「刻まれたものは」

「刻まれたものは」

「グランディーナ、どうしたのだ?」
いつも夜明けとともに目を覚ます娘が、今日に限っていつまでも起きてこない。不審に思ったサラディンが起こしにゆくと、少女は寝床の上で身体を丸め、冷たい汗をかいていた。
「どうした?」
「やだっ!」
何気なく触れた右の脇腹が冷たく濡れていたが、彼女は激しく彼の手を払った。血の染みが大きく広がり、敷布にまで染み込んでいる。
サラディンは彼女の服を大きくまくり上げた。脇腹の傷が裂け、血が滴っていた。
「何があったのだ?」
「わからない。痛くて、目が覚めた」
「放っておいては良くない。手当てをしなければ。なぜ言わなかったのだ?」
言ってから、彼は養い子が震えていることに気づき、そっと抱きしめた。
「すまぬな、おまえを問い詰めるつもりではなかったのだ。だが一人で耐えていることはない。わたしに言えば、手当てもできるし、痛み止めも処方してやれる。声をかけてくれれば良かったのだ」
「何があったのか、わからないのに?」
娘が小さな声で問う。
「そんなことよりも、おまえの手当ての方が優先だ。こんなになるまで、耐えていることはない」
彼女はサラディンにしがみついてき、小さく頷いた。震えがようやく収まる。
「痛み止めは必要か?」
「大丈夫だ」
「我慢していることはないのだよ」
「大丈夫、我慢できる」
「ならば傷を見せてくれ」
奇妙な傷であった。グランディーナの脇腹の火傷の痕が、縦にいくつも裂けている。サラディンは傷を縫い合わせ、血止めの膏薬を貼って、包帯を巻いた。
だが原因がわからない。彼女がこの傷を負ったのは昨年、助ける直前のことだ。治るまでに1年近くかかり、傷痕も無惨に残った。しかし、治ってからは痛みもなく、彼女を煩わせることなどなかったのだ。
彼が案じたのは、傷に呪でも仕込まれた可能性だったが、いくら調べても、その兆候はない。突然、傷痕が裂けたとしか言いようがなく、わからないままに傷は治ってしまった。治り方もただの傷と同じで、特に速いとか遅いということもなかった。
グランディーナが同じ場所に傷を負ったのは、それから16ヶ月も経ってからのことだった。今度は彼女はすぐにサラディンに訴え、手当ても迅速に済んだが、相変わらず原因は不明だった。
そして彼女は、今回も痛み止めを辞退した。痛いという素振りさえ、ほとんど見せずに、いつもより動きが少ない程度であった。
サラディンがいちばん恐れたのは、やはり彼女の傷痕のみならず、身体に呪が仕掛けられることだったが、そのようなことはないらしい。ならば、ふつうの傷としか考えられないのだが、突然、古傷の痕が裂けるなどということが繰り返されるものだろうか。
「少し身長が伸びたな」
「そう?」
傷が治るにつれ、グランディーナは活発さを取り戻していく。彼女にとって、突然、生じる傷口は、単に日々の生活への障害ぐらいにしか感じられないらしい。それはある意味、喜ばしいことでもあるし、警戒心が薄いという言い方もできる。
だが、これから彼女に襲いかかるであろう事態を思えば、たかが傷ぐらいとも思うのだ。きっとそれは、傷の1つや2つ、気にかけていられないくらいのことになるだろうから。
サラディンが傷について診る機会を得たのはそれから14ヶ月後、兄弟子に石にされる、ほんの1ヶ月前のことだった。
10歳にならなんとしていたグランディーナは、初めて彼に助けられた時より、ずいぶんと背が伸びていた。並外れた活発さと運動神経の良さと、サラディンの教えた知識をたくさん蓄えた娘に変わっていた。運動神経の良さが人並み以上ならば、家事をやらせた時に見せる不器用さも並みならず、できることとできないことの差が極端な少女でもあった。
傷は、いつものように突然、彼女に襲いかかった。以前の傷がまた裂けたところもあったし、新しく裂けたところもあった。
サラディンは今回も呪を疑ったが、もはやその可能性は完全に否定しなければならなかった。
傷口を縫い、包帯を巻く。できることといったら、それしかない。グランディーナは今回も、痛み止めを呑もうとしなかった。
「おまえは我慢強いな。だが、我慢する必要などないのだよ」
「でも、我慢できるから」
少女は小さな声でそう応じる。
「それに、これで、終わりじゃ、ないような、気がするから、我慢した、方がいい」
「どういうことだね?」
「この傷が、治っても、またいつか、裂けるような、気がする。気づいたんだ、この傷が、出る前に、膝が痛かった。何日か前から、膝が、痛かった。きっと、何か関係が、あるんだ」
「膝が痛いのはおまえの背が伸びているからだ。だが、いいところに気がついたな。確かに、無関係とは思えない。2回ともそうだったと言うのか?」
彼女は褒められると嬉しそうな顔をして、頷いた。
「また傷口を見せてもらえるかね?」
「いいよ」
グランディーナはすぐに横になった。
サラディンは今度は、都合三度の傷と、その土台になっている傷痕とをよく観察した。
火傷の痕は広い。彼女の脇の下から、腰の下までを覆う。こちらの原因もサラディンは知らない。助けた時、すでに彼女はこの傷を負っていた。魔法が原因ならば、術者の力は桁違いに強力だし、それ以外の理由だとすれば、直火にもよほど長時間さらしたためとしか思われない。
火傷のために皮膚が崩れ、再生した傷口は周りの肌をかき集めきれずに引きつった。その上からできた新しい傷口は、引っ張られた古傷が耐えきれずに裂けたものだとも思われた。
確かに、グランディーナの言うとおり、背が伸びることと無関係ではなかったのだ。彼女の背が伸びるにつれ、そういう弾力性を失った傷痕が裂ける。サラディンはそう結論づけたのだった。
しかし、それとわかったところで彼女のために慰めになるはずもなかった。グランディーナは成長期真っ盛りだ。これからも背は伸びるし、そのたびに傷痕は裂けるに違いなかった。
「すまないな、わたしは大したこともできない」
「大丈夫だ」
少女はそう言って微笑んだ。彼女の我慢強さが、サラディンにはせめてもの救いであった。
その後、サラディンが兄弟子のアルビレオに石化され、バルモアを離れたグランディーナはアヴァロン島に渡り、そこでサーラと名乗って5年近くを過ごした。
だがアヴァロン島にいるあいだも、そこを離れて傭兵となってからも、彼女の成長とともに脇腹は裂け、執拗に苦しめた。
けれどもその一方で、常に戦場に身を置くことで、サーラは別の傷も負うようになっていた。誰よりも卓越した剣の腕を持ちながら、彼女にはそれを全力で振るうことはできなかったからだ。また彼女が好んで負ける側についたことも、彼女の傷を多くしていくことになった。
しかし、サーラの背が5バス半(約170センチメートル)に達したころ、脇腹の傷が裂けることはなくなった。成長期が終わったのであった。
それと同時に、彼女のなかでその傷痕は、ほかの多くの傷痕とともに大したことではなくなっていた。いかな経緯(いきさつ)があろうと傷は傷、それが自分の行動に支障をきたすのでなければ、彼女は気に留めることもなかったのだ。
サーラ、グランディーナが己の傷痕に再び向き合ったのは、サラディンを復活させ、自身にかけられた記憶の封印を解かれてからだ。
自分の足下に転がっていた者たち、この手で人を殺めたという記憶、それがかけがえのない兄妹たちだと知った時、彼女は思う。
この傷は、自分に押された烙印なのだと。
兄弟姉妹を己の手にかけた、その代償に押された烙印なのだと。
だから、グランディーナはその傷痕がもたらす痛みを堪えようとする。償うことが決してできぬ罪を、なお償おうとするかのように。
《  終  》
[ 目 次 ]
[ トップページ | 小 説 | 小説以外 | 掲示板入り口 | メールフォーム ]