「アルフィンとフローラン」

「アルフィンとフローラン」

私の名はフローラン=ニース。24年前はゼノビア王国の神帝と名高いグランさまの妻だった女でございます。
忘れもしないあの日、グランさまの第一皇子ジャンさまの戴冠式を執り行っていた時、私の目の前でグランさまとジャンさまは殺され、私はハイランド王国に連れていかれてしまいました。
私がグランさまから結婚の折に頂いた腕輪は取り上げられ、牢屋に入れられました。暗くて狭い陽も差さないところで私は来る日も来る日も恐ろしくて震えておりました。
グランさまもジャンさまも殺されてしまったのです。次はフィクスさまか私の番でしょう。そう考えると怖ろしさのあまり、一睡もできない夜ばかりでございました。
けれども沙汰もないままに1年が経ち、私が牢から出される日がやってまいりました。ゼノビア、ホーライ、ドヌーブ、オファイスは滅ぼされ、ハイランド王国がゼテギネアを統一したこと、グランさまの第二皇子フィクスさまが行方不明なことをヒカシューさまから知らされました。
そして私は自由に歩くことは許されませんでしたが、牢を出ることができるようになったのです。ヒカシューさまから小さな屋敷を与えられ、召使いと見張りの方とともに住まうようになりました。
ですが、いつ殺されるかもしれないという恐怖が私から去ったわけではありません。私はグランさまとジャンさまのことを思い出して、毎日、嘆き暮らしていたのです。ヒカシューさまは私がそのような目に遭わないことを約束してくださいましたが私の悲しみと恐れはなかなか癒えるものではありませんでした。
あの方にお逢いするまでは。
グランさまと私は政略結婚でございました。
御歳83歳のゼノビアの英雄であられたグランさまに、いつまでもお世継ぎがいらっしゃらないことを心配されたおつきの方が、私のお父様にお話をされて、まだ20歳であった私がグランさまのお妃に選ばれたのです。
選ばれた理由は存じ上げませんが、グランさまのお妃にと挙がった方々のなかで、いちばん若いのが私でした。きっと出産のことを心配されて、若いお妃を選ばれたのではないかと思っています。
ですがグランさまが私を愛してくださったのはお二人目のお子さまを身ごもっているとわかるまでの2年間のあいだだけでした。そのために私にもグランさまは女性がお好きではないのかと疑ったり、お心に秘めた想い人がおありになって私などは眼中にもないのかと思い悩んだりした時期もございましたが、グランさまが殺されてしまい、真実はわからなくなってしまったのです。
お二人目の皇子フィクスさまを生んだ後、私は良き母であり良き妻であることを求められましたが、私のすることといったら、グランさまのお隣の玉座に座り、微笑んでいるだけでした。
なぜならばジャンさまの御生育には乳母のエニード、御教育には騎士のユーウェイン、フィクスさまの御生育には乳母のバーニャ、御教育には騎士のエストラーダが当たるとグランさまが決められたからです。私はジャンさまにもフィクスさまにもお乳を差し上げたことがございませんし、お襁褓(むつ)を替えて差し上げたこともございません。泣いているところをあやしたこともなければ、眠りにつくまで子守唄を歌ったこともなかったのです。
けれどもその時の私は、そのような自分をおかしいとは思いませんでした。グランさまに言われたことだけをする。私は良き妻でありました。そしてエニードとバーニャの連れてくるジャンさまとフィクスさまを毎日抱き上げて、私は良き母のつもりでおりました。
私があの方にお逢いしたのは、その時が初めてではありませんでした。ジャンさま御誕生の折に一度、ヒカシューさまのお伴をしてハイランドの使節としてゼノビアにいらっしゃったのが初めてでございます。あの方は23歳、私は21歳、一目あの方を見ただけで私は恋に落ちてしまいました。グランさまがいらっしゃるのに不謹慎なと誹られるかもしれません。私は良き妻ではなかったかもしれません。ですが、私はグランさまに嫁ぐ前にも、グランさまを失ってからも、恋をしたのはただ、この一度きりなのでございます。そしてこの恋は誰にも打ち明けることは許されないものでした。
私付きの女官もおりましたが、ゼノビアに来てからの間柄なので私的なことは話しづらく、ましてやグランさまを裏切るようなことは申せません。それに、あの方がゼノビアにいらっしゃったのはその時ただ一度きりのことで、私の秘めた恋はお二人目のフィクスさまを生んだころには忘れ去られ、思慕でさえなくなっておりました。
何事もなければ、私はそのまますべてを忘れたことでございましょう。ゼノビアの王妃としての生を全うしたことでございましょう。
けれどもグランさまとジャンさまは殺され、フィクスさまは行方不明となってしまいました。私は遠いハイランドで独りぼっちだったのです。ヒカシューさまの心遣いで何不自由のない生活でしたが、毎日、私の胸は不安で張り裂けそうでした。
目をつぶると私の目の前にグランさまのお顔が浮かびます。半分は焼けただれ、髪は逆立ち、苦痛に歪められたお顔は見ているだけでも苦しく、私にはとても耐えられませんでした。
私は幾夜も眠れず、暗い寝床のなかで震えておりました。明るくなるとやっと少し微睡(まどろ)むことができましたが、グランさまのお顔が現れて、私を眠らせまいとしていらっしゃるのでしょうか、私に何かを訴えようとしていらっしゃるのでしょうか、私は目をつぶることも恐ろしくなってしまうのです。
それでも疲れて目をつむってしまうこともございましたが、そんな時は私にも眠ることが許されるようなのでした。
それがどうしたことでしょう。あの方がいらっしゃってから、私はグランさまのお顔を夢に見ることがなくなりました。グランさまやジャンさまのようにいつか殺されるという恐れを抱かなくなりました。
あの方のいらっしゃる時、私はゼノビアの王妃ではなくなるのでした。
あの方の名はアルフィンとおっしゃいました。
いいえ、下の名は存じておりません。ハイランドでどのような身分にあられる方かもわかりません。
私にとってはアルフィンさまとおっしゃるだけで十分だったのですから。
そして、あの方も、たった一度、ゼノビアにいらっしゃり、私と逢ったことを忘れないでいてくださったのです。これ以上、何を望むことがございましょう。
それなのにアルフィンさまがくださったのは忘れかけていた恋ばかりではありませんでした。アルフィンさまは私に愛をくださったのです。
月に一度くらいしかいらっしゃいませんでしたが、私は幸福でした。アルフィンさまのお名前を念じていれば恐ろしい想像は忘れていられました。グランさまの恐ろしい死に顔に悩まされることもありませんでした。フィクスさまの行方を案じることもございませんでした。
おお神よ、私は罪深い女です。ですが私はか弱い一人の女でもあるのです。
どうぞ、あなたさまの慈悲において、私の罪を赦したまえ。
グランさまが殺されてから24年目、私をヒカシューさまが訪ねてくださいました。
ヒカシューさまは年に一度くらいしかいらっしゃらない上、私とお話をされることもあまりないので私は驚いてしまいました。ですが、ヒカシューさまの持ってこられた報せほど私を驚かせたものはなかったでしょう。
「ゼノビア王国の第二皇子フィクス=トリシュトラム=ゼノビア殿が生きておいでだ。だが東の果てに興った反乱軍ともども、いずれ倒されるだろう」
私は青ざめ、気絶してしまいました。
そして20年以上ものあいだ、ずっと忘れていたグランさまの夢を見たのです。私は自分の悲鳴で目を覚まし、それからは以前のように眠ることができなくなりました。
アルフィンさまが来てくださっても駄目でした。アルフィンさまの腕のなかで私は微睡むのがやっとでした。私はもうアルフィンさまの愛にお応えすることができなくなってしまったのです。
私にはそれがグランさまのお怒りのように思われてなりませんでした。
私が覚えているグランさまはいつも気難しい顔をしておいででした。お二人の皇子さまがお生まれになった時も笑われたことはございませんでしたし、公務ではいつもしかめ面をしておいででした。閨でさえ笑われたお顔を見たことがなかったほどです。
私はグランさまに愛されていると感じたことはありませんでしたが、私もあの方を愛していたとは申し上げられません。その報いが24年も経って現れたのでしょうか。
フィクスさまも反乱軍とやらも倒されることもなく勝ち進んでいるとうかがいました。
そのためでしょうか、ヒカシューさまが私のところにいらっしゃって、シュラマナ要塞に移るように命じられました。ハイランド王国改め神聖ゼテギネア帝国が私をいままで生かしてきたのはこの時のためだからと仰ったヒカシューさまは少し苦しんでおいでのようでした。
ですが、私に拒むことはできませんでしたし、たとえ拒んで良いと言われても拒むことはしなかったでしょう。
なぜならシュラマナ要塞にはアルフィンさまが一緒にいらっしゃると言われたからです。
そしてこの時、私は初めてアルフィンさまが神聖ゼテギネア帝国四天王のお一人、プレヴィア将軍だと知ったのです。
でも私は驚きませんでした。私にはそのような気力は残ってなかったのです。
いまもこうして目をつぶるとグランさまのお顔が浮かびます。グランさまが殺されて24年も経つというのに私はいまでもゼノビアの王妃でしかないのです。
私の身も心も全てアルフィン=プレヴィアさまのものだというのに。
私の申し上げられることはこれですべてです。
いいえ、私はグランさまを裏切ったと言われても悔いることはございません。ただこうして目をつぶっても、見えてくるのがグランさまの死に顔ばかりでアルフィンさまではないことが悲しいだけです。
ええ、思い残すこともありません。
さようなら、アルフィンさま。あなたを愛し、あなたに愛されて、私は幸せでした。
《  終  》
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