「機動武闘伝Gガンダム」今川泰宏総監督、Gガンダムを語る! 第3回
このGガンダムっていう作品は…、言ったら笑われるかもしれないけど…、ラブストーリーだっていうのがあるんですよ。
前回12話で漏れてた事として、最終巻で付ける話なのか、または16話まで見れば分かる話かも知れないと…。
マスターは最初ドモンを仲間に引き込もうとしますよね。何故だまそうとしたか…。本編の中では説明しなかったんだけど。12話で割愛しているシーンとして、ドモンが「お会いしとうございました…」。その後にマスターが都庁の上で「そうか。そんなことがあったのか」というセリフになってますよね。実は6話で紹介しているデビルガンダム事件のことをマスターはあそこではじめて聞かされるわけなんです。二人の再会っていうのは、あの時のマスターにとっても驚くべき事であり、ドモンにとっても驚くべき事であったと…。ドモンとマスターの関係っていうのは、あの瞬間、一種の歯車が狂ったんだと。あの出会い! 絵コンテのときにも自分から出た! 出来た! Gガンダムの運命を決めた感触のとおりに!っていう…。あそこはストーリーの中での非常に重要な瞬間であった訳なんです。だから24話で「貴様さえ、あの新宿に現われなんだら…」っていう…。このセリフは45話でも言ってるんですが…。お互い本当に知らなかった。マスターにとってもビックリする、凄い計算外のことだろう。もちろん、弟子との再会は嬉しい。でも、デビルガンダムを利用して起こそうとしている自分の計画にとっては厄介な者が降りてきた。つまり人類抹殺ってことを考えるなら、地球にいる限り弟子のドモンも殺さなければならなくなる。それなら仲間に引き込むしかないのか? ドモンに前回大会の話なり何なりをして、自分の考えを全部話すことが出来たであろう。しかし、今のドモンの状況を聞いてしまった以上、これは話すことは出来ない。結局、その話をした瞬間に袂を分かつことになる訳ですよね。いかにしてドモンを味方に引き入れるか…、だまくらかすと言うかね。マスターの選択はこれだったんです。だから、高層ビルにパンアップするまでの説明の時間っていうのが、物語の中では省略されているシーンだけれども、実はそこが一番の問題のシーンだったんです。もしあのシーンを描いたとしたらね、聞いている間にマスターの表情が変わっていく筈なんです。今言ったようなことは物語の最後の最後まで紹介してないんです。Gガンダムっていうのは子供向けにした分、状況説明的なセリフが多い訳なんですよ。ただ、このことに関してだけは最後の最後まで説明せずに…、心境としてね。「会わなんだら…」っていうマスターの気持ちの口惜しさだけで討ったセリフだと。説明をしてないのをここでフォローしたいんじゃないんですよ。あの描けなかった…、描きたくなかった部分。わざと描かなかった部分をLDのライナーノートの中で逆に紹介しておこうと。もう全部作り終わった後だから
*1。逆に見終わったものとして言えることなのかなと思って。本来は最終巻で語るべきことなのかもしれませんが…。
あとシュバルツの出現。44話でゲルマンファイターを母体としていることになってるんだけど…。はっきりとした裏付けになるようなシーンは作っていないんですが、キョウジは恐らく16話あたり…、いや12話の寸前ですかね。そこら辺りまでは若干自分の意識というものを持っていたんだろうと。あの辺りでシュバルツっていう存在は生まれたんだ、っていうふうに考えておきたいんです。16話の辺りっていうのは、それから後の話のキャラクター大集合っていうかね、物語の第2の発生かなと。偽の事件ではあるけれど物語の根底が6話ならば、人間関係の完成が16話かなっていうね。シュバルツっていうのはいつからいたのかっていうのは、僕なんかは16話から生まれたっていうふうにしておきたかったな。レインがあそこに来ましたよね。おそらくあの辺りで生まれたに違いないんじゃないかな。デビルガンダムのいた辺り…、あの辺りから出現し始めたんじゃないかなと。そしてキョウジはシュバルツに後を託して完全にデビルガンダムのユニットと化してしまう訳なんです。
Q そのシュバルツ・ブルーダーの名前の由来っていうのは、「ロミオの青い空」の原題「黒い兄弟(シュバルツ・ブルーダー)」からとったものなのですか?
それは完全な偶然ですね。偶然も何もね…。ネーミングを決める時は文芸の北嶋(博明)君に、各国のよくある名前や、有名な名前、それから物語に合った単語を拾ってきてもらって作っていったんですよ。正直言ってキャラクターのネーミングっていうのはあまりこだわらなかったんです。こだわったのは本当にセイットぐらいかな。物語として、あれは兄の分身であるっていうのを前提にしていたんで、まず、兄弟という意味の“ブルーダー”。それと影。“シュバルツ”には黒以外に影っていう意味があるんですよ。当時、“ミラージュ”っていう候補も上がってたんです。鏡っていう意味でね。鏡に映った影…、シュバルツ・ミラージュとかっていうのも候補に上がってたんですよ。シュバルツ・ブルーダーっていうのは、まず僕が無知なせいもあるんだけど…、何となく名前に聞こえるっていうね。なおかつ、物語の設定上ぴったりの意味ではないかと…。ミラージュがあがった理由は44話でセリフでも言った「鏡に映った影」だと。鏡というのもポイントだったんです。
Q それではシュバルツ・ブルーダーのキャラクター的なモデルもいないんですか? 描き方などに特徴がありすぎてモデルがいそうな気が…。
それもねえ、ないんですよ。やっぱりただの忍者なんですよ。もし自分がまたガンダムというタイトルをやるんであれば…、この企画の前の段階から参考にして呼んでいたものがあって。「Gの影忍
*2」っていうマンガがあるでしょう? もしガンダムをやるんだったら僕はあれをやりたい。あれは僕の世界だなあ。あれがやりたいんですよ。つまりね、僕はファーストガンダムって言うタイトルにもこだわってないし、これに続く戦争モノ全般のガンダムにもこだわってないんですよ。ただ「Gの影忍」をやれるんであれば戦争モノのガンダムをやってもいいなって思ってるんです。まあ二度と僕のところにガンダムの仕事の発注は来ないだろうけど(笑)。
とにかく忍者を入れたかったんですよ。各ファイターの技などにそれぞれ自分の国の特色を持たせてますよね。そのときにドイツってなぁ〜に?って言った時に、ドイツにもレスリング風の国技がありますよね。でも、あまり代わり映えしないんですよ。例えばチボデーなんかは、ボクシングっていう正当的なもの。レスリング関係に関してはアルゴに集まるんですよ、イメージとしてね。だから、ここであまり似通ったものは出したくない。一番あとから出て来たキャラクターだから最もインパクトの強い分野にしておきたかった。それで、忍者しかないんじゃないかと…。ドイツが何故、忍法使うんだ? いいんだ、ゲルマン忍法だ! あるのかそんなもの? あるんだあ〜(笑)ってね…。Gガンダムで、あると言えば全てあるんだあ〜。と、それぐらい力強くいこうってことで。ゲルマン忍法っていうと嘘でも力強いよなっていう。ひとつだけやりたかったのはね、もうウソ臭い忍者をやりたい! 僕ら日本人が考える忍者じゃなくてアメリカ人が考える忍者。「できねえよ、こんなこと。日本人はこんなの忍者だと思ってないよ」っていうようなウソ臭い忍者。日本人がキナ臭せえなあ、インチキ臭えなあと思うような忍者を描きたかったんですよ。だから、もしモデルがあるといえばアメリカ映画の忍者だと。
Q 舞台が新宿からギアナ高地へと移って行く訳ですが、何故ギアナ高地という場所に設定されたのですか?
まず、何故12話からが新宿かって言うと、毎回世界に行ったら背景が、設定が大変だと(笑)。おまけに私が映画のこれとこれとと持ってくる。場所をひとつにしてほしい(笑)と、そういう要望があったんです。世界各地に行くガンダムを作れといわれて、ちゃんと言うとおりに作ったら何故、今度はひとつにしなければならないんだと。次に新宿からギアナに来たわけですけど、この時は新宿は大変だ(笑)って。新宿にしたら、お前は凝りすぎる。もっと楽にしてくれって。砂漠と密林どっちがいい?って言うんで、それならせめて密林ギアナがいい。最後は香港で統一(笑)。こんな裏話があるんですけどね。
密林といえばギアナ。僕の場合はアマゾンよりギアナなんですよ。実は私が不参加になった某アニメーションの企画段階で、舞台イメージの参考とした場所のひとつがギアナだったんですよ。それで印象的に覚えていたんです。とにかく作業が楽な場所が必要だったんですよ(笑)。
Q そのギアナ高地で修業している姿を見るまでは、ドモンがマスターと同じ流派の武闘家とは考えづらかったんですけど…。
そう、全然違いますよね。ただ、ひとつだけ理由はあるんですよ。ドモンが布を使ってみたらどうかっていう考え方も確かにあったんです。ただマスターが出て来たときにインパクトの強いキャラクターにしたいという事で…。今までに見せていないものを12話で描かないといけない。しかし、同じ流派の人間としての設定でいかなければならない。なおかつ今までドモンが、ドモン以外の者もしていないことをマスターがしなければならない。これは自動的に格別差がでちゃうと。それでいいのかな?っと、僕も思ったんですよ。もちろん、12話でドモンと同じ技をより強烈に使う奴が出た! こやつ何者!?っていう興味を引く方法もあるんですが、それをやらないとキャラクターとしての格差が見えないと思った訳なんです。敢えて、同じ流派なんだけど画面に見えるアクションとしては表現しないということを前提としました。おそらくカメラが向いてないときは同じポーズをしているのかもしれない(笑)。ドモンはドモンで1話から培ってきたものがあるから、それはそれでいってしまおうと。もっと言ってしまうとね、そういうことをやりだすと流派の型を作らなければならない。絵コンテ、または作画の段階でもいろんな要素が非常に限定されちゃうんですよ。流派のポーズをとらないといけないということは非常に辛いことになってくるなと。どちらかと言うと、僕はコンテ的にも原画的にも元気よくやってほしかったんで…、みんなに発想して欲しかったんです。その場でかっこいいポーズだったら何んでもいいよと。だから結構、いろんなかっこいいポーズをその場で作ってくれてるしね。言わば流派・東方不敗は型を持たない流派! 臨機応変、その時の都合で変化していくアドリブの多い私の演出のようなものです(笑)。むしろポーズを必要とするのは少林寺のサイ・サイシーなんですよね。だから、拳法ポーズを決めるのはサイ・サイシーのお株にしたんです。
Q ではドモンにも最初から闘う時に道具を持たせる予定はなかったのですか?
マスターが出てきたときにそういうことを初めて考え出したんですよ。それがよく出ている筈なのが26話以降の各国ファイター達なんです。だからマスターもあいつらといっしょなんですよ。特技を持たせるって言うのが、実は私は大好きなんですよ。しかし、第2回でも言った今川カラーの排除という前提があったので、ドモン達にも持たせなかった訳なんです。だから12話で約束を破ってしまった瞬間に、自分の大好きなアイテム技というものが生まれてしまったんです。そういう流れがあるんですよ。作品世界の中で肯定付けたことが、作業論の中でも同時に肯定できたものなんですよね。約束破って個性でやっちゃおうと思っただけではなく、実はその中でそういった理由もちゃんと含んでいたんです。
Q 特に23話が印象的なんですが、シャイニングガンダムはスーパーモードのときに何故金色に輝くのですか?
6話のときにはじめて光らせたんですけど、あれはただ単に絵からの表現だったんです。何故金色にしたかと言うと、ノーマルモードからバトルモードへ変型しますよねえ。さらにバトルモードからスーパーモードへ…。この差が分かりますか?っていう。変型したことが見せにくかったんですよ。1話から5話までのコンテをきってた時も、バトルモードに変型しても口が開くだけ?っていうようなね。腕のカバーが上がってもシルエットとして変わらないんですよ。アニメーションの中でロボットなんか特にそうなんだけどシルエットが大切なんです。でも、シャイニングガンダムはアニメーション的に二段変型のシルエットが最終的に変わりきらなかった。オモチャを非難してるわけじゃありませんよ。でも、最強のスーパーモードになりましたって時にね、ぱっと見てあんまり変わってないように見えるなと。それが6話のとき僕にとって一番の問題だったんですよ。あのままでは子供にインパクトを与えられない。それで色まで変えちゃったんですよ。とにかく自分がやっているアニメのオモチャを子供に喜んで買ってもらいたいと思っているので…。実はねえ、何故金色かっていうのはね…、黄金聖闘士(ゴールドセイント)だって言ってたんですよ。「聖闘士星矢
*3」の黄金聖闘士って売れましたよね? 何故っていうと、カッコイイじゃん金色でっていう。子供が欲しがるのは当然じゃないかと。6話のときひとつだけ抵抗があったのは、スーパーサイヤ人にならないようにっていう…。だから中のドモンは赤なんですよ。外は金色なのに何故、中は赤なのっていったときに、理由としてはまだ悪いドモンだからっていうね、怒りの表現としての赤なんだと。お話しの中で本当のスーパーモードになったときに心技一体でメカと同じ色になれるのよっていうことで最後に金色になれるんですよ。だからドモンが一番強くなるっていう状態を上手く見せたいなと。だから6話ではまずメカが強くなり、23話ではドモンが強くなる。金色っていうのは表現の段階もあるしカッコイイよねっていう。子供がストレートに一番カッコイイ!って思えるものにしておきたかったな。
Q なるほど。それではシャイニングガンダムは腹に刺さったマスターガンダムの腕からDG細胞に感染しないんですか?(24話)
あれはねえ、単純なんですよ。設定としてはデビルガンダムは感染させることは出来る。しかし、感染者からは人を感染させることは出来ない。という理窟を一様たれておこうかなって言うのがあるんですよ。理由はただひとつなんです。あのままカッコヨクしておきたかった…。つまり新オープニングでも置いてありますよねえ…。今回の設定上、今までのガンダムだったら2号機に乗り換えて…、2号機乗り換えのアニメってサンライズ作品でも見られるラインですよね。ファーストガンダムに始まる物語の世界だと、1号機と2号機が同時に出ることが可能なんですよ。ガンダムファイトの場合はどう考えてもそれが出来ないんですよ。シャイニングガンダムが画面の中に出てこれなくなると…。っていうことは自動的にシャイニングガンダムの商品価値が無くなっちゃうってことなんですよね。それでねえ、オープニングに置いた理由って言うのは、この後も売れて欲しいな…っていう。やっぱり、子供にとっての「カッコよかったね」っていうのもあるし、1号機は当初、非常に苦しんだメカだったと。嫌うんじゃなくて非常に愛着を持ったんですよ。出来ればきれいに置いといてあげたいなっていう…。だからとても印象に残るシーンで、印象に残る絵でじっとそのまま置いといてあげたいなっていう理由なんです。ゴッドの後にシャイニングありっていうような感じで見せておきたかった。なおかつ、ああおいうきれいな絵で置いとけば…、一時期はやったプラモデルの改造ブームもありましたよね。いろんな理由でシャイニングガンダムを売り続けることができるんじゃないか…。今回はこのオモチャが欲しい!っていうほど、子供にガンダムを好きになってもらいたかった。それだけだったですね。その時にただうずくまっているよりは腹に突き刺さったままのほうが、こりゃロマンだぞっていう(笑)。
Q シャイニングガンダムを抱き上げたゴッドガンダムの構図は、マジンガーZとグレートマジンガーの関係を彷彿とさせますが?(24話)
よく言われるんですよ「ロボットアニメの王道だあ!」とか。だけど俺はこの絵は見たことないはずなんだけどなあ、と思って。この絵は果たして初なのか2回目なのか? これは僕も気になるところではありますね
*4。僕は「マジンガーZ」を知らない訳でもないし、嫌いだったわけでもない。ある程度は見てました。だけど、今もロボットアニメに燃えて「これはマジンガーだ!」っという方たちほど愛着はないんですよ、ファーストガンダムと同じで。だからねえ、マジンガーを意識したっていう気はないんですよね。ただ物凄く気になってるところではあるんですよね…。
あの絵は、ただ単に自然に出てきた絵なんですよ。だから今言われてもグレートマジンガーがマジンガーZを抱き上げている姿があったかどうかは思いだせませんっていうね。みんながイメージ抱いた夢の姿っていうのが描けたんじゃないかなと思いましたね。あれはただ単に女を抱く男だっていうコンセプトでしかないんです。あのときのシャイニングガンダムはレインなんですよね。1号機でも2号機でも何でもない、男と女の世界なんですよ。だから、それまでのシーンの流れがあるでしょう。あの流れ全部がそうなんですよ。実は、このGガンダムっていう作品は基本的に誰もそう思ってくれないし、自分自身上手く出来たかどうかは不安だし…。言ったら笑われるかもしれないけど…。僕はとにかく女を描くのは苦手だと。苦手というか、あんまり演出やってて女を描こうと思わないんですよ。だから恋愛もののストーリーはほとんどやってないですよね。いつも俺がやるのはジジイが出て来て男の世界だと。唯一好きなのは未亡人とか、そういうのが出てくると燃えるんです(笑)。物凄くスタンダードな男と女の関係は描いたことがない。Gガンダムのコンセプトっていうのは実は…、ラブストーリーだっていうのがあるんですよ。これはやっと最終回で出来たかなと…。実はGガンダムでの僕の目的っていうのは、はじめてラブストーリーをやってみたい。でもヘソ曲がりなのか、ただの下手クソなのか結局こうなっちゃうと。その中で24話っていうのはかなり露骨に出た部分っていうのもありますよね。なかなか出来ない、やりきれなかった男と女の話しをロボットでやりたかったと。ラブストーリー書くのも男と女がキスをしてね、抱き合ってねっていうのだけがラブストーリーじゃないでしょう。心のふれあい、重なり合いっていうのをロボットで描いてもそれは感じてもらえるんじゃないかな…。僕が凄くあそこが好きなのはシャイニングガンダムが女ガンダムに見えると。それまで男があれだけガンガンやってきたにも関わらずね…。
- 1
- このインタビューは最終49話のアフレコの二日後に行なわれました。
- 2 Gの影忍
- 月刊コミック誌サイバーコミックス(バンダイ)で'89〜'90にかけて連載された、こやま基夫によるガンダム外伝コミック。白土三平描く忍者マンガのエッセンスをガンダムワールドに導入、忍者MSを駆る忍の闘いを描いた大胆な作品。今でも単行本(発行:メディアワークス 発売:主婦の友社)は入手可能。
- 3 聖闘士星矢
- '86〜'89にかけて週刊少年ジャンプ(集英社)にて連載された車田正美原作のコミック。この場合は、ほぼ同時期に東映動画で制作、テレビ朝日系列で全114話放映されたテレビアニメ作品の事。黄金聖闘士とはアテネを守る黄金聖衣をまとった最強の戦士団の通称。忠実に再現された玩具は当時の子供達にとってのステイタス・シンボルとなった。
- 4 マジンガーシリーズ
- '72〜'76にかけて東映動画制作、フジテレビ系列で放映された永井豪原作による巨大ロボットアニメシリーズ。「マジンガーZ」「グレートマジンガー」「UFOロボ グレンダイザー」の三作品を“マジンガーシリーズ”と読んでいる。問題のマジンガーZとグレートマジンガーの共演は、「マジンガーZ」最終92話、「グレートマジンガー」53〜最終56話、そして'74に劇場公開された長編映画「マジンガーZ対暗黒大将軍」の計6回。だが、全てのエピソードに於て該当するようなシーンは確認出来ない。一部では、「マジンガーZ対暗黒大将軍」の宣伝用スチールとして存在したという情報もあるのだが確証は取れていない。ここでは仮説として「マジンガーZ」38話『謎のロボット ミネルバX』を上げたい。ミネルバXとはマジンガーZの生みの親、兜十蔵博士がZのパートナーロボットとして設計した自己判断が可能な女性型ロボット。その後、数奇な運命を辿ることになるのだが、話のクライマックスで機能を停止したミネルバXをZが抱き上げるシーンがあるのだ。同じデザインラインを持つロボット同士、さらにこの場合は本当に女性型ロボットなのだからこれがオリジナル?とも思えるのだが…。
- 補足
- 第11話「雨の再会…フォーリング・レイン」の画面イメージにユルマズ・ギュネイ監督の「路」が画面イメージの助けになった話は第2回でも語っていたとおり。しかし、ここにもうひとつ演出面でのイメージに非常に貢献した作品があった。それがフランスのポップスシンガーJEAN LOUIS MURATの「Le Manteau De Pluie」というCDアルバム。日本語のセリフで始まるこのCDを聴きながらの作業は、大いにイメージを掻き立てられたとのこと。さらに今川監督はジャケット写真の男性(JEAN LOUIS MURAT本人)の眼差しに刺激を受け、キャラクターデザインの逢坂浩司氏にこの写真を持参して発注。見事なまでに監督のイメージどおりに仕上げられたキャラクターがセイットなのである。11話はシリーズ前半の世界行脚編を「完結出来た」と語る監督お気に入りのエピソードなだけにファン必聴のCDと言えよう。品番はVirgin 30865。国内版は未発売と思われるので、輸入レコード店を探せ!