「龍鱗」

「龍鱗」

「ギルバルド、ちょっと困った事態になっちまったんだ」
「昨日、おぬしが言っていたプロミオスのことか?」
「そうだ。昨日まではサラマンダーだったんだが、そうじゃなくなっちまった」
ライアンが手招きしたのでギルバルドと、話を聞いていたユーリアがついていった。
どんな魔獣も彼女にかかれば手なずけられてしまう。無論、ドラゴンもその例外ではない。竜使いにしか使役できないドラゴンを、彼女はいとも簡単に操ってしまうのだ。
だから、ユーリアが一緒に来た時、ギルバルドもライアンも彼女ならば、と思わぬわけがなかった。
「サラマンダーではないとはどういうことだ? まさか進化したとでも言うのか?」
「そのまさかだ。俺が寝るまではサラマンダーだった奴が起きたらフレアブラスになっちまったんだ」
「だがドラゴンは生きているあいだに進化するはずがないのではなかったか?」
「そうとも。プロミオスにはまだ卵だって生まさせてねぇんだ。俺はどうもこの寒さにやられたんじゃないかと思うんだが、奴にとってもあるはずのねぇ進化だ。興奮しちまって言うことをききやしねぇ」
それ以上、話す必要はなかった。
3人は足音も荒々しく、落ち着きなく歩き回るプロミオスを見た。幸い、3頭のドラゴンには害をなしていないが、サラマンダーとフレアブラスでは吐き出す炎の威力は雲泥の差がある。サラマンダーならば傷つけられるぐらいで済んでも、フレアブラスには殺されかねない。
しかも当のドラゴンはいまにもそこら中に炎を吐き出しそうな形相で鼻息荒くうろつきまわっているのだ。現に、何本かの木が消し炭になって転がっている。
「ライアン、どうして繋いでいないんだ?」
「いいえ、ギルバルドさま、繋いであった鎖をプロミオスが溶かしてしまったんです!」
ドラゴンは振り返り、3人を認めた。その眼差しは、フレアブラス自身も混乱のただ中にあることを表わしていた。そしてそれは怒りとなって、辺りかまわず向けられようとしている。
「落ち着け、プロミオス!」
ライアンが細剣を振るった。ドラゴンの鱗は並みの武器では傷つけることもできぬほど強靱だが、竜使いの振るう細剣は、鱗と鱗の隙間に食い込ませて打撃を与える。竜使いがドラゴンを使役できるのは、ひとつにはその武器のためでもあった。
フレアブラスは吠え、ライアンは外したものの、炎を吐き出した。
「離れるんだ!」
ギルバルドが彼を引っ張り、ユーリアも下がった。
プロミオスが吐き出した炎は、手近の木をあっという間に燃やしてしまい、ガルビア半島の根雪も溶かして地面をむき出しにした。
「少し様子を見た方がいい。無理をしてはおぬしもプロミオスも怪我をするだけだ」
「竜使いが自分のドラゴンに言うこともきかせられねぇなんてことがあってたまるか! それにこいつらの足じゃ、ここで遅れれば戦場に届かねぇ」
「不測の事態だ。グランディーナには今回はプロミオス抜きで作戦を立て直してもらうしかない」
「それは困る」
3人の手をすり抜けてグランディーナがプロミオスに近づいた。剣も抜かず、まるで無警戒な動きだ。それよりも彼女がいつ3人の背後に来たのか、ユーリアでさえ気づかなかったほどだ。
プロミオスも彼女に気づき、近づいてくるのを挑発と受け取ったのか、鼻息を荒くする。突然、炎を吐いたが、グランディーナは避けた。それを見て、ドラゴンの鱗が目に見えるほどはっきり火の粉を帯びた。
「やべぇぞ、リーダー! プロミオスはスーパーノヴァを使うつもりだ!」
「黙っていろ」
彼女はいつものように動かぬ右腕を吊っていた。けれど、それでも右手を伸ばそうとして動かぬことに気づいて苦笑いを浮かべ、左手を差し出す。
プロミオスの全身が火の粉を帯び、立っているだけで付近の雪まで溶かした。火の粉が炎になり、ドラゴンの全身を包む。
しかしそれで終わりだった。スーパーノヴァを撃つ代わりに、プロミオスは鼻息を吐いた。真っ白な蒸気が立ち、形ばかりの翼を羽ばたく。フレアブラスは急にしゃがみ込んでしまったのだ。
「どういうことだ? あんた、何をやったんだ?」
「私は何もしていない。プロミオスが気を鎮めたんだろう。スーパーノヴァなんて撃てば、私だけではなく、あなたたちにも被害が及ぶ」
「まさか! レッドドラゴンじゃあるまいし、フレアブラスがそう簡単におとなしくなるもんか」
「なったのだから文句を言うな。プロミオスがいないと作戦が成り立たない。さっさと出発するぞ」
「グランディーナ、あなた、怪我をしなかったの?」
「大丈夫だ。あなたたちも急げ」
ギルバルドとライアンがグランディーナと入れ違いに近づいていっても、プロミオスはもう威嚇しなかった。その鱗ももう火の粉を帯びていないし、周囲の雪も溶けることがない。
「どうなってるんだ、ギルバルド?」
「わたしにはわからない。プロミオスの様子はどうだ?」
「まるでただのドラゴンだ。あんなに興奮してたのにすっかりおとなしくなっちまいやがって。ん?」
「どうした?」
ライアンがすぐに答えなかったので、ギルバルドもプロミオスに触れてみて、答えられなかったわけを理解した。
プロミオスは単におとなしくなったのではなかったからだ。フレアブラスは恐れていたのだ、この場にいない者を。その恐れがドラゴンの荒ぶる気持ちを静めたのだと2人は気づいた。
だが彼女は万全の状態ではなかった。利き腕も動かず、剣を抜いて威嚇さえしなかったではないか。
「ライアン、このこと、誰にも言うな。そうでなくても先日のガレス皇子の発言に皆、神経質になっている。下手なことを言ったら、また何を言い出すかわからん。戦闘前にそのような事態に陥ることは避けたい、わかるな?」
「冗談じゃねぇや。フレアブラスを睨みつけただけでおっかながらせるような奴に喧嘩を売るなんて真似ができるものか。俺は傭兵だぞ、自分の利に反するようなことはしねぇよ」
ギルバルドがユーリアを見ると、彼女も頷いた。
「でも、腑に落ちないことがありますわ。アヴァロン島で初めてドラゴンと戦った時には彼女の利き腕は動きましたけど、ドラゴンは恐れもしませんでした。どう説明できますか?」
ギルバルドもライアンも思わずうなり声を上げた。それは確かに説明できない。
「だが、あの時は帝国のドラゴンが相手だ。敵意を持って向かってくる奴には効かない、とか?」
「さっきのプロミオスに敵意がなかったとは思えないが、この件はこれぐらいにして我々も発とう。遅れてしまっただろう」
「おお。あんたたちは先に行ってくれ。俺たちもすぐに追い着く」
「落ち着いたとはいえ、プロミオスもまだ本調子ではあるまい。あまり無理をさせないようにな」
その後、雪に苦戦する解放軍にとってフレアブラスの炎は大いに助けとなった。本調子ではなくても、紅蓮の炎は帝国の繰り出したホワイトドラゴンには絶大な効果があり、苦手な冷気もバハムートくらいの攻撃はものともしなかったからだ。
解放軍が永久凍土と化したバルハラに進んだ時も、暗赤色の鱗はより深みを帯びた色となり、吐く息はさらに強力なものになっていた。
だが、プロミオスは二度とグランディーナに畏怖することはなかった。
それがなぜかライアンは知らない。
ただ、プロミオスだけが知っている。
《  終  》
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