「星を見る人」

「星を見る人」

「ジャック、あなたの客人とはいえ、あの娘、日がな一日中、寝てばかり、このままでは部下たちの仕事に差し障ります。何とかしてもらえませんか」
「客人が一日中、寝ていようと、それは彼女の勝手というものです。そんな気の利かないことを言うのは誰ですか? わたしの船にそのような無粋な乗員は要りませんよ」
「ですが、ああもところかまわず寝ていられては皆の目にもつきやすいのです。せめて邪魔にならぬよう、あなたから言ってください」
「困った人ですねぇ、カラドック。あなたがわたしの副官になって何年になるのです? それぐらいのことならば、あなたから言えばいいでしょう」
そう言いながら、〈何でも屋〉のジャックがようやく腰を上げたので、カラドック=ブリフブラはともに船長室を出た。先頭に立ったジャックは、さほど捜し回ることもなく、樽の上で寝呆ける赤銅色の髪の娘の前にやがて立った。
鎧といえば、傷だらけの胸甲を身につけただけの軽装だが、右側に一振りの曲刀を抱え込んでいる。一見、無防備な寝姿だというのに、2人が近づいていくことを察したのか、目を開けた。
「お休みのところ、大変申し訳ありません、グランディーナ。ですが、場所を変えていただいてもよろしいでしょうか」
「邪魔をしていたか。それは悪いことをした。どこにいれば、あなたたちの邪魔にならないだろう?」
乗船する時に船員たちと一緒の寝床でもいいと言い出したのは彼女の方だ。しかし、男ばかりのなかにうら若い娘を入れるのは双方のために良くない。カラドックの反対で、その話はおしゃかになった。
しかし、〈何でも屋〉の帆船ファイアクレスト号には、長期にわたって客人を置いておける客室もなかった。
ジャックと同室という案も出されたが、それは彼女の方から断ってきた。
それで結局、好きなところで休む、という話に落ち着いたのだが、いまはそれが問題になっているのだ。なにしろこの娘、寝るところを選ばない上に、皆の作業をよそに一日中、眠りこけていたからだ。しかし、彼女を乗せたのはジャックの意向なので、働けというわけにもいかない。
「ならば、主帆柱のてっぺんなどいかがですか?」
ジャックが言い、グランディーナとカラドックはそれぞれに振り仰いだ。
「ですがジャック、あそこは見張りをするところであって、寝るようなところではありません」
「見張りも彼女にお願いすればいいでしょう。彼女は誰の邪魔もしない。彼女も誰にも邪魔されない。一石二鳥ではありませんか」
「わかった」
カラドックがグランディーナを見るまでもない。彼女は樽を下り、帆柱の方に歩いていく。
主帆柱の高さはこの船の場合、40バス(約12メートル)もある。見張り台は高さ35バスのところだが、人1人がやっと座っていられるような狭さだ。そんなところで寝るなんてとても正気の沙汰とは思われない。
「皆さんの当番は彼女のいるあいだ、お休みということにしましょう。あなたからそう伝えてください」
「待ってください。先に見張りの者に下りるように伝えねばなりません」
2人を追い越して、カラドックは主帆柱に急いだ。見張りの者を下ろして船長の言葉を伝えると、すぐに立ち去ろうとせず、見張り台で寝ようなどと言う数奇な人物を見ようと待っていたぐらいだ。もっともそれがグランディーナだと知ると、さもありなんという顔をした。
見張り台に昇るには、甲板から張られた網をたどっていけばよい。グランディーナは腰に曲刀を提げ直すと身軽に昇っていった。このような帆船に乗るのは初めてだと言っていたが、とてもそうは見えない動きだ。やがて見張り台に着くと、下からは風にあおられる彼女の髪しか見えなくなった。
落下防止の柵も見張り台にあるにはあるが、風はいつも吹いているし、柵だって体重をかければ長くはもたない。お世辞にも寝心地がいいはずはなかった。
しかし言い出したのはジャックだし、承諾したのはグランディーナだ。カラドックは彼女の身を案ずるのをやめて、皆に主帆柱の見張り当番をしばらく中止する旨を伝えた。
部下たちはこのことを歓迎したが、何人もが主帆柱に昇っていったグランディーナの姿を目撃しており、その身を案じた者も少なからずいたのである。
それからというもの、グランディーナは主帆柱の見張り台に昇ったきり、三度の食事の時ぐらいにしか顔を見せなくなった。下手すると、彼女ときたら、その食事の時間さえ忘れている。
カラドックも含めて、皆は主帆柱を見上げ、彼女の髪が翻っているのを見て、何とはなしに無事を確認し、安堵しあった。
けれど彼女に、たまには甲板に下りてこいと誘うような者もいなかった。グランディーナにはそういう親しげな声をかけられることを端から拒絶している節があったからだ。
ファイアクレスト号の乗組員は陸に上がらない限り、武器など携帯しない。ジャックの用心棒のバンだって、船に乗っている時は愛用の長槍もしまい込んでしまう。だから、ジャックからせしめたと噂される、床に引きずりそうな曲刀をいつも身に帯びたグランディーナは、商人とも船員ともまったく毛色の違う人間だという理由もあったのだろう。
あるいは彼女が最初に申し出たとおり、船員室で寝泊まりしたところで実は大した問題など起きなかったのかもしれないと、カラドックはいまになって思ったりもするのだった。
そんなわけで、ある夜、主帆柱に昇っていく人影が目撃されても、それがねぐらに帰るグランディーナだと思った者がいても何の不思議もなかった。
もっともそれは彼女などではなく、船長の〈何でも屋〉のジャックその人であったのだが。
春が近いとはいえ、冷たい風が吹いていた。そもそも屋外で休むような季節でさえない。ましてや夜になれば、よほどのことがない限り、たいていの者は屋内で休むことにするだろう。
しかしグランディーナときたら、襤褸(ぼろ)に近い外套にくるまり、身体を丸めているのがやっとの見張り台の上で、器用にも眠っているようだった。
だが、ジャックが声をかけるより早く、彼女が目を覚ましたのは気配で察せられた。
「こんな時間に何か用か?」
「お休みのところを起こしてしまって申し訳ありません。ですが、こんな時間でもないと、あなたとゆっくりお話しする機会もないものですからね。それにしてもここは寒い。わたしもああは言いましたが、夜までいらっしゃることはないのですよ」
「どうせ寝ているだけだ。下にいてはあなたたちに迷惑をかけるようだし、見張りとして少しは役に立つつもりだが?」
「その点につきましては、わたしも異論を挟む余地はないと思っておりますがね」
「ヴォルザーク島にはどれぐらいで着く?」
「まだ1ヶ月以上かかります。気が急きますか?」
「焦ってもしょうがないのはわかっている。でもゼテギネアに戻るのは5年ぶりだ」
「あなたの歳で5年は長いでしょう。なぜ、そんなに戻らなかったのですか?」
彼女は一瞬、答えるのを躊躇(ためら)ったようだったが、言葉を選んで答えた。
「どうしても探し出したい情報があったのだが、とうとう見つけられなかった。ゼテギネア帝国と戦えと言われたのはそんな時だ。潮時だと思った」
「そんなに難しい情報ですか? わたしでお力になれることがあれば、是非、お役に立ちたいのですが、話していただけませんか?」
しかし、彼女は黙って首を振った。ジャックの方でも、グランディーナの反応から、そう簡単に話すとは期待していたわけでもない。
「ならば、おしゃべりをさせてください。あなたの話しやすそうなことをね」
「たとえば?」
「ゼテギネア帝国と戦えと言われた、とあなたは仰いましたが、容易に口にできることではありませんよ。その自信はどこから来るのですか?」
「私も1人で戦えるとは思っていない。だけど、その旗印になれと言われれば、何にでもなる。ゼテギネア帝国を倒すのが私の目標だ。どんなことでもする」
「ですが、あなたはゼテギネア帝国の時代しか知らないのではありませんか? それがなくなってしまうのがどのようなことか、失礼ながら、ご存じとは思えませんが」
「国の形ならば、あちこちで見てきた。ゼテギネアに拠る意味などあるまい。それに帝国には私怨がある。戦う理由など、ほかに要るとも思えないが?」
「それではゼテギネア帝国を倒してどうするのですか? あなたが国を興しますか?」
「そんなことは考えたこともないし、私にできるとも思えない。私は戦争屋だ。壊すのは得意だが、創るのは苦手だ。それに国を興したがる者など、私がやらなくてもいくらでもいるだろう」
「権力に興味はないと仰るのですね?」
「ない。担がれるつもりもない。帝国を倒したら、そんな面倒なことになる前にゼテギネアを出ていく」
「それは寂しいことですね、グランディーナ」
彼女がまたしても答えるのを躊躇ったのは、ジャックの言ったことをまったく予期していなかったからだろう。
「何が、寂しいって?」
「せっかく、あなたがゼテギネア帝国を倒しても、大陸のその後を見ることができないとは、寂しいではありませんか」
「そうでもない。私がぐずぐずしていたせいで余計な争いが起きてしまったら、その方がよほど辛い。寂しいなんて感傷だ」
「まるで起きると確信しているみたいな言い方をするのですね」
「確信なんてない。ただ、そうなってから後悔するのが嫌なだけだ。引き際を誤ったために国を滅ぼした者を見た。同じ轍(てつ)は踏みたくないし、それでは帝国を倒した意味がない」
「だからわたしは寂しいと言うのですよ。なぜ、あなたはそんなに先のことを見ているのですか? 誰もあなたと同じものは見ない。あなたはそれでよろしいのですか?」
「そう言われても、これが性分だからな」
「それにです。少なくともわたしは、あなたのいないゼテギネアに興味はありませんからね」
彼女が答えるまでにずいぶんと間があった。ジャックさえ、もしや彼女が寝てしまったのではないか、と疑ったほどだ。
「あなたは、おかしなことを言うのだな」
「何を仰いますか。わたしはいつだって大いに真面目なんですよ」
グランディーナは笑ったが、それきり黙った。
「どうしました? わたしはまさか、あなたの機嫌を損ねるようなことを申し上げましたかねぇ?」
「いいや。あなたの言ったことがおかしくて。すまない。よりによって、この私にそんなことを言う者がいるなんて思ってもいなかったから」
「ご要望とあれば、いくらでも申し上げますよ?」
「よしてくれ、がらじゃない」
「わたしはそうは思いませんがねぇ」
しかし彼女は首を振り、今度こそ黙り込んでしまった。星を見上げたきり、何も言わなかった。
やがて、グランディーナが本当に眠ってしまったことに気づくと、ジャックは帆柱から下りたのだった。
それからも彼女は見張り台に昇ったまま、滅多に下りてこなかった。その徹底ぶりに、カラドック以下、船員たちは驚き、呆れたが、幸い、荒れた天候も少なく、船はヴォルザーク島に向けて順調な航海を続けていたので、彼女の存在まで、ともすれば忘れられてしまいかねなかった。
しかしある日、グランディーナは突然、主帆柱を下りてくる。
それがこの船を襲う災難の始まりだと、気づいた者はジャックのほかにはいなかったほどであった。
《  「幽霊船」に続く  》
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