「波の上」

「波の上」

「何やってるんだ、舳先(へさき)なんかで? まさか海の上でまで見張りやってるなんて言うんじゃねぇだろうなぁ?」
「否定はしない。こんなところで襲撃されたらひとたまりもない、用心に超したことはあるまい」
「そう思うならアレックにでもカリナにでも命令すればいいんだ。ランスロットじゃねぇが、見張りなんてリーダーがやる仕事じゃねぇだろうが?」
「海の上でまで敵の襲撃などないだろうとも思っているが否定しきれない。人に頼むほどのことでもないから自分でしている。それに船倉にいるのは好きじゃない。どうせ甲板にいるのなら同じことだ」
「見張りをするのとただ甲板にいるのとでは全然違うと思うぞ。だいたいよくもそう緊張感を保ち続けていられるもんだな、適当に息抜きもしとかねぇと、そのうち伸びきったゴムみたいに切れちまうぞ」
話しながらカノープスはグランディーナの隣に座った。彼女がどんな表情をしているのかはわからない。十一夜の月は明るいはずだが、今夜は雲が多い。
「戦争の緊張感には慣れている。私のことよりあなたこそ休んだらどうだ」
「どうせ明後日までルテキアには着かねぇ。1日ぐらい遊んだって大したことはねぇさ。それに船倉が嫌いなのはおまえだけじゃねぇ」
「あなたたちには狭い船だったな」
「そういうこと。魔獣だって船倉は嫌いなんだ。それよりおまえ、本当に身体は大丈夫なのか?」
「あなたたち兄妹は心配性だな。何だったら手合わせしてみるか?」
「そうは言ってもポグロムの森の例もあるからな。まぁ、そこまで言えるのなら大丈夫なんだろう。せっかく休めるんだ、のんびりしようぜ」
「船尾の方でギルバルドたちが酒盛りをしていた。あなたは行かないのか?」
「ああ、俺は抜けてきたところだ。そうそう、おまえを探しに来たんだった。どうしても気になるって言うのならカリナでもよこす。つき合え」
「私は酒はやらない」
「何でだ?」
「酒だの麻薬だの人事不省に陥る可能性のあるものはやらないことにしている」
「陥らないかもしれないじゃねぇか。だいたい、酒と麻薬を一緒に論じるなんておかしな話だ」
「陥る可能性のあるものだ。陥ってからでは手遅れになるし、どちらも中毒性のあることに違いはないだろう」
その言い分に、酒好きのカノープスはしばし言葉を失い、こう言うのがやっとだった。
「そんな乱暴な話、聞いたこともねぇ」
しかし、グランディーナの口調はそんな彼の心中などまったく慮ってもいない。
「そういうわけだから酒盛りにはつき合えない。あなたも戻ったらいい」
「だからって、はいそうですかって簡単に戻れるかよ。酒は飲まなくてもいいからつき合え。見張りなんて誰かに頼めばいい。おまえが気にしているものをほかの奴らだって気にするべきなんだ。遠慮なんてするな、もっと仲間を信用しろ、味方を信じろ。たとえおまえが信じてるって言ったって、言わなきゃ伝わらねぇことだってあるんだ。現におまえのいま、やってることはおまえの言ったことに矛楯してる。別に解放軍の全員を信用しろなんて俺も言わねぇ。だけど信用してる奴がいるのなら任せるべきだ。おまえにはするべきことがほかにあるだろうが?」
「私のしていることは単なる杞憂かもしれないし、臆病風に吹かれているのかもしれなくてもか?」
「ほかの奴らならともかく、おまえに限って、臆病風に吹かれるなんてお茶目なことがあるかよ。それにいまは杞憂だってかまわんさ。必要なのは気にするってことで、そういう意識、緊張感を持たせるってことだからな」
「なるほど。あなたの言うことにも一理あるな」
「当たり前だ。こちとら、おまえの倍以上生きてるんだぞ。たまには人生の先輩風吹かせたって悪くねぇだろうが?」
「わかった。今夜はあなたの言うことに従おう」
「よーし、そうこなくっちゃ」
2人が揃って立ち上がると、雲の切れ目から月が顔を出した。
こうして並ぶとわかるがグランディーナは背の高い方でもないし体格も男に比べれば細い方だ。刀を取らせれば無敵の剣士だが、これで腕相撲だって強いのだから侮れない。
そんなことを考えていたら、カノープスは彼女に肩を一つたたかれた。
「何だ?」
「あなたを信用して見張りを任せる」
「えっ?」
「明日になったら交代しよう。頼んだぞ」
彼女が手を挙げた瞬間、また雲が月を隠してしまい、その表情はわからなかった。しかし、遠ざかってゆく足音で彼女が去ったのがわかり、カノープスはその場に再び腰を下ろした。
「あの野郎、珍しく人の忠告に従ったと思ったら、そういう魂胆か。それで俺に見張りを押しつけて自分はどこへ行ったっていうんだ?」
すると足音が近づいてきて声をかけられたので、それがランスロットであることがすぐにわかった。
「何をぼやいているんだ? それに、こんなところで1人で何をしている?」
カノープスが手短に事情を説明すると、案の定ランスロットは声を上げて笑った。
「なるほど、君も上手いこと丸め込まれたものだな。だが、彼女に信用されるなんて名誉な話じゃないか。頑張れよ」
「待てよ」
「まだ何かあるのか?」
襟首を引っつかまれてもランスロットの口調には余裕がある。カノープスにはそれが癪の種だ。
「せっかく来たんだ。どうせおまえもすることないんだろう? つき合え」
「それはわたしを味方として信用してくれてるということか?」
「そういうことにしといてやる。第一、1人で夜明かしじゃ退屈でかなわねぇ」
「それならば手を離してくれ。見張りとあれば丸腰では済まない。剣を取ってくるよ」
「そんなこと言って、逃げ出すなよ」
「まさか」
ランスロットの性格上、それは蛇足というものだ。
「そういやあ、俺も丸腰だ。船尾に置いてきちまったから、ついでに取ってきてくれ」
「承知した」
ランスロットはじきに戻ってきた。約束どおり、自分の剣とカノープスの鎚、それにギルバルドからのささやかな差し入れを持って。
「何だ、これは?」
「アヴァロン島名産、温泉葡萄酒の残りだそうだ。海の夜は意外に冷え込む。身体を温めるようにと言ってたよ」
「さすがギルバルド、気が利いてるぜ。これでつまみでもあれば文句ないんだがな」
「それじゃあ、見張りの意味がないだろう?」
「それもそうか」
カノープスの顔にやっと笑みが浮かんだ。
それから2日後、船は無事にルテキアの港に着く。
ディアスポラ地方を巡る帝国軍との戦いは間もなくのことであった。
《  終  》
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