろと言われても無理です。ざるのようなプライバシーです。おかげでたきがははもう牛肉は自主的に食べられないかとさえ思ってます。BSEも根っこは同じことだと思います。信じられる根拠はありません。

しかも唯一の超大国にして、世界でいちばん破壊兵器を持っているアメリカが、イラクに戦争を仕掛けようとしている時代です。今のところ、日本の態度は不明な感じですが、アメリカの犬の自民党政権ですから、自衛隊派遣とまではいかなくても、金出すとか後方支援とかやりかねないなと思ってます。湾岸戦争の例もあるわけだし。

同時多発テロの時のアメリカがどうでしたか? アフガン派兵を反対する風潮を「非国民」と封じ込めていました。愛国精神の裏は非国民です。第二次大戦中の日本がその状況を証明しているじゃないですか。

愛国精神を子どもたちに押しつけたら、次は絶対に徴兵制、軍隊となるはずです。いつでも戦争のできる国にしたいのではないのですか。すでに自衛隊海外派遣の布石は打ってあります。自衛隊は世界で五指に入る装備を持っています。これが軍隊じゃなくて、なんだと言うのでしょう。

戦争はごめんです。自分が行かされるのもいやだし、誰かが行かされるのもいやだ。戦争を起こしたがるのはいつも自分が安全なところにいて、傷つかない連中ばかりです。戦争をして得するのは、いつでもそういう連中なのです。大企業であり、政治家であり、官僚であり、天皇ではありませんか。そんなやつらのために自分が傷つきたいですか、人を傷つけたいですか。そんな連中の代表が政治家であり権力者だと、いつになったらわかるのですか。

どんな美徳を並べても、戦争をしたがるやつ、戦争を美化するやつを私は決して信じません。人は国のために生きるべきではありません。自分のため、誰かのために生きるべきではないですか。

愛国精神は押しつけられて得るものではありません。自分で知って、得るものです。いつまでも過去を反省しない、今の日本という国を私は愛せません。日本という国土は大好きです。望郷は人の本能です。日本を離れることがあっても、やはり日本を懐かしく思うのだと思います。それは愛国精神とは違います。

愛国精神を、教育の名において、次世代の子どもたちに押しつけないでください。国に誇りを持てれば、誰でも国を愛することができます。国を、郷土を愛せないのは、そういう国造りをしていない自分たちに責任があるのだとは思わないのですか。

けれどもしも、国を愛さなければならなくなったのなら、私は国の存在そのものを否定しなければならないだろうと思います。無政府主義とレッテルを貼っていただいてもかまいません。戦争を起こすのに国が要るのなら、国など要りません。「話してみたらいいやつだった」と言うのなら、国が悪いのだとは思いませんか。

(了)

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