2003年1月9日、珍しいものを見ました。蟷螂さん。20cmぐらいのかなり大きい(たきがは、蟷螂の標準サイズを知らないので的はずれなことを言ってるかもしれません)蟷螂で、残念なことに死んでるようでした。蟷螂は夏の虫ですから、秋の終わりになるとほとんど姿を消しているはずなのに、その蟷螂はどこでどう年を越したものやら、ついに力尽きたようでした。
それは、思わず足を止めて見とれるような、実に完璧な形でした。たきがは、蟷螂の形が好きでして、さわれもしないのにしばし、見とれておりました。今の時期は蟻も出てこないので、その蟷螂はばらばらにされることもなく、もしかしたら、もうずっとそのままの形で死んでいたのかなーと思いました。持って帰って、ガラスケースにでも入れておいて飾っておきたいほど、破損したところもない形でした。初めて、虫をピンで留めて、ケースに入れて飾っておく気持ちがわかったような気がしました。
だけど、この蟷螂をガラスケースに入れても、いつまでもその完璧な形は残してはいないでしょう。いまはなにもないように見えるけれど、微生物に分解されて、いつかぼろぼろになってしまうでしょう。そうしないためにはケースに殺虫剤を入れたり、ホルマリンみたいな保存液に漬けたりしないといけないのでしょう。でも、そんなことをしたらこの完璧な蟷螂の姿は、もうとどめることはできないだろう。
形あるものはその形をとどめておけないから美しいのだ。だから私たちはその形を写真なり絵なりにとどめておきたいと願い、とどめておけないから、なおその美しさを愛おしむのだ。己の記憶にだけ残る美しさを愛おしいと思うのだ。
おれって詩人じゃん(ばか)。そんなことを思った朝でした。
(了)