「刹那の夢」

「刹那の夢」

「おいで」
誰かに呼ばれてグランディーナは振り返った。
白竜の月1日、解放軍はポグロムの森のほとりに野営地を構えた。24年前の虐殺で殺された人びとを悪霊として甦らせる黄玉のカペラと戦うために。
「おいで、ガルシア」
懐かしい声が彼女に呼びかける。
だが、懐かしいはずなのにその名前が思い出せない。
彼らがなぜ自分をガルシアと呼ぶのかもわからない。
それなのにその名で呼ばれることに彼女は違和感を覚えないのだ。
グランディーナは立ち上がり、カノープスにつかまれた腕を振りほどいた。
彼女たちよりも森に近いところに数人の人影が見えた。向こう側が透けて見えたが彼女は近づいていき、すぐに彼らに取り囲まれた。
懐かしい顔が並んでいる。
彼らの方も嬉しそうに微笑みかけてくる。
けれど、彼女にはその中の誰一人として名前が思い出せない。
それに心の底からこみ上げてくる罪の意識は、決して贖うことができないという思いは、なぜこんなにも強く自分の心を締めつけるのだろう。
「いこう、ガルシア」
幻の手が彼女の手を引く。
「いっしょにいこう」
そう言って彼女の背を押す者もある。
これは夢か現か、グランディーナは考えようとした。
自分よりずっと幼い者たち、いつ会ったのだろう。
どこで会ったのだろう。
何より、彼らは誰なのだろう?
「いこうよ」
どこへ、と彼女は思う。
彼らはどこへ行こうというのか。
その時、彼女は歩みを止めた。
背筋に冷たい汗が流れる。
彼らは、何者なのか。
「いこう」
グランディーナには彼らのことが思い出せない。
けれど、たったひとつだけ確かなことがある。
彼らはとうの昔に死んでいるのだ。
ここにいる懐かしい顔は、どれも死者のものなのだ。本当ならば、ここにいるはずがない者たちなのだ。
彼女が彼らの声を聞くことができなくなって久しいはずなのだ。
「いこう」
「どうしたの、ガルシア?」
それでも彼らは呼びかける。
その声に抗うことは易しい。
けれど苦しい。
彼らがなぜ自分を誘うのかわからないから。
その声に応えることができないのが、わかっているから。
死者と生者のあいだに横たわる、決して越えることのできない壁があるから。
「いこう、ガルシア」
「やめろ!」
とうとう彼女は顔を覆った。
「やめろ、なぜ私を呼ぶ? 死者に用はない、去れ、還れ! 還ってくれ!!」
「グランディーナ?!」
カノープスの声を聞いたと思った。
しかし、周囲の景色が歪んだかと思う間もなく彼女は倒れていた。
薄れてゆく意識の中で、やっと夢から覚めたような気がした。
目を覚ました時、気分は最悪でシリウスにさんざん噛まれた左肩が激しく痛んでいた。熱もあるようで寒気までする。
しかもここは解放軍の野営地ではない。焼け焦げた痕もいまだ生々しい廃墟だ。
「セルジッペか、ミナスシェライスか」
彼女は立ち上がりながらつぶやいた。ポグロムの森の地理を思い浮かべたが、どちらも野営地とのあいだには広大な森が横たわっており、おとなしくしていても見つけられるとは思えない。
森の方に近づいくと白い影が現れた。野営地で取り囲まれた霊かと思ったが、今度は顔がはっきりしない。
背後から骨の鳴る音が聞こえてきたのもその時だ。
誘うように手招く白い影を追って、彼女は悪霊の跋扈(ばっこ)するポグロムの森へ駆け込んでいった。
森の中を走りながら、グランディーナは彼らの顔を思い出そうとする。けれど見た時は懐かしいと思った顔が、離れてしまうと、もう思い出すことができない。あれほどはっきり見たはずなのに、すべて霞がかかったようで不確かなままに消えてしまう。
しかし彼女は思い出す。
かつて再び剣を取ることで取り戻した罪の記憶、あのなかで倒れていたのは彼らではなかったか。
けれど、どうしてそれを確かめられよう。思い出せない顔を、どうやってそうとわかるだろう?
あれは夢。
ひとときの、刹那の夢。
手に入れられぬ真実は、亡霊よりも淡く、はかない。
《  終  》
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