「終わりの始まり」

「終わりの始まり」

「ラシュディさま、ハイランドのガレス皇子がいらっしゃっているのですが、お通ししてもよろしいですか?」
「ガレス皇子? さてグランにも知らせておらぬこの塔をどうやって見つけ出したのか気になる。お通ししろ」
「かしこまりました」
ラシュディは開いていた書物を閉じて、脇に押しやった。
ハイランドのガレス皇子が来る。この大陸の運命が大きく変わろうとしているのを彼は感じた。
やがて賢者の前に現れたのは鎧も真新しい少年騎士だった。彼は兜を脱ぐ間ももどかしげに、いささか頬を紅潮させて挨拶をした。
「初めてお目にかかる賢者ラシュディ殿。我が名はガレス、ハイランド王国の第一位王位継承者だ」
ラシュディは椅子を進めたがガレスは首を振って立ったままだ。埃にまみれた鎧は、ここまでの旅が平穏無事なものではなかったことを物語っているが、それを苦にしないのは若さゆえだろう。ハイランド王家の姉弟はそれぞれ十六歳、十五歳の幼さだ。
「ようこそ、ガレス殿。グラン殿も知らぬこの塔をよく探し当てられた。やんごとなき事情をお聞きする前に、秘訣を伺ってもよろしいかな?」
「我が姉エンドラの力によるものだ。姉は魔法をよくする。今日は姉の代理で伺った」
「ハイランドの女王が何のご用かな?」
「我らがハイランドにご助力いただきたい。ゼノビアのグラン王を初め四王国がハイランドを狙っている。それも姉が若輩者だという理由で軽く考えているのだ。ラシュディ殿にご助力いただければ奴らも容易に手は出すまい」
ラシュディは昨晩のグランとの密談を思い出して一人頷いた。齢80ながら自分の力に自信を持つグランは同時に慎重さも合わせ持つ。ハイランドを攻めるに当たり、ホーライ、ドヌーブ、オファイスの協力を取りつけただけでなく、このラシュディの力まで欲していた。彼はそれをなんだかんだと断る理由をつけて保留してきたのだが無理もない話だ。ハイランド王国は国土こそ高地が多くて貧しいが軍事力に優れている。筆頭将軍のヒカシュー=ウィンザルフを初め剣技に優れた者も多く侮れない。グランは四王国だけでは足りないと踏んでラシュディの力を当てにしたのだ。彼がとうとう首を縦に振らなかったことでグランがどれだけ癇癪(かんしゃく)を爆発させたか想像に余りある。
けれどラシュディは端からグランの提案を受ける気はなかった。それは彼の計画から外れているのだ。
しかし予定どおり飛び込んできたガレスに、ラシュディはすぐに餌をやる気もない。どちらが主導権を握っているのか思い知らせる必要がある。
「わしはグラン殿とは盟友同士だ。彼にゼノビアに助力するよう頼まれたが断ってきたばかりだ。それなのにハイランドに助力しろと?」
ガレスはラシュディの前に両手をついた。兜が重たそうに転がる。
「北方のローディス教国がゼテギネアに侵略しようとしている! 姉はこのことを四王国に諌言したが信じてもらえなかったばかりかハイランド王国に侵略の意志ありと決めつけられた。このままでは我がハイランドがあらぬ疑いで蹂躙(じゅうりん)され、遅れて四王国もローディスの餌食となるだろう。それを止められるのは大陸一の賢者と謳われるラシュディ殿だけだ!」
ガレスは頭を床にこすりつけるほど下げたがラシュディは立っていって、彼の肩に手を置いた。
「だいたいの事情はわかった。立ち上がられよ」
ガレスの話はグランから聞いたことと一致していた。ただグランはローディスの侵略を信じておらず、エンドラの野心と見なしているというだけだ。だがエンドラがそのような女傑でないことをガレスと同じくらいラシュディもよく知っている。彼女はハイランドの高地に咲く可憐で気高い花薄雪草なのだ。
「いいや、わたしはあなたを説得するために伺った。答えをいただけるまで下がるわけにはいかない」
ガレスが食い下がるのも予定どおりだ。ハイランドがいくら軍事力に優れているからといって一国でグラン率いる四王国と戦うのは厳しい。万が一、勝利したところで疲弊したままでローディス教国と戦えるはずもない。彼らにはラシュディの力が必要なのだ。
「わしに時間を与えぬと言うか?」
「あなたのご助力がいただけなければ我らは早急に対策を立てねばならない。侵略の意志ありと思った四王国がぐずぐずしているとは思えない。わたしの報せを姉やヒカシューが首を長くして待っているのだ」
「エンドラ殿の言葉が正しくてグラン殿の言葉が間違っていると、どのように証を立てる?」
「そのようなものは無理だ。だがダミエッタ山脈に侵入者があったという報告を受けている。ローディスが動いているのは間違いない」
ダミエッタ山脈はハイランドの北に広がる峻険な山岳地帯だ。ローディス教国の版図ガリウス大陸の最南端で、2つの大陸はグアビアーレ海峡で隔てられているため、交流には使われない。しかし、そこへの侵入は目と鼻の先のハイランドには見逃せない事態だろう。ゼテギネアとガリシア大陸の交流は皆無に近い。
「では、もうひとつ。このような請願ならばガレス殿が直々に出向く必要はなかったはず、ヒカシュー殿をよこせば用は足りたろう。なぜガレス殿がおいでくだされた?」
「わたし自身があなたに用があったからだ。ラシュディ殿、ただのガレスとしてお願いする。わたしを弟子にしてほしい!」
「グラン殿の仇となるかもしれない方を弟子にとれと?」
「わたしに力がないからだ。わたしに力がないから他国の者に馬鹿にされる。わたしは姉上を守りたいのに何もできない!」
「エンドラ殿をお守りするにはヒカシュー殿がいらっしゃるではないか」
「わたしも強くなりたいのだ。ヒカシューにばかり負担はかけられない。いつまでも守られてばかりでは女王の弟である甲斐もない」
「わたしが教えられるのは魔術だけだ。ガレス殿はすでに騎士としての訓練を積んでおられる。剣技と魔法は時として相反する力だ。2つの力を追い求めた挙げ句、2つとも失わないとも限らない。全てはガレス殿の才能と努力次第だが覚悟はおありか?」
「姉上を失うかもしれないのなら、どんな困難にも耐えてみせる。姉上と祖国を守ること、それだけがわたしの願いだ!」
「そのお言葉、決して忘れられるな、ガレス殿」
「我が命に代えても!」
ラシュディはガレスから手を離した。
「1日だけ猶予をいただきたい。今日はここに泊まっていくがよろしかろう」
「かたじけない!」
ガレスは再度、床に頭をこすりつけるように深く礼をした。
「ハイランドに肩入れするとは本気ですか?」
「それをこれから考えるところだ。おまえたちはガレスの話をどう思う? 非があるのはどちらかな?」
「グラン王の性格を考えるとありえない話ではないでしょうね。ただ四王国がハイランドに侵略するかと言われると疑問も残る。ゼノビアを手に入れたグラン王には魅力のある土地ではないでしょう。まぁ、ハイランドに近いオファイスにそそのかされたかな」
「サラディンはどう思う?」
「グラン殿をお諌めするのが先決だと思います。その上で五王国をまとめてローディス教国に当たるべきかと」
「いまの状態でローディスに勝てるわけがないだろう。ハイランドと四王国は疑心暗鬼だらけだ。互いに足を引っ張り合って自滅するのがせいぜいだよ。
放っておくのがいちばんですよ。ラシュディさまがどちらに助力したところで得るものはない。ハイランドならばいざ知らず、いまさらグランに恩を売ったって得られるものはたかが知れている」
「だが、それでは戦乱に巻き込まれた民がいたずらに傷つけられるだけだ」
「おまえはすぐそれだ。民衆など放っておけ、奴らを助けて何とする?」
「そのための力ではないか」
「馬鹿馬鹿しい。おまえの理想論につき合わされるのはまっぴらだよ」
「まぁ、待て、二人とも。わしとしてもゼテギネアが戦乱に巻き込まれるのは望むところではない。特にローディスとことを構えるのは早計だ。それだけは抑えなければなるまい」
「ならば答えは決まったようなものだ。五王国でローディスに勝てると思いますか?」
「難しいだろう。おまえの言うようにハイランドと四王国は信用し合えなくなってしまった。まとまってローディスに当たることはできまい。だが、おまえはグラン殿を選ぶと思っていたがな」
アルビレオは整った眉をしかめた。
「彼は長生きしすぎました。そろそろご退場願いましょう」
そう言いながら一礼して右手を横に払う。
「それもいいだろう」
「正気ですか、ラシュディ殿?! グラン殿を裏切るおつもりか?」
「同じことだ。この件はグランを盟主に抱くかエンドラにするかという違いしかない。だが、わしの計画にはハイランドの方が都合がいい」
「わたしは反対です」
「残念だが、それでは事態は収まらぬところまで来ている。おまえとてグランに味方したところでハイランドが納得しようとは思うまい?」
「ですが、一方に組すれば、いたずらに戦乱を広げるばかりではありませんか」
「仕方あるまい。何かを生み出そうとする時には犠牲がつきものだ。それとも、おまえは助けを求めてきたガレスらを見捨てよと言うのか?」
「それは問題のすり替えにすぎません。グラン殿を説得してハイランドも含めた五王国でローディス教国に当たるべきです。ほかに方法はない」
「おまえの案はグランの説得という手間を軽く見すぎている。若いころは英雄であったが、いまの奴は老(ろう)獪(かい)で嫉妬深い疑心暗鬼の塊だ。たとえ、わしの言葉とて奴を説得するのは容易ではないし、後に必ず問題を残す。エンドラと和解するよう奴を説得にかかれば、グランは必ずわしがハイランドに組したと考えるだろう。どちらにしてもゼノビアとハイランドの戦は避けられん。グランは、そのような機会は決して逃さない。おまえの案は問題を先送りにしているだけだ」
「グラン殿とていつまでも王位にはありますまい? それとも、五英雄たるあの方には特別な寿命が与えられたと仰いますか?」
サラディンの言葉に遠い昔を思い出してラシュディは苦笑した。自らの理想を貫いたロシュフォルとラビアン、欲望に走ったグラン、独特の美学を持っていたダルカス、いまとなっては懐かしい顔ばかりだ。
「そうだ。奴は永遠の命を望んだのだ、このゼテギネアの戦乱を終わらせた褒美にな。だが神の嫉妬は恐ろしいものよ。命は永遠に続くがグランは若さまで配慮しなかった。ゆえにグランの肉体も魂も老いさらばえ続けている。生き続ける限り奴は醜くなるばかりだ。あの歳で子どもをなす精力もあるが、それや妻を可愛がる寛容さは残っておるまい」
「何と哀れな。ラシュディ殿の力で解放してさしあげることはできないのですか?」
「グランが望まぬのにか? 無駄だ。奴は死ぬことを恐れた。ロシュフォルが逝き、ダルカスも死んだ。ラビアンもいまは亡い。グランは彼らのように死ねないのだ。傷つけられれば、その命は絶たれるが自らそうすることもできはしないのだよ」
「滑稽な奴だ! ではゼノビアの王はハイランドの若き女王に嫉妬しているのでしょう。エンドラは美しいと聞きますからね」
「だからと言ってグラン殿を嘲る権利はあなたにはない」
「ふん、グランのように老いさらばえるだけのおまえが何を言う。おまえのような若輩者の同情など奴が喜ぶと思うか?」
「そんなことはしない!」
「頭を冷やせ、サラディン。グランが退位しないのに、おまえの案には意味がない。奴を説得するのも至難の業ならば、どうやって五王国でローディスと戦う? グランのためにも英雄でいられるうちに退場させてやった方がいいのだ。後に続く世代のためには永遠にな」
「それを決めるのは、あなたの役目ではない。人の命は本人以外が決めていいものではありません」
「理想論だな。グランは不治の病にかかっているのだ。哀れと思うのならば誰かが生を絶ってやるのも必要ではないか? 神帝の命が絶てる者は大陸広しといえど数少ないのだぞ?」
「わたしは、そうは思わない。たとえ哀れみから手を下すのだとしても傲慢なやり方です」
「どちらにしても、わしが動けばゼテギネアも平和ではいるまい。グランとエンドラは不倶戴天の敵同士になったのだ。2人が生き延びるという選択肢はない。ゼノビアとハイランドも同じことだ。ならば、わしの計画のためにもグランとゼノビアに退場してもらった方が良い。ついでに強い国に巻かれるしか能のない四王国にもな」
サラディンの表情が苦悩に歪む。彼は昔からそうだ。大事の前の小事が見逃せない。魔法使いを選んだ動機を思えば不思議もないが人の命がかかると途端に判断が鈍くなる。それが好ましいと思うこともあるが、いまの自分には不要な感情だ。
「ラシュディ殿は計画と仰るが何を企んでいるのです? グラン殿を暗殺しゼノビアを滅ぼして何を生み出すと仰せです?」
「この大陸を治める強大な国家をな。エンドラはまだ若いが、わしが力を貸してやればできるだろう」
「ならば、わたしはあなた方の敵となります。ハイランドの他国への侵略も、その逆も認めるわけにはいきません」
「無駄なことをするな、わしはグランに味方する四王国を滅ぼす。おまえはそれを止められず、臍(ほぞ)をかむ思いをするだけだ。おまえの手には何も残らぬ、それでも良いのか?」
「あなた方の思い上がりを受け入れるよりはましというものだ」
「頑固だな。あれだけ言っても、まだ納得できないのなら好きにするがいい。
アルビレオ、おまえはともに来るのであろうな?」
「もちろんです、師よ」
ラシュディの塔を出ていくサラディンをガレス皇子は不思議そうに眺めていた。その時の少年らしいあどけなさと意志の強さを示しているような眉の太さとが彼には印象的だった。
翌日、ラシュディはアルビレオを伴って塔を出、ガレスとともにハイランドに赴いた。
エンドラを初めとするハイランドの人びとは伝説にも等しい大陸一の賢者の来訪を大歓迎した。
供も携えないガレスの訪問が彼の独断と知り、ラシュディはわずかに微笑む。ガレスはいい使い手になるだろう。姉を慕い、守りたいと思う気持ちが強ければ強いほど彼は力を欲するに違いない。意志の力は何よりも魔法の力に匹敵する。
かくてゼテギネアに悲劇の第一幕が開ける。ゼノビア王、神帝グランの生命にとどめを刺すことで。
《  終  》
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