「海賊王」

「海賊王」

「ギルバルドさま! そろそろ休まれませんか? そんなに根を詰めては明日に差し障りますわ。食事も作りましたから召し上がってください」
「せっかくあなたが呼んでくれたのだ、今日中に手なずけてしまいたいと思ったが、海の魔獣とは気難しいものだな」
「そうではありません、ギルバルドさま。難しい顔をなさっているのはあなたの方です。だから、この子たちも怖がっているのですわ」
「難しい顔は生まれつきだ」
「いいえ、そんなに眉間に皺を寄せていてはいけません。さあ、もう鞭も手放してください。この子たちだって疲れています。そろそろ放してやらなくてはかわいそうです」
「そうか」
「はい」
ギルバルドは鞭を腰に差し、2頭のクラーケンに優しい声音で話しかけるユーリアを見た。
彼女ならば鞭も使わずにクラーケンを手なずけることができたかもしれない。だが、戦わせることはできないだろう。それでは意味がない。ドラゴンを初めとする魔獣たちにアラムート海峡を横断させるだけで今度の作戦は終わりではないのだ。
期限は魔獣部隊が追い着くまでの5日、それまでにギルバルドはクラーケン2頭を何としても手なずけなければならなかった。
「美味いな。シャローム風の食事は久しぶりだ」
「おかわりもありますよ」
「うむ、もらおう」
「でも良かった。私も作るのが久しぶりだったから、うまくできているか心配だったんです」
「心配することなどない。あなたの作るものならば何でも美味い」
「それでは褒められている気がしませんわ。もっと具体的に何が美味しいって言っていただかなくちゃ」
「それはすまなかったな」
「いいえ。私ももっと腕を磨くことにします」
「だが、わたしはこのとおり不調法者だ。具体的に何がと言われても美味いものは美味いとしか言いようがない」
「いやですわ、ギルバルドさま」
そう言うとユーリアは食器をまとめて立った。初めて見るわけでもないのに彼女の微笑みが彼にはとてもまぶしかった。
その翌日も2人はクラーケンを呼び出して、手なずけようとしていた。それはもっぱらギルバルドの仕事で、ユーリアはクラーケンを呼ぶと用はなくなるはずだったが、生来、魔獣好きでもあるため、彼女はギルバルドが早くクラーケンを手なずけられるよう手伝っていた。
一口に魔獣と言ってもグリフォンとワイバーンが違うように、コカトリスやケルベロスにもそれぞれ癖があり、海の魔獣オクトパスやクラーケンはさらに扱いづらい。
「すまないがユーリア、午後からは一人でやらせてくれないか。自分のやり方を見直してみたいのだ」
「わかりました。でも、無茶はしないでくださいね?」
「わかっている」
しかし、自分のやり方を見直す間もなく、彼女がいなくなると2頭のクラーケンは逃げ腰になり、そのうちに逃げ出してしまった。ギルバルドは呆然とするよりなかった。
だが、次の瞬間に彼の口から飛び出してきたのは哄笑だった。
驚いたユーリアが近づいてきたが、声をかけるのは躊躇ったようだ。
彼はそれでも笑い続けた。
言葉の通じる人間同士でさえ、思いどおりに動かすことは難しいのだ。ましてや魔獣など意のままになると思うことが過ちなのだ。それをわずかな日数で手なずけようなど思い上がりも甚だしいというものではないか。
そう思うと彼はいつまでも笑いが止まらなかった。
「ギルバルドさま!」
ユーリアの手が彼の顔を包もうとするかのように両頬に当てられていた。
「私たち、時間がないと思って根を詰めすぎたのです。あの子たちはきっと、その焦りを嫌がったから、いつまでも馴れようとしなかったのでしょう。今日はもう休みましょう、ギルバルドさまは働き過ぎです」
「働き過ぎなはずがない。グランディーナが戻ってくるまで、わたしたちは半月以上も休んでいたではないか」
「いいえ、ギルバルドさまはその間もずっと魔獣軍団長の顔をしていらっしゃいました。働いていないように見えてもお疲れなのです。まだ3日は皆さんもいらっしゃいません。アラディも西側にいます。いつまでもそんな難しい顔をしていないでくださいな。せっかく二人きりなのですもの、もっと優しいお顔を見せていただきたいですわ」
「二人きりと言っても、わたしたちは仕事のために来ているのだ、遊びではない」
「だからと言って一日中、難しいお顔をしていなくちゃいけないという理由はないでしょう?」
「わたしはそんなにしかめ面ばかりしていたか?」
「そうですわ。軍団長のお顔をしていらっしゃるギルバルドさまももちろん好きですけど、私は笑ったお顔がいちばん好きなんです」
そう言って微笑んだユーリアは、緩やかに広げられた紅い翼が逆光のために紅く輝いて、まるで女神のような神々しさだ。
実際、ゼノビア王国のありしころ、彼女は女神のような存在だった。女っ気のない魔獣軍団に、彼女がいるだけで華やいで人が集まってきた。
「すまない。わたしは自惚れていた」
「いいえ、ギルバルドさまなら絶対におできになります。だからグランディーナもギルバルドさまにお願いしたのです。でもギルバルドさまは少し疲れておいでだから、今日はお休みした方がいいのですわ」
「そうしよう」
ユーリアが笑ったので、彼もつられて微笑んだ。
「ギルバルドさまが素直でいらっしゃるから、ご褒美をあげます」
そう言うと、彼女の柔らかい唇が彼のそれに触れて、また離れた。
「これだけかね?」
「いいえ! ギルバルドさまが欲しいと仰るなら、いくらでも!」
それで彼はユーリアを力いっぱい抱きしめた。その重さと温もりが愛おしかった。
翌日、彼女の歌声に惹かれたクラーケン2頭を、ギルバルドは2日かけて手なずけた。
魔獣部隊と自身のケルベロスを連れたラウニィーが2人に追い着いたのはその日の午後のことだ。
彼らはそのまま丸一日かけてアラムート海峡を渡り、先に西側に行っていたアラディ=カプランの先導で崖を登った。
ドラゴンが通るにはぎりぎりの幅しかない獣道だったが、ライアンはユーリアの手も借りて、真っ先に崖を上がったのだった。
「ダルムード砂漠がすぐそこじゃねぇか。アラムートの要塞まで南下するのも楽じゃねぇな」
「でも帝国も、私たちがこんな方法で海峡を渡るなんて思ってもいないでしょうね」
「だといいんだが。ここは帝国領だ、いつ見つかってもおかしくない。用心するに越したことはねぇよ」
「そのために私たちがいるわ。待っていて、みんなを手伝ってくるから」
「ああ、助かったぜ」
ユーリアは手を振ると翼を広げて崖の下まで下りていった。
しかし高さ600バス(約180メートル)以上の崖は彼女らの羽根をもってしても易々と下りられない。ましてやドラゴンが登るには一苦労であった。
最後のヘルハウンドが登っていくのを見送ってアラディが振り返った。
「どうしたのだ? おぬしもアラムートの要塞までともに行動してもらうぞ」
「その前に是非、見ていただきたい物がありまして。よろしいですか、ギルバルドさま?」
「あまり時間がない。何を見つけたのか話してくれ。それによって見に行くかどうか決める」
「海賊王の宝でもですか?」
「何だって?」
「ミュルミの名はご存じでしょう? 彼が隠したかもしれない宝を見つけたのです。何十万ゴートあるのか数えきれません」
アラディの言葉にさすがのギルバルドもしばし考え込んだ。
「本当にそんな物があったのか。海賊王ミュルミなど、ただのおとぎ話だと思っていた。だが何十万ゴートともなると人の手で運べるような量ではあるまい? 魔獣がいるうちに言ってくれれば皆の手も借りられたが、それほどの宝では、また別の問題も発生しそうだな」
「そう思いましたので、ギルバルドさまがお一人になる時を待っていたのですが」
「せっかくの宝だが戦いに即、役立つ物ではあるまい。ならば、いまはアラムートの要塞を落とすことに専念して、後でグランディーナに報告するとしよう」
「わかりました」
「くれぐれも皆には内緒で頼むぞ」
「承知しております。それではわたしは皆様と一緒に参ります」
「うむ、気をつけてな」
ギルバルドは2頭のクラーケンを促し、海峡を南下していった。波は荒れ、夏というのに水も冷たく、流れも速かったが、クラーケンたちはそんなことは気にもしていないようで力強く泳いでいる。
その後、ギルバルドに率いられた魔獣部隊はアラムートの要塞を西から攻め、彼らの進軍に併せてテグシガルパから海を渡った解放軍本隊と力を合わせ、これを落とすことになる。
それだけが今回のことで思惑どおりに運んだと言えなくもない。
《  終  》
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