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バリュードメイン 「一千の言葉よりも」

「一千の言葉よりも」

「それで、あなたは私を今日一日、何につき合わせるつもりなんだ?」
「おやおや、グランディーナ、約束を守っていただかなければ困りますよ。今日一日、黙ってつき合ってくださいとわたしはあなたにお願いしたのです」
「私にしゃべるなと言うのか?」
「ええ。具体的にはあなたの感想は、今日一日、わたしはお聞きする耳は持ちません。そういうことはすべて、今日という日が終わってからお伺いいたします。よろしいでしょうか?」
「わかった。今日、私は黙ってあなたの言うとおりにしていればいいのだな?」
「ええ」
風竜の月1日、ゼテギネア大陸最大の都市マラノを落とし、解放軍にはヴォルザーク島を発って以来、初めての完全休息が与えられた。
しかし、マラノ攻略に多大な貢献をした〈何でも屋〉のジャックとの約束で、解放軍のリーダーは彼に一日、黙ってつき合わされることになったのである。
ジャックはまず、グランディーナをマラノ一の高級美容院に連れていった。ふだんからまったく化粧っ気のない彼女の全身を洗わせた上、洗顔、洗髪、全身マッサージに化粧を施させるためだ。
さらにいつの間に寸法を測ったのやら、下着に靴に衣装、首飾りに耳飾りも作らせており、自分の身体以外には全て借り物を纏ったグランディーナは、まるで別人であった。
ちなみにジャックが作らせていたのは、彼女の赤銅色の髪を表、衣装の紫色を裏の色に見立てた襲の色目「薔薇」を模した物で、下着も紫で統一し、装飾品も澄んだ紫水晶がふんだんに使われている。
もちろん、グランディーナをただ飾り立てるだけでジャックが満足するはずがない。彼は彼女を連れて、グリフレット=マッセナが主催するマラノ市解放記念の祝賀会に赴いたのだ。
その場には最長老のブラモア・ド・ガニス=スール以外の十三人会の面々や、十三人会ほどではないがマラノ市の有力者が集まっていたが、その中の誰1人としてグランディーナの正体に気づいた者はいなかった。マラノ攻略の際に十三人会と話し合った時の傭兵としての姿がよほど印象に強かったのかもしれない。
しかし、〈何でも屋〉のジャックの連れというだけでなく彼女は目立った。衣装も派手だったが、何より彼女には存在感があり、もっと地味な格好をしていても十分、人目を引きつけただろう。
そしてグランディーナは踊ったこともない円舞曲(わるつ)を、ジャックを初めとするいろいろな相手に申し込まれて踊る羽目になった。しかも一息ついたかと思えば、また相手を取っ替え引っ替えして踊らされたほどだ。
もちろん、踏んだ足、蹴っ飛ばした足は数知れなかったが、柔らかい革靴を履いていたせいか、咎められなかったのは幸いであったろう。
祝賀会がようやく終わり、彼女がジャックの馬車に乗り込んだ時には、さすがのマラノの町もほとんどが眠りについたようだった。
「今日一日、わたしのわがままにつき合ってくださってありがとうございました。あなたもそろそろ、いつもの自分に戻りたいでしょう。もう口をきいてもかまいませんよ」
そう言われてグランディーナが真っ先にしたのは、高く結い上げられ、花も飾られた髪を完全にほどいて、装飾品一切を外してしまうことであった。
ジャックは心得たように彼女の手巾(はんかち)を差し出す。
黙ってそれを受け取ったグランディーナは、手早く髪を縛り直した。
「私の着ていた服も馬車にあると言ったな?」
「ええ。確かにありますが、まさか、ここで着替えるつもりですか?」
「この格好では落ち着かない。着替えたい」
「それはとても残念ですね。ですが、わたしにはもう止める理由はありません。かなり目の毒ではありますが、どうぞご自由になさってください」
どこにしまいこんでいたのやら、ジャックは丁寧に折りたたまれた彼女の服を差し出した。
「ありがとう」
彼女の足下に脱ぎ捨てられた衣装も、彼は慣れた手つきでたたみ直す。
それに目をくれることなく、グランディーナは素早く着替えていたが、不意に手を止めて、ジャックをしばらく凝視してから訊ねた。
「ひとつだけ教えてくれ。あなたが私にそんな格好をさせた理由は何だ?」
ジャックも手を止めて彼女を見つめ返す。
「あなたのことです、冗談ではなく本気で言ってるのでしょうね?」
「あなたが自分の金をかけて今日一日、私を着飾らせて、引っ張り回した理由がわからないから訊いている。それとも、私はおかしなことを訊いたか?」
そう言われても彼はすぐに答えようとせず、微笑みながらグランディーナを見続けていたので、とうとう彼女の方が先に目をそらした。
「私は剣を振るしか能のない戦争屋だ。さぞ滑稽な姿だったろうな」
「とんでもない! 誤解があるようですから申し上げておきますが、今日のわたしはあなたにつき合っていただいてとても鼻が高かったのですよ。滑稽ですって? そんなこと、誰一人として思いますまいし、このわたしがそんなこと、誰にも言わせませんとも」
思わぬジャックの熱弁に、グランディーナはかなり驚いた顔をする。
「あなたは本気でそんなことを言ってるのか?」
「当然ですよ。そのことはあなたもわかっていただいているものと思っていたのですがねぇ」
彼女は座席に座り直して苦笑いを浮かべた。
「それはあいにくだったな。あなたがそんなふうに思ってるなんて、私は考えてもみなかった」
「いえいえ。わたしもあなたを相手に1回ぐらいでわかっていただこうとは虫の良すぎる話でした。ですが、こうして打ち明けてしまったことでもありますし、またの機会を楽しみにさせていただきますよ」
「それこそ悪い冗談だ」
「もちろん、冗談などではありませんよ。あなたにまたあのように恩を売れる好機を、わたしは虎視眈々と狙っているのです」
「それはまた、帝国軍の奇襲より厄介な話だな」
しかし彼女は、そう言ってから少しだけ和やかな表情になって付け加える。
「だけど、あなたには感謝もしている。こんなことでもなければ、私があんな格好をする機会もなかったろう。だからといって勘違いしないでくれ、ああいうことが好きだってわけじゃないんだから」
「それは至極残念な話ですよ、グランディーナ。けれどもそのあなたから、まさか感謝の言葉を聞けるとはわたしは思ってもいませんでした。まったくあなたという方は、まだまだ見極めがたいのですねぇ」
「私にはあなたも十分、理解しがたく映るがな」
「それは、褒め言葉と承っておきましょう」
そう言って彼が微笑むと、グランディーナもつられたような笑顔を浮かべた。
その時、馬車が静かに止まり、彼女はいささかゆっくりと立ち上がった。
「明日からはどこへ行くのですか?」
「バルモアへ向かうが、本隊はマラノに残す。マラノには半月ぐらい帰ってこないだろう」
「そうですか。お気をつけて、グランディーナ」
「ありがとう、ジャック」
素早く彼女の手を取って、ジャックは別れの口づけをする。
その手が離れると、グランディーナは馬車の外に降りた。外はまだ暗く、解放軍の野営地も見張りの者以外は深い眠りのなかにあるようだ。
「縁があったらまた会おう、ジャック」
「ええ、近いうちにぜひ」
軽く手を挙げてから、野営地に戻っていく彼女を、ジャックはしばらく名残惜しそうに見送っていたが、やがて御者台に声をかけると、馬車はゆっくりと走り出した。
彼がきれいに畳んだ衣装は、いつの間にか床に落ちている。ジャックはそれを拾い上げると、まるでグランディーナがまだ着ているかのような優しい手つきで何度も撫でた。
「今日のわたしは少し、おしゃべりが過ぎたようですね。どんな言葉を尽くしても、あなたにはかなわないと思っていたのですが、わたしとしたことが、いざ、あなたを前にしたら、はしゃぎすぎてしまいました。まぁ、それも悪くありません。実際、わたしは楽しんでいるんです。あなたのことを想い、あなたと話し、あなたに恋をしている自分自身というものが、わたしは楽しいんですよ」
彼の手が止まり、不意に笑い出した。
「この〈何でも屋〉のジャックが、若造のように恋に浮かれているとはね!」
一千の言葉を尽くしても語りきれない、その想いを恋と言う。
古今東西、人の心の変わらぬ営みである。
《  終  》
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