実家でビデオに撮ってもらい、会社で見ようと思ったらビデオが見られず、会社の人が見るというので、一緒に見させてもらいました。
1948年、広島。原爆で父を亡くした福吉美津江は図書館で働きながら一人で暮らしている。しかし、図書館に原爆のことを調べる木下正という青年が現れた時から、亡くなったはずの父が彼女の前に現れ、恋の応援団長を自認するようになった。戸惑い、大勢の友を原爆で亡くし、自分は幸せになってはいけないのだと思っている美津江はなかなか木下青年の好意に応えられないでいるが、彼が集めた原爆資料のために下宿から追い出されそうになると、つい自分の家に持ってくるように言ったり、助けの手を差し伸べてしまう。父の見守る恋の行方は…。
元々舞台なのか、出演者3人だけ、舞台も福吉家内がほとんどで、木下青年が出るところだけ、図書館だったり、どこかの公園だったり、原爆資料を持ってくる道路上だったり。また、最初と最後に原爆ドームが印象的に入ったり、原爆投下直後の広島の町は実在するフィルム、原爆による火災や原爆投下の3ヶ月後に宮島から帰ってきた美津江が佇む広島の町はCG、原爆の図(丸木夫妻による)なども挟まれ、映画ならではの演出も随所に見られました。福吉家内部にこだわった演出は舞台のをそのまんま引き継いできたんだろうな、と思います。3人以外は台詞もないし。木下青年も台詞3つくらいしかないし。
お父さんのユーモアとおかしさに対して、誰かを愛すること、自分の幸せを否定する美津江の頑なさ、やがて、2人の会話から、なぜ美津江がそういう考えを抱くようになったのかがだんだん明らかになっていくにつれ、キャッチフレーズのように掲げられている「おとったん、ありがとありました」という台詞が悲しく、美しく響き、いや〜、やっぱり原田さんは芸達者ですなぁ。飄々とした父親、戦時中も経営していた旅館を陸軍指定にするなどの図々しいくらいの逞しさが、自らの原爆体験を引き写すかのように「ヒロシマの一寸法師」を語り始めた時の激しさ、そしてクライマックス、美津江が己の幸せを否定する本当の理由を語り、父として娘を説得する、説得しようとする激しさ、思いの深さ、熱さ。途中でくすりと笑ったり、訥々と涙がこぼれたり、その父親像がうまいなぁ。それに「おとったん」って響きがすごく優しいです。「お父さん」ではかっこつけすぎ、「お父ちゃん」ではちょっと子どもっぽさもある。「おとったん」、この響きがすごく切なくて優しくて、好きです。ちなみに広島弁なんだろうと思うのですが、母親のことは「おかったん」と言うのでしょうか? 「おっかさん」?
で、たきがは、申し訳ないですが、宮沢りえさんはどうもアイドル時代のイメージが強くて「どうかな〜」とこのキャスティングを疑問に思ってたんですが、全然杞憂でした。お上手になったなぁ。一見、原爆で父も友も失って天涯孤独の身になったけれど、溌溂と生きているように見える美津江、その、すぐ皮一枚の裏で癒しきれない傷痕を抱えているところや、一歩踏み外すとあっという間にがたがたになってしまうところなど、複雑なキャラクター像をきちんと作り上げておいででした。
美津江の不安な気持ちを象徴するかのようなピアノのソロの挿入、登場シーンが3回しかなく、表情もない木下青年の、美津江の台詞から察せられる優しい気遣いなども、良い演出でありました。
で、同じ黒木監督の遺作となった「紙屋悦子の青春」を夏に見に行きました。そちらが良かったもので、この映画にも興味を持ったわけですが、亡くなられたことが改めて惜しまれる監督さんだなぁと思いました。
(了)