「彼の笑顔が」

「彼の笑顔が」

「許せ、ジェロール。ウォルスタのために死んでくれ。アロセール、君はわたしを恨むだろうな。
火を放て! 皆殺しにしろ、1人も生かしてはならん!」
金竜の月20日、アルモリカ騎士団長レオナール=レシ・リモンはバルマムッサ自治区襲撃の命を下した。殺した同胞の数は約5000人、そのなかには親友にして恋人アロセールの兄ジェロール=ダーニャもいた。
レオナールは、そうと知って命を下した。足を負傷した彼が決して凶刃から逃れられぬことを承知の上で。
否、彼にはそうしなければならぬわけがあったのだ。ウォルスタのためという大義名分以上にレオナールはジェロールを殺さねばならなかった。アロセールの猛烈な反発を招くことも、それを忌避する理由にはなり得なかった。
「ジェロール、足の具合はどうだ?」
「レオナール?! こんなところに来て大丈夫なのか?」
「そのためにこんななりをしているんじゃないか」
彼の姿に友人は苦笑した。とても騎士には見えぬ貧しい身なりをして、しかも丸腰だったからだ。
だが松葉杖をついたジェロールの姿も凄腕の弓兵とは思われなかった。
「今日は何の用でここへ? まさか、わたしの身を案じて来てくれたわけでもあるまい?」
「噂に聞く自治区がどのようなものか一度、確かめておきたいと思ってな。だが実態は噂以上だ」
「そうでもないさ」
彼の表情が変わったことに気づかぬ様子でジェロールは話し続けた。
「確かにガルガスタン人の看守の態度は酷いが、ここにいれば戦いに巻き込まれることはないし、最低限の衣食住も保証されている」
「ウォルスタ一の弓兵の言葉とは思えないな。怪我をしたせいで気弱になってしまったのか?」
「そういうわけじゃない。だけど、わたしは二度と前のようには戦えないだろう。そうとわかった時に彼らの言いたいことが理解できたんだ」
「彼ら?」
「ここに閉じ込められた人びとさ! だが、それは嘘だ」
「誰が嘘などついていると言うんだ?」
「ロンウェー公爵たちだ。確かに最初のうち、ここは我々ウォルスタ人を強制的に閉じ込める収容所だった。けれども、いまはそうではない。ここに進んでやって来る同胞も少なくないんだ」
「馬鹿な! 収容所に進んでやって来るウォルスタ人などいるものか。なぜ我々がガルガスタンに入れてくださいと頭を下げなくてはならない? 君は奴らに洗脳されたのか?!」
「そうじゃない。現実を見るんだ、レオナール。わたしたちはガルガスタンの反体制派と連絡を取ろうと思っている。そしてこの不毛な戦いを終わらせようとしているんだ」
「まさか君にそんなことを言われようとはな。父祖の仇と戦うことが不毛だと? いつから君は腰抜けに成り下がったんだ? 第一、ガルガスタンの反体制派など少数派に過ぎない。あのバルバトスが黙って見ているものか」
「わたしの話を聞いてくれ。ガルガスタンに反体制派がいるようにウォルスタにも戦いを忌避したいと考える者はいるんだ。仇を取ってどうする? ガルガスタンに新たな憎しみの種を蒔くだけだ。それが不毛だと言わずに何だと言う? 彼らはわかってくれたよ。わたしたちが先に憎しみを棄てることに同意した。もちろんバルバトス枢機卿を説得するのは容易ではないだろう。反体制派は君の言うとおり、ガルガスタンのなかでも少数派だし、バルバトスにとっては反勢力の温床だ。だが誰かが振り上げた拳を下ろさなければ、わたしたちはいつまでも憎しみ合うままだ。わたしたちはいつまで戦い続けなければならない? 互いに滅ぼし合うまでか? バクラムが漁夫の利を得るだけじゃないか」
話しながらもジェロールは頻繁に行き交う人びとと挨拶を交わした。それは、ただの知り合い同士の挨拶というより、もっと親密なものにレオナールには思われる時があった。彼の言う「彼ら」も、そのなかには混じっているのだろう。「彼ら」が自分を見る目は厳しかったが、それもそのはず、レオナールの立場は公爵の手先だ。
「君が彼らのリーダーなのか?」
「そんな者はいないよ。わたしたちは一人ひとりが同等の立場なんだ。まだ秘密裏の行動だからね。あまり事は荒立てたくないし表沙汰にするのも危険だ。ウォルスタにしてもガルガスタンにしても、いまの指導者を批判するようなことだからな」
「だが言い出したのは君ではないのか?」
「わたしは彼らの主張をまとめてみただけだよ。ここで何かをせずにいられなかったんだ」
「謙遜することはない。君がしたのは誰にでもできることではないのだから。だが君の妹は、アロセールはどう思っている? 両親をガルガスタンに殺されたのだろう、彼女にもそれを諦めろと言ったのか?」
「アロセールは考えてみると言っていた。だが優しい子だ、きっとわたしの気持ちはわかってくれる」
レオナールは背筋を冷たい汗が流れるのを感じた。
アロセールの気持ちはいいだろう。兄妹で納得しているのなら彼がどうこう言えることはない。
だが自分の気持ちはどうだ? ガルガスタンにたった1人の家族だった母を惨殺されたレオナールに、そのガルガスタンと和解しろとジェロールは、いつから言えるようになったのか。その憎しみを忘れて仇敵と手を取り合えと、なぜ言えるのか。
「わたしはそろそろ戻る。養生に努めてくれ。できたら、また戦場で肩を並べて戦いたかったな」
「ありがとう。彼らに君を紹介したいと思っていたが引き止めても悪いからな」
「それは次の機会にさせてもらおう。彼らの名前だけ聞かせてもらってもいいかな?」
ジェロールが答えた名前をレオナールは記憶してバルマムッサを離れた。だが、それは彼らに会うためなどではなかった。部下に命じてバルマムッサの現状を、さらに探らせるためだ。
「公爵様、バルマムッサ自治区について報告がございます」
「あまり、愉快な話ではなさそうだな」
「ガルガスタンとの戦いを忌避したがる者たちのあいだにガルガスタンの反体制派と手を結ぶべしという声があがっています」
「いつものやつではないのか。奴らは声さえあげていれば満足するのだ、放っておけ」
「それが今回は違うのです。代表者が集まってガルガスタンと具体的な話し合いの場を設けようという話がまとまりつつあります」
「首謀者は誰だ?」
「それがいないようなのです。自主的に集まった者のあいだで話が熟成し、具体化していったものと思われます」
「そやつらがガルガスタンと繋がっている可能性はあるのか?」
「いまは、まだございません」
「バルマムッサ以外に、ほかの収容所で、そのような動きはあるのか?」
「まだ目立ってはおりませんが話し合いとやらが成功すれば広まるのは時間の問題と思われます」
ロンウェー公爵は沈黙した。熟考する時の癖で人差し指で机を叩いている。しかし、そう長い時間ではなかった。
「神竜騎士団を使うとしよう」
「彼らはフィダック城から戻ったばかりでございますが?」
「バルマムッサに遣わすのだ。住人たちを蜂起するよう説得しろと言ってな」
「しかし住人たちは承諾しますまい」
「そんなことはわかりきっておる。だが機会も与えずに彼らを処罰するわけにはいかん。バルマムッサの住人がすんなりと蜂起するなら何も問題はない。しかし、あの子どもたちが行ったとて、奴らは武器を手に取り革命のために命を投げ出したりはせんよ。おまえの言ったとおりならな。その時、おまえはガルガスタンを装い、住人を1人残らず殺すのだ」
「な、なんですとっ! 我が同胞を殺せとご命令になるのかっ」
「落ちつけ、レオナール。おまえは頭のいいやつだからわかろうがっ。よいか、ガルガスタンとの戦いに勝つには、これまで以上に我々、ウォルスタの団結が必要なのだ。バルマムッサがガルガスタンによって滅ぼされたとあれば、他の自治区にいる同胞は否応もなく戦わざるを得まい」
「し、しかし」
「それにそうした暴挙をガルガスタンの反体制派が黙ってはおるまいよ。いずれにせよ、バルバトスは戦力を我々とガルガスタン内部の反体制派に分散しなければならなくなる。そして我々は勝機とバルバトスを討ち取る大義名分を得ることができるというわけだ」
「しかし、彼らは黙ってはおりますまい」
「そのときは、お前が始末するのだ」
「かしこまりました。失礼いたします」
深々と頭を下げた彼を公爵は見向きもしなかった。その心中は具体的に動き出したガルガスタンとの戦いに向けられているのだろう。
退室したレオナールは外に控えていた近侍に命じて神竜騎士団のリーダー、デニム=パウエルを呼び出した。まずは表向きの命令を与えなければならない。彼らが断ることは、あり得なかった。
一方でレオナールはデニムたちが到着しそうな頃合いを見計らってジェロールを含むリーダー格の者たちに下剤を盛るよう影に命じることも忘れなかった。間違って若き英雄たちがジェロールたちに説得されるようなことになってはならないからだ。
特にジェロールがいなければ烏合の衆の集まりだ。話し合いの決裂は最初から見えている。
かくて彼らは運命の時を迎える。
それは後にバルマムッサの虐殺と呼ばれることになったが激動の時を迎えたヴァレリアにおいては、やがて忘れ去られていくのだった。
《  終  》
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