「女神の秘石」
「カノープスは数日、休ませておいた方が良いだろう。マンゴー殿には我々だけで会いに行こう」
「場所はご存じなのですか?」
「カストラート海の東にビパオアという島がある。マンゴー殿はそこに住んでいるそうだ。グリフォンで行けば明後日には帰ってこられるはずだ」
「わかりました」
それでサラディンとランスロットは風竜の月21日にエニウェトック島を発ってビパオア島を目指した。
空は今日も晴れ渡り、雲ひとつ見当たらない。2頭のグリフォンは嬉々として羽ばたいているようだ。
カノープスも傷は酷かったが憎まれ口をたたく元気があったので心配することもないだろう。傷のために人魚たちとの約束を守れなかったことを気にしていたようだが、それが何かは言わなかった。
それにしても何を目印にしているのやらサラディンの進みには迷いがない。ランスロットにはどちらを向いても大海原しか見えず、無人島さえ見つからないというのにだ。
しかし考えてみたらグランディーナも似たようなところがある。彼女はサラディンに教わったそうだから、彼がこんなところで迷わないのも不思議ではないのかもしれなかった。
2人は途中で無人島に寄って休んだ。今回は携帯食糧と水、グリフォンの餌しか積んでいないので身軽なものだが、こんな大海原の真ん中で野宿するなんて予想外だ。
「サラディン殿、船で向かった方が良かったのではありませんか?」
「それではタシャウズの港に戻るのに余計な時間がかかってしまう。そなたには辛いかもしれないが、つき合ってくれ」
「辛いというほどのことでもありませんが、そのような意図ならばおつき合いいたしましょう」
翌日は昼のうちにビパオア島に着いた。そこは無人島ではなく、十数軒の人家があった。マンゴーの家は、そのなかの一軒で小さな島には不似合いなアカシアの大木が印象的であった。
「マンゴー殿はご在宅か?」
「おるぞ。ビパオア島に客人とは珍しい。それも、この婆を訪ねてくるのは稀なこと、どんな御用か知らぬがしばし待たれよ」
そう言った庭先の老婆は小さくて、デネブの言ったような有名人とはとても思われなかった。彼女は、よく日焼けした少年の手当をしてやっており、その用はすぐに片づいた。
「婆ちゃん、ありがとう!」
「何、気をつけるのじゃぞ」
彼は見慣れないなりの2人を奇異な目で眺めたが何も言わずに帰っていった。そしてマンゴーは、立って2人を出迎えた。
「さて、待たせたの。見れば、このような島には似つかわしくない御仁じゃ。いかな用で参られた?」
「我々はゼテギネア帝国と戦う解放軍の者だ。わたしはサラディン=カーム、彼はランスロット=ハミルトン。貴殿が預かったという女神の秘石を渡していただきたい」
ランスロットには老婆の目が光ったように見えたが、柔和な表情は変わらないままだ。
「とうとう、この日が来てしまったかの。ババロアが逝った時から覚悟はしておったが、いざ来るとなると淋しいものじゃ。だが、おぬしたちが解放軍の者だという証拠はあるのか? ババロアから受け取った石はどうした?」
「それは本隊に置いてきた。あいにくと我らのリーダーはアラムートの城塞の攻略に出向いている。礼を失するとは思ったが取りに戻る時間もなかったのだ」
「その石の名は何と言う?」
「ババロア殿からお預かりしたのは緑柱石だ。だが、もう1人の賢者の名を言う前に貴殿に問いたい。十二使徒の末裔と言われるような方が、なぜ、このような辺境にいらっしゃるのだ?」
「女神フェルアーナさまから賜った秘石を、わしら姉妹は3つに分けた。悪人の手には容易に渡らぬようにするためにな。その後、わしらは別れた。ひとつところにいては秘石を3つに分けた意味がなくなるし、あまり仲が良くなかったのでな。最後はババロアは追われる者を守るためにシャローム地方へ行き、タルトは秘宝を帝国に渡さぬため、ライの海へ行き、わしだけがずっとカストラート海におるというわけじゃ」
「よもや聖剣を守るためか?」
「そうではない。わしは人里離れたところにいたかったのじゃよ」
「なるほど、確かに貴殿は間違いなくマンゴー殿その方のようだ」
「ほっほっほ。久々の来客じゃ、まずはしばし、もてなしを受けてもらおうかの」
「遠慮なく」
それで3人はマンゴーの小屋に入っていった。入る前から薬草特有の臭気が漂い、ランスロットの鼻を強く刺激したがサラディンは気にも留めていないようだった。
その後、お茶を飲みながらサラディンとマンゴーの話が弾んだ。2人とも魔法については並々ならぬ知識の持ち主だが、1人はゼテギネア大陸一の賢者の弟子であり、もう1人は天空の島にいた。目指した方向はまったく異なり、得た知識にも違いがある。話すだけで互いにないものへの好奇心が溢れるようで2人の話は、いつまでも尽きないように思われた。
だが話はやがてやみ、2人は静かにお茶をすすった。ランスロットのそれは、とっくに空になり、2人のは冷め切っているだろうと思われた。
「わたしはあなた方をうらやんだこともあった。争いのない天空の島で好きなだけ魔法について研究する。そんな生活に憧れていた」
「あったと言うのは、いまはそうではないということかの?」
「自分で思っていたより、わたしは学究の徒には向いていなかったのだ。魔法を極めるならばラシュディ殿の元にいてもできたが、そうするには見過ごせないものが多すぎた」
「それはわしも同じことじゃ。皆のように使命に専念するには残していくものが多すぎる。わしがいなくなったら、この島の者たちは誰に傷を癒してもらおうか。何よりわしは天空の島から下りたくはなかったのじゃ。タルトにもババロアにも理解してもらえなかったがの」
「我々の立場が入れ替わっていたら、うまくいっていたかな?」
「いかなかったろう。おぬしは天空の島には収まらぬ器じゃし、わしには地上は広すぎる」
2人は笑い合って、またお茶をすすった。
「今日という日がいつか来ることは初めからわかっておったのじゃ。そのためにしてきたこともある。もしもわしが未練を残すとしたら、フェルアーナさまの使命を果たすにはわしが未熟であったということじゃ。地上にいたのがたかが30年ばかりとあっても、いざ来るとなると淋しいものじゃよ」
「30年前のわたしは何も知らぬ若造だった。魔法にはどんな願いも叶える力があると信じていた」
「だが、いまはそうではなくなったと?」
「魔法もしょせんは人の扱う技だ。願いを叶えるも叶えぬも、その者次第だと気づかされた。魔法がなくても人は生きていける」
「それでもおぬしが魔法を手放さないのは力のためか?」
「地上には力なき者が大勢いる。少しでも力を持つわたしが彼らを守るのは当然のことだろう」
老婆は袂に手を突っ込み藍玉板を2人の前に置いた。
「ならば、それを持っていくがよい。女神の秘石は全て揃って初めて意味をなす。おぬしたちが集めるのならばフェルアーナさまも異は唱えまい」
「だが、これを受け取れば、あなたは死ぬのだろう?」
「もとより覚悟の上じゃ。それよりもひとつ伝言を頼みたい。おぬしたちのリーダーだという娘にな」
「なんなりと」
マンゴーはランスロットの方に目をやってからサラディンを招いた。それで魔女からグランディーナへの伝言はランスロットには聞かされなかった。
サラディンは頷き、藍玉に手を伸ばした。
彼が石を取ると、マンゴーは砂の像が崩れるようにかき消えた。そして辺りは急に暗闇となり、小屋を出た2人は日没が迫っていることを知ったのだった。
サラディンとランスロットは、昨日泊まった無人島に戻り、翌風竜の月23日にエニウェトック島に帰還した。そのまま、サラディンは大陸への帰還を命じ、すでに備えてあったとはいえ、人魚たちに慌ただしく別れを告げて、〈黒真珠〉号は島を離れた。
「どうだった?」
「終始、サラディン殿にお任せしたから、わたしはついていっただけだ。藍玉板もサラディン殿がお持ちしているし、詳しい話はサラディン殿におうかがいした方がいいだろう」
「何だ、おまえの出番はなしか」
「そうだ。それより3日しか経っていないが傷の具合はどうだい?」
「まぁ、ぼちぼちだ。俺のことよりもローベックとクージュラージュに迷惑かけちまったからな」
「発つ前にもそんなことを言っていたが、いったい何があったんだ?」
「まぁ、それについてはおいおいとな。それよりももらってきた石ってのはどうなんだ?」
「わたしが見た限りでは、小さな藍玉の板だね」
「見せてもらおうぜ」
それでカノープスに肩を貸してやりながら、ランスロットは甲板に出た。
ちょうど、サラディンはそこで藍玉板を眺めているところだった。
「何かわかったのか?」
「いいや。大した力も感じられぬし、単体では意味もなさぬ物だからな」
「じゃあ、これからもせっせと秘石を集めろってことか」
「それほど多い物ではない。すでに半分は我らの手にある」
「へぇ。この先もそう簡単にいけばいいけどな」
「それにしてもサラディン殿はマンゴー殿と話が弾んでおいででしたね。時間がそれほどなかったのが残念ではありませんでしたか」
「あれは」
と言ってからサラディンは薄く笑った。
「お互いに腹の探り合いだ。わたしは十二使徒の末裔と言われるほどの方の力がどれほどのものか知りたかったし、マンゴー殿はラシュディ殿を知り、地上の魔法使いがどれほどの力かを持つのか知りたかったのだろう」
「それは気づきませんでした」
「別に気づかずとも良いのだ。狐と狸の化かし合いのようなものなのだからな。だが十二使徒の末裔が知られている方たちだけでは困る。そもそも地上に名も伝わっておらぬし、天空の島でも血筋も守られていないようだ。オウガバトルが本当に来るのなら、なぜ放置しておくのか理解に苦しむ」
「そりゃあ、天界の考えることなんて、俺たち地上の者にはわからねぇな」
「と言うと?」
「あんたの言い方を借りるなら、十二使徒の名も地上に伝えないのは天界に何らかの意図があるから、そうじゃねぇか?」
その言葉にサラディンは頷いたが、ランスロットは別の考えが浮かんで、2人に言うつもりはなかったが声に出した。
「あるいは、血が本当に大事なものではないからかもしれない」
「ああ?」
あいにくとサラディンもカノープスも、いい反応はしなかった。
「騎士であるそなたが、そのように言うのか?」
2人の言葉にランスロットは赤面したが、言った言葉を取り消すこともできず、する気もなかった。
「遠く離れた地ゆえの戯れ言とお聞き流しください。ですが、そう思わざるを得ないこともあるのです」
サラディンは藍玉板を黒い布で丁寧に包み、長衣のどこかにしまいこんだ。
「そなたがなぜ、そのように思ったのか理由は問わぬでおこう。だが我らは血を尊び、大事にする世界に住んでいる。十二使徒という名が持つ力は、たとえオウガバトルが伝説と化したいまにあっても少なからぬ影響を持つだろう」
「それもわかっています」
「どうしたんだ、おまえが急にそんなことを言い出すなんて?」
「少し、1人にしてくれないか? 本隊から離れてかなり経つ。いろいろと余計なことを考えてしまうんだろう」
「いいけど、肩は貸してくれよ?」
カノープスを部屋に送ったランスロットは甲板に戻って、1人で考え込んだ。サラディンも部屋に引っ込んでいた。
トリスタン皇子が解放軍に加わったいま、ランスロットは旧ゼノビア王国の家臣の1人として皇子が作る新しい国を盛り立て、支えていかなければならないと思う。それが無念に殺されたグラン王の遺志を継ぐことにもなり、解放軍はそのために戦っているとも言える。
おそらくトリスタン皇子のような王家の方々は、他国には1人も生き残っていないだろう。トリスタン皇子が新しい王国を築くことはもはや決まったようなものだ。
だが、そうした価値観をたった1人で破壊し得る人物を見た時、決して動かないものであったはずの彼の騎士の信念がぐらつくのを感じないではいられない。
グランディーナの存在そのものが王家を中心とした世界の否定だ。彼女は危険すぎる。
けれどゼテギネア帝国を倒すために、その力は絶対に必要なものだ。彼女がいなければ解放軍さえ存在していなかっただろう。
もしもトリスタン皇子が存命でなければ、このようなことで悩まなくても済んだのかもしれない。だが、それは自分の騎士を全否定することでもあり、ランスロットにはそれもできない。
「血脈とは厄介なものだ」
彼はもう一度、噛みしめるようにつぶやいた。
しかし、いかに厄介なものであろうとも彼が自分自身で折り合いをつけるしかない。それに従うも従わぬも彼次第なのだから。
《 終 》