実在のピアニスト、シュピルマンの自伝に基づいた話。自伝なぞってるだけのような気がしたのはたきがはだけか。
ナチスの陰が色濃くなってきた1939年ポーランド・ワルシャワ。ラジオ局でピアノを弾くピアニストのシュピルマンはドイツのポーランド侵攻によって勃発した第二次世界大戦に家族ともども翻弄される。両親と姉弟妹との豊かな暮らしは、まずゲットーに追いやられることから追いつめられていく。しかし1942年、ワルシャワ・ゲットーの住人が収容所に送られることになった時、シュピルマンはユダヤ人警察の知り合いにただ一人助けられ、ゲットーに戻る。だがゲットーでの労働はピアニストのシュピルマンには厳しく、ポーランド人の友人を頼ってシュピルマンはゲットーから逃げ出し、ナチスの目を潜んで隠れ住むようになる。シュピルマンの脱出後、1943年、ゲットーに残った最後の住民は蜂起したが、ナチスにたたきつぶされる。助け手のなくなったシュピルマンは、さらなる助けを頼って、ナチス陣営のど真ん中に隠れ住むが、1944年ワルシャワが蜂起したことで町は廃墟となり、シュピルマンは廃墟のなかを転々とする。彼の住み着いた廃屋にナチスが司令部を置くが、ソ連軍はヴィスワ河の向こうまで迫っていた。ナチスの司令官ホーゼンフェルトは、隠れていたシュピルマンを見つけるが、そのピアノに心を打たれたか、食糧を与え、自分たちが脱走する際にはシュピルマンにコートまで与える。それから間もなく戦争は終わった。シュピルマンは2000年まで生き延び、ホーゼンフェルトは1952年にソ連の捕虜収容所で死亡したということだ。
で、テーマはなんですか? ホロコーストか、音楽か、ユダヤ人の悲劇か、ワルシャワ・ゲットーの蜂起か、ワルシャワ蜂起か? 1939年から1945年以降まで、シュピルマンの身に起きた出来事が同列にただ並べられているだけでは映画としてはつまらんぞ。あの時代を生き延びた人を非難するのは大変失礼だと思うのだが、批判承知であえて言わせてもらえるならば、人の善意に頼るだけで、ピアニストということ(だけ)で生き延びたシュピルマンをあえて映画にする理由がどこにあるのか? 家族の扱いもいったん収容所に行ってしまったらそれっきりだし(どうやらトレブリンカ絶滅収容所に送られたらしい)、ワルシャワ・ゲットーの蜂起も見てるだけだし、ワルシャワの蜂起も何にもしないし、肝心要のホーゼンフェルトとの対峙も緊張感ぜろだし、結局、なにが言いたかったんですか? もうちょっと取り上げるべきポイントとかしぼってもらわんと、話が散漫だぞ。宣伝ではさんざんワルシャワ・ゲットーの廃墟に一人残ったピアニストが、ナチス・ドイツの将校に見つかって、ピアノを弾いて云々とか言ってるけど、ナチスの将校なんてちょっとしか出てこないじゃないですか。しかもピアノ弾くの1回だけだし。
対するホーゼンフェルトはすごく格好いい。それまで、ナチスの兵士が病的なまでに凶暴な連中ばかりなのに、登場の仕方も印象的だし、背筋伸びてるところもばりっとしてて格好いいし、台詞回しもよろしい。そりゃあナチスのなかにだってこんな理知的な人はいたのだな。そのホーゼンフェルトがラスト、自分が捕虜の立場になってしまって、シュピルマンの同僚に「自分がシュピルマンというピアニストを助けたんだ」と訴えるあたりなど、現実的だぞ。「蜘蛛の糸」のカンダタじゃないけど、たった一つ積んだ善行ってところが逆に人間くさくて良かったと思う。
余談ですが、ワルシャワの蜂起というのは、1944年、ソ連軍が迫ってきたことを知ったポーランド人が、その助太刀を当て込んで占領軍であるナチスに反旗を翻したものの、その動きが共産党系ではなかったという理由でソ連軍はヴィスワ河の向こうで進軍を停止し、孤立したワルシャワ市民が、旧市街をほぼ全壊させられるまで抵抗したけれど、結局ナチスに負けちゃった、という一件。戦後、ワルシャワ市民は旧市街をそれこそ壁のひびまで正確に再現したということです。確かにクラクフの旧市街に比べると町全体が新しい感じでした。
ワルシャワ・ゲットーの蜂起はその前。ゲットー後には記念碑が建っています。
(了)