「竈(かまど)」
「グランディーナ、怒らないから、何をしたのか、正直に話しなさい」
少女は上目遣いに彼を睨み、また目をそらした。落ち着きのない足の動きが、彼女の心中を表わすかのようだ。
サラディンは嘆息して、膝を落とした。少女と同じ目線にならなければ、誰が相手だろうと彼女は決してこの件について口を開くまいと踏んでのことだ。
グランディーナは驚いたように彼を見たが、また視線をそらした。その目が時々、台所の方を盗み見る。
無惨に破壊された竈がこの部屋からも見える。そうして見るということは、やはり彼女には竈を壊したという自覚がある証拠だ。
しかしサラディンは状況証拠で養い子を追い詰めようとはせず、あくまでも彼女が自発的に口を開くのを待った。
「グランディーナ、あの竈は修復せねばならない。だが、おまえが何をしたのかわからなければ、またおまえに食事の支度を頼んだ時に同じことを繰り返すかもしれない。それではまた直さねばならない。わたしはそのような無駄なことは避けたいのだ。さぁ、何があったのか話しておくれ」
竈の壊れ方はそれは無惨なものだった。いまだ足が不自由で走ることもできないグランディーナがよく無事だったと思うほどだ。しかし、彼女が座っていた木の椅子はこれも見事に潰されている。
つまり、彼女は竈が壊れた時に巻き込まれないよう逃げ出したのだ。まったく、その運動神経ときたら、素晴らしいを通り越して驚異的と言ってもよかった。
「グランディーナ」
サラディンは彼女の口を開かせようと、その頬に触れた。彼女は大きく震えたが、ようやく彼の方に視線を向け、小さなため息を漏らした。
「なにもしていない」
小さな声で彼女はそれだけ言った。
「何もしていない?」
サラディンもつい鸚鵡(おうむ)返しに繰り返す。
「おしえられたことしかしていない!」
「グランディーナ、わたしはおまえに料理の仕方は教えたが、竈の壊し方は教えていない。料理といっても煮込みを温め直すだけのことだ。なぜ竈が壊れたのか説明してごらん」
「わたしはしらない! サラディンにいわれたとおりにやったのに、かってにこわれたんだ!」
「怒鳴らなくても聞こえる。静かに話しなさい」
「だって、サラディンはわたしがこわしたとおもってるんだろう? わたしがへただから、かまどをこわしたとおもってるんだろう? わたしはなにもしていない。いわれたとおりにやったのに、こわれたんだ」
彼女の目に涙が溢れたが、鼻を大きくすすり上げても堪えた。
「グランディーナ、わたしは怒らないと言っただろう。なぜ何もしないのに竈が壊れたのだ? わたしは事実を知りたいだけなのだよ」
「だって、あなたにいわれたとおり、まきをいれて、ひをつけただけなのにこわれたんだ。うそじゃない、わたしがこわしたんじゃない!」
サラディンはとうとう彼女を抱き上げた。七歳児にしてはかなり軽い。太りにくい体質に加えて、足がいまだに骨と皮だけなせいもあるだろう。
「おまえがここで、何をしたのか教えておくれ」
台所で、彼はできるだけ穏やかにそう言った。
グランディーナは最初、不安そうに彼と壊れた竈とを見比べていたが、やがて重い口を開いた。
「さいしょにまきをもってきた」
それで初めて、サラディンは竈の残骸の中に薪を運ぶ籠の名残を見つけた。竈の前に置いてあったそれが、無事なはずはなかった。
「それから、まきをいれた。なべはかかっていたから、ひをつけた。それだけだ」
「確かに、それはわたしの教えたやり方だ。だが、おまえも見ていただろう? わたしが同じことをした時に竈は壊れなかった。なぜ、おまえがした時は竈が壊れてしまったのだ?」
「わたしだってしらない! ほんとうに、おそわったことしかしてない!」
「よく思い出してごらん、グランディーナ。本当に、おまえがしたことはそれだけなのか? 何か思い当たることはないのか?」
「ない」
少女はそれでも泣かなかった。口元を歪めても、その灰色の瞳から涙がこぼれ落ちることも、声を上げることもしなかった。
この頑固さは誰に似たのやら、とサラディンは嘆息する。グランディーナがこの廃教会で、自分以外の人間と会ったことも話したこともないことを、彼はきれいに忘れていた。
やがて竈を修復してから、サラディンは今度は自分の監視の下で、グランディーナに同じことをやらせてみた。料理はできなくてもしょうがないが、竈ぐらい使えた方が彼女のためだ、と思ったからだ。
しかし、うっかり目を離した隙に彼女はまたしても竈を破壊した。もちろん、煮込みは黒こげになって鍋も壊され、台所も半壊状態で、よくこの廃教会が無事だったと思えたほどだ。
グランディーナも無事だったが、さすがの彼女も自分のしでかしたことに恐れおののいたようで、しばらく口もきけなかった。
ところが、サラディンが訊ねると、またしても大したことはしていないと言う。したのはせいぜい、薪を足したぐらい。だが、現に竈は完膚無きまでに破壊されたのだ。
サラディンとしては、彼女を竈に近づけることは諦めざるを得なかった。
その後、彼女が人並みに走れるようになってから、サラディンは今度は掃除の仕方を教えた。いつまでも彼が面倒をみてやることはできない。家事を覚えて損することはないだろう、という親心からだったが、残念なことにグランディーナには、こちらにも才能がまるきりないことが明らかになっただけだった。
サラディンにはどうして彼女が箒(ほうき)を使うと、椅子や卓まで壊してしまうのか理解できなかった。確かに少々乱暴なところはあるが、破壊的とは言いかねたからだ。
しかもたちの悪いことに、彼が見ていない時に限ってグランディーナは物を壊す。竈然り、椅子然り、卓然り、だ。だから、彼女がどんな風に掃除しているのか、彼にはとうとうわからずじまいだった。
雑巾も持たせてみたが、今度は細かい物ばかり壊す。そういう物はたいがい手に入りにくい貴重品なので、サラディンはすぐに後悔したが、後の祭りだった。
さらにサラディンは洗濯も教えようとしたが、貴重な服をぼろぼろにされて、呆れてものが言えなかった。
彼女に洗濯を頼むと、彼の仕事が確実に増える。それはたいがい繕い物で、糸代だって馬鹿にならないのだ。それでは頼むだけ無駄というものではないか。
とうとうサラディンは、彼女に家事を教えることを全面的に諦めた。不得手な者に無理にやらせるくらいなら、得意な者がやった方が数倍早いし、お互いに気分的にも楽だ。彼はそう考えたのだ。
その分、グランディーナにやらせることも考えなければならなかったが、こちらはいくらでもあって困ることなどなく、彼女もずっと楽しそうだった。
「サラディン! 今日はチンチャアルタまで泳いでくる!」
「気をつけていきなさい。くれぐれも人に見つからぬようにな」
「はーい!」
そう答えてから彼はチンチャアルタが対岸で、行って帰るのに一日ぐらいかかるということを思い出したが、特に何も言わないことにした。
なぜなら、グランディーナは泳ぎ切るだろう。そして彼女がサラディンとの約束を破ったことなどないからだ。家事以外においては。
彼が表に出ると、赤銅色の髪が水面に見え隠れしていた。教えたわけでもないのに彼女は泳ぎが得意だ。
その意味を、彼はあまり深く考えたことがなかった。
神聖ゼテギネア帝国暦11年の、ある日のことだ。
《 終 》