「初めて空を飛んだ時」

「初めて空を飛んだ時」

「うらやましいな、空を飛べて」
思わぬ言葉にランスロットは、前に座る娘の背を凝視した。彼女がそんなことを、こんなところで言い出すとは思っていなかったのと、大して大きい声ではなかったのに、はっきり聞こえてきたからだ。
「これからはいつでも飛べるだろう! ポリュボスに用がなければだが!」
彼の返答にグランディーナは不思議そうな顔で振り返った。青い空に赤銅色の髪がまぶしい。
2人の下、正確には2人を乗せて飛ぶグリフォンのずっと下には、ムルターン湾が横たわり、海も輝いていた。
彼女たちはムルターン湾の中州にある、バハーワルプルという町を目指している。そこでカリナ=ストレイカーという人物と会って、義勇軍を味方に引き入れるのが目的だ。
「グリフォンに乗るよりも、私は翼が欲しかった。そうすれば、どんな山も越えられる。どこにでも行ける。翼があるということは、自由だということだ」
「わたしは逆に落ち着かないね! どんなに不自由でも、自分の足で歩いていった方がいいな!」
「あなたは目の前の山を急いで越えてしまいたいと思ったことはないのか? 歩けば確実だが時間がかかる。そのような時間がもったないと思ったことは?」
「ないな! いや、ホークマンを知らないわけではないから、まったくないとは言わないが、わたしは自分に与えられた足だけで十分だ!」
「そんなに怒鳴らなくても聞こえるぞ」
「あ、すまない。逆に訊くが、君はそう思ったことがあったということか?」
「しょっちゅうだ。早くあの山を越えて先に行きたいのに歩くしかできない。それなのに越えた先にはたいてい期待したようなものなんてない。私はそれでまた先へ行きたくなる。今度こそ、今度こそと思いながら、いくつの山を越えたことか」
「何をそんなに探していたんだい?」
「情報。それに戦場だ」
「そんなに急いで探さなければならないようなことだったのかい?」
「急いでいたわけじゃない。ないとわかったところにいつまでもいたくなかっただけだ」
「情報ならばともかく、戦場ではそんなことも言っていられないだろう?」
「そうでもない。傭兵は生きていくための手段だ。必要以上の金は要らない」
「ならば、君は探している情報が見つかるまで世界中を歩くつもりでいたのかい?」
「それもしょうがないと思っていた。強くなるため、知りたいことを見つけるため、私がゼテギネアを離れた理由はそんなところだ」
「まさか、世界の果てまで行ったのか?」
「そうではないだろう。私はジパングにもたどり着かなかった。たとえ私に翼があっても行けたかどうかはわからないが」
「だったら、ゼテギネアに戻ってきた時も、空を飛んできたいと思っていたのかい?」
少し沈黙があった。
「それはない。ゼテギネアに戻ったのはウォーレンの誘いを受けてからだ。私一人が急いでも、あなたたちのことがある。結果的にあなたたちを急がせることになったが、私が来るのが何ヶ月か遅かったら、あなたたちにとって違いはあったのか?」
「ないはずがないさ。君が来るのが遅かったら、解放軍に参加することを決めた者もいただろう。だが逆に、参加するのをやめてしまった者もいただろう。なにしろ君が来るまで、みんな、ウォーレンの言ったことも半信半疑だったんだ。そんな気持ちで何ヶ月も待っていたら、来ようとする気持ちも萎えてしまったかもしれない。もしも、なんて考えてもしょうがないさ。わたしたちは誰も後戻りなどできないのだから」
気がつくとグリフォンは中州の上空にさしかかっていた。バハーワルプルの町はランスロットにもはっきりと見え、グランディーナがそこをめがけて急降下させていく。耳元で風がうなりを上げ、ランスロットは振り落とされないためにも彼女にしがみつかなければならなかった。
グリフォンに乗るのも、こんな上空を飛ぶのも、これで初めてだというのだから、その度胸には恐れ入る。
地上にホークマンの姿が見えて、グランディーナはその側にグリフォンを着地させた。
彼女が赤い羽根を見せながら近づいていくと、ホークマンも同じような羽を取り出して、いかつい顔に笑みを浮かべた。
「バハーワルプルへようこそ、解放軍の勇敢な嬢ちゃん」
この時のランスロットは、まさか自分がこれから先、グリフォンやワイバーンに乗り、ゼテギネア大陸中を飛び回ることになろうとは想像もしなかった。
傭兵だった時にはゼテギネアを離れたこともあった彼だが、ゼテギネアにいる時は旧ゼノビア王国の領地を出たこともなかったからだ。
けれど、彼はそれもいいと思うようになり、後にはそれが必要だと考えを改めた。
ゼテギネア大陸全土が帝国の元に統一されて24年が経つが、人びとの心のなかに、いまだに旧王国のしがらみが残っているのは驚かされるほどだ。しかしそんなことも解放軍の一員としてゼテギネアを飛び回っているから見えてきたことでもある。
ランスロットは自分のものの見方がまだまだゼノビア贔屓であることは知っているつもりだ。だが、ゼテギネア帝国を倒すという目標が荒唐無稽なものではなくなってきたいま、いつまでも視野が狭いままでは困ることもわかっている。
誰に及ばなくとも良い。彼は自分にできることをするだけだ。そのために見られるものを見、聞けることを聞き、知りうることを知り、できるだけ公正な視野を持とうと思うのだった。
《  終  》
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