印象に残った言葉 2006年版

印象に残った言葉 2006年版

旧題「最近、印象に残った言葉」だと、汎用性がないかなーと思ったので、前に読んだりしていいなぁと思ったけど、最近まで忘れてた、という言葉を年単位で収録しておこうかと思います。上の方に追加していきます。こういう言葉は日々、追加していけるといいなぁと思います。読みやすいように改行は取っていますが、仮名遣い等はいじってません。

「人間は父や母のように霧のごとくに消されてしまってよいものだろうか」(長崎の原爆遺児の言葉より)
「敵が目の前にいてもたたかわない者は、もともとたたかうつもりなどなかった者である。そんならもう従順に体制の中の下僕か小羊になるがよい。考えることも話すこともやめたがよい。ひとことでも体制批判のことばをはいて自己満足することはやめにしたがよい」(水俣病を告発する会代表・本田啓吉氏)
「公権力の行使は、法にかない、理にかない、情にかなうものでなければならぬ」(下筌ダム紛争 蜂の巣城主・室原知幸氏「DAYS JAPAN 2006年10月号」より)
「自分は常に正義で、相手は悪だから、どんなに傷つけてもいいのだという思い上がりである。私はその種の思い上がりを「正義病」と呼んでいる。この病にかかると、自分の欠点や過ちは見えなくなり、他人の悪いところだけが異様に拡大されて目に映るようになる」(魚住昭氏。「直言 魚住取材ノート 第8回「正義という病」」より)
「学習権は未来のためにとっておかれる文化的ぜいたく品ではない。それは、生存の問題が決着したあとにのみ、得られるものではない。それは、基礎的欲求が満たされたあとの段階で得られるものではない。学習権は人が生きのびるのに、不可欠なものである」(「1985年 第4回ユネスコ国際成人教育会議宣言」より。藤田秀雄氏訳)
「近代民主主義社会における基本的人権とか、社会福祉とか、そしてもちろん教育の理念とか、それらはみな、個人の私事を社会が認め合っていくべきであるという考え方に基づいている」「自由ということは、言い換えれば個人の恣意が何物にも優先するということ」(朝比奈大作氏。「図書館員のための生涯学習概論」より)
「肉も魚もコメも輸入すればすむ、との考えが強まっている。酪農や牛や豚の飼育、コメづくり、漁業もそうだが、後継者がいないのは、若いひとたちに希望が与えられていないからである。食糧を生産するひとたちから希望が奪われているとしたら、日本人はどんな夢を食べるのだろうか」(鎌田慧氏。「ドキュメント屠場」より)
「真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」(田中正造氏。「DAYS JAPAN 2006年6月号」の広告より)
「1000万部売れている漫画と100人のうち1人しか理解できない絵画の価値は比べられない。みんなが一目で分かる作品ばかりになったら私、死にたくなりますよ」(現代美術家・やなぎみわさん。「ビッグイシュー日本版50号」の特集記事より)
「熱意とは事あるごとに意志を表示すること」(水俣病患者・川本輝夫氏の座右の銘)
「才能というものは自分でつくるものです。自分の才能は自分が一番よく知っているはず。だから人の批評に振りまわされてはいけない。自分の才能を信じて頑張ってください」(ピアニスト・グレン=グルード氏。「ビッグイシュー日本版49号」の熊本マリさんへのインタビュー記事より)
「それでも人生は続く」(ジェフ千葉監督イビツア=オシム氏。「ビッグイシュー日本版47号」のインタビュー記事より)
「じぶんで、したことは、そのように、はっきり言わなければ、かくめいも何も、おこなわれません。じぶんで、そうしても、他におこないをしたく思って、にんげんは、こうしなければならぬ、などとおっしゃっているうちは、にんげんの底からの革命が、いつまでも、できないのです」(太宰治氏。「かくめい」より)
「マニュアルどおりにしか動けないということは、感性の鈍さということになってくる。感性の鈍さが、思いやりとか、気遣いとか、気配りとかいったものを破壊してしまう。マニュアルどおりの人間には、ちょっとしたことであるはずの気が利くといったことは求められない。市民と称する人たちは、自分が鈍いことさえ分らないほどその感性は鈍くなっている」(宮崎学氏。「突破者の条件」より)
「一、誠実」「一、簡素」「一、健全」「一、自由」(陶芸家・河井寛次郎氏。戦後、娘になくなったフォークなどを揃える必要があった時、「どんな事を基準にして求めればよいか」と問われて)
「経済が行き詰まると、若者は簡単なスローガンに流される。例えば失業問題は外国人のせいだ、と。そんな傾向には相当な注意が必要だ」「現代の若者は戦争の罪を直接背負っていない。過去を修復することもできない。だが未来は過去からしか学べない。命をかけることはないが、戦争へのかかわりを考える責任は負うべきだ」(ドイツの映画監督マルク=ローテムント氏。「白バラの祈り〜ゾフィー=ショル、最期の日々」公開後に来日した時のインタビューにて)

(了)

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