「神は試練を与えたもう」

「神は試練を与えたもう」

「それで、どのようなわけでこのようなことになったのか、誰もわかっていないのね?」
「はい、フォーリスさま、申し訳ありません。何しろ、爆発音がして、私どもが駆けつけた時にはもう」
「いいえ、あなたを責めているのではないわ、ごめんなさい。ただ、誰も知らないというのが気にかかったものだから」
「まさか、ゼテギネア帝国の仕業でしょうか?」
「憶測でそのようなことを言うものではありません。きっと原因は別にあるはずよ」
そうは言うものの、ロシュフォル教大神官フォーリス=クヌーデルは惨状に言葉もなかった。
大聖堂の台所が跡形もなく吹っ飛んで、青空の下にさらされていたからだ。それはさぞ凄い爆発音だったろう。大聖堂は頑丈な石造りの建物だ。魔法に因るのだとしても、この破壊力は並大抵の術者ではないに違いない。その原因を誰も知らないなんて、いったいどういうことだろう?
いまは大勢の僧侶と司祭が働いて、瓦礫の山を懸命に片づけていた。その大半が女性だ。作業ははかどっているとは言えず、屋根の修復までしなければならない。台所が元のように使えるようになるまで、半年ぐらいかかりそうだ。
「とりあえず、私も荷物を片づけてきて手伝うわ。それまではナブラ、あなたが指揮を執っていて」
「はい、フォーリスさま」
自室に戻る途中で、大神官は猛烈な疲労を感じた。大陸から帰ってきたところにこの惨事だ。疲れが出ても不思議はない。
幸いなのは、これだけの惨事に拘わらず、誰一人として怪我人がいないことと、食料は無事なことだった。
「フォーリスさま」
「まぁ、サーラ、どうしたの、こんなところで? 悪いのだけれど、あなたも片づけの手伝いに行ってもらえないかしら? 台所が大変なことに」
「ごめんなさい!」
赤銅色の髪の娘がいきなり頭を下げたので、フォーリスはすぐに事情が呑み込めなかった。
「私がやった」
「え?」
「台所を壊したのは私だ」
「ええ?!」
目の前の娘と台所の惨状がとっさに結びつかず、フォーリスは目を白黒させる。
「ちょっと待って、サーラ。少し、考えさせてちょうだい」
彼女が椅子に腰を下ろすと、サーラは顔を近づけ、目をのぞきこんできた。
「あなたが、何をしたのですって?」
「私が台所を壊した。正確には竈(かまど)が爆発した」
「待って、サーラ。あなただって、竈を壊すつもりではなかったのでしょう?」
「おなかが空いたから、乾酪(ちーず)を焼こうと思って、竈に火を入れた」
フォーリスは逆に彼女の目を見返した。
「竈に火を入れて、どうしたの?」
「薪を突っ込んだだけだ。そうしたら爆発した」
「待ってちょうだい。ふつうは薪を入れたぐらいで竈は爆発しないわ。あなたがほかに何かやったのではなくて?」
サーラは首を振る。
「花火と薪を間違えたということはないの? もうじき夏祭りの時期だから、倉庫には花火があるわ」
「ない。台所に置いてあった薪を使った」
「それで? あなた、怪我はないの?」
「大丈夫だ」
フォーリスは安堵のため息をついた。サーラは自分にだけは怪我を隠さない。彼女が無事ならば、本当に皆が息災なのだ。
「それならば良かったわ。だったら、みんなを手伝ってもらえない? 瓦礫を片づけるので忙しくしているの。みんな、力仕事は苦手だわ」
「話はもういいのか?」
「だって、あなたがしたことは乾酪を焼こうとして、竈に火をつけて、薪を足しただけなんでしょう?」
「そうだ」
「ええ、それならば、もういいわ」
サーラは安心したようだが、最後まで神妙に頭を下げた。
「ごめんなさい、フォーリスさま」
「いいえ。あなたに怪我がなくて何よりよ。でも、今度からは、おなかが空いたら私に言ってね」
「はい」
サーラが駆けていくのをフォーリスは微笑んで見送ったが、ふと思い出したことがあって肩を落とした。
彼女を竈に近づけるな、とサラディンは警告していたではないか。あの手紙も読むなり、言われたとおりに焼き捨ててしまったから、すっかり忘れていたし、まさかこんなことが起こるとはフォーリスも思っていなかったのである。
「少し、警告が弱すぎたようですわ。だけど、みんなには、どのように言ったものでしょうかねぇ?」
ゼテギネア帝国の仕業でなかったことは良かったが、正直に話すのも好ましくない。そうでなくても僧侶でもないサーラが大聖堂で寝泊まりしていることはすぐ非難の対象になる。もしも彼女が台所を破壊した張本人だと知れたら、それこそ追い出せの大合唱になることは目に見えていた。
サーラにとってアヴァロン島は一時の避難所だ。いずれ彼女が島を出ていく日は、そう遠くないうちに訪れよう。だがそれは、あくまで彼女自身の意志によらねばならない。
フォーリスはひとしきり言い訳を考えながら、屋根を直す職人への手紙などもしたためた。竈だけなら皆の手で何とかなったかもしれないが、建物が半壊しては部外者の手を借りるよりないからだ。
「そうだわ!」
そのうちに彼女は膝を打ち、明るい顔になって立ち上がった。疲労はどこかへ吹き飛んでいた。ロシュフォル教の大神官が大聖堂でいちばんの働き者であることは、万人が認めるところだったのだ。
昼の聖課で皆が礼拝堂に集まると、フォーリスはまず、瓦礫の片づけという慣れない仕事に汗した一同を労った。続いて、ゼテギネア大陸のロシュフォル教会が置かれた厳しい状況について語った。
もはやアラムートの城塞より西に渡ることは不可能だ。禁教とされた影響は確実に大陸各地の教会を崩壊の途に歩ませている。こんな時期の大神官来訪を喜ぶ声は少ないものではなかったが、失われた教会も数あり、帝国の締めつけは各地を治める為政者次第になってもいる。
「ロシュフォル教の総本山にいる私たちは、この上なく恵まれた環境にあると言わねばなりません」
フォーリスの話がいつもより長いので、若い娘たちを中心に身体を動かす者が目立った。
だが大神官の話が終わったら、粗末な昼食の後に、また瓦礫の片づけだ。そんな重労働より、多少長くてもお説教を聞いていた方がいいに決まっている。
「皆さんもご存じのように、昨日、私たちのこの大聖堂が創設以来、慣れ親しんだ台所が壊れるという悲劇が起きました。ですが、これは不幸な事故であると同時に神が私たちに与えた試練でもあるのです。神はいつも私たちのすることを見守っていてくださいます。みんなで力を合わせて乗り越えていきましょうね」
そこでフォーリスが聖課の終了を合図したので、皆がわかったようなわからぬような顔で席を立つ。
礼拝堂に残ったのは大神官より年上の司祭ばかりだが、片づけの最中に彼女らの顔を見なかったことを、フォーリスは少なからず残念に思っていた。
「結局、事実はいかようなのです? 神が与えた試練など、子ども騙しにも程があります」
「ええ、ですが、私は不幸な事故とも申し上げたでしょう? 台所を壊した者を探して懲らしめることが目的になってはいけないのではないでしょうか?」
「でも、その者には厳重な罰を与えなければなりません。反省房に入れるとか、これだけのことをしでかしたのですから、相応の罰を与えなければ」
「そうですとも。あなたはその者を知っているから、庇っているのでしょう? 大聖堂は始祖ロシュフォルさまと大神官ラビアンさまの代から続く由緒ある建物です。その台所が誰とも知らぬ者に完膚なきまでに破壊されたなど、許されることではありませんよ」
「そうですわ。さぁ、いったい誰が壊したというんですか? いくらあなたが大神官とはいえ、秘していては皆のためになりませんし、大聖堂を傷つけた者には報いが与えられるべきです」
「そうです。そうでなくても最近はアヴァロン島への難民の入りが多いというのに、あなたときたら大聖堂を彼らに貸そうなどと正気の沙汰とは思えません」
「お黙りなさい!」
声高にフォーリスを非難したり詰め寄ったりしていた司祭たちがその一言で黙ったり引っ込んだりした。
大神官は彼女たちから離れて自己の立場を明らかにすると、さらに右手を振り下ろして、反論の声を完全に絶った。彼女がこれほど強硬的な姿勢を見せるのは、神聖ゼテギネア帝国の女帝の使い相手に一歩も引かなかった時以来だ。時の大神官アンブローズ=ミレーに代わり、ロシュフォル教の総本山を守ったのは司祭に過ぎなかったフォーリス=クヌーデルであった。
「黙って聞いていれば好き勝手なことを。大陸の同志が帝国の圧政に苦しんでいるというのに、あなたたちは安穏と大聖堂で過ごしているだけではありませんか。アヴァロン島の独立性もいつまで守られるかわからないというのに、それでも助けを求めてくる人びとをよくも難民などという言葉で片づけられたものです。由緒ある建物など人の命には替えられません。あれだけの惨事に誰一人怪我人がいないことを、あなたたちは喜ぶ前に誰が壊したのか知りたがり、その者に罰を与えたがる。もうたくさんです。この件について、これ以上、問い質すことは大神官の権限において禁じます。さぁ、あなたたちも働きなさい。力仕事はできなくても皆さんにお茶を汲んであげるとか、できることはいくらでもあるでしょう」
一方的に話を切って、フォーリスは台所に向かう。
その途中で誰も見ていないことを確認して彼女は神に祈りを捧げた。名を謀(たばか)ったことを謝罪するためだ。
けれど、台所に現われた大神官は、そんな素振りも司祭たちに見せた激しさも露ほども感じせず、腕まくりして、手拭いを頭にかぶって、皆の作業に混じっていったのだった。
その後、サーラはフォーリスのもとにおねだりをしには現われなかった。
彼女は2年後にアヴァロン島を離れ、再び大聖堂に現われたのは、フォーリスがゼテギネア帝国のガレス皇子に処刑されてからのことだ。
だから、ロシュフォル教の大聖堂が、始祖ロシュフォル皇子以来続く歴史ある建物なのに、台所だけやけに新しい理由は、ただ一人しか知らないことになる。
《  終  》
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