「蝶のように花のように」

「蝶のように花のように」

「ねぇ、シルキィ、あんたの下着、背中に穴が空いてるわよ」
「やだっ。指なんか入れないでよ。くすぐったいし、穴が大きくなっちゃうじゃない」
「繕い物だったらミネアがうまいわよ。頼めばいいのに」
「いくら上手だからって下着の繕い物なんて格好悪くて頼めるわけないでしょ。それに背中だけじゃないんだから。見てよ、この袖口」
「あらやだ、ぼろぼろじゃない」
「ぼろだなんて口にしないでよ。あたしだって、我慢してるんだからね。それにここまでになっちゃうと、繕いようもないんだから」
「わかるわ、それ。見て、あたしの靴下」
「やっだあ! 何回、繕ったのよ? マンジェラって意外に器用なのねぇ」
「だって2足しか持ってないんだもの。大事に使わなくちゃ」
「そうよね。だからあたしだってこの下着、大事に着てきたのよ」
「ねぇ、そうは言うけど、そろそろ限界だと思わない? 下着や靴下だけじゃないわ。このサンダルだってもう修繕のしようがないってオーサに言われたのよ。あたしたち、乱暴に使ったわけでもなければ、無駄にもしてないわ。欲しい時に替えを買ってもらってもいいと思うの」
「そうねぇ」
「でも、あんたはそう言うけど、グランディーナさまってお金には厳しい方よ。我慢しろなんて言われちゃわないかしら?」
「じゃあさ、マチルダさんに相談してみない? きっとあたしたちだけの悩みじゃないはずだよ。みんなに話してみようよ。みんなで言ったら、いくら厳しいって言ったって、グランディーナさまも聞いてくれるんじゃないかしら?」
「あんた、頭いいわね、フィーナ。ね、そうしよう。みんなで言えばいいのよ」
「よし! 善は急げよ、マチルダさん、つかまえようよ」
「そうね!」
ディアスポラ大監獄を発った解放軍は、カストロ峡谷に向かっている途中であった。道は平坦とは言えなかったが、戦闘もなく、ディアスポラで旧ホーライ王国の残党が加わって戦力が倍増したこともあり、皆の気持ちには余裕があった。
解放軍でも最古参で、もともと人をまとめるのが上手だったマチルダ=エクスラインは、誰もが認める女性陣のリーダーになっていた。司祭としての腕も確かだし、料理も美味い。皆の信頼も厚く、そのことはすぐに旧ホーライ王国の女性たちにも受け入れられたのであった。
シルキィ=ギュンター、マンジェラ=エンツォ、フィーナ=タビーの3人、通称かしまし娘たちの相談を受けたマチルダは、話を聞くとすぐに深刻な顔で頷いた。
「そうね、あなたたちの言っていることはわかりますし、あなたたちだけの問題ではないのも本当です」
「やっぱり!」
しかし3人が歓声を上げる前に、マチルダは素早く言葉を続けた。
「ですが、だからといって、あなたたちの言っていることをそのままグランディーナに伝えるわけにはいきません」
「どぉしてぇ?」
「ではあなたたちに訊くけれど、月々いくらぐらいあれば足りると思っているのかしら?」
「えっとぉ」
「ええ、靴下っていくらだっけ?」
「ダスカニアとディアスポラって同じ値段?」
「それにあなたたちには必要ない物が欲しいという人もいるかもしれないでしょう? だから、皆さんと話しましょう。それならば、いいでしょう?」
「そうね」
「さすがマチルダさん。あたしたち、そんなことまで考えなかったわ」
「でも、みんなで話し合ってみるっていいかも。いくらマチルダさんがみんなが困ってるんですって言っても、グランディーナさまは納得しないかもしれないけど、みんなで本当に話し合ってみれば、納得してくれるんじゃないかしら?」
「そうしようそうしよう」
「ちょっと待ってちょうだい!」
勝手に盛り上がる3人を、またマチルダが制する。
「話し合うのはけっこうですけど、いますぐというわけにはいきません。あなたたち、皆さんに明日の晩に集まりましょうって伝えてくれないかしら?」
「わかったわ」
「任せといて、マチルダさん」
「じゃあ、あたし、こっちに行ってくるから、あんたたち、そっちをお願いね」
「そうね」
3人が素早く散っていくと、マチルダは思わずため息を漏らした。
彼女たちに指摘されるまでもない。自分はそんな問題にとうに気づいていたし、皆が不足に思わぬよう、リーダーが些末事で気を紛らわせることがないように気を遣ってきたつもりだった。
だが、旧ホーライ王国の残党が解放軍に加わったことで人数は倍増している。もはや問題はマチルダ一人の手には負えないところまで来てしまったのだろう。
しかし彼女がため息をついたのは、事態の大きさのためにではなかった。強面のリーダーを説得できるだけの材料があるだろうかという心配のためにだ。
そのあいだにも、かしまし娘たちが女性陣のなかを飛び回って招集をかけているのが見られた。秘密にするつもりはないが、聡いグランディーナはもとより、男性陣にも何事かと思われているに違いない。
だがマチルダは、それはやはり些末事ではないのだと思い直した。解放軍全体に占める女性の割合からいっても、これは十分、大事であるはずだった。
翌炎竜の月7日、グランディーナ以外の女性陣全員が集まり、マチルダが口火を切って話し合いが始められた。
男性は閉め出した上に、強面のリーダーもいない。最初は遠慮がちだった皆も、かしまし娘が真っ先に現状を訴えると、同調する者が女戦士たちから出始め、じきに古参の面々からも意見が出だした。
次第に旧ホーライ王国の残党からも疑問が発せられ、彼女たちは消耗品にまつわる解放軍の事情と、それを支える財政についての認識を共通のものとしていったのだった。
そして、最終的に皆が至った結論は、現状の資材担当のウォーレンとヨハン=チャルマーズらでは不便であることと、女性ならではの消耗品の不足という事態であった。
「善は急げよ! 早く、グランディーナさまに言いに行こう!」
勇んでシルキィ、マンジェラ、フィーナが立つ。マチルダはまたしてもそれを制さねばならなかった。
「駄目ですよ、勢いだけで行っても。足りないと言うだけでは話にならないでしょう?」
「そうですね。全然具体的な話になってませんもん。私たちの欲しい物が月々どれくらいかかるのか、数字で出した方がリーダーも判断しやすいんじゃないんでしょうか? その上で、これだけは絶対に必要だという最低のところを示せれば、なお良いと思います」
「具体的にってどういうこと?」
「月々に私たち1人ひとり、これだけは買ってもらいたいって物がありますよね?」
槍騎士のラミア=ヴィクトルは新参者だったが、次第に誰もがその話に真面目な顔をして耳を傾けていた。
「さらに私は槍騎士として必要な物がありますが、女戦士や僧侶の方たちにも、同じようにその職種に必要な物があると思います。そうですよね、マチルダさん?」
「え、ええ、そうね」
彼女が同意するのは予定どおりだったようで、ラミアは自信たっぷりに、自分の荷物から、その場の誰もが初めて見る物を取り出した。
それは木の枠に梯子のように10本ほどの棒が取りつけられていて、さらに1本の棒が垂直についていた。10本の棒には垂直の棒を境に1個と4個の珠がついていて、おはじきのような形をしていたが、珠はどれも上下に動かせるのだった。
「あら、珍しい。あなた、算盤(そろばん)が使えるのね」
いままで退屈そうな顔で話を聞いていたデネブが、突然、身を乗り出す。
「これが何かご存じなんですか?」
「ちょっとだけね。東方伝来の計算機でしょ? 使うのにちょっとしたこつが要るんだけど、慣れるとずいぶん早く計算できるんだって聞いたわぁ」
「いいえ、これは母に持たされたんです。うちは商家ですから、女でも覚えておけば役に立つからって言われて。でも私、槍騎士になるための稽古ばかりしてて、あんまり上手に使えないんですよ」
「あら、使えるだけでも大したものよ。それに、あなたのお母さんて聡明な方なのね」
「とっ、とんでもない! ただの商家のおかみさんですよ、大食いだし、太ってるし、けちだし!」
ラミアはデネブが算盤と呼んだ代物を大きく振り回した。
「でも、あんたのお母さん、あたし、好きだわ。商家のおかみさんだもの、しまりやなのはしょうがないわよ。だけど、とっても明るくて頼りになる人よ。それに、あんたにそっくりだわ」
朗らかにオパール=スウォロフが言うと、ラミアは顔を真っ赤にしたが、皆は笑い声をあげた。
「あたしもあんたのお母さんが使ってるのは見たことがあるけれど、あんたはそれを使って、どうしようっていうわけ?」
ラミアが算盤を振ると、珠が動いた。彼女は4個の珠を下方になるように置き、全部の珠を下に揃えた。
皆は彼女を中心に取り囲んで、興味津々といった表情でラミアの手元を注視した。
「話をわかりやすくするために、ラロシェルでの相場を使いますね。女戦士の方たちに必要な矢は1本、3ゴートします。1回の戦闘で矢は何本くらい打ちますか?」
「ええっと、ディアスポラの時ってどれぐらい使ったっけ?」
かしまし娘は額をつき合わせるようにして話し合った。彼女たちの矢筒にはいつも矢が20本くらい入っている。それが空っぽになるほどの戦いはいままでにも何度かあるが、シャローム地方の時は、一日中、移動していたせいでもあったりする。
「でもさ、あたし、ディアスポラでは後で矢を回収したわよ。あんたたちだって、打ちっ放しってことはないでしょ?」
「そうねぇ。でも、そんなこと言い出したら、話がややこしくなるじゃない。だいたいあんたたち、矢を何本拾ったかなんて覚えてないんじゃないの?」
「失礼ね! いつも使った分の半分は回収してるわ。矢だって馬鹿にならないんだからね」
そこでラミアが咳払いをしなければ、3人はまだ話し続けていたかもしれなかったが、彼女たちはやっと自分たちが何のために矢の話など始めたのか思い出したらしい。
「つまり、1回の戦闘で矢筒に入った矢を使い切ってしまうとしても、半分くらい回収してますから、30ゴート使ってることになりますね?」
「まぁ、そうね」
ラミアの言うことがどのような意味を持っているのか、あまり考えもせずに三人娘は頷いた。
「でも矢だけじゃないわよ、あたしたちの使う物って。弦だって時々張り直さなきゃいけないし、弓だってそのうちに壊れちゃうでしょ?」
三人娘の言うことに頷きながら、ラミアの指は算盤の珠を弾いていく。
「ヴォルザーク島以来、弓を買い換えたり、弦を交換したのはどなたですか?」
「弓はまだ1人もいないけど、そろそろ交換したいかな。弦は、みんな1回は換えてるわよね?」
「そうね」
「すると、弦は1本20ゴートですから、2ヶ月に1回として、1ヶ月に10ゴート、弓は1張り60ゴートですから、3ヶ月に1回として、1ヶ月で20ゴート。ほかに必要な物はありますか?」
「あとはサンダルと服ぐらいかしら?」
「待ってよ、下着のこと、忘れてるわ」
ラミアの指はそのあいだにも算盤を弾いている。とうとうシルキィもマンジェラもフィーナも何も出てこなくなると、彼女は算盤の珠を押さえて、皆に見せた。
「わかりました。女戦士の方たちは1回の戦闘で250ゴートくらい使います。ただし、これは少し多めに計算しましたから、現状の解放軍の懐事情を考慮しまして、220ゴートぐらいが妥当なところじゃないでしょうか。女戦士の方って何人います?」
手が上がり、ラミアはまた算盤を弾く。それでさすがに誰もが、皆が暗算するよりも速く、彼女が算盤で計算しているのだということは理解しだしていた。
「多少の個人差はあると思いますが、女戦士の方たちだけで1回の戦闘で1760ゴート必要ということです」
マチルダを除いた、その場の全員が納得したように頷いた。
「ラミアさん、同じことはあなた方、槍騎士や私たち司祭の場合でも計算できるのですね?」
「もちろんです。そうしないと、グランディーナさまは説得できませんよね?」
「そうね」
女戦士たちの時よりも要領よく、同じような質問と計算が司祭と僧侶たち、次いで槍騎士たちについても繰り返された。
もっとも、デネブは自分の物は自分で買う主義だと言って断り、一応話に加わっていたものの、ノルンは皆と同じに扱われるのがたいそう不満なようで、自分は除外してくれというのが彼女の言い分であった。
それで、ひととおり終わったところで、マチルダは皆を解散させ、まだラミアの助けを借りて、いままでの計算結果を清書した。
こうして彼女の読みやすい字で書き直されると、ただの数字もより説得力を持つ。
しかし、グランディーナの場合は別だ。きれいだろうが汚かろうが、解放軍のリーダーに限って、見てくれなどに騙されやしない。彼女を納得させるには、これでも足りないかもしれなかった。
「グランディーナ、聞いていただきたい話があるのですが、よろしいですか?」
彼女はすぐ顔を上げ、右足で地面に描いていたものを消した。
そこにはマチルダのほかに、援軍としてデネブとアイーシャ、それにラミアもいたし、焚き火の灯りの届かぬところにもかしまし娘を始め、何人もの女性たちが見守っていた。
逆にグランディーナは一人きりだ。いつもならランスロットやカノープスがいたり、影と話していたりするのだが、当面の目的地カストロ峡谷にはまだ何日もかかるので、ランスロットたちも息抜きをしているのだろう。
「何だ?」
「実は女性の方たちを代表してお願いがあるんです。私たちが月々、必要な物を買うことを許していただきたいんです。おおよその費用はこちらに出しましたわ。解放軍の財政が決して楽でないことも知っていますが、私たちも贅沢を言っているのではないことも承知しておいていただきたいんです」
マチルダが差し出した書類をグランディーナは受け取った。彼女の目がそこに書かれた数字の上を走る。しかし、3枚の紙を全部めくることはせずに、最初の1枚きりで書類はまたマチルダの手に戻された。
「全員で1ヶ月当たり24070ゴートか」
「はい。ですが、こちらはディアスポラのラロシェルでの価格を参考にしたので、場所によっては上下してしまうと思いますが、極端には違っていないはずですわ。それと、あなたとデネブさん、ノルンさんの分が含まれていませんので、加味していただかなければなりません。さらにもうひとつ、補給部隊に女性を加えていただけませんか。ウォーレンさまやヨハンさまには買っていただきづらい物もありますから」
グランディーナが手を出したので、マチルダはもう一度、書類を載せた。今度は彼女も3枚全部に目をとおしてから返却した。
「補給部隊には誰を加える予定だ?」
「女戦士の方たちが交替で当たってくださるそうです。買い物は月に1度、まとめて済ませようと思ってますので、それほど負担にはならないはずですわ」
「わかった。ウォーレンにはあなたから伝えてくれ。月々の買い物の件もあなたに任せる。話はそれだけか?」
マチルダは書類を見直し、3枚目まで見てから顔を上げた。
「あなたとデネブさん、ノルンさんの分はいかがしますか?」
「私のことは考えなくていい。デネブとノルンは自分から断ったのだろう? 考慮する必要はないのじゃないか?」
「そうね。あたしとノルンのことは気にしなくてもいいわ」
「ですが、あなたの分はどうせ皆さんの分も買うのですし、消耗品などは一緒の方がよろしいんじゃありませんか?」
「私はあなたたちのように月々に必要な物はない。不自由な思いもしていなかったから、言われるまで気づかなかった。悪いことをした」
「いえ、そんなことはありませんが、本当によろしいんですか?」
「あなたたちが必要だというものを私が止める筋合いではないだろう。それにもうじきマラノだ。金のことは心配しなくていい」
「ですが」
言ってからマチルダは袖を引っ張るラミアにようやく気づいた。そしてグランディーナが再三「要らない」と言ったのがどういう意味なのかをやっと理解したようだった。
「申し訳ありません。立ち入ったことまでお訊きしてしまって」
「あなたが気にすることじゃない。話はもういいのか?」
「はい。ありがとうございます」
マチルダの言葉も終わらぬうちに、グランディーナは足下に置いた木の枝を取り上げた。その手が地図を描く。
予想以上に簡単にリーダーの承諾が得られたもので、マチルダはかなり拍子抜けして立ち上がった。
ラミアも、せっかくついてきたのに大して役に立つ機会がなかったのが残念そうだ。
だが彼女たちは別々に振り返って、グランディーナを見た。まるでそこに奇異な者でもいるかのように。それでも彼女たちは何も言わずに立ち去った。
結局、最後まで残ったのは、デネブとアイーシャだけだった。
「お金にうるさいあなたがあっさり承諾するなんて珍しいじゃない」
「マチルダやラミアまで引っ張り出して来たのだから本当に限界なんだろう。彼女たちが必要だと言う物を拒むわけにもいくまい」
「マチルダさんはともかく、ラミアさんがどうして関係あるの?」
「彼女はラロシェルの商家の娘だとヨハンに聞いた。あのような計算は彼女がいなければ、もっと時間がかかったろう」
「あら、よく知っていたわね。彼女、算盤なんて使っていたのよ。あんな珍しいもの、見たの久しぶり。それにしても、あなたって女の子には甘いわよね」
「彼女たちはとうに私が棄てたものを持っているからかな」
「あら、あなたにだって女の子らしいところはあるわよ」
「ない。そんなものは棄てたんだ、生き延びるのに必死でそればかり考えていたから女であることは忘れようとしたし、否が応でも思い出させられた時は身体なんか器に過ぎないんだと自分に言い聞かせた。余計な荷物も持たなければならない、身体の具合も悪くなる。月のものなんかない方が都合が良かったんだ、私には」
熱に浮かされたように勢い込んでしゃべるグランディーナの額にデネブが軽く口づけする。
 それで彼女はようやく我に返ったようで、立ち尽くすアイーシャに気づいたらしかった。
「すまない、あなたたちに八つ当たりすることではなかったな」
「いいえ」
 アイーシャが首を振ると焚き火の灯りでも涙が飛んだのが光った。
「いいえ、私のことなんて気にしなくてもいいの。いいの、私は大丈夫だから」
けれどもグランディーナが立っていくと、アイーシャはその手を拒まなかった。彼女の流した涙は静かにグランディーナの胸元を濡らしたのだった。
その後もグランディーナは解放軍のやりくりに頭を悩ませ、時には厳しい判断も下した。
しかし、それはおおむね皆に公正なものと受け入れられ、不平や不満はあまり出なかったことは特筆されてもいいだろう。
《  終  》
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