「明日、天気になれ」

「明日、天気になれ」

「グランディーナ。言っておくけど、今日こそ、あたしは、雨が止むまではなんにもしないわよ」
「今日も移動だ。魔獣を借りるか?」
「そこまではしなくていいんだけど」
いつもピンク色のとんがり帽子をかぶっているので二人の身長はデネブの方がほんの少し高いくらいだが、視点はどうしても頭半分くらい低い。魔女は解放軍のリーダーを見上げると、急にしなだれかかった。
「ねぇ、肩を貸してよ。雨の日って調子出ないの、一人じゃ歩けないわぁ」
「あなたと私とでは身長が違う。肩を貸したら、逆に歩きにくくないか?」
「じゃあ、おんぶして」
グランディーナは常々この魔女に甘い。デネブが自分は働かないと言い出した時から絶対に何かやらかすと確信して、二人の会話に聞き耳を立てていたカノープスは、案の定、いきなりしゃがんだグランディーナとデネブの頭を同時にたたいた。
「いったぁーい! 何、するのよぉ」
「リーダーにおんぶさせる馬鹿がどこにいるんだ?
おまえも素直にしゃがんでるんじゃねぇ」
「どうせ、この雨はすぐに止む。それまでのあいだ、おんぶくらいしたってかまわないだろう」
「そういう問題じゃねぇよ」
「なによ、せっかくしてくれるっていうんだから邪魔しないでくれない。それとも、あなたがおんぶしてくれるって言うの?」
「自分で歩きたくなけりゃ魔獣でも使えって言ってるんだよ。移動って言ったって、帝国軍がまったく襲ってこないとでも思ってるのか?」
「ソロン城の支配下に入るにはまだ距離がある。ランドルスもそこまで警戒はしているまい」
「おまえにしちゃ、呑気なことを言うじゃねぇか」
グランディーナもアヴァロン島からの一件を思い出したのだろう、苦笑いを浮かべる。
「あれから、じきにわかった。帝国には私のやり方ではやりすぎらしいって」
「それで、考えを改めたっていうのか」
「そんなところだ」
「だからって、おまえがデネブをおぶってくって理由にはなってねぇだろうが。
だいたい、なんでそんなこと言い出したんだ? おまえが雨の日に調子が悪いなんて初めて聞いたぞ」
「あら、言わなかったかしら?」
「言ってねぇ」
デネブはすっとぼけるように高笑いしたが、カノープスも負けじと彼女を睨みつける。
「グランディーナでは都合が悪いのなら、わたしがおぶろうか?」
「いやよ。ランスロットっていっつもがちがちに鎧を着込んでるんだもの。気持ちいいわけないでしょ」
「それはすまなかったな」
「頼むから話の腰を折るな、ランスロット」
「でも、好意だけ戴いておくわ。ありがと」
「どういたしまして」
「ランスロットぉ!」
二人が追いかけっこを始めたのを横目に見つつ、デネブはグランディーナの背中にもたれかかった。
「あの二人って、ギルバルドとは別の意味で仲がいいわよね」
「もう、おんぶはいいのか?」
「なんか、白けちゃったから、雨が止むのを待つことにするわ。つき合ってくれない?」
「そんなに早く止むかな」
「いいじゃない、止むまでつき合ってくれたって」
するとグランディーナがかすかに嘆息した。
「だから、私はあなたに甘いって言われるんだ」
「あら、誰がそんなこと言ってるの? どうせ、カノープスあたりでしょ?」
「でも、いいかな、と思ってしまう」
「苦手なのはほんとなんだからいいじゃなぁい」
デネブが思い切り体重を預けてくる。傍目には彼女はグランディーナよりずっと軽く見えるが、いまはなぜか、ゴーレムにでものしかかられたような重さだ。
そのわけは訊かず、グランディーナは黙って全体重を受け止めて踏ん張ろうとしたが、不意に軽くなった。
「あなたって冗談きかないんだから。重たかったら避けなさいよ」
「いや、避けたらまずいかと思って」
「あたしはあなたを潰そうと思ったんだから、避ければいいでしょ!」
デネブの口調は珍しく刺々しいものだったが、グランディーナは笑っていなした。
「なにがおかしいの?」
「あなたにしては下手な嘘だ」
「どこが嘘だって言うのよ?」
「あなたは私を潰そうなんてしてなかった。だから私も避けなかった」
「どうしてそう思うの?」
「わからないけど、そう思った」
とうとう魔女はあきらめ顔で肩をすくめる。
「あなたにそんなに信用されてるとは思わなかったわ。どうやら、あたしの負けのようね」
話しているあいだにも雨の勢いは増してくる。
「私も、雨の日は苦手な方だ」
「あら、そっちこそ初耳だわ」
「誰にも言ったことはない」
「サラディンにも?」
彼女が無言で頷いたのでデネブは得意そうな顔だ。
「言えないわけでもあったの?」
「そんなものじゃなくて、単に言いそびれた」
「珍しいわね、あなたにしては」
「サラディンは私と反対で雨の日の方が調子がいいらしいんだ」
「だから言わなかったっていうの? まぁ、けなげな話ね。お姉さん、感動しちゃう。それなのに、あたしをおぶってくれようとしてたのね」
デネブは両目の縁を軽く手巾(はんかち)で押さえた。
「あなたを背負っていれば、少しは気が紛れるかと思った。それだけだ」
「あら、照れることないじゃない」
けれども彼女はグランディーナが真っ直ぐな視線を向けていることに気づいて、気持ち、後ずさりした。
「あなたは、なぜ、雨の日は調子が悪いんだ?」
「だって、あたしはグルーザに嫌われてるもの。あなただって知ってるでしょ、嫉妬深い処女神。オウガバトルの時には水軍五〇万を率いて魔界の軍と戦ったと言われてる雄々しい女神よ」
「名前ぐらいは」
「グルーザの夫が快楽神ザムンザ、どうしようもない浮気性で、女と見ると片っ端から手を出したの」
デネブの口調が熱を帯びてくる。
「でも、ザムンザが浮気してるだけだったらグルーザも水軍駆り出したり、嵐を起こしたりするだけで済んだんでしょうけど、とうとうやっちゃったのよね」
「何を?」
「子どもに決まってるでしょ!」
「ああ、なるほど」
「哀れ、娘たちはグルーザの怒りを鎮めるために殺されそうになったけど、その時、ゾショネルが助けの手を差し伸べてくれたってわけ。あたしは、そのザムンザの娘の一人、半神なのよ」
二人のあいだに気まずい空気が流れた。
「半神」なんて言われて、さすがのグランディーナも返答に困り、ましてや気の利いた台詞も思い浮かぶはずもなく、沈黙せざるを得なかった。
当のデネブもグランディーナが笑い飛ばし−−−彼女の性格上、それはあり得ないこととわかっているが−−−もせず、頭ごなしに否定もしなかったのでつい気まずくなったのだ。
「おまえら、雨なんかとっくに止んでるぞ。いつまで油を売ってるんだよ」
そこへランスロットとカノープスが戻ってこなかったら、もう半日くらい、そこに座りっぱなしでいたかもしれない。
「いやぁね、グランディーナ! 冗談よ、冗談に決まってるでしょ!」
デネブはグランディーナの肩を強くたたいた。
「あなたは、そういう冗談を言う人ではないと思っていたから、考え込んだ。冗談か」
「そうよ。冗談よ、冗談!」
「何の話だ?」
「女の子だけの内緒話! いちいち首を突っ込まないでちょうだい!」
「デネブ! おまえ、迎えに来てやったのに、なんていいぐさだ!」
「べぇーっだ!」
「この野郎っ!」
魔女とバルタンが走っていっても、グランディーナはまだ立ち上がろうとしない。
「何かあったのか?」
惚けた様子の彼女に、ついランスロットは心配になる。そんなことを言ったら軽くいなされるだろうとわかっているが、手を出してしまうのは性格上、しょうがないのだ。
もっとも、今日に限って、グランディーナはその手を取って立ち上がった。彼女がそうするのはシグルド以来だ。
ランスロットは具合でも悪いのかと案じたが、自分の手を握った手は別に熱があるようでもなく、その気持ちも現実に戻った様子だ。
「ありがとう」
「どういたしまして。大丈夫かい?」
「ああ。待たせた」
そう言って、彼女は少しだけ笑う。
「それじゃ、行こう」
「雨が降っていたと思ったら、もう晴れたな」
「雨季のあいだは毎日、こんな驟雨(しゅうう)があるらしい」
サラディンから仕入れたばかりの知識をランスロットは話した。
グランディーナが珍しく眉をひそめる。
「なんだ、まさか、君まで雨の日は調子が悪いなんて言い出すんじゃないだろうな」
彼女は不機嫌そうに押し黙っているだけだ。
「少し強いがにわか雨さ、そんなに深刻に考えなくてもいいんじゃないか?」
「雨は好きじゃない」
そう答えた彼女の上から、きつい日差しが照りつけてきた。雨に濡れた髪が磨き上げた銅貨のように輝き、ランスロットは思わず目を細める。
「だけど、ここまで来て、そんなことも言っていられないな」
まぶしそうに青空を見上げたグランディーナは、これから向かう敵の方に気持ちを切り替えていた。
ゼテギネア最後の楽園とも言われるライの海、その支配者はマラノの商人だったランドルス枢機卿だが、地続きのクリューヌ神殿には四天王最後の一人、デニス=ルバロン将軍がいるとも聞く。
降っても晴れても戦端は間もなく開かれよう。
無慈悲な女神はその恩恵を垂れるのに人の心など気にかけぬものだ。
けれども人は、それでも願わずにいられない。
明日、天気になれ、と。
《  終  》
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