「異界の門」
「リーダー! 屋上まで来てくれよ、変なものが見えるんだ!」
「ここから出た方が速い。カリナ、頼む」
司令官室の窓からホークマンに引きずり出されて、グランディーナはアラムートの城塞の屋上に立った。
遙か南方に光の柱が立ち上っている。それは雲を突き抜けて伸びており、明滅していた。
「あれはどこだ?」
「ダルムード砂漠の端、それ以上はわからないわ」
「あそこまで急いでどれぐらいかかる?」
「グリフォンで半日くらいかしら。西大陸があそこで出っ張っているの。海を渡らなくてはならないから、けっこうあるわ」
「すぐに発とう。ウォーレンとギルバルドに知らせてくれ」
「了解」
グランディーナとウォーレン、ギルバルドのほかに、ユーリアとチェスター=モロー、それにアラディ=カプランがグリフォンに騎乗して発った。
だが彼女たちが海を越えるよりも早く、光の柱は消えてしまい、それきり二度と出現することはなかった。
「何かの痕跡はあるはずだ! 予定どおり調査に行くぞ!」
グランディーナの先導により、6頭のグリフォンは海を越え、やがてダルムード砂漠に降り立った。
砂の表は移ろいやすい。風も残っていた痕跡を消してしまう。
けれどもダルムード砂漠の生まれで探索にも慣れたアラディは、すぐにいくつもの痕跡を見つけ出した。
「軍隊が通りました。ですが足跡が途中で消えてしまっています。風に消されたのではなく、もっと別の理由だと思いますが、わたしにはわかりません」
「ユーリア、あなたは何か見なかったか?」
「この距離では無理ね」
「ウォーレン、光の柱についてあなたの意見は?」
「確証はありませんが、話を伺った限りではカオスゲートと呼ばれるものではないかと思います」
「カオスゲートとは異世界への扉のことか?」
「おそらくは。ですが、ひとつだけ腑に落ちないことがあります。カオスゲートを開くには鍵となる道具が必要なはずです。それを帝国が持っているのでしょうか?」
「カオスゲートを開く鍵とは何だ?」
「聖剣ブリュンヒルドがそれだと聞いたことがあります。ですが、それはサラディン殿がカストラート海に探しに行かれたはずです」
「ラシュディがブリュンヒルドなしでカオスゲートを開く方法を見つけた可能性は?」
「ないとは言い切れません。我々には朗報ではありませんが」
砂の上を吹く風は熱く、乾ききっていた。
ユーリアが何度も羽根を広げたり閉じたりする。翼についた砂を払い落としているのだろう。
辺りには夕闇が迫っていた。
「ユーリア、この辺にオアシスはないか?」
「南の方に見つけたわ」
「これ以上いても情報は得られなさそうだ。そちらに移動しよう」
砂漠には誰もいないようだ。夜になると風はやみ、ずっと涼しくなった。火を起こしたが、近づくものもない。ギルバルドとチェスターが交替で見張に立った。
「ウォーレン、カオスゲートの先には何がある?」
「カオスゲートによって行く先は違うようです。天空の島に通じているものもあれば、異世界に通じているものもあるとか。アンタリア大地にカオスゲートがあることは有名ですが、ホーライ王国代々の神官長に封じられて、その行く先は地獄だという話です」
「天空の島は異世界ではないのか?」
「違います。空に浮かんだ大地が天空の島です。一昨日、チェンバレンが空を横切る大きな物を見たと報告しましたね? おそらくはそれが天空の島です」
「天空の島には何があるんだ?」
「神々の住まいだと言う者もいれば、わたしたちと同じ人間が住んでいると言う者もいます。ですが、ここ何百年も天空の島に行った者はいません。伝承は歪めて伝えられたかもしれないのです」
「だがゼテギネア帝国が軍を送り込んだ。天空の島にあるのが飾り物だけではなかろうな」
「しかし、いまはどうしようもできません。カオスゲートを開く手段が見つからなければ、できることはないのです」
「そうだな」
グランディーナはしばし黙り込み、ウォーレンは質問から解放されて安堵したような顔だ。
そのあいだにユーリアが皆に食事を勧めた。
「ウォーレン、明日、アラムートの城塞に戻ったら、皆に話してくれ。それとサラディンたちが戻ってきたら、カオスゲートを調べる機会もあるだろう。その時に備えておいてほしい」
「承知しました」
彼女たちはオアシスで一夜を明かしたが、カオスゲートも帝国軍も現れることはなかった。
すべては謎と推測のまま、グランディーナたちはアラムートの城塞に戻っていった。
リーダーたちが集められ、ウォーレンからカオスゲートと天空の島について話があった。ゼテギネアに住む者ならば、誰もが一度は聞いたことのあるお伽話だ。けれど、まさかそれが自分たちに関わりがあろうとは思っておらず、ウォーレンの語る話にも半信半疑の様子だ。
「見つかったカオスゲート付近に帝国の移動した跡があった。詳細は不明だが、かなりの数と考えられる。カオスゲートを開く手段が見つかり次第、帝国を追う。部隊の編制も追って知らせる。準備を怠るな。何か質問はあるか?」
「特にないようだな」
アッシュが答えたのでグランディーナは素早く立った。しかし会議室から退出したのは彼女だけで、トリスタン皇子も含めて、ほかの者は狐にでもつままれたような顔だった。
「天空の島だのカオスゲートだの、そのようなものが本当にあるとは思いませんでしたな。ウォーレン殿の話を疑うわけではありませんが、自分たちがお伽話に足を踏み込んだような気持ちですよ」
ケビン=ワルドの言葉はその場にいる者の大半の思いを代弁していた。
「だがわたしもカオスゲートらしいものを見たし、ダルムード砂漠を越えてきた帝国軍の跡が途中で消えていたのも確認した。おぬしたちには信じられないようなことかもしれないが、事実は受け入れてもらわねばな」
チェスターが応じたので、ウォーレンは孤軍奮闘しないでよかった。
「おぬしが見たというカオスゲートは、どのようなものだったのだ?」
「地面から空まで伸びる真っ直ぐな光の柱だ。遠目にもよく見えたが、太さはわからなかった。だがあれは確かに尋常なものではなかった」
ウォーレンとギルバルドも頷いた。その場にはユーリアも呼ばれていたが、チェスターの話とあまり違いはなかった。
「しかし、そのようなところに帝国は何をしに行ったのだろうな?」
「わからぬから調べに行くのだろう。帝国にとっては起死回生の手段でもあるのかもしれないぞ」
「天空の島には神々がいるかもしれないというお話がありましたが、帝国は神々さえも意のままにしようと考えているのでしょうか?」
マチルダ=エクスラインが司祭らしい考えを述べる。
「ゼテギネア帝国の女帝エンドラは自ら神と名乗りました。いままでの神々の威を借るようなことをするでしょうか?」
「威を借る程度ならば無視もできましょうが、ラシュディの力は底が知れません。万が一、神々を意のままにされてしまったら、我々にはどうしようもありません」
「いくらラシュディでもそんなことが可能だろうか?」
突然トリスタンが立ち上がったので、皆は驚いて話を止めた。
「君たちの案じる気持ちもわからないではないが、判断できないことを話して、ラシュディの力を恐れていてもしょうがない。解散して、グランディーナの指示を待つべきだ」
「仰るとおりです。できることをやるといたしましょう」
そうして皆は1人ずつ会議室を出ていった。
いままで伝説だと思っていたことが現実のものだと知るのは、どこか頼りないような、足下の不確かなような気持ちになるものだ。天空の島も神々も存在するのなら、伝説はどこまで事実だというのだろう。自分たちの前に次に現れるのは、いったい何だろう?
強大なゼテギネア帝国が得体の知れないものに見えてくる。その現実をまだ見たこともないというのに。
《 終 》