「機動武闘伝Gガンダム」今川泰宏総監督、Gガンダムを語る! 第6回

「機動武闘伝Gガンダム」今川泰宏総監督、Gガンダムを語る! 第6回

本当に生きている人間の、死に際の悪さを入れておきたい…。これでマスターの人格が完成するんじゃないか? それが狙いだったんです。

−−−第5回の続きですが、シュバルツは何故レインにも覆面を被せたんですか?
ネオドイツの人間だから!(笑) 実はね、41話でドモンがシュバルツが収容されている病院に行くと、ネオドイツの人間がみんなあの覆面を被っているっていうのはどうだ!っていう話が本当にあったの。ミカムラ博士を向かい入れた医師団もみんなあのマスクしてる。ネオドイツってのはこういう国なんだってね。でも、そこまでやったらドイツから絶対抗議がくるゾってね(笑)。でも一応、ネオドイツのクルーはみんなあの格好をしているんですよ。そう考えなくちゃいけないんですよ!
−−−(笑)。でもシュバルツは最初から覆面ファイターとして現われたって言うじゃないですか?
最初から覆面ファイターですよ。あの覆面に切り替えた。最初は違う覆面を被っていた。ガンダムファイターになったあとで正式なマスクにしたんですよ。
−−−なるほどね(笑)。それでは、デビルガンダムのパイロットの役割とは何なんでしょう? プログラム暴走前は操縦者、新宿やギアナ高地ではマスター、ランタオ島ではウォンが外部から操っているように思えるんですよ。それと生体ユニットにはどんな役割があるのですか?
デビルガンダムには自動プログラムもあれば、操縦席ももちろんありますよ。ようはどんな機械だって人間が乗らなければ動かないっていう原則を守ってるんです。メカニックの原則はここだと思うんですよ。工作機械には自動機械っていうものがありえると思うんですけど、人が操縦するものに関しては人間が操縦席に居て初めて完成型になるんだ。飛行機なんかもそうですよね。自動操縦装置があっても、パイロットは乗り込みますよね。あの関係だと思って欲しいんですよ。だから、デスアーミーのゾンビ兵っていうのもメカには必ず人間、生体を元にしたコンピューター、すなわち生体ユニットが必要なんですよ。だからデスアーミーには全て人間が入っていたわけなんですよね。生体ユニットは必要不可欠なものなんですよ。動かすときの、メカの部品の一つなんですよ。その部品が一つでもなければダメなんだってことなんですよ。
−−−車のキーのような?
そうそう。引っかかっていなければ動かないわけなんですよ。ただ、デザイン的にはキョウジをゾンビ兵にするわけにはいかなかったんで多少は分けましたよね。
−−−キョウジの意識とシュバルツのそれが同一のものならネオ香港に来てからのシュバルツは衰弱していなければならないのでは?(44話)
違う違う。共通じゃなくて、それは、最後に死ぬときは同時に終わる。あれは感触ですよね。ただ記憶としては、シュバルツを作り上げたときから記憶は二つに分かれてしまうんですよ。これ以前の記憶は同一、しかし、これ以降は別々なんですよ。でもお互いは一体。背中をくっつけ合わせているようなものなんですよね。見るものは違う。でも、心は一つ。テレパシーで繋がっているわけではないんですよ。
45話でね、意識してやった訳じゃないんだけど、僕のナマのセリフがあるんですよ。チボデーの「これはもう、俺たちの入れる世界じゃない」と、サイ・サイシーの「オイラたちが一年間、夢見た瞬間だから!」。あれはね、俺がコンテでやることを誰にもジャマさせんぞ!って(笑)。俺が一年前にこのGガンダムを考えたときからやりたかった話なんだ。俺が描きたかった瞬間なんだ。あれは俺のセリフだ! 「俺のセリフ集」といって(笑)作品の随所にあるんですよ。
−−−42〜44話の描写を見るとシャッフルの仲間は死んじゃったと思ってたんですが? 恵雲、瑞山は拝んでるし、チボデーはジェームス・ブラウンよろしく、国旗掛けられてるし…。
あそこは考えたんだあ。国旗を掛けられて死んでるってのはいいなあと思って。
−−−このあとの話、どうするのかと思って…。どういう意図なんですか?
いいのよ、いいのよ。意図も何も、ただ騙したかったのよ(笑)。ただ、盛り上げたかっただけなの(笑)。
これはね、あの話1本のためなのよ。Gガンダムっていうのは基本的に一話完結っていうのを目指しているわけですよ。だから、どれ見ても話は続いているけど、1本1本終わらせてるでしょ? 例えば、あのへんの話っていうのは1本終わらせた後に続くんじゃなくて、次の話の前段階をやってるだけなんですよ。1本の完結性としてシュバルツの話を盛り上げるためには、やっぱり今ドモンの置かれている現状と言うものを描くには、死んでるよーに(笑)見せかけたかった。ドモンがどれだけの道を歩んできたか。実はね、正直言ってあれは「リングにかけろ*1」をやっただけなの。あれは、あの作品に代表される演出手法だと思ってます。死んだと思った人間が後から生き返って来るのは、一種の快感ではあると思うんですよ。これは作劇の定石のひとつみたいなものだと思ってます。あのシーンは私好きなんですよ(笑)。でも、気をつけたのはねガンダムは大破させてないでしょ? そこがポイントなんですよ。もし、死んだのならガンダムも首だけ転がってるとかね。もっとバラバラにしましたよ。ガンダムが壊れきってないってところがヒントとして残ってるんですよ(笑)。別に視聴者バカにしてる訳じゃないんだけど、そう言うのってイイじゃん! 盛り上げましょう(笑)。一話一話大切にしたいから、一話一話の快感を盛り上げる。徹底してやる(笑)。その辺はねズルイんですよ。へへへ…。
−−−次は45話の流派・東方不敗の「帰山・笑紅塵」。笑紅塵は映画「風雲再起」の主題歌タイトルですよね?
もう、ばれている(笑)。
−−−「帰山」っていうのは何なんですか? どんな技なのかよくわからないんですが?
あれは、「十二王方牌大車併」で放った分身を回収しているだけです。「帰山」っていうのは「帰れ」って意味の言葉として使ってるだけなんですよ。ただ「帰れ!」っていうだけでもいいんだけど、僕のセリフのリズムなんですよ。七五調っていうのかな。ただ「笑紅塵」っていうよりは「帰山・笑紅塵」っていうほうがリズムがとれるんですよ。「帰れ」っていうよりは、他の言葉で表したいなっていうのはありましたよね。
−−−マスターはどこでデビルガンダムが作られた目的や、プログラムが暴走したことを知ったのでしょう?(45話)
それは、聞いちゃいけないお約束でしょ(笑)。シュバルツを作り上げたのはいつなのか?っていう話をしましたよね。新宿編の16話あたりだとしたら、マスターがいつ出会ったかということを含めて、マスターが出会ったときはキョウジが多少なりにも自分の意識を持っていた。実はなるべく描かないようにしていたことのひとつなんですけどね、なんかの機会にオリジナルで出そうかと思っていたところなんだけど…。キョウジの意識が薄れかかっている。そのときにマスターが出会った。最初は助けるつもりだったんですよ。例えば「どうしたんだ?」って聞いたときに、こういう役目のために造ったガンダムが…、ドモンの身に起きたデビルガンダム事件っていうのはマスターはまだ知らないわけですよ。それで、キョウジから聞かされた話がマスターにとって都合のいい話だった。そんな都合のいい話があるかって思うだろうけど、物語とは都合のいいものなんですよ(笑)。現実にも人間には都合のいい話しか伝わらないものですよね? マスターには都合良く聞こえてしまったわけなんですよ。そこでマスターは、しめた!と思い、これを利用しようと。あなたは新宿の地下に居なさい。ここから12話からの話が始まる。16話あたりでシュバルツが生まれた。そう考えて見るとお話が成立しないかと思うんですけどね。僕はこれが理想的だと思うんですよ。または、地球に落ちてきてプログラムが暴走を始めたときにマスターが駆けつけてきて、キョウジが中に引き込まれようとしている。または、中でもがいているときに出会った。マスターが仮にあの近くに居たら現場を見に行ったであろう。キョウジにはアルティメットガンダムが暴走しているのが分かりますからね。このままで地球は大変なことになる。どこのどなたか知らないが、あなたもガンダムを持っているのなら、今すぐこのガンダムをやっつけてくれ。マスターにとっては普通なら「よし! ワシにまかせておけ!!」ってガッツーンとやっつけるかもしれないけど、たまたま聞いた話が自分にとって理想の話だった。マスターは「よし! ワシにまかせておけ!!」って言って、例えば自分のガンダムと連絡用のバイパスをキョウジに繋がせる。これでデスアーミーを操ることが出来るようになったのがマスターガンダムなんだと。この二つを合わせて作りたいなと思っていたんですよ。キョウジに意識があったときに何が起こったのかというのが問題ですね。このときにマスターが出会っているんだと。これも都合のいい話なんだけど、まさかこの男が、目の前の男が自分のことを「キョウジ」とだけ名乗っていれば分からないと。この男がドモンの兄貴だとは思わなんだ。というところに人生の皮肉なもの、物語とは都合が良くて、皮肉なものなんだ。僕にとっての物語とは都合が良くて、皮肉たっぷり。これをどう作るか? そんなことないよって言ったら何にも作れないんですよ(笑)。どれひとつとっても、そんなことはないんですよ。現実のほうがよっぽど不思議なことが起こるんですよ。事実は小説よりも奇なりっていいますよね。それと同じでね。だから、現実よりもはるかに現実性のある話だと思ってます。あり得ないことを組み合わせていくから物語って面白いんじゃないかなって思うんですよ。視聴者は分かり切ったことを見たいとは思ってないから。びっくりするようなことが見たいわけなんですよ。それってやっぱり都合のいいことかも知れないけど、人を驚かすためには、面白がらせるためには、そのための仕掛けは自分の手で作っていくわけですよね。それをうまく見せられればいいていうのは作劇のひとつだと思うんですよね。古典と言われるシェークスピアだって、そんなバカな!って話いっぱいありますからね(笑)。
−−−「今こそお前は本物のキング・オブ・ハート!」と言ってマスターの拳に紋章が浮かび上がります。あの瞬間にドモンは本当のキング・オブ・ハートになるわけですから、この時にマスターが紋章を持っていてもおかしくはないわけですよね?(45話)
おかしくはないですよ。切り取って持っていくわけじゃないですからね(笑)。同時に二人が持っていることも可能なわけなんですよ。
マスターの拳に紋章が浮かび上がるっていうのは、このシーンのためにとっておいたんですよ。本当はね、死ぬときにガッシリと右手と右手で握り合って、両方の拳に紋章が光ってるっていうのも考えたんだけどね。
−−−45話のラストカットで現れる描き文字。あれは「東方不敗は王者の風よ!」の広東語訳ですが、どうして「天破侠乱」が「石破天驚」になっちゃうんですか?
最初にあるひとつの[四文字熟語]からインスパイアされて「天破侠乱」っていう言葉を考えたんですよ。香港でのレコーディングのときに、これを唄の中にセリフで入れることになって、日本語にその場で訳して、かい摘んだ説明をして、一度英語に直してもらって、それから広東語に直してもらったのが「石破天驚」なんですよ。和解釈、英語になって、広東訳っていう手順なんですよ。なんと面白かったのが、香港から帰ってきて最初の[四文字熟語]をもう一度調べて見たんですよ。そうしたら「石破天驚」って書いてあったんですよ。これは自分自身、本当に忘れていたことなんで驚きました。まさに、石破天驚! だから、意味としては元に戻ったんですよ。これは意味としていいんだ! 無理矢理な言い方になるんだけれども…(笑)。
あの話は師匠になりきれない私自身の話でもあるんです。やったことは非常に悪いことなんだけど、自分のやってきた行動に対しての自信は失っていない。自分が自分を信じたことに対しては後悔してないんだってところが強く押したかったところなんですよね。マンガ*2だと「見よ! 東方は…」って言うとマスターは息絶えていて、[赤く燃えている!」っていうのはドモンだけのセリフになっている。えっ!と見ると死んでいてっていうのが一番きれいなんですよ。でもここは違うんだと。二人で最後まで、マスターは自分の意志で、あのセリフを全部自分で言い切るんだ。最後まで執念は持ち続けている。人類を抹殺したかったっていうわけじゃないんだけど、自分の行動への執念、自分が正義の元にやっていたんだっていうことだけは疑わずに死んでいく。どんな悪いことでも、これは正義のためなんだっていうことを信じて、信念を貫きとおして、惨めでもいいから、そういう形で死んでいって欲しかったっていう思いはたっぷり入ってますね。マスターはきれいに死んじゃいけない! 人間の死に際って、そんなにいいものじゃないですよね。その死に際の悪さをマスターには持っていてほしかった。そのほうが、あれだけのことを企んで、あれだけのことをした人間として、人間臭く見えるだろう。あそこに関してだけはアニメで作った人間ではなくて、本当に生きている人間の死に際の悪さを入れておきたい。それで、マスターっていう人格が完成するんじゃないか。それが私の狙いだったんです。あそこできれいに死んでごらん。男は、そうそう自分がやってきたことをコロッと変えちゃいけません。もちろんドモンに言われてね「教えられた」とは言いますよ。それに対して反省はするべきだけど、簡単に曲げてはいけないことがあるんだ。人間の往生際の悪さみたいなものをね。人間って素直じゃないよね。自分が悪いことをしていてね、人から悪いじゃないかと言われても、そう簡単にはあやまれないでしょ。マスターにとってはあのセリフを言い切ることしかなかった。ああいう芝居でしか「ゴメンね」っていうのを言い換えることが出来なかった。非常に引き際の悪い男でいて欲しい。そのへんは自分の性格みたいなものを写し取っています。どうせなら、言い切って死にてェよな(笑)っていう。
これは後から気づいたことなんですけど、マスターの死に際の絵については原点があるんです。藤山寛美の芝居で「大阪ぎらい物語*3」というものがあるんですが、これのラストのそっくりなんですよ。藤山寛美というのは私の深層心理に根付いているもので、私の演出の原点なんです。別に意図して真似したわけではなく、気づいたらやってたことですね。
Gガンダムでやってみたことでは、劇中での挿入歌、挿入曲の使い方。特に最終回や45話でのマスターの死ではコンテの段階でBGMのスタートを合わせて、このカットでは曲のこの部分というように指示して、それを音響の浦上(靖夫)さんに渡しているんです。コンテの段階で曲に合わせた演出が露骨に出来たと思っています。
−−−それでは「Gガンダム2」の(笑)質問に入りますが…。
そう言われるのは何故なんだろう? 何故みんなそう言うんだろ? 俺にとってはここからが本当の「Gガンダム」なんだけどなあ…。
最初にこれは言わせてください(笑)。Gガンダムは何が最終話つらかったかっていうと、制作状況ね。偶然こういうことが起きたっていうのが、45話のコンテが終わって、やるとこまでやったなんという疲れの中で、次にやったのが46話。さすがにね、45話のコンテが強烈過ぎたのかな? おかしくないんだけど、手応えが違いすぎる。やってることはいつもと同じなの。だけど、45話が重すぎたのか…。いわばパワーリスト*4着けてて、外した感じ。いつもの調子なのに、物足りなさを感じてしまう。凄く46話って困ったんですよ。自分で嬉しかったのがサイ・サイシーが泣いてジタバタ暴れるシーン。あれで、僕は46話っていうのは出来たなって思ったんですよ。ここまでは良かったんですよ。この後は、こんな調子で進めたんです。45、46話のチェックをしました。49話のAパート。次に47話のAパート。次に48話のAパート。48話のBパート。戻って47話のBパート。49話のBパート。どっちかって言うと僕は乗りと感性で作っていくタイプだから、この順番っていうのは物凄く困ったんですよ。このへんのシリーズの流れっていうのはドンドン積み上げていく面白さっていうのがあるんですよ。例えばデビルガンダムの出現にしてもそうなんだけど、演出的な意図として、エスカレートさせていかなければいけないんですよ。最終話までシナリオだってあるのに、そのプランどおりに動けなくなってしまう。これは、私の感性で作ってしまうがための欠点ですね。だから、うまく積み上げられなかったのかもしれないと思ってます。これがシリーズの途中だったらまだいいんだけれど、最終話前にしてこの順列っていうのは痛かったですね。言い訳じゃないんだけれども、これをクリアするのが当時、一番苦労したところでしたね。
1 リングにかけろ
集英社「週刊少年ジャンプ」'77・2号から'81・44号まで連載された車田正美原作のボクシング・コミック。当初は不幸な身の上の姉弟が頂点を目指すボクシング版「巨人の星」だったが、次第にエスカレート。かつてのライバル達と共に続々と現れる強豪ボクサーを“ギャラクティカマグナム”等の一撃必殺パンチで撃破する超人バトルものへと変貌した。現在でも脈々と受け継がれるジャンプ系マンガの原点の一つといえる。今でも、ホーム社刊「ジャンプコミックスセレクション」全15巻でその全貌に触れることが出来る。各巻税込価格¥600。
2 マンガ
TV放映と並行して講談社「コミックボンボン」で連載されたときた洸一作画による同名コミックのこと。ストーリーの基本ラインは同じながらも、作者の独自解釈による創作部分が秀逸で低年齢向けコミックとは一線を画する内容。コミックス全3巻が、各巻税込価格¥390で刊行中。
3 大阪ぎらい物語
関西出身者の心の拠り所とも言われる松竹新喜劇。今は亡き藤山寛美の姿もビデオで見れる! 竹書房より藤山寛美「十快笑」7 ¥3800(税込み)。
4 パワーリスト
これも「リングにかけろ」で、主人公が筋力強化のために、肌身離さず手首に着けていた鉛入りのサポーター型リストバンド。めちゃくちゃ重くて茶碗も満足に持てないのは、大リーグボール養成ギブス同様。これがその当時、大ヒット! カッコイイ男の子はみんな着けていたといっても過言ではない(←ちょっと誇張)。当然、生活に支障をきたさない程度の重さのものだが、これで腕力がアップしたという話はあまり聞かなかった。しかし、一時はスポーツショップの店頭や少年誌の通信販売広告を席巻したのだ。関連商品としては“アポロエクササイザー”がある。
(以下、最終回に続く)
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