最後のもの 1
復活暦958年5月。
夏も盛りのこの時期に、ダンドカンバ山脈の山道を歩いていく3人組の姿があった。
道とはいってもむしろ獣道と呼んだほうがいいような代物で、彼らは幅が広くて刃の厚い短刀で雑草を切り払い、踏みつけて、新たな道を造っているといってもあながち間違いではなかった。
先頭を歩くのは一行のなかでもっとも背が高い隻眼の男、黒い髪に白いものが混じりはじめたところを見ると年のころは50代にさしかかったところか。よく日焼けした肌に服のうえから見てもそれとわかる、鍛え上げられた身体の持ち主だ。肩幅も広く、腰に提げた長剣と着ている革鎧の使い込まれたようすは彼が長いこと兵職、それも実力だけがものをいう傭兵に就いていたような血生臭い、けれどもそこから遠ざかって久しい雰囲気をも漂わせていた。
2番目を歩くのは先頭の男とはまったく対照的な、魔法使い然とした老人、一行のなかではいちばん小柄で、前を行く男よりもゆうに頭ひとつと半分は低く、痩せているためかそれ以上に体格差があるように見える。樫と栗の2本の杖以外にはこれといった荷物もなく、旅装もくたびれた革靴ぐらいで、灰色の長衣がはたはたと風になびいている。皺だらけの顔や手からは、この老人が相当な高齢、おそらくは80歳以上だろうと推定できるが、その灰色の目は周囲を警戒しながらも始終好奇心を映していて、きらきらと若々しく見えた。ときおり、一見なんにも飾りがなさそうに見える長衣の脇や胸のあたりをまさぐると、そこにポケットがあることがつっこんだ指の形で初めてわかり、なにか取り出すとポケットはまた見えなくなった。ポケットが空っぽということはなくて、黒い短い棒、液体入りの小瓶、空き瓶、羽毛、ひしゃげてぽろぽろと崩れる粘土、真っ青な瑠璃のかけら、日差しにきらきらと輝く水晶や緑柱石、金剛石のかけら、灰色の石ころに砂と、なんに使うのやら、ちょっとあげただけでもこれほど、もはやがらくたと言って差し支えないようなものが無数のポケットにひとつずつ入っていた。自分で出しておいてなにを入れておいたか忘れたのか、顔をしかめたりぎょっとしたり、一人でおもしろがっているさまは少々危ない老人だったが、そのうちの大半は一瞥くれただけでまた前とおなじポケットに戻すのだった。驚いたことに、間違ってもなにか別のものが入っていたポケットにしまうことはなかった。
3人のしんがりを歩いていた、まだ20歳そこそこの若者は、まえを歩く老人の奇異なしぐさもたいして気にとめてはおらず、もはや慣れたようすだ。黒い髪に灰色の眼をし、先頭を歩く男よりも痩せ型だが、ひ弱な感じではない。腰に長剣と幅広の短刀を提げ、肩には短弓、厚手の革鎧を着た軽装の戦士風だが、剣も鎧もまだ傷は少なく、未経験の新兵といったところか。まえの2人よりも浅黒い肌をし、軽く結ばれた両手の甲には派手な裂傷の痕が残る。
3人のなかで彼だけはときおり自分たちが登ってきた道を振り返ることがあった。麓は遥かに霞み、しかも前方にはなお高い山々が聳える。その高さたるや、頂上がいまもって見きわめられないほどだ。
そんなとき、彼は立ち止まったが、また険しい山道をまえの二人を追って歩き出すのだった。
けれどもその日、彼は一度だけ山の麓を越えた遥か東方に目をやった。景色など見えはしなかったが、一瞬だけ浮かんだ切なそうな表情からは、彼にだけはどこかの光景が見えていたものらしかった。
ダンドカンバ山脈といえば、エズリモル大陸のみならず、ダゴリス、オーミアグ両大陸ならびに暗黒の島アダモン島を含む全大陸のなかでも、最高峰の山々がその頂上を雲の上に出し、また雲のなかに没する、世界の屋根としてその名を知られている。ダンドカンバ山脈を境にエズリモル大陸は南北に二分される。気候も環境も、また文化さえも異なるという、文字どおりの巨大な壁だ。そして文化はつねに、ダンドカンバ山脈の南側より広がっていった。その中心地が、千年王国と讃えられ、世界最大にして最強のハロンドール神聖王国の首都、その名も麗しき水晶の都ミストローアである。
さらに、この大山脈の地下には、その広さも構造も、いまもって確かめられたことのない、古の民のひとつである地の民の遺跡があることでも有名であった。その町の大きさといえば、この時代としては別格の人口10万人を有し、大きさにおいても壮麗さにおいても他に並ぶものなきといわれた水晶の都をゆうに凌駕すると言われており、人間よりも遥かに優れた建築技術を持っていたといわれる地の民の実力のほどをまざまざと見せつけていた。
人間は環境として好まないせいもあるが地下に町を造ることはしてこなかった。例外的には、鉱山の近くにある程度の施設を集めることはなくもないが、それはとうてい都市とは呼べぬ、一時しのぎのものにすぎなかった。その明らかな証拠には、鉱員たちは休みになると誰一人として鉱山に残らず、近くの町に下っていくのである。
また技術的には人間のそれはいまだに地の民には及ばない。地下に都市を造ろうとしてもまず住居を築くのが精一杯というところだ。その点においては原始時代から少しも進歩してはいないわけである。
そういう意味ではこの遺跡は世界的にも例のない、貴重な古の民の遺産なのだが、しかし現在では、この遺跡は異形の化け物が我が物顔で闊歩するところとして悪名高く、だれも近づこうとはしなくなっていた。
そして当然のことながら、人びとはそこから黒いしみのように這い出てくる化け物を恐れて、ダンドカンバ山脈にさえ立ち入ろうとはしなくなったのである。
「バーザムよ、少し休憩せんかぁ?」
人影のまったくないはずのダンドカンバ山脈の中腹、その道なき道をゆく奇妙な3人組の、真ん中を歩いていた老人が声を出した。
「そうだな。道はまだ続いていそうだし、無理をしても始まらん」
先頭を歩いていた、バーザムと呼ばれた隻眼の男が、振り返りつつ立ち止まる。
つづいて、彼に声をかけた老人が止まり、3人のしんがりの若者も止まった。
背に荷をかついでいるのは、バーザムとその若者だけで、背負い袋は、大した荷も入っていなさそうな形だ。あえて言うなら、旅に必要不可欠な糧食を彼らはまったく持ち歩いていないようだった。たとえ弓があるとはいえ、狩りの獲物だけで旅をつづけるのはおよそ無謀というものである。
「オルズデール、座るなよ。いちど座ってしまうと、今度歩き出すときに辛いからな」
「うーむ、まったく歩きにくい道じゃ。しかし、“賢者の学院”を離れると、あまり派手に魔法を使うわけにもいかんしなぁ」
オルズデールと呼ばれた老人の言葉からはやはり彼が魔法使いであるのが知れた。“賢者の学院”といえば、エズリモル大陸全土にその名を知られた魔法使いたちの故郷であり、学校、ギルド、緊急避難場所などなど、魔法使いたちが必要とするありとあらゆるものを提供するところだからだ。またその逆もあって、魔法使いの知識や力を欲する権力者にお好みの魔法使いをいつでも提供できる、ただひとつの宝庫でもあった−−−もっとも後者の場合にはいろいろと面倒な条件も伴うのだが。どちらにしても、どう逆立ちしたって“賢者の学院”の門を一度たりともくぐらないで魔法使いになれるものはいないのである。
老魔法使いは、相変わらず所在のわからぬポケットのひとつから、まるで奇術のように手ぬぐいをだし、額の汗をぬぐった。一行のなかで明らかに最高齢なのに、まだ余力はありそうで、2本の杖も肩にもたせかけているだけだ。
「先生、水と塩をどうぞ」
「うむ」
立ち止まると同時に、若者は背負い袋を下ろし、皮の水筒と塩をオルズデールに差し出した。水筒の水はそのつぶれた形からもう残り半分というところですっかりぬるい。
問題はその水温ではなくて、水がもう、1人に水筒で半分しか残ってないということだったが、老人は1口飲んだだけで、さも不味そうに顔をしかめた。
それから、またどこかのポケットから小さくたたまれた扇を出し、ぱたぱたと仰いだが、気休めにすぎない風しか得ることはできなかったようだった。
バーザムも自分の荷物から塩を取り出し、水を飲んだ。彼のほうもあまりこたえたように見えなかったが、それは鍛えられたためと思われた。
2人がそんなことをしている間に、若者は腰に帯びた長剣を抜いて、進行方向に生い茂る雑草を斬り払った。片手には塩の塊を持っていたが、そうして休んでいることさえもどかしそうなようすだ。
「急くな急くな、ガイル。遺跡は逃げやせん、休めるときに休んでおかんとあとで苦しくなるぞ」
「すいません…」
彼は素直に剣を鞘に収めたが、心底納得しているようではなかった。それでも気を取り直して2人のそばに戻り、オルズデールから受け取った水筒を自分の背負い袋に詰めなおした。
「けっこう登ってきたように思ったけれど、そうでもないんですね」
「そうじゃな。ダンドカンバ山脈は高いものよ、さすがに“世界の屋根”などといわれるだけのことはある。わしらがえっちらおっちら登ってきた道が、まだ半分にもならんのだからなぁ」
「たしかに頂上はいまだに見えてこないようだが…ここらの木は低地に比べるとどれも低いな。山はほとんど行ったことがないが、こんな木は初めて見る」
「もっと上に登れば、いずれ木はわしよりも低くなり、地に這うようになるぞ。頂上まで行けば、あの万年雪じゃ、ほとんど植物はなくなってしまうじゃろう」
「ほぉ。だてに賢者とは呼ばれておらんな、お主も。まるで見てきたような物言いじゃないか」
「自分が無知なのを棚に上げて、『だてに』じゃと?わしは、お主らが産まれる前から賢者をやっておったわ。それに見てきたようなではない、見たんじゃよ」
「ほっほう。それでは賢者殿にお伺いする。この道は、あとどれほど登らねばならぬのかね? ダンドカンバ山脈に入ってかれこれ1ヶ月、さていつになったら着くのか、ご存じかな?」
「今日中には登りつめるだろうよ。いくら地の民とはいえ、空気の薄い高地を好んだとは思えんからな」
2人のやりとりに、ガイルはこっそりため息をついた。
別に、2人とも本気で喧嘩をしたがっているわけではないのだ。むしろオルズデールとバーザムのやりとりは、いつもの退屈しのぎでもあった。だから彼のような若輩者が下手に口を出すものじゃない。
ただ、バーザムの言うとおり、ダンドカンバ山脈に入ってから、1ヶ月になろうとしている。彼らの目指す遺跡は、なかなか見つけられなかった。オルズデールが遺跡は逃げないと言っても、ガイルが急くのも無理はなかった。
「今度は俺が先頭に立ちますから。行きましょう」
口は出さないが、適当なところで停戦の合図を送りはする。そうしないと2人ともいつまでもしゃべっていかねないからだ。
そうとわかっているから、2人ともぴたっと話をやめた。
「そうだな。俺がしんがりにまわるとしよう」
そう言って、バーザムは荷物を背負いなおした。
それで、3人はまた一列になって、道を開き始めたのだった。
先頭のガイルが手を挙げると、後ろの2人は無言で立ち止まった。
「どうした?」
「いま、堅いものを踏んだんです。なんだろう、ちょっと待っててください、すぐ調べますから」
「なんじゃ。わしゃあ、また妖魔でも出てきたのかと思ったわい」
「石じゃないのか?」
ガイルは返事もせず、まえよりももっと激しく短刀を払った。そのうちにかちっという音が聞こえ、2人は顔を見合わせた。
「見てください、ここ!」
彼はやっと出てきたものを跨ぐように前進し、オルズデールもバーザムも揃って覗き込んだ。
「石畳じゃないか!」
2人は同時に叫んだ。が、だれも笑わなかった。
「おまえの足の下はどうなんだ? 立っているところも石畳のうえじゃないのか?」
こんな山のなかに石畳などある理由はたったひとつ、バーザムは興奮気味にまくしたてた。
ガイルがいわれるままに短刀をふるおうとすると、
「いや、待つんじゃ。ここはわしの出番じゃろう。草を切って探していくのでは効率が悪い。しかし、石畳があるということは遺跡はもう間近いと見てよかろう。さて!」
“見よ見よ、隠されたものを見よ! 隠れしものよ、姿を現せ。見よ、そは光り輝くものなり!”
彼にしかわからぬ言葉を唱えてオルズデールは1人ずつに杖で触れた。
するとどうだろう。
3人の前方に、草のなかに光る道が現れたのだ。
「いや、待て、ガイル。遺跡についての噂が本当なら俺が先頭に立つ。おまえはしんがりを守ってくれ」
さっきのように先頭に立とうとした彼をバーザムがすかさず制した。ガイルは今度は素直に譲り、3人は再度前進を開始した。
光る道を踏んでいくと、たしかに平らな石の感触が伝わってきたが、なんの気なしに歩いていてはわからなかっただろう。それに歩いていくうちに道から外れていったかもしれない。
その先に待つものを想像しながら、一行はバーザムの言葉に警戒を強めていた。
妖魔の巣窟だという地の民の遺跡、目的のものがそこで見つかるのかと訝りながら。
ただオルズデールだけは相変わらずの奇行ぶりだったが、ときどき鋭い視線を一点に向けるところなどはやはりただ者ではないようだった。
道が終わったのは、陽がだいぶ西に傾いたころのことだった。少し広い平地になっており、3人のなかではいちばん背の高いバーザムよりもずっと高い石の壁がそびえていた。
一見したところ、あの石畳がなければ、それはいままで通りすぎてきたただの崖だった。
「もしかして、これは扉ですか、先生?」
「かもしれん。だとしたら、地の民の技術の巧みなものよ。たとえ扉であったとしても、見ろ、隙間が見当たらぬではないか」
そう言いながら、オルズデールはまったく無遠慮に、石の壁をぺしぺしとたたいた。
「それともここらへんが割れ目というわけかな?」
だれも止めないのをいいことに、魔法使いは今度は栗の杖で壁をたたきはじめた。
「では、今日はここで野宿というわけだな」
敢えて老魔法使いの行動を無視した口調でバーザムが言った。
「そうなるな。さてさて、わしはこの表面になにが隠されているか、少し試してみるとしようか。これでなにも出んかったら、地の民はわしをかたるほどの詐欺師じゃな」
老魔法使いはしたり顔でそう言うと2人に背を向けたので、むっとしたようなバーザムの表情には気づかなかったにちがいない。
「じゃあ、俺は薪を拾ってきます。できたら、兎の1匹も見つかってくれるといいけど」
「そうしてくれ。俺は、ここで見張っているとするよ」
それから少し声を落として、
「いくらくそじじいでも一人きりにするわけにはいかないからな」
バーザムの言い方にガイルは苦笑いするしかなかった。が、彼はすぐに元の調子に戻して言い足した。
「ついでに矢に使えそうな枝も、少し集めてこいよ」
ガイルは今度は神妙に頷いた。それから、長剣は荷の脇に残して、灌木のなかに入っていった。
矢筒の中身は少なくなっており、彼の腕前では、兎を1匹しとめるのに、空っぽになってしまうかもしれない。
一方、オルズデールは、すでに幾つかの呪文を唱えているところだった。
「ほぉ・・やはり、これは扉のようじゃな。だが、中は真っ暗でなにも見えんわ」
「地の民は光を必要としなかったのか?」
「わしは知らん。たとえ要るのだったとしても、これほど長いこと放棄されておったのだ、明かりの一つもなかったところで不思議ではあるまい?」
「それもそうだな…オルズデールよ、お主、異形の怪物とはなんのことだと思っておる?」
「妖魔じゃろう、ほかには考えられん。まあ、外れてくれれば幸いというところさ。こんなところに動物はおらんじゃろうが、場合によっては突然変異などありうるかもしれんからな」
「どちらにせよ、我々には厄介だな」
そうは言うものの、バーザムの表情はそれほど面倒には思っていないのが見てとれた。
「そのうえ、内部の地理はまったく不案内ときている」
むしろ、こちらのほうが厄介に考えていそうだ。
「しょうがあるまい。不案内なことでは古森も大差ないのだし、いくら広いといったところで森を歩くよりは探索しやすかろうとも。それに、ガイルが途中で放棄せん以上、わしらが投げ出すことはできんじゃろうが?」
「当たり前だ。
ところで、お主の地図はどこまで信用していいのだ?」
「さあて、わしにも自信がない」
地図を広げかけていたバーザムは、この即答に力が抜けた。
「なにしろ、さすがのわしも50年もまえのことはとんと覚えておらん。そのうえ、いま考えるともったいない話じゃが、わしの師匠が不精だったもんで、ろくになかも見なんだ−−−当時から妖魔がいると言われておったし、なかに入ったはいいが迷路のように入り組んでわかりにくいところじゃ、たいしたものも見つからんうちに帰ってしまったのよ。あのとき一山あてていれば、わしもこんなところで弁当が不味いのと文句を言わんですんでいたかもしれんなぁ」
「では、その運命とやらに感謝するんだな。お主が隠居している図なんて、想像するだけでも物騒だからな」
「ほっほっほ、感謝するのはお互い様じゃないかね?
まあ、まずは、この扉をなんとかするさ。開けられれば、なかの明かりなどなんとでもなるからな」
それから、オルズデールはひとしきり呪文を唱え、することのないバーザムは、結局は呑気に地図などを広げていた。
ここに来るまでの間に、道々オルズデールが記したものである。しかし、魔法使い自身が、あてにするなと言っているのだから、まずこの地図が使われることはなさそうだった。
だから、いくら地図を眺めていたところで混乱こそすれ、役に立つことなどないのだ。それに彼には、空の見えない地下都市など想像もできなかった。エズリモル大陸はかなり広く歩いたバーザムだったが、さすがに地下の都市などお目にかかったことはない。
そのうちに、薪を抱えてガイルが戻ってきた。高地にいるのだから、夜になると急速に冷え込む。彼は慣れたようすで、言われなくても火を起こした。
「獲物は見つかったか?」
「1匹も見なかったですよ。でも、これから探してきます。先生は?」
「あれは扉なんだがな、開くかどうかが大問題というところさ」
「へぇ」
それから、バーザムは湯を沸かした。鉄鍋に3つの水筒の水全部を空けると、水源を今日のうちに見つけねばならないことを思い出させた。
けれど、その問題はすぐに片づいた。相変わらず手ぶらで帰ってきたガイルが、小川を見つけたことを報告したからだ。もっとも、矢が1本も減っていないところを見ると、獲物は本当にまだ1匹も見つかっていないらしかった。
「バーザム、水はお主が採りに行ってもかまわんぞ。噂ほどに危ないことはなさそうだし、わしは今日こそ、その杖は使いたくないからな」
思わず、3人はなんの装飾もされていない小振りの栗の杖を見つめた。
というのも、この杖は、オルズデールの実験の産物で、〈創造の杖〉というもっともらしい名前のわりには、不味い弁当を作り出すしか能のない、ものの見事な失敗作だったからである。
「でも、本当に見つからないんですよ、先生。兎も山鳥もいなきゃあ、お話にもなりませんよ」
「言い訳はいいから、さっさと晩飯を探してこい!」
「はいっ」
慌てて、弓を片手に灌木の森に入っていったガイルを見送って、バーザムはぽつりと呟いた。
「しかしオルズデールよ。お主の失敗作は、どれも本当に使えんのだな」
「なにを言う、味音痴めが。お主もガイルも、わしが食えなくている脇で平気で食っておったじゃないか」
「好きで食ってたわけじゃないさ。他に食べるものがなければ体力がもたない、しょうがないから食べていたんだ。もっと不味い飯を食わされたこともあるし、だいいち、不味い不味いと、あの杖を作ったのはお主なんだぞ。食ってもらえるだけでもありがたいと思ってほしいものだな」
「わしはな、お主のようにあんな不味い弁当を平気でたいらげられるような胃袋は持っとらんのじゃよ。ありがたがるのはお互い様じゃ、杖を一振りするだけで弁当ができるなど、だれにでも造れるわけではないんだぞ。
わしの味覚は繊細なんじゃ」
「お主のはただの我が儘だろう、繊細が聞いて呆れる。だいたい、俺はガイルをおさんどんにするつもりはさらさらなかったんだからな」
「おさんどんとは人聞きの悪い。師匠の世話を弟子がみるのは当然じゃろうが。それに、ガイルときたら、お主に似て味音痴ときとる。加えてやたらに香辛料を使いたがるものだから、初めて食わされた料理はそりゃあ酷いもんじゃった、お主にも是非一口、食わせてやりたかったわい。そうすればあれがいかに味音痴か、よっくわかったろうさ、鍛えなおしたわしの苦労もな。
だいたい、お主もガイルも食を軽く見すぎとる。食は身体の資本だぞ、『腹が減っては戦はできん』という格言もある。なにより心がこもった旨い食事は、人の気持ちを明るくするものじゃ。それがあの阿呆はちっともわかっておらん。それを一から鍛えなおすのに本当に苦労したんじゃぞ」
「ああ、俺も聞かされたよ。魔法の勉強も大変だが、家事の方がもっと疲れるってな。お主、あいつが給仕を失敗しただけでえらい剣幕で怒るわ、何度も危険な目に遭わせたそうだな?」
「なにぃ?!」