「己(おの)が手に余るもの」
「サーラといったな。このまま、わたしとともにガリウスに来るつもりはないか? まだ若いが君の腕前は卓越している。一回限りで縁が切れるのは惜しいし、ほかの国に取られるのは何よりの損失だ。わたしは君のように力のある者が好きなのだがね」
「断る。あなたたちローディスのやり方は気に入らないし、私はあなたが嫌いだ」
「はははっ。歯に衣着せぬことを言う娘だ。ローディスが気に入らないと言うのならば、なぜローディスに来た? なぜローディスに雇われたのだ?」
「私はあなたたちのやり方を知らないが、噂にはよく聞く。外から見ているだけではわからないことの方が多い。あなたたちのやり方を知るには内に入るのがいちばん早い」
「ローディス教国と言ってもここは属国にすぎない。こんな辺境で我がローディスのことをわかったつもりになられても困るな」
「私が知りたいのはローディスがその属国をどう統治し、支配しているかだ。神都(ガリウス)などに興味はない。それに選民を自負する人間が壇上から下層のことを語るな。あなたたちがいかに理想を語ろうときれい事を言おうと、真実は辺境から、底辺からしか見えない」
「ふふっ、君がそんなに青臭い意見を吐くとは思わなかったよ。その回答が反ローディスか。短絡的だな。
辺境や下層がなぜあるか考えたことはないのか? 彼らにはその方が楽だからだ。我々のように自分で物事を決められない劣等な人種というのは存在するのだ、たとえそれが、我がローディス教国の民であろうとな。確かに税が重いの、晴れすぎるの、雨が降りすぎるの、とは言うだろう。だが彼らはそれだけ、文句を言うだけで終わりだ。支配されていると文句を言いながら、いざ自分で物事を選ばなければならなくなるとそんなことはできやしないし、最初からそんなことをする気もない。我がローディス教国は能力主義だ。支配する能力を持つ者が支配し、そのための見返りを特権として受ける。従うしか能のない者、自分で物事を決められない者は支配される代わりにその代償を差し出す。わかりやすい、理想的な構図じゃないか」
「私の方こそ、あなたが自分で考えたのか、上から与えられたのか知らないが、言葉ばかりのお題目を振りかざすとは思わなかった。ローディス教の唱える能力主義など昔のもので、いまはただの貴族主義でしかないことぐらいあなたは気づいていると思っていた」
「あいにくとわたしは貴族ではないから、君の批判は当てはまらない。それにガリウスの士官学校に来ればわかるが、実際に優秀な人材は貴族の方が多いものだ。彼らが特権を享受するのもしごく当たり前のことだと思わないかね?」
「何と言われようと私の気持ちは決まっている。強国ローディスに従うつもりはない。もしもあなたたちがこの先、全ての属国を失っても同じことが言えるのならば考えてやる」
「これはまた、君ともあろう者が可愛らしい意見を吐いたものだな。ローディス教国が全ての属国を失うことなどあるはずがないじゃないか。しかし惜しいな。ローディスに従わぬということはわたしの敵になるということだ。それよりも味方になってくれた方が互いによほど益が多いと思うのだがね」
サーラは黙って隻眼の騎士に背を向けて歩き出した。
彼も再度声をかけず、2人はこうして別れたが、ブラッドリー=バラストと名乗った男が容易に本音を打ち明けぬことは、彼女もここ1ヶ月ほどのつき合いで承知していた。その名前さえ本名ではあるまい。ローディス教国の騎士だという身分も詐称したものかもしれないが、ガリウスの名を持ち出したところを見ると、そうとも決めつけられない。
けれど、彼が己の身を偽ったことをサーラは咎めるつもりなどない。人には理由は言えなくともそうしなければならない事情があるものだ。
ローディス教国の辺境、ロイヤーズ公領を発ったサーラは街道に沿って南東に向かっていたが、その日は宿を見つけられず、野宿する羽目になった。
どんな国でも辺境は貧しい。国境(くにざかい)ということはいつも他国の侵略を受ける危険性がつきまとうものだし、豊かな土地には自ずと人が集まる。そうしたところを辺境とは呼ばない。
けれど、ローディスのそれは彼女の知るなかでも貧富の差が際立っているようにも思われた。これで教国を支える騎士団でも擁していれば事情は違ってくるのだろうが、騎士団もただでは維持できない。いかな弱小の騎士団であろうと貧しい属国が持てるようなものではないのである。
つまりローディス教国にとってロイヤーズ公領とは、他国の侵略に対する防波堤以上のものではないということだった。
野宿といっても食糧はない。ローディスに従軍していた時に配給された物は契約が切れたと同時に返却したし、もともと大した量は残っていなかった。冬の間近いこの季節には木の実もほとんど残っていない。唯一の望みは狩りをすることだったが、いつもの癖でサーラは晩飯を抜くことにした。
傭兵になってからのここ一年というもの、食事が三度三度もらえるわけではないということに彼女は慣れていた。もともとそういう不規則さを気にしない体質でもあったのだろう。
幸い、水筒は持っているし、新鮮な水も補給したばかりだ。厚い外套はいまの寒さを凌ぐには足りる。街道から少し外れた林に身を落ち着けるくぼみを見つけ出すと、愛用の曲刀を抱え、ほかの荷を枕にしてサーラは即座に浅い眠りに落ちていった。
目が覚めたのは眠りについた時にはまだ姿を見せていなかった月が、東の空に白々と昇ってきたころだった。夜明けまでにはまだだいぶあるだろう。
「足の速い娘だ。だが徒歩ならばそれほど遠くまで行っていないはずだ。探せっ」
潜めた声はブラッドリーのものだ。
そう気づくと、サーラは完全に目を覚ましていた。
足音を偲ばせる努力はしているが、影のように消すことはできていない。
腰に提げた剣がベルトにぶつかって鳴ってもいる。
藪を払う音、馬の蹄、足音、3、4人というところだろうがさすがに馬を相手には逃げ切れない。木立はそう広くない。足の速さでは馬の方が断然有利だ。
サーラは武器を片手に思い切って立ち上がった。
「あなたが探しているのは私か、ブラッドリー=バラスト?」
「ずいぶん近くにいたのだな。これはわたしの失態だったようだ」
隻眼の騎士も腰の剣に手を添える。
「あなたとは縁が切れたはずだ。こんなところまで何の用だ?」
「わたしはあきらめの悪い方でね。やはり我がローディスのため、なによりわたし自身のために君の腕前を惜しむのだ」
ブラッドリーはそう言いながら剣を抜いた。元の持ち主から力で奪い取った名剣だと自慢していたことはサーラも覚えている。その刀身はわずかな松明の灯りを受けて蒼白に輝いた。
「わたしのもとに来たまえ。君の好き嫌いなどどうでもいい。それほどの腕前を無駄にするな。わたし以上に君を使える者はいない。ローディス教国ほど実力者を求める国もない。ともに来るんだ、サーラ」
彼女も曲刀を抜き放った。ブラッドリーと直接対峙するのは初めてだったが、剣を軽く構えた様子は口先だけではない彼の自信を裏打ちしていた。
「私の答えは変わらない。あなたが力ずくで引き止めようと言うのなら多少の流血は覚悟してもらおう」
「わたしと君が立ち会えば、どちらも無傷ではすまないぞ。考え直す気はないのか?」
「ないと言ったらない」
サーラは鼻先でせせら笑う。
「自信がないのなら部下を連れてきているんだ、彼らに協力させたらどうだ?」
「君一人を取り押さえるのに部下の手を借りたとあっては恥だ。それに君に勝てぬようなら、わたしには君を使う資格もなかろう」
「はっ! 大した自信だな」
彼女が木立から出てくると、ブラッドリーたちも下がった。馬は4頭しかいない。口の堅い部下だけを連れてきたのだろう。
「言っただろう、ローディス教国は実力主義だと。力のない者が出世することはないのだ。いかな後ろ楯があろうと、資格のない者が上に立つことはできぬ。それが聖ローディスの教えなのだ」
「ご託は聞き飽きた。やる気があるのならさっさとかかってこい」
「君こそ大した自信だ。だが、その力はまだすべて出し切ってもおるまい!」
先手を取ったのはブラッドリーだった。
サーラはそれをかわしたが、彼の太刀筋は予想以上に速く防戦一方になった。自信を口にするだけのことはある。
その動きが突然止まった時、彼女は少しだけ肩で息をしていた。
「どうした? 君の腕前はそんなものではあるまい。わたしだけ攻めていてもおもしろくない。攻守交代といこうか」
「ふざけるな。私がいつ、あなたにつき合うと言ったんだ」
「君にその気がなくてもつき合ってもらうさ。それともわたしに従うのか?」
「どちらもお断りだと言ったら?」
ブラッドリーは薄笑いを浮かべた。
「君は徒歩(かち)、我々は乗馬だ。考えてみるまでもなく君が逃げられるとは思えないがね」
「ならば、その馬を戴くまでだ!」
「なにっ?!」
サーラはブラッドリーの剣を駆け上がるとその肩を踏み台にして部下の1人に大上段に斬りかかった。剣を構えたところまでは訓練された騎士らしかったが、傭兵のような臨機応変さは足りず、あっという間に倒され、その速さに残る2人は攻撃を躊躇(ためら)う。
その隙を逃す彼女ではない。すぐさま手近な一頭に飛び乗ると手綱を取り、ひと鞭くれた。たちまち馬は走り出し、ようやく止めようとしたブラッドリーの部下たちを蹄にさえかけたのだった。
「逃げるのか?!」
「あなたにつき合う義理などあるか!」
サーラは馬の腹を思い切り蹴飛ばした。
大柄な馬は彼女の命じるままに走っていく。
けれど、ブラッドリーは残る3頭の追っ手を差し向けては来なかった。
サーラが馬を放したのはロイヤーズ公領を出てから、ローディス教国の国境を越えてからのことだ。馬に知恵があれば飼い主の元に戻るだろう。どちらにしても持ち主のない明らかな軍用馬を放っておく者はいまい。農民が捕らえて売れば、一財産にもなろうかという代物である。
その後、彼女はローディス教国から距離を置き、二度と雇われるようなこともなかった。再びローディスの名を耳にしたのはそれから何年も経ってからだ。
しかし、あの時のブラッドリーの言葉そのままに、ローディス教国の周辺諸国への侵略は止むことがない。その版図は大きくなる一方で、ゼテギネア大陸よりも大きいガリシア大陸全土を手中に収めるのも時間の問題と思われた。
いつかローディスとは剣を交えることになるだろう。外から見えるかの国は、あの時、サーラの感じた嫌悪感をますます大きくさせて、その支配するところは止まることを知らないままであった。
《 終 》