「愛情物語」

「愛情物語」

「グランディーナ、お帰んなさい」
甘ったるい魔女の声が出迎えたが、険しい表情の解放軍のリーダーは意に介さず、武具を寝台の上に投げ捨てると自分は床に座り込んだ。
「疲れた時には甘い物を食べるのがいちばんいいのよ。さ、どうぞ」
もちろんデネブも、そんなことでは怯まない。差し出した皿の上にかぶせた布巾を優雅な仕草で取り上げると、そこには南瓜色の型焼き(びすけっと)が盛られていた。
「あなたのために焼いたのよ」
言われるよりも早く、それはグランディーナの口の中に消えたが、咀嚼(そしゃく)して呑み込んだ彼女の表情は少しだけ和んだ。
「甘いな」
「んもう、この前と同じじゃない。ほかに言うこと、ないの?」
「美味しいと言えば満足するのか?」
「グランディーナの意地悪、そんなこと、わかってるくせに」
「甘い物には慣れてない。
ありがとう」
水の入った杯を差し出したのはシーガルだった。パンプキンヘッドとマッドハロウィンは4体いるが、そんな気の利いたことをするのは、しっかり者と評判のシーガルしかいないのである。
グランディーナは、そのまま水を飲みながら南瓜の型焼きを全部、食べた。
「ありがとう、デネブ」
「どういたしまして。明日は別のを作るわね。期待しててね」
しかし、彼女はとっくに寝息を立てていて、シーガルが慌てて毛布を取りに行くのを、デネブはやんわりと制した。
金竜の月22日のことである。
その翌日、デネブは宣言したとおり、別の南瓜のお菓子を作って、司令官室で眠りこけるグランディーナをたたき起こした。
アラムートの城塞中が、解放軍のリーダーの思わぬ素性と奇異な生い立ちを巡って、てんやわんやの状態にあるというのに、当のグランディーナとデネブの周りだけは、まるで無風であった。
「今度は何だ?」
「南瓜善哉(ぜんざい)よ」
「南瓜善哉? それにしては黒いな」
「主な材料は小豆なの」
話しながらデネブがお椀の中身を匙(さじ)でつつくと南瓜色の丸い物が浮き沈みしている。
「ラミアさんてさすがよねぇ。小豆を頼んだらちゃあんと仕入れておいてくれたのよ。ヨハンおじさまじゃ、ああはいかないわ」
「小豆というのは何だ?」
「ジパング由来の材料なの。ゼテギネアじゃまだまだ貴重品なんだけどお砂糖を加えて煮て練ると甘い餡子になるのよ。これだけでも美味しいんだけど、南瓜の団子を入れると最高なのよぉ」
「ふーん」
グランディーナは匙を取って、湯気が立ち上る善哉を口に含んだが、それきり、しばらく動かなかった。
「どう? あまりの美味しさに固まっちゃった?」
「あ、甘い」
「そりゃあもうお砂糖たっぷり使ったもの」
今日もシーガルが差し出した水の入った杯を、グランディーナは一気に飲み干した。ところが今度は、それきり匙を動かさない。彼女には珍しく、しばらく逡巡した挙げ句にデネブに善哉の入ったお椀を返した。
「私には無理だ。甘すぎて喉が渇く」
「ええっ?!」
察したシーガルが杯におかわりを入れてきたが、グランディーナは首を振った。
お椀と匙を受け取ったデネブは、こちらも、しばらくのあいだ、彼女を潤んだ眼で睨みつけていたが、やがて諦めたのか、自分で善哉を食べ始めた。
「もう、グランディーナったら、こんなに美味しいのに何が気に入らないのよ」
「甘い」
「甘いから美味しいんじゃない」
「お菓子なんて食べ慣れてないから無理だ」
とうとうデネブは、グランディーナが一口で止めた善哉を食べ終えるとシーガルから杯をひったくって水まで飲み干した。
「わかったわ。つまり、あなたをお菓子に慣れさせればいいのね?」
「いや、私はあなたのようにお菓子はなくてもいいんだが」
「そうはいきません。あなた、あたしの自尊心(ぷらいど)を傷つけたのよ? あなたに『美味しかった』と言わせるまで、あたしは止めませんからね」
断ろうとしてグランディーナは、それを止めた。
「この次はガルビア半島へ行くから、しばらくアラムートの城塞には戻ってこないけれど、それでもいいのか?」
「どうせ、あたしは行かないもの。天空の島だっけ? そんなところに興味はないわ」
「私も興味はないが、サラディンが、行って天空の騎士の助けを借りろと言うからな」
「あなたが帰るのを待って腕を磨いておくわ」
「楽しみにしてる」
「んまっ!」
翌金竜の月24日は解放軍の全体会議があったので、デネブの作ったお菓子がグランディーナに食べさせられることはなかった。
魔女が次にお菓子を差し出したのは、彼女の言葉がグランディーナの記憶の底に沈んで、しばらくしてから、具体的には4ヶ月後、つまり黒竜の月3日のこととなる。
「お帰んなさい、グランディーナ。はい、あなたのために焼いた南瓜の包み焼き(ぱい)よ。食べてね」
ガルビア半島から天空の島ムスペルムに至り、同じ天空の島オルガナ、シグルドに渡り、またガルビア半島に戻って、アンタリア大地、永久凍土バルハラまで連戦を重ねていたが、解放軍のリーダーは相変わらず、疲れた様子を見せることはなかった。
彼女は4ヶ月ぶりにアラムートの城塞に戻った解放軍に明日は休みと伝えたが、その翌日からはダルムード砂漠に向かうので、そちらに先行する者と残って片づけを行う者とを選別するよう命令もしており、またしてもアラムートの城塞中を混乱に陥れていた。
「あなたはさっきの話を聞いていたのか?」
「あたしは片づけに残るわ。あなたがいつまでも帰ってこないから、けっこういろいろと広げちゃったんですもの、この片づけを誰かにお願いするわけにもいかないでしょ?」
確かにデネブの言うとおり、司令官室は彼女の私物で散らかり放題だ。
「次に落ち着けるのはいつかしら?」
「さあ。ダルムード砂漠の次はシュラマナ要塞の予定だが、そこまで行ったらゼテギネアも目と鼻の先だ。今度、落ち着けるとしたらゼテギネアを落とすまでないかもしれない」
「あら、それじゃ困るわ。ゼテギネアを落としたら、あなたはお役御免なんでしょ? あなたに返さなくちゃいけない借りが溜まっちゃう」
「アラムートの城塞に残ったらどうだ?」
「それはないわ。あのおじさん、あたし、好きじゃないの」
グランディーナは苦笑いを浮かべた。解放軍が去った後のアラムートの城塞の管理人には、トリスタン皇子の任命したリスゴー=ブルック、解放軍を去った元騎士と決まっていたからだ。
「あなたも耳ざといな。でも、もしかしたらシュラマナ要塞に滞在することにはなるかもしれない」
「あら、どうして? シュラマナの次はザナドュ、それからゼテギネアじゃないの?」
「ゼノビアのパーシバルがグランの命令でクリューヌ神殿に何か隠したらしいとアッシュが言っていた。トリスタンはそれを調べたがるだろうからシュラマナの前にライの海に廻るようかな」
「坊やの言うことを聞いてあげるわけ?」
「彼のすることを邪魔する気はない」
「あら、そう。
ね、そんなことより南瓜の包み焼きを食べて。冷めたら美味しさも半減しちゃうわ」
「また甘いのか?」
「それはお菓子だもの。甘いのはもう嫌?」
「先日の善哉は、もう勘弁してほしいかな」
「残念だわ」
デネブが差し出した皿をグランディーナは素直に受け取った。長の遠征から帰ってきた彼女は利き腕の自由を取り戻していたが、そのことには魔女は触れなかった。というか興味を示さなかった。彼女の興味はがぜん、グランディーナが自作のお菓子に示す反応にしかないのだ。
「デネブ、包み焼きと言ってもいろいろとあるのだろう?」
「もちろんよ。サラディンが作ったのはお肉とお野菜の包み焼きでしょ? 林檎とか苺とか果物を入れることも多いわね。ほかには甘い凝乳(くりーむ)を入れたり卵を入れたりもするし。でもいちばん美味しいのは南瓜の包み焼きよ!」
「わかった」
「いろんな包み焼きを食べてみたいってこと?」
「あなたが南瓜を好きだってことがだ」
「ち・が・い・ま・す」
南瓜の包み焼きをほおばるグランディーナの目の前でデネブは立てた人差し指を左右に振った。
「あたしは南瓜が大好きなの。一等好き。単に好きなんじゃないわ」
心得たシーガルが今日も水の入った杯を差し出すとグランディーナは、すぐに飲んだ。
「先日の焼き菓子(たると)と似ていた」
「焼き菓子は載せて焼くけど、包み焼きは包んで焼くからね。美味しかった?」
「甘い物は苦手かな」
「ええっ?!」
「あなたが作ってくれるのはありがたいし楽しみにもしてるけれど、どうやら私はあなたの期待には応えられそうもない」
「でも、これからも食べてくれる?」
「あなたが作ってくれるのなら」
「じゃあ腕を奮っちゃうわ」
鼻唄交じりでデネブは司令官室を出ていった。その後を空の皿と杯を持ったシーガルが追いかけていき、手ぶらの3体のパンプキンヘッドとマッドハロウィンもついて行った。
独りになって司令官室内を見回したグランディーナは身体を置ける隙間を見つけると、いつものように居眠りを始めたのだった。
デネブが第五弾の南瓜のお菓子をグランディーナに作ったのは、それから半月後の黒竜の月19日のことだった。
解放軍はライの海ウォーレアイに着いたばかりで明日にもランドルス枢機卿と戦端を開く。
グランディーナ自身は〈何でも屋〉のジャックを伴い、ラモトレックという島へ魔女タルトを訪ねようとしているところだ。
いつものように戦いに赴く者と留守を守る者とに分かれて、解放軍の野営地はいろいろと忙しかったが、魔女は相変わらず周囲の喧噪には無関心だったし、皆を忙しくさせている張本人であるグランディーナも、命令を下してしまえば後はそれが成就されるのを待つばかりであった。
そして今回は解放軍のリーダーのために張られた天幕には当人のほかに魔女と4体のパンプキンヘッドとマッドハロウィン、自身の支度を終えたアイーシャがいた。彼女は皆を手伝おうとしたのだが、モーム=エセンスに追い払われたところだったのだ。
それでデネブは当初、落ち込んだ様子のアイーシャを慰めるのに忙しかった。
「あなたばかり働かせるわけにはいかないからよ。治療部隊だって人が多いんだもの、みんなでやれば明日の支度なんてあっという間に終わっちゃうわよ」
「ですが、いくら私がグランディーナの専属の治療係になったからといって皆様を手伝わないでいていいとは思えません」
「アイーシャは働き過ぎだ。私だけじゃなくサラディンの専属でもあるのに、ほかの者を手伝うことはない」
「そうよ。ほかの人を手伝って疲れちゃって、肝心のグランディーナとサラディンの治療が疎かになったらどうするの?」
「それは」
彼女が口ごもったので素早くデネブが皿を差し出す。
「さ、おやつを食べて機嫌を直してちょうだいな。アイーシャがいつまでも怒ってるとお姉さん、悲しいんだわ」
「ごめんなさい」
しかしアイーシャが顔を上げられないでいるとグランディーナの方が珍しく興味を示した。
「何だ、これは?」
「南瓜の茶巾絞りよ。よく甘藷でも作るんだけど南瓜のが断然、美味しいの」
「茶巾絞りというのは、この形を指すのか?」
「そう。南瓜の餡子を柔らかく練ってね、最後に濡れ布巾でこの皺をつけるの。おもしろい形でしょ?」
「そうだな」
グランディーナが先に食べ始めたのでアイーシャも顔を上げた。
甘藷の茶巾絞りならば食べたことがあったが南瓜は見るのも初めてだ。鮮やかな南瓜色に目を奪われ、穏やかなグランディーナの声音が強張ったアイーシャの心をほぐしていく。
「しかし、あなたも器用だな。こんな野営地でよくお菓子なんて作れるものだ」
「必要は発明の母よ。そうじゃなくってぇ、食べたければ、あたしはどこででもお菓子を作るわよ。もちろん作るお菓子は選ぶけれどね」
「やっぱりアラムートの城塞のような台所がないと作れない物もあるのか?」
「まぁ、アラムートの城塞は特別よ、あんなに大きな台所は要らないわ。そうね、外だとどうしても竈(かまど)が不足しちゃうのよね。石で囲って竈らしい物もできるんだけど火力が段違いだから同じ物はできないわ」
「へぇ」
「デネブさん、いただきます」
「どうぞどうぞ。
それで感想は?」
「甘い」
首を落とした魔女に今度はワイズがすっ飛んできた。彼らの大きな南瓜頭は、どう考えても天幕の中ではぶつかりそうだが、不思議と不自由そうにもしていない。
「もぅぅ! あなたってほかに言うことないの?!」
デネブが激しくグランディーナに詰め寄ったのでワイズはひっくり返った。ひっくり返ってしまうと頭の大きさで立ち上がるのに苦労しているが、すぐにシーガルが助け手を差し伸べる。4体のパンプキンヘッドとマッドハロウィンたちは、いつも仲がいいのである。
「美味しいとかお菓子は二の次だったからな。私は腹がふくれればいいんだ」
「ええっ?」
「でも、あなたが何を作るのか楽しみにしてるし、お菓子とやらを食べるのもおもしろい」
「あなたの中ではお菓子っておもしろい止まりなの?」
「おもしろいと言うより物珍しい類いかな」
「物珍しい」
言ったきり、デネブは雷にでも打たれたように立ちすくんでいる。
グランディーナは不思議そうな顔で魔女を見て、アイーシャもデネブを案じて2人の様子を盗み見た。
じきに彼女は動き出したが、大きな震えは止まらないようだった。
「ほっぺたが落っこちちゃうような美味しいお菓子を食べたいとは思わないの?」
「そんな贅沢は言わないし味もわからない。だから腹がふくれればいいんだ」
魔女は今度はよろめいて後ずさった。
シーガルとワイズが支えたが、苦労しているようでアニーとエパポスも慌てて手を出す。
アイーシャと同じくらいの身長で、重い鎧など決して身につけず、同性が見ても憧れずにいられないような理想的な体型を持つデネブだが、時々、信じられないような重量を発揮するのだ。
「それはお菓子に対する冒涜よっ!」
「だから贅沢は言わないと言ってるだろう?」
「贅沢じゃないわ。好きなお菓子を食べるのは女の子に限らず人に与えられた権利よ。人はパンのみにて生きるにあらず、お菓子に彩られない人生なんてあり得ないわっ!」
デネブは力説したが、グランディーナは頭をかいて手の中の茶巾絞りを口の中に放り込んで立ち上がった。
「あなたの言う人生に私は当てはまらないようだ」
「どこ行くのッ?!」
「そろそろ皆が誰を行かせるか決めたころだろう。出てくる」
「ひっどーい。なによ、腹がふくれればいいとか味もわからないとか、あたしの気持ちなんか全然わかってないじゃない」
しかしあれほど声高にグランディーナを責めたわりに、振り返ったデネブは意外なほど、さばさばした顔だった。
「これ、美味しいです、デネブさん」
「ほんと?」
「私、南瓜の茶巾絞りって初めて食べたんですけど、甘すぎないのに南瓜の味がしっかり出ていて、とても美味しいです」
「アイーシャぁ」
いきなり魔女に抱きつかれてもアイーシャは慌てたりしなかった。デネブの突飛な行動には耐性がついている。むしろ数少ない本音が言える相手でもある。
「あなただけね、あたしの気持ちをわかってくれるのはぁ」
「いいえ、グランディーナは感謝していますよ」
「あんな冷たいこと言ってたのにぃ?」
「ええ。彼女は興味がなければ近づきもしないはずですから。デネブさんがお菓子を作る時に込めた愛情にもきっと気づいてると思います」
素早く離れたデネブは少しだけ頬を染めていた。
アイーシャは残っていた茶巾絞りを大事に味わって食べた。いつものことながら店で売れば、たいそう人気が出るだろうに、この魔女ときたら、まったく商売っ気がない。
「あなた、知ってたの?」
「はい」
微笑んだアイーシャにデネブの頬が赤みを増す。
「私の母もいつもそんなことを言っていたんです。料理に必要なのは少しの腕前と愛情よって」
「グランディーナには内緒よ、あたしがそんなことをやってたなんて」
「でも彼女のことだから、きっと気づいていますよ?」
「いいのよ、言わないで」
「言いません。だから茶巾絞りの作り方を教えてくださいね?」
「もちろんよ!」
その後もデネブは二度にわたってグランディーナに南瓜のお菓子を食べさせた。一回はシュラマナ要塞で南瓜の蒸し焼き(ぷでぃんぐ)を、もう一回は上都ザナドュ陥落後で丸焼き菓子(まふぃん)をだ。そのたびに彼女は礼を言い、楽しそうには食べはしたが、ついぞ、その口から「美味しい」という言葉が出ることはなかった。
さすがの天下無敵の魔女にも、解放軍のリーダーの味音痴を直すことはできなかったし、彼女の「腹がふくれればいい」程度のお菓子に対する価値観を覆すこともできなかったのである。
デネブがお菓子を作る時は4体のパンプキンヘッドとマッドハロウィンが、いつも助手として従っていたが、ほかの誰かが同席していたことはない。いちばん仲のいいアイーシャはグランディーナとともに行動することが多かったので、留守番することはなかったからだ。
だからデネブが、お菓子を作る時に愛情を込めていたことはアイーシャのほかには誰も知らない。
愛情以外の何かが込められていたかどうかも、いまとなっては誰にもわからないことであった。
《  終  》
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