「少女が孵化する時」

「少女が孵化する時」

「アイーシャ、あなた、今度からグランディーナの専属になってもらえないかしら?」
3日に1度、解放軍では僧侶と司祭が集まって打ち合わせをする。
金竜の月10日、アラムートの城塞に落ち着いて、まだ日の浅いころ、その打ち合わせの席上でマチルダ=エクスラインがそう切り出したのだ。
「それは、どうしてでしょうか?」
皆の同調するような気持ちを察しながら、アイーシャは敢えて反論する。少女らしい潔癖さも、その場の空気に同調することを許さなかった。
「みんなのためにいちばんいいからよ。あなたは気づいていないようだけれど、このなかにグランディーナのことを怖がっている人がいるの。彼女は傭兵だったから、私たちとは考え方もかなり異なりますしね。それに彼女は怪我も多いわ。誰か1人、専属でついていれば、皆さんも安心するのじゃないかしら?」
「ですが、私が外れたら、治療部隊の皆さんの負担が大きくなるのではありませんか? グランディーナもいまは利き腕が動かないから、怪我をすることが多いけれど、治ってしまえば、そんな必要はなくなるのではないでしょうか?」
「それが、そうとも言えないのよね」
マチルダが嘆息混じりに答える。
「私は最初から解放軍にいるから、彼女のこともずっと見てきたけれど、利き腕が動けば、もっと彼女は危険に飛び込んでいくのよ。ジャンセニア湖でも独りでシリウスと戦って大怪我をしたし、アヴァロン島でもガレス皇子のイービルデッドを受けたでしょう? いままでの戦いのなかで、彼女が傷を負わなかった方が珍しいくらいなのよ」
そこでマチルダが言葉を切ったので、アイーシャは皆が、グランディーナの怪我の履歴に顔を青ざめさせているのを見た。ジャンセニア湖での経緯は彼女も知らないが、しかしこれは、あまり正当な評価とは言えないような気もして、ただひとつわかったことは、マチルダの言った「このなか」というのが、アイーシャを除くほぼ全員ということであった。
「あなたは幼なじみということで彼女も気を許しているようだし、怪我を負うたびに癒し手が替わるのは、いくら彼女でも落ち着かないんじゃないかしら?」
「そういう、ものでしょうか?」
「引き受けてくれる? もちろん、彼女に怪我のない時は、あなたにもこちらを手伝ってもらいたいわ。あなた1人を遊ばせておくのはもったいないものね」
「わかりました。そのようなことでしたら、お引き受けします」
「ありがとう、アイーシャ。
それでは、次の議題に移りましょうか?」
マチルダが切り替えたことで、その場の話題は皆の癒し手としての技量をいかに高めていくか、という話に移っていった。
「それは厄介払いされたのね」
「厄介って、私がですか?」
「働き者で優秀なアイーシャを、厄介払いする馬鹿はいないわよ」
デネブが指先を吹いたので、マニキュアの臭いがアイーシャの方まで漂ってきて彼女は思わず咳き込んだ。
「じゃあ、まさか、グランディーナを?」
「そのまさか、の方ね」
デネブは左手を眺めた。角度を微細に変えつつ手を動かしていたが、満足そうに裏に返す。
「どう? マラノの新作、新色なのよ」
言われてアイーシャが爪先を見ると、細かい光の粒が煌めいて、それらが角度によって色まで変わって見えた。
「きれいですね、とっても」
「あたしのお手入れが終わったら、あなたの爪にも塗ってあげましょうか?」
「いいえ。そんなことをしたら治療の邪魔になってしまいますから」
「あら、つまんないの。治療っていったって、そんなに忙しいわけじゃないんでしょ? グランディーナだって、しばらくはおとなしいんじゃない?」
「それはそうですけど、何があるのかわかりませんから。どうしてグランディーナを厄介払いだなんて」
デネブは今度は、右手の爪にマニキュアを塗り始めた。
「だって、あの子のことを苦手だって女は少なくないもの。男もそう。それも無理ないわ、あんな子、どこにもいないものね」
「そうなんでしょうか?」
「そうよ。そりゃあ、可愛いところもあるのは本当だけど、そんなところを知ってる人なんて、そんなにいないでしょ? あの子だって、みんなに可愛いなんて思われるのは真っ平だって思ってるだろうし、わざと強面に見せてるところもあるし。まぁ、だいたい、いままで強面だと思ってた人に、いきなり可愛いところを見せられても、たいていの人は可愛いって思うよりも、却って警戒しちゃうわよね」
「そう、ですね」
アイーシャが黙り込み、デネブもマニキュア塗りに専念する。
やがて右手も塗り終えた魔女は至極、満足げに我が手を眺め、両手に優しく息を吹きかけた。
「だからって、あなたまでかまえることはないのよ、アイーシャ?」
「私、かまえているでしょうか?」
「そうじゃなくて、みんながそうだからって、あなたまで考えちゃったら、グランディーナもさすがに寂しがるんじゃないかしらってことよ。あの子は気づいてないだろうけど、あなたが来てから、ずいぶん表情も変わったのよ。寂しいなんて言わないだろうし、知られたくないだろうし、ましてや本人に自覚があるわけもないけれど、あなたがいるから、あの子は平衡を保ってられるんだと思うわ。やっぱり、女友達って大事なのよね」
「私が、グランディーナに何を?」
戸惑うアイーシャに、デネブは微笑んで指を立てる。彼女の美貌の輝くばかりのことをアイーシャは思った。
「あなたが来てから、グランディーナの表情が優しくなったわ。それはとっても大事なことよ」
「でも、私は彼女に何もしていません。アヴァロン島ではほんの4年ぐらい一緒だったというだけで、話したこともほとんどなかったんですし」
そう言ったアイーシャは胸に小さな痛みを覚えた。アヴァロン島を去ると言ったグランディーナ、あの時はサーラと名乗っていたが、彼女がいなくなることで安堵した自分を思い出したからだ。
そんな自分がいま、彼女に何をしてやれているというのか、アイーシャにはまったくわからない。
戦いのことならばランスロットやカノープスがいる。
魔獣のことならばギルバルド、魔法のことならばウォーレン、治療のことならばマチルダが、解放軍では専門家だ。
グランディーナの育ての親たるサラディンに心安らぐ時もあるだろう。
ユーリアやデネブと話して、気を紛らわせることがあるのも知っている。
そんな人びとのなかにアイーシャは自分が入れると思えないし、そんな自分がグランディーナにとって、どれほどの価値があるのかもわからないのだ。
「馬鹿ね、アイーシャ」
彼女の頭をデネブが撫でた。それは確かに指の細く、長く、形の良い魔女の手なのに、アイーシャは唐突に母、大神官フォーリスに頭を撫でられた時の感触が蘇ってくるのを感じた。
「あの子にはそんな価値なんて、どうでもいいの。いざとなったら、1人でだって戦える子なんだもの、あの子があたしたちを尊重してくれるのは、それが礼儀にかなうからよ。でもね、あなたの存在は別、あなたは誰にも替えられないの。あの子には、ほかの誰よりもあなたが必要なのよ」
「私が?」
「そう」
デネブが微笑んでアイーシャを抱き寄せる。香水の匂いが彼女を包み込んだ。きつくもなく、温かい気持ちになる優しい香りだ。
そっと目を閉じたアイーシャは、その匂いにしばし身を委ねてから、元気よく跳ね起きた。
「わかりました、デネブさん!」
拳まで握り締めた彼女に、さすがの魔女も驚きを隠せない様子だ。
「私、頑張ります。グランディーナのこと、もっと支えられるよう、強くなってみせます。お母さまのように!」
「ま、まぁ、いいんじゃない。頑張ってね」
「はい!」
アイーシャは部屋を出ていき、デネブ1人が司令官室に残された。
「あーあ、手強いわね、フォーリス。あなたの娘って、あなたよりも手強いわよ」
ゼテギネア帝国を巡る解放軍の戦いのなかで、アイーシャはやがて聖母と呼ばれるほどの司祭になってゆく。
だが、それも後の話、いまの彼女は19歳の多感な少女でしかない。
《  終  》
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