「同じ道をか」

「同じ道をか」

「私はこのままアヴァロン島に帰ります。ゼノビアには参りません」
静かだが、はっきりした声でアイーシャが言った時、一行の歩みは一瞬止まり、グランディーナを除いて、また歩き出していた。
「アヴァロン島に戻ってどうする?」
彼女の言葉にアイーシャは足を止め、振り返った。ほかの3人はそのまま歩き続ける。
「お母様の後を継ぐわ」
「大神官になるって言うのか?」
「そうなるかならないかは皆様にお任せするのでわからないわ。大神官になってもならなくても私は私のすべきことをするだけ」
「あなたのすべきこと?」
話が聞こえないほどグランディーナとアイーシャから距離が離れたのでサラディンが立ち止まるとギルバルドとデボネアも止まった。
「祈ること。それが司祭である私の仕事よ」
「そんなことをしたって何にもならない。祈りで戦が止められたか? 人が殺されるのを防いだか? 祈りは無力だ、フォーリスさまだってガレスは救えなかった」
「そうね、あなたの言うとおりだわ。世界を変えられるのは力、ゼテギネアもそうだったしパラティヌスでもニルダムでも、それは同じだった。でも世界には変えるだけの力もない方の方が多い。そのような方たちに祈るなと言えて? 私はそこに行きたいの、お母様が望んでいたように。そして誰よりも、あなたのために祈るわ」
「祈るならどこでだってできるだろう。アヴァロン島に帰る必要はないはずだ。ましてや大神官になる理由にはならない」
「でも、いまのアヴァロン島は混乱している。お母様を失って、後を継ぐ方もいなくて、誰かがそれを鎮めなければならない」
「それがあなたである必要もないだろう」
「でも私なら、お母様の後継者として納得してもらえるわ。本当の後継者が育つまでのつなぎくらいは務められるのよ」
「なぜ、あなたがそこまでしなければならない?」
「お母様と私を結んでいるのは、それだけだから。私、お母様の本当の娘ではないの。ロシュフォル教会から離れてしまったら、お母様の娘でいられなくなってしまう」
「そんなことがあるわけがない。フォーリスさまの娘はあなただけだ」
「というのは冗談。お母様と私の絆は簡単に切れはしないわ。それに、あなたもお母様の娘よ。でも、あなたには戦いがある。だから私以外の誰にもお母様の代わりは務まらない。ファティマが成長するまで私が務めるの。もちろんそうならない可能性もあるのだけれど」
「ファティマ?」
「9歳の女の子なの。大神官になるための教育を受けているけれど、大神官になるのは早すぎるわ」
「大神官になったら、あなたの身が危ういかもしれない」
「皆様が大神官を引き受けられない理由もそこね。でも私はお母様のしたことが間違いだったとは言いたくないの。お母様はガレス皇子にできることをなさろうとしたのよ」
「フォーリスさまにならガレスを助けられたと?」
「それはわからない。でも私があの方の最期を看取った時に小さな子どものように泣いていらした。お母様のしたことは無駄ではなかったのだわ」
やっとグランディーナが歩き出したのでアイーシャも安堵した様子で並んで歩いた。
それでサラディンたちもまた歩き出した。カストロ峡谷は広い。目指すゼノビアはまだまだ先だ。
「アイーシャ、もう手元には残っていないがフォーリス殿から、そなたのことで手紙をもらったことがある。文面は確かこのような内容だったと思う」
『親愛なるサラディン。
このたび養女をいただくことになり、アイーシャと名づけました。
私にそっくりで、とても可愛らしいんですよ。ぜひ会いにきてくださいね』
真っ先に吹き出したのはグランディーナだった。
「フォーリスさまらしい」と言ったきり、身体を二つに折って笑っている。
その隣りに座ったアイーシャは焚き火のせいだけでもないのだろうが真っ赤な顔だ。
「グランディーナ、そんなに笑うものではない」
「だってフォーリスさまったら」
そう言って、彼女はよほどこらえられないらしく、また笑い出す。
ギルバルドとデボネアがアイーシャの顔を見て、笑うのも遠慮しているのにだ。
「アイーシャ、元気でやりなさい」
「ありがとうございます、サラディンさま。
グランディーナ、いつまでも笑いすぎ」
「悪い悪い」
そう言いながらも彼女はゼノビアに戻るまで、たびたび思い出したように笑った。何がそんなに壺にはまったのか、サラディンにも理解できないようだった。
だが、そうではない時のグランディーナは真面目な顔でアイーシャと話していた。それは、たびたびグランディーナに厳しい口調をとらせることもあって、アイーシャにアヴァロン島行きを止めさせようとしているのが察せられたが彼女は決して首を縦には振らなかった。
そうこうしているうちに彼女らはディアスポラに入り、さらに南下していった。アヴァロン島行きの船が出るルテキアは旧ゼノビア王国との国境に近いので、まだ何日もかかる。
それにディアスポラの復興に携わる元解放軍の者が何人か故郷に戻っていたりして懐かしそうに彼女らを引き止めるのだ。
「お久しぶりです、皆さん!」
「こんにちは、ラミア。ラロシェルに里帰りなさったの?」
「へへぇ。実は子どもが生まれたので私だけ実家に帰ったんです。本当は休暇がてら一緒に来るはずだったんですけど、あんなことがあったんでゼノビアを離れられなくなっちゃいまして」
「あんなこと? 何かあったのか?」
グランディーナが詰め寄るとラミア=ヴィクトル=ワルドはばつの悪そうな顔をした。
「そう言えば皆さんは、しばらく国にいらっしゃらなかったんでしたね」
「何があった?」
「半年前、ランスロットさま、ウォーレンさま、カノープス、それに聖騎士団所属のギルダスとミルディンの5人が国外追放されました」
「罪状は?」
「騎士団の不祥事と言われていますが誰も詳しいことを知らないんです。うちの人が聖騎士団長に昇格しましたけど不承不承引き受けたような有り様で」
「これは一刻も早くゼノビアに帰った方がいいんじゃないか?」
デボネアの言葉にギルバルドが頷く。
「そのようだな」
「ラミア、お大事にね」
「皆さんもお気をつけて」
平静そうな口調だったが彼女はずっと前掛けを揉み絞り、姿が見えなくなるまで5人を見送っていて、その心情が察せられた。
グランディーナが口を開いたのはラロシェルを出てからのことだ。
「不自然な話だな。騎士団の不祥事で魔法軍団と魔獣軍団の団長まで追放するのは大げさ過ぎる」
「だが、もう半年にもなると言うではないか。よほどの大事だったのではないか」
「その詳細が知られていないのもおかしい。ラミアはケビンの妻だ、聖騎士団副団長ならば多少なりと事情には詳しいはずだろう」
「ゼノビアに急ぐのか?」
「その必要もあるまい。半年も前の事件ならば私たちが急いで帰ったところですることもない」
「皆を安心させるくらいはできるだろうがな」
「ルテキアは寄り道です。この先の分かれ道でお別れしましょう」
「私はルテキアまで行く。急ぐのならば、あなたたちだけで行ってくれ」
「何を言う。アイーシャにはしばらく会えなくなる。ルテキアまで、ともに行こう」
「ですがサラディンさま」
「送らせてくれ、アイーシャ。フォーリス殿のことでは何もできなかったのだ」
母の名前に彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「トリスタン殿は皆を混乱させておきたいのかもしれませんな」
ギルバルドの話にサラディンが頷いた。
「と言うと?」
「いくら騎士団の不祥事とは言え、5人も追放するのは不自然だ。だが、どこかに行かせるのにランスロットたちの力が必要だったのだろう。国内でも追放されたと思わせておきたいのかもしれない」
「5人はローディスに潜入したのか」
「あるいはパラティヌスのように政情の不安定なところかもしれない」
「ヴァレリアではないか? 冥煌騎士団の者が『ヴァレリアには負けられない』と言っていたとマグナスから聞いた」
「ヴァレリアは小さな群島だ。ローディスが興味を持つようなところではないだろう」
「彼らが何に興味を持つのかはわからぬ。ヴァレリアに究極の力がないとは言えまい。規模こそ小さいが歴史ある島だからな」
「面倒だな。冥煌騎士団みたいなのが、まだ15もあるのか」
その言葉にアイーシャ以外の3人は思わず顔を見合わせ、誰からともなく肩をすくめた。
冥煌騎士団はゼノビアで言えば聖騎士団に匹敵する規模だ。そんな騎士団を16も有するローディス教国の軍事力はゼノビアに比べても群を抜いている。パラティヌスとニルダムでの戦いで冥煌騎士団が壊滅したとはいえ、まだ15も残っているのだ。それを「面倒」で片づけるグランディーナの剣技もまた桁外れていた。
「油断するな。カースという若者に聞いたが冥煌騎士団は盟主グレンデル家の没落でかつての強さはなかったらしい。ほかの騎士団はさらに強いかもしれないぞ」
「誰だ、そのカースというのは?」
「冥煌騎士団の一員だったが上司が暗黒道に手を染めるのに嫌気がさして蒼天騎士団に入った者だ。戦いが終わってローディスに戻ったかもしれないが」
「ローディスにも話のわかる奴がいるじゃないか。そう言えば、あなたの弟子はなぜ一緒に来なかったんだ?」
「まだパラティヌスでするべきことがあるそうだ。マグナスと一緒に来ることになるかもしれないな」
「パラティヌス軍には入らないのか」
「それはパウル次第だ」
「グランディーナ、ラミアがケビンさまと結婚したことを知っていたの?」
「寝ていてもそれくらいの噂は聞こえてくる。ゼテギネアでの戦いの後でずいぶんな数の恋人が生まれたという話もな」
「まぁ、耳ざといのね」
「わざわざ私に報告に来た者もいたからな。祝福を与えるのなら、あなたの方が適任だったろうに」
「皆さん、あなたに祝福してもらいたかったのよ」
「戦争屋の祝福など縁起でもない。あなたで駄目ならトリスタンにでも頼めば良かったんだ。
あなたたちにも言っておく。結婚式の招待状など送ってくるな」
「それはノルンの意向次第だな」
「わたしはいまさらやるとも思えないがユーリアに聞いてみないとわからないな」
グランディーナは鼻を鳴らしたが、またしても顔を見合わせたギルバルドとデボネアはつい笑い合った。
旅は順調だった。トリスタン王の意向は王国の隅々まで行き届いて旅する者を助けている。復興はいまだままならない地域も多いが、人びとの顔は明るく希望にあふれている。一年ぶりの祖国はパラティヌス王国に負けず劣らず前途洋々だった。
ルテキアではアヴァロン島行きの船を待って一泊しなければならなかった。アイーシャは恐縮したがグランディーナは意に介さず宿を取ってしまった。
「おまえはアヴァロン島まで行くつもりか?」
「それはしない。私は二度とアヴァロン島に行かないと言った。前言は撤回しない」
「頑固だな」
「アイーシャが大神官になれば私が行ったって邪魔をするだけだ」
「なれるとは限らないわ。皆様の意見を伺わなくてはね」
アイーシャは微笑んだがグランディーナは目を背けるだけだった。
翌朝、船は予定どおりに港に入り、急に町は騒々しくなった。
アイーシャは乗船代を支払い、荷物の上げ下ろしを桟橋で眺めていた。
その後ろからグランディーナが近づいていった。
「本当に行くのか?」
「それが私の役割だから」
「あなたを失ってまで祈ってもらいたいことなんかないのに」
そう言ってグランディーナはアイーシャを後ろから抱きしめる。
「あなたをこのままゼノビアまでさらっていくこともできるんだ」
「私が喜ばないことをグランディーナはしないわ」
「なぜ、そう言える?」
「ここでアヴァロン島に帰らなかったら私は一生後悔する。あなたは私にそんなことはさせない。そうでしょう?」
グランディーナは離れて頭をかいた。
「あなたは、それでいいのか?」
「ええ。お母様の遺志を継げなかったら後悔するわ。それがどんな結果になっても私は受け入れる」
「フォーリスさまの遺志って?」
「祈りの島を守ることよ。どんな形でも継いでみせるわ」
グランディーナはアイーシャを睨みつけたが彼女は微笑み返した。
「わかった!」
「ええ?」
「私があなたを守る。ローディスがアヴァロン島を狙っているが、それを阻止すればいいんだな」
「それはそうだけど、そんなに簡単に言わないで」
「いいや、決めた。ローディスを滅ぼす。そうすれば憂いはなくなる」
「グランディーナらしい考えね」
「私がアヴァロン島に行ったってローディスが侵攻してくれば、それまでだ。その前に食い止める」
「じゃあ、私は行くわ。元気でね」
そう言って舷梯の方に歩いていくアイーシャをグランディーナはつかず離れずで追ったが、彼女が舷梯に足をかけるや否や、またも強引に抱きしめた。
乗客がそれを横目で眺めながら船に乗り込んでいくのもおかまいなしだ。
とうとう港に残っている客がアイーシャだけになってしまってもグランディーナは彼女を放さなかった。
「ありがとう。でも行かなくちゃ」
「行かなくてもいいんだ」
「自分で決めたことだから行くわ。ありがとう、グランディーナ」
船に乗り込んだアイーシャは船尾に現れた。
ギルバルドとデボネアが手を振ると笑って振り返したがグランディーナとサラディンはそれを見ているだけだった。
けれど、じきに船が出航していくのを見つめ続けて、アイーシャの姿も判別できなくなったところで、ようやく踵を返した。
「さあ、ゼノビアへ行こう」
やがてロシュフォル教会はアイーシャ=クヌーデルを五代目の大神官に任命し、その正式な使者はトリスタン王を訪れた。
アイーシャの在位は長いものではなかったが、その慈愛に満ちた働きは聖母と呼ばれ、後々まで慕われることになるのである。
《  終  》
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