「刺客」

「刺客」

サーラが違和感を覚えたのは二度目にガントークに行った時だった。突き刺すような視線に気づいて彼女は足を止めたが周囲を見回さなかった。ガントークに来たのは1年ぶりだ。知り合いも、ろくにいない町で何があったのか彼女はとっさに思い出せなかったが、最悪の事態を思いついたので素早く町を出ていった。
「ゼテギネア帝国に気づかれたわけではない、のか?」
慎重に町の周辺を探ってみたが1年前と変わった様子はない。ゼテギネア帝国が兵を送り込んできたというわけではなさそうだ。もしも、そんなことになれば町は、もっと物々しい喧噪に包まれているだろうし、兵士の姿も目に入ったはずだ。
彼女は、いちばんの懸念が外れたことを知って安堵するとともに新たな疑問が浮かび上がるのは止めようもなかった。
「帝国の息のかかった者か?」
腰を下ろして考えをまとめる。
ゼテギネア帝国の手の者がアヴァロン島に来る可能性は決して低くないと彼女は考えていた。その方が軍を差し向けられるよりも、よほど危険なことも。
だが、それならば辻褄が合わないこともある。どうして自分がアヴァロン島にいることを突き止めたのかは、とりあえず置いておくとしても監視者がガントークの外まで追ってこないからだ。
それに隠密に探した方がいい理由はあるにせよ、バルモアのように彼女の手配書をばらまいた方が、よほど早いはずだが、それはしていない。
ひとまずゼテギネア帝国との関連は捨てても良さそうだ。
しかし、そうなると、ほかの理由が必要になるのだが、それが彼女には思いつかない。
この1年は所蔵室に通う方が忙しくて大聖堂を離れずに過ごした。
けれども大神官のフォーリスが不在になると大聖堂は、それほど居心地のいい場所ではないことがわかってしまったのだ。もちろん彼女にだって自分が大聖堂にいる資格のない異邦人だという自覚ぐらいある。
しかし彼女の存在を目の敵にする人びとには、それくらいでは足りないらしい。だからと言って彼女らは直接サーラに出ていけとは言わない。ただ彼女の姿が視界に入ると聞こえよがしに、その不快さを露わにするだけなのだ。その頻度がフォーリスが留守になると格段に増えた。そんなものは無視すればよかったのだが、その執拗な攻撃に彼女の方が根を上げたのだった。
それで彼女はガントークにやってきた。そのことが、また彼女らに新たな攻撃の理由を与えることになろうとは思いも及ばずに。
とにかく彼女には、そう簡単に大聖堂には戻れないわけがあった。
ならばガントークの件を自力で解決するか、ほかの手を見つけなければならない。
彼女はガントークに戻って相手の様子をうかがってみることにした。どうしようもないとわかってから別の町に行っても遅くはないだろう。
町に入ると、すぐにいくつかの視線に気づいた。通りをそぞろ歩きしながら、それらの出所を確かめる。
ついでに町の構造も頭に入れた。小さな町といっても大聖堂より、ずっと大きい。けれど造りは単純だ。街道につながる通りが町の中心を貫いているだけで、それ以外は狭い路地が繋がっていた。
しかも、それらの路地は互いに平行ではなく行き止まりのことも多かった。単純だが複雑だと言えなくもない路地は、どれも狭く、幅6バーム(約180センチメートル)もあることは珍しく、ひどいところだと3バーム(約90センチメートル)あるかないかだ。
もっとも、そのおかげで、よじ登るのには苦労しなさそうだ。
その時、背後に人の気配を感じたが、サーラは気づかないふりをした。すぐに捕まえられる距離ではないと踏んでのことだ。
もっとも相手は、すぐに近づいてきた。その手から逃れられるところで離れて振り返ると相手、若い男は、さも驚いたような顔になった。
覚えのない顔だった。しかも1人きりだ。
「へぇ、意外と勘がいいんだな」
「何の用だ?」
「おまえに会いたいって奴に頼まれたのさ。さあ、行こうぜ」
「ガントークに知り合いはいない。誰に頼まれた?」
「誰だっていいだろう! 俺は赤銅色の髪のガキを連れてこいと言われただけだ」
「誰に頼まれたのか言わなければ、私も一緒に行けない」
「何をごちゃごちゃ言ってるんだよ!」
彼は力尽くで解決しようとしたらしく短刀を抜いて襲いかかってきた。
しかし彼女は、それを避けて逆にみぞおちを蹴り飛ばした。
「うぐッ?!」
男は、おかしな声をあげて倒れた。
彼女は、その胸に飛び乗り、喉を軽く踏みつけた。
「誰の差し金だ?」
男の答えがなかったので少し力を込める。喉仏は男性に限定とはいえ人体の急所の1つだ。
「ま、待て! 言う、言うよ! ロイドに頼まれたんだ!」
「ロイド?」
その名前には聞き覚えがあったが、とっさに顔が出てこなかった。
「彼のほかに何人いる?」
「あ、あと3人だ!」
彼女は素早く行き止まりの方に飛びすさった。
しかし、その予想に反して彼は起き上がらない。みぞおちを蹴られたばかりでなく、喉まで脅されたことが、よほど堪えたらしかった。
サーラは、そのまま通りに戻ろうとしたが、たったいま得た情報について考える時間がほしかった。ロイドという男について記憶が蘇ってきたからだ。
それで彼女は雨樋をつたって行き止まりをよじ登った。ガントークのほとんどの家屋は木造の二階建てだ。屋根は中心から前後に傾斜していて移動するには不向きだが通りで囲まれるよりもいいだろう。それに見晴らしも悪くない。
彼女は誰も近づいてこないことを確認して、できるだけ見晴らしのいい場所に腰かけた。
ロイドの顔を思い出そうとしているうちに彼との因縁も思い出したのだ。
剣の使い方を教わるために一晩だけ肌を合わせた男だ。それなのに彼から借りた剣を構えた時に封印されていた記憶が部分的に蘇った。決して償うことのできない罪を犯したのだという苦い後悔とともに。
同時に彼女にはロイドの実力もわかってしまった。そして教わることなどないと言い捨てた時の彼の屈辱に歪んだ顔も彼女は思い出していた。
あの時の自分は、そんなことよりも取り戻した記憶の方が、よほど重要でロイドに気を遣う必要もないと思っていたし、余裕もなかった。
だが1年も経ってロイドの名前が現れたところを見ると彼の方では、そうは思わなかったのだろう。4人も仲間を集めて自分への報復を目論んでいるとは穏やかならざる話だ。
しかし彼女も、そう簡単に引き下がる気はない。ロイドの実力が自分に劣っているのは事実だ。ここで妥協すれば、この先、彼女は、あらゆることに妥協しなければならなくなるに違いない。それでは、いつか彼を助けられなくなる。目前に立ちはだかった障害は自力で排除しなければならない。
そう思った時に彼女は3人の男に目をつけられていることに気づいた。屋根の上などという目立つ場所にいたのだから、それも当然だ。そのうちの1人の顔には確かに見覚えがあった。
だが足場の不安定な屋根に彼らが上ってくるとは思えない。
もちろん彼女だって、ずっと屋根の上にいるわけにはいかない。
しかも、いくらロイドの腕前が劣っていると言っても、いまの彼女は丸腰だ。素手で3人の男など相手にできるとは思えない。
素早く周囲に目をやって彼女は圧倒的に不利な状況を打開する策を考えた。
男たちは全員、武器を持っているだろう。ロイドともう1人は長剣、3人目は、よくわからないが丸腰ではいるまい。
ならば選択肢は1つだった。
彼女は立ち上がり、男たちを見た。
目が遭ったのを確認して、先ほどとは違う行き止まりに飛び降りた。
待つまでもなく男たちは、すぐにやってきた。先頭はロイドでサーラを見るなり剣を抜いた。
「小生意気なガキだ。まだ自分の立場がわかってねぇみたいだな!」
彼女は応えず、わずかに前傾姿勢をとった。
けれどロイドの背後にいた男が、いきり立つ彼を制する。得物のわからなかった3人目の男だ。
「だからおまえはこんな小娘になめられるんだよ」
「何だとッ?!」
「こいつが何でこんな路地に下りたと思う? おまえの武器じゃ思うように使えない上に一対一でしか戦えないからだ。こいつはおまえが思っている以上に手強い奴なんだ。俺に任せておけば間違いねぇと言っただろう」
ロイドの顔が屈辱に歪んだ。だが言われたとおりに交替し、3人目の男と交替した。
しかし彼女も、そんなものを待ってなどいなかった。3人目の気が自分から逸れるのを見計らって思い切り地面を蹴り上げた。
だが彼女の予想したとおり、引っかかったのはロイドともう1人だけで3人目はこの攻撃を避けたばかりか伸ばした彼女の足を捕まえようとさえした。
「おいおい、だから言わないこっちゃねぇんだ!」
そう言って彼はロイドともう1人を足蹴にしたが2人が転がっているのが単に邪魔だったせいだろう。
そのあいだに彼女は壁際まで退いていた。男の得物が、いまだにわからない以上、距離をとっておいた方が無難だろう。
けれども彼は、まだその手を明らかにしていない。いまの彼女には、相当手強い相手のはずだ。
「ロイドはそこに転がっている。ここらで手を引いてはくれないか?」
「そいつは無理な相談だな。奴も死んでるわけじゃねぇし、俺にも仕事がある。余計な噂は立てたくないのさ」
そう言われてしまうと彼女には交渉のしようがない。かといって、このまま捕まるつもりもない。
彼女は肩の力を抜いた。
誰に教わったのでもない。自分は、こういう時にどうすればいいのか知っている。
視界の隅にロイドらを捉えて、その動きにも注視しているところだ。
やがて、そんなことをしているあいだにロイドたちは立ち上がった。目つぶしでは時間稼ぎにしかならないと思っていたが、それも徒労に終わった感じだ。
「何をやってるんだ、ジェシー? なぜ、そいつを捕まえねぇ?」
「そう簡単にいかねぇからおまえも俺に頼んだんだろうが。口は挟まねぇで黙って見てな」
ロイドは憎々しげな眼差しをサーラに向けた。
「雇い主がああ言ってるんだ。おまえに恨みはないが悪く思うな」
彼女は応えずにジェシーと呼ばれた男の動きに全神経を集中させた。この後に及んでも彼が得物を出さないのと基本的に相手の出方待ちなのが不安が残るところだ。
しかし彼の方も、なかなか動かない。2人は、しばらくにらみ合った。
ジェシーの背後でロイドが舌打ちする。しかし、それ以上、口を挟もうとしないのは2人の力関係を表してもいるのだろう。
その時、ジェシーが動いた。彼女がロイドに気を取られた隙を彼は見逃さなかったのだ。
それでも彼女は致命傷になることだけは避けた。鮮血が滴ったが大した傷ではない。問題はジェシーが武器を、また隠したのを確認できなかったことだろう。
だが傷の浅さから考えても、たやすく隠せることから考えても大きな武器ではないのは間違いなかった。
「俺の初手を避けた奴はなかなかいねぇんだがな」
彼女は無言で肩の力を抜いた。ロイドと対峙した時のように油断させて隙はつけないだろう。ならば全力でジェシーを排除するしかない。
身長差を考えたら狙いやすいのは下の方だが、そこは防御されている可能性もある。だとすると確実に狙えるのは喉か目だ。
彼も、にわかに緊張した様子だ。
しかし攻撃の手を緩めることはなく、さらに数度突いてき、その都度、確実に彼女を捉えた。
けれど、そのどれもが深い傷ではないことで彼女はジェシーの武器が短刀であることに気づいたのだった。しかも、それを左右の袖口に隠しているため、わかりにくかったのである。
だが、それも見破った。
それまでは防戦一方だったのを彼女は反撃に出た。
初めて両手を使ったジェシーの腕を捉え、それを支えに彼の喉を蹴り上げたのだ。
彼はおかしな声をあげて倒れ、彼女は短刀を奪い取った。
しかし威嚇しようとしたロイドは、とっくにいなくなっており、もう1人も残っていない。
彼女も素早く、そこを離れた。苦しむ男の様子を確認することもせずに。
ジェシーを倒したと思った瞬間、サーラは全身の力が抜けるのがわかった。彼につけられた傷は1つひとつは浅いものだったが数があったので、それなりの出血になっていたのだ。
彼女はフォーリスに教えられていたとおり、ガントークの教会に駆け込んだ。
あちこち切り刻まれた上に勝手に改造したとはいえ、まがりなりにも僧服を着た彼女を教会は決して拒まなかったからである。
けれども彼女は、そこに数日しかいなかった。包帯を巻いたまま、補修された僧服を着て、彼女は大聖堂に戻った。相変わらず居心地が悪かったのもあるが、フォーリスの帰還を知ったからだった。
その後、サーラは二度とロイドにもジェシーにも会わなかった。
その事件は、やがて忘れられたが、確かに彼女のなかに何かを刻んだのだった。
《  終  》
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