「夢か現か」

「夢か現か」

「ここは何処ですカ? わたしは、いったいどうなったのでス?」
「ようこそ、アヴァロン島へ。スルストさま、あなたはフィラーハさまに選ばれて天空の騎士となる機会を与えられました。それまでは、しばしの休息をお取りください。ここは、あなたのような勇敢な戦士の安らぐところです」
目覚めたスルストにつき添っていたのは薄紫色の翼を持った見目麗しい天使だった。
「ですが地上の戦いはどうなりましたカ? わたしは安らぎなど欲しませン。わたしは地上を守らなけれならないのでス」
彼の脳裏に浮かんだのは最後となった激しい戦いの光景だった。神々は、天界は、もう地上を救わないのではないかと誰もが絶望を抱き始めていたカディシュの激戦だ。
「あなたの肉体は地上で滅ぼされました。それを甦らせることはできません。あなたは、このアヴァロン島でフィラーハさまのお呼び出しがあるまで待機していなければなりません」
天使の伝える言葉は冷酷に響いたが、生まれた時からオウガバトルのただ中にいたスルストにとっては魅力的でもあった。
「でも、そこにはわたしの仲間がいるのでス。彼らに任せて、わたしだけ安らいでいてもいいのでしょうカ?」
天使は曖昧に微笑んだ。
「残念ながらフィラーハさまは、いま地上に関わることができません。それに、ここにいらっしゃるのはあなただけではありませんよ。さあ、スルストさまも選ばれた方々と一緒に休息なさってください。いずれフィラーハさまが天空の騎士となる方を求められます。それまでしか、あなた方には休んでいることなどできませんから」
そう言って差し出された手を彼はもはや拒もうとは思わなかった。
天空の三騎士、赤炎のスルストは目を覚ました。
夢を見たのなど何十、いや何百年ぶりだったろう。いいや、眠ることが必要なくなってから、もう500年も経つ。それなのに彼が寝ついたのは新しい愛人との情事に熱中した上、彼女につき合ってしまったからだ。もう陽は高いようだったが彼女はまだ夢の中だ。
彼は昨夜の情事を思い出して自分のとは対照的に白い肌に口づけした。すると一回で済ませるのがもったいなくなって2回3回と口づけを降らせるうちに彼女も目を覚まし、まんざらでもなさそうな様子で笑い出した。
「スルストさま、朝からおいたが過ぎますわ。まだ寝ぼけていらっしゃいますの?」
その言葉に彼は既視感を抱く。以前、彼にそう言った女性は200年も前に亡くなっていた。
アヴァロン島にて天空の騎士となる者を最高神フィラーハが求めた時、スルストを初め、大勢の戦士が志願した。天空の騎士となるのは3人で、これからの戦いで、その資質を見定めるとのことだったが、彼らより先に天空の騎士に選ばれた者がいるので今回選ばれるのは2名だけだそうだ。
「竜牙のフォーゲルだ。よろしく頼む」
そう言った騎士は竜頭を持つ異形の人物だった。
ディバインドラゴンを殺したことで呪いを受け、天空の島シグルドを分断させた彼の大罪は皆が知っていたが、実際に会うのはこれが初めてだったから、誰もが彼を見つめるだけだった。
「よろしくお願いしまス」
しかしスルストは立っていって、フォーゲルに握手を求め、応えられた。頭はともかく手は人間らしく暖かだ。あるいはその竜頭も単なる被り物で、脱いだら人間の頭が出てくるのかもしれないと思われるほどだ。
「おぬしの名は?」
「スルストといいまス」
だがフォーゲルの竜頭は微動だにせず、それでも彼は笑ったようだった。
ムスペルム城でスルストはムスペルム騎士団の報告を聞いていたが、変わり映えのしない平和な毎日にあくびをかみ殺している有様だ。
ようやくフェンリルの怒りが解けたというのにオルガナに気楽に遊びに行くわけにもいかない。天空の三騎士というのも戦いのない時は退屈な仕事だ。
それに、と考えたスルストはムスペルム騎士団長の生真面目な顔を凝視した。
半年前に団長になったばかりの彼の名を彼は、まだ覚えていなかったのだ。半月に一度は、こうして会い、報告を受け、たまには剣の稽古もつけてやるのに、彼の名前が出てこないのである。
それは前任の騎士団長が1年で急死したせいもあった。ムスペルム騎士団の仕事は厳しいものではないが団長は10年くらいで代替わりする。スルストがムスペルムを治めるようになって1000年余、その間にムスペルム騎士団長を勤めた者は100人以上にのぼる。なかには印象的な団長、そういう場合は例外なく女性だったが、彼女らのことさえ50年も経てば忘れてしまう。覚えたと思ったら、もういなくなってしまう人びとを、どうして記憶にとどめておけるだろう。
女性とのつき合いもそうだ。彼女たちが何年生きようとスルストとの出会いは、そのうちの数ヶ月でしかない。彼女たちにとって半神たる自分とつき合うことには大きな意義があるのかもしれないが彼にとっては一瞬、つかの間の出来事でしかなく、ひとつにはそれが愛人を次々に替える理由にもなっていた。いつまでも同じ女性とつき合っていることに彼は耐えられなかったのだ。
夢か現かと思うような女性たちの儚(はかな)さは永遠の命を生きるスルストに、どんな影響も与えられることなく通り過ぎていってしまう。いつも違う女性と会うことで刺激を得たいと思うぐらい悪くはあるまい。
「フェンリルさん、久しぶりでス!」
「あなたは相変わらずね、スルスト」
「はぁイ。この1000年間は、その前の1000年間と同じように過ぎましタ。ムスペルムは平和で退屈なところでス。わたしは地上に下りたいでス」
「それはフィラーハがお許しにならないでしょうね。地上がどのように変わったのか、私も見てみたいとは思うけれど」
「いいところに決まってまス。あのオウガバトルを生き延びた人たちが作った国が良くないわけがありませン」
「まぁ、あなたは昨日のことのような言い方をするけれど2000年というのは私たちにとっても途方もなく長い時間だわ。ましてや人間には永遠に近い長さよ。地上がオウガバトルのことを伝えているかさえ疑わしいのに、ましてや良い国だなどとどうして言い切れるの?」
「それには、だいぶわたしの希望が入っていることは認めまス。地上の人たちにも頑張ってほしいのですネ。フェンリルさん、あなたと同じですヨ」
「私と?」
彼女は眉さえ顰(ひそ)めたようだったが、スルストは素知らぬ顔で話し続ける。
「あなたはオウガバトルが終わった後、フィラーハにこれ以上、地上に関わらないよう言われていたにもかかわらず聖剣ブリュンヒルドを地上に残したでしょウ? それは地上の人たちを信頼していたからではないですカ?」
「信頼、ではないと思うわ。私は地上が再びオウガバトルに見舞われた時、天界に助けも求められないのでは気の毒だと思っただけよ。この前のオウガバトルは魔界が起こしたものであって地上の咎ではないわ。それなのに、なぜフィラーハが地上に関わるなと言われたのか、わからなかったの」
「そんなはずはないでしょウ。オウガバトルが終わって、ようやく生き残ったというのに人間たちは、さらなる争いを始めましタ。フィラーハは、いつまでも戦いに飽きないその姿に絶望したんですヨ。人間たちのなかにも戦いを嫌がって逃げてきた人たちもいましタ。わたしたちに地上に関わるなと言うのも当然じゃないですカ」
「私には、そうは思えなかったわ。だって人間たちの争いとオウガバトルは別物だもの。もしも、また地上がオウガバトルに巻き込まれたら、今度は見捨てるというの?」
「それも違うと思いまス。フィラーハにとって人間は愛し子、見捨てるなんてことは決してしませン。オウガバトルが起きれば、必ず助けに行きまス。だけど地上の争いに巻き込まれるのはごめんだということでしょウ。人間たちはブリュンヒルドを巡って争うことだってありますからネ」
「そこまでわかっているのに、どうしてあなたはそんなに人間を信頼していられるの?」
「わたしは人間が好きなんでス。欠点も多いけれど、いいところもある人間に親しみを覚えまス。わたしも欠点だらけだからかもしれませんネ。ハハハハ」
スルストは笑ったがフェンリルは眉を動かしもしなかった。
オルガナに流刑されてからというもの彼女が笑うことはなくなった。少なくともスルストはお目にかかったことがないし、何気なくオルガナ騎士団員を捉まえて訊いても見ていないそうだ。
第一、フェンリルの居城オルガナの上空は、いつも曇っていて晴れたことなどないという。たまに雨の降ることもあるが、これはそのまま彼女の気分に直結している。つまり晴れていれば機嫌はいいが、曇っているとフェンリルが笑うような事態ではなく、雨の時は不機嫌なのである。
「私だって欠点のないわけではないわ。でも後悔して悩んだりすることはあっても、あなたのように笑い飛ばすのは難しい。駄目ね、すぐ嫌な方に考えて。私ってば、暗い女だわ」
「ノー! ノー! そんなことはありませんヨ! フェンリルさんは真面目な人なんでス。わたしのようにちゃらんぽらんじゃありませン。だから、あれこれと考え込んでしまうんですヨ。
そうダ! わたし、ムスペルムでもらったワインを持ってきましタ。気分転換にあちらで一緒に飲みましょウ。ネ?」
天空の三騎士が一堂に会するのは1000年に一度と決められていた。天空の島を2人の騎士が空けるのは好ましくなかったし、天空の島々で3人が集まらなければならないような事件は起こらなかったからだ。
またフェンリルがオルガナから出られない以上、三人が集まるのはいつもオルガナとなる。ムスペルムやシグルドには、それも不都合なわけだ。
それでもスルストが勝手に遊びに行くと、ムスペルム騎士団は渋い顔をした。1日や2日の留守など何の問題もないだろうに騎士団員に言わせるとスルストのいないムスペルムを守るのは、とても緊張するそうなので、できるだけすぐに帰ってきてほしいのだそうだ。
「そんな大げさナ!」
「とんでもありません。スルストさまがいらっしゃらない間にムスペルムで何かあれば、それこそ我らムスペルム騎士団の恥です。どうか、お早いお帰りを」
「わかりましタ」
しかし彼は時々、悪戯心を起こして何も言わずにオルガナやシグルドへ行ってしまうことがあった。ムスペルム騎士団も人間たちも好いてはいたが、そのものの見方の狭さはスルストを気ぜわしくさせることがあるからだった。フェンリルやフォーゲルならば対等な見方で話すことができる。
日々の退屈さは女性とともにいることで少しでも慰められた。スルストがお気に入りの愛人と一日中ムスペルム城に籠もって過ごすことも珍しくなかった。
「地上の様子は相変わらずだそうだ。特にゼテギネアとガリシアの2つの大陸がひどいな。分裂しては合併し、また分裂する。人間たちの争いが間断なく続いているそうだ」
「ミザールさんたちが忙しそうですネ。フィラーハが地上に介入しないと決めた以上、人間たちに頑張ってもらうしかありませんからネ」
「戦いを倦む気持ちは地上にも充満しているでしょうね、それでも争いを止められないなんて人間は不思議なものね」
「だが人間の居住範囲は確実に広がっている。南のバルバウダ大陸に人間が住むようになって数百年が経つそうだ」
「あまり聞かない名前ですネ」
「俺も詳しく知らないがゼテギネアやガリシアとの交流はほとんどないらしい。あと神々が信仰されていないので天使たちが活動しづらいとミザールに聞いたぐらいだ」
「神々が信仰されていないって、どういうことなんですカ?」
「俺にもよくわからないが神々を祀るための神殿や祈祷所、教会や教団がなく天使たちも力を発揮できないらしい」
「魔界のようにフィラーハたちの力が届かないところなんですか?」
「そうではないようだ。ただゼテギネアやガリシアの民が神に祈るようにはバルバウダの民は祈らないし、神の名を口にしないらしい」
「おかしなところですネェ。神々が実際にいるのに、その力を頼みにしないなんテ。そんな人間がいるなんて不思議な話でス」
「そのようだな。ただバルバウダの技術力はゼテギネアやガリシアと比べて、とても高いそうだ。神を信じ敬う心とは無縁のものらしいな」
「ミザールさんが、そんなことを言っていたんですカ?」
「うむ。彼女は人間のすることに興味があるようだ。信仰のない生活は貧しいものだと決めてかかっていた自分が恥ずかしいとも言っていた」
「神々を頼りにしないでバルバウダの人たちは何を頼りにしているんでしょうかネ? 平和な時は、その技術力とやらで過ごせるでしょうけどオウガバトルのような災厄に見舞われても祈らないんでしょうカ?」
「地上でもオウガバトルほどの災厄は滅多にないだろうがバルバウダでは『苦しい時の神頼み』というぐらいしか神の話は出ないそうだな。そのための技術力でもあるんだろう」
「わたしたちが行ってもバルバウダの人は神を認めないんでしょうかネ? そうでなくても魔法を使えば神々の力は借りますよネ?」
「それは俺にはわからん。だが何のために、そんなことをする必要がある? おぬしもバルバウダに興味があるのか?」
「神々がいるのに認めない人たちを、ちょっとからかってみたいだけですヨ。実際に行く機会はなかなかないでしょうけド」
「フィラーハは、そのようなことは望んでおられん。地上は人のものだと考えておられる。俺たちに地上に介入するなと仰った以上、そのような機会はまずないだろう」
フォーゲルは気さくな性格だが、とても真面目なところがある。それは彼がまだ人間だったころ、神に挑んでディバインドラゴンを殺してしまい、天空の島シグルドとともに呪いを受けたこととも無関係ではあるまい。
スルストは彼が好きだが苦手なところもあった。3人の地位は天空の騎士として対等だったが古参のフォーゲルをリーダーとして扱うような風潮はスルストにもフェンリルにもあるし、彼もそれは受け入れている。
けれど心のどこかでスルストはシグルドを崩壊に追い込んだフォーゲルを疎んじていたり軽蔑していたりするのだ。
そのくせ彼の居城に押しかけて朝まで酒を酌み交わしたりもするし、いざとなればスルストが安心して背中を預けられるのはフォーゲルとフェンリルだけだ。
そうした矛楯をフォーゲルに見抜かれているのではないかと思うからスルストは彼が苦手なのかもしれなかった。
スルストたちの変わらぬ日々が変化したのはオウガバトルが終結して4000年も経ったころだった。
それは天使長ミザールが足繁く地上に下りるようになったことがきっかけだったが、その兆候はフォーゲルにも見抜けないものであった。
天界が地上で何が起きているのか把握できないうちにゼテギネア大陸の状況は激変し、やがてスルストたちをも巻き込んだ。フィラーハは地上への介入を相変わらず禁じたままだったから、スルストたちが地上に下りるわけにもいかなかった。聖剣ブリュンヒルドが戻るまでオルガナから出ることを禁じられたフェンリルの流刑も解けぬままだ。
フィラーハがそれよりも注視していたのは地上に現れた8人の子らだった。だが、その子どもたちは6年足らずで自滅し、生き残ったのは少女が1人きりでしかなかった。彼女のことは要注意人物としてスルストたちに通達が来たが、地上に下りない以上、接点はないはずだった。
それよりも厄介だったのは天空の騎士が3人ともラシュディという魔導師に魅了の魔法をかけられてしまったことだ。
スルストたちは本来フィラーハの力によって守られているので、傷を負ってもすぐに治るし睡眠や食事も必要とせず病気になることもない。悪い影響を与える魔法にもかかるはずはないのだが、ラシュディの力は凄まじくフィラーハの守りを打ち破って3人に魔法をかけたのである。
この時、フィラーハの力をもってすればラシュディの魔法を解くことはたやすいはずだったが太陽神は自らが発した戒めに縛られていた。神々は人のすることに直接介入しない、というものだ。この戒めがあるからこそ人を介して神々同士が争わないで済む。逆にフィラーハが自ら戒めを破れば暗黒神らは一斉に地上に介入するだろう。
それに天空の三騎士も人を傷つけてはいけないという戒めに縛られ、地上に介入させまいとするフィラーハの禁止もあって、ラシュディの言いなりになったものの3人が天空の島から下りることはなかった。
天空の三騎士が人を傷つけた場合、フィラーハの罰により、その身は一時的に拘束されて全ての良い魔法も悪い魔法も打ち消される。つまりラシュディのかけた魔法も解けるが、もっとも、そうなるには神聖ゼテギネア帝国と戦う反乱軍、あるいは解放軍の登場を待たなければならなかった。天空の島の各騎士団は三騎士の強さを承知しているので、どんな事情があろうと彼らに挑もうとは考えないからだ。
だが地上から聖剣ブリュンヒルドを携えて現れた解放軍は天空の三騎士の助力を頼みにしてきたので彼らを解放する必要があり、3人に挑んできた。一時的にでも三騎士を倒せれば、ラシュディのかけた魔法が解けると考えたからだった。
一度倒され、ラシュディの魔法からようやく解放されたスルストは解放軍のリーダーを名乗る娘が例の要注意人物だったことに気づいたが、いつもの癖で、まず彼女を口説きにかかった。
彼にとっては、どれほどの力を持っていようが人は人でしかなく、100年も経てば彼女、グランディーナも生きてはいないだろう。
それに彼女は女だ。スルストのなかでグランディーナを、いままでの愛人と同じだと侮る気持ちが皆無とは言えなかったのだ。
けれども「戦争屋」を自称したとおり、ひどく無愛想だったがグランディーナは彼の愛人とは全然異なる型の女性であった。
彼女は解放軍の女性たちに手を出さないという条件で自分につき合えと言うところの暗に含めた意味も込みでスルストの要求を受け入れた。
だが、彼を見る目は冷たく、4000年隠し通した秘密を早々に見破ったし、天界にも無関心で神々を敬うようなこともしなかった。彼女にとって神も天界も力でしかなく、神聖ゼテギネア帝国を倒すために利用できるものは利用するという程度の代物らしい。
それでもスルストは彼女と交わす閨(ねや)の睦言(むつごと)を楽しんだし、その肌の温もりも唇の柔らかさも思う存分味わった。
時々、その言説に驚かされることはあってもグランディーナもしょせんは人間なのだ。目を閉じてみれば、彼女が泡のごとく消えてしまわないとも限らないではないか。
自分に続いてフェンリルが加わったことでグランディーナと二人きりになる機会はずいぶん減ってしまったが、それはそれでまた別の楽しみがあるというものだった。
しかしスルストはやがて気づく。
この戦いがオウガバトルの後の4000年とはまったく異なっていたことに。
甘い夢のような日々は、とっくに終わってしまっていたことに。
《  終  》
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