「遙かなるリオネス」第一部第一章

第一部第一章

深遠なる大宇宙の何処かに、7つの恒星系からなる、銀河帝国を自称する強大な国家がある。
半径およそ10光年ほどの、宇宙の規模からいえば狭すぎる星域に、7つもの恒星系が集まり、それぞれに発生した知的生命体の存在は、謎というよりも、帝国が支配すべき当然の理由と受け止められているが、それらのほぼ中心に恒星フェラがあり、その第二番惑星マナスこそ、帝国発祥の地であり、あらゆる物事の中心なのだった。
銀河帝国の前身はマナス帝国であり、初代皇帝アスニシオン=メルキュール=ディルティメントに始まり、二代皇帝ボルネオール=デボラル=ディルティメントとつづく。
アスニシオンの代にはフェラ恒星系の全惑星、すなわちマナス、フェーン、アパートン、トラップおよびマナスの衛星ヴィジュアルしかなかった帝国の版図は、二代皇帝ボルネオールの代になると一気に現在の銀河帝国領の八割方が征服され、ボルネオール帝は、最晩年に国名を「銀河帝国」と改めることとした。
以後、三代皇帝カスタリア=ハンセ=ディルティメントの代に現在の版図が完成し、四代皇帝エメルスン=フォード=ディルティメントとなり、そして五代皇帝グロシェン=インパール=ディルティメントの治世下   。
マナス帝国と銀河帝国という本来は異なる国家において、皇帝位を通しで数えるのは、皇帝家がディルティメント家のまま変わることがなかったのと、「創世王」のふたつなで呼ばれる初代皇帝アスニシオンに敬意を表してのことであったといわれる。なんといっても、ボルネオール帝には、前帝というよりも、父帝であるわけなのだから。
しかし、その神聖不可侵にして強大なるディルティメント家も、マナスがまだ貴族院による統治を行っていたころには、数ある惑星間複合財閥のなかでも新しい家柄にすぎず、アスニシオンでわずか四代目の成り上がりものだったことを知るものは今となっては少ない。
銀河帝国の偉大さに隠されてしまったのか、不都合なことは消去さす絶対王権の習わしか。ともかく、ディルティメント家といえば、まるで初めから銀河帝国を治めるべき地位にでもいたかのような神聖さでもって扱われるのが世のならいだった。
厳格な階級制度が、もはや呼吸するかのような当たり前さで受け入れられてきたマナスにおいて、名も家もない一介の商人から身を興し、マナスだけでなく、その衛星ヴィジュアルや、同じ恒星系内のフェーン、アパートン、トラップ、はてはもっとも近いフィアレス恒星系にまでその勢力圏を拡げた財閥こそ、新しい時代の到来を象徴するものであるかのように、一般庶民には思えたかもしれない。
ところが、皮肉なことに、その階級制度にもっともこだわり、追従したものこそ、当の財閥だったのである。
しかも、貴族たちにはその地位に見合うだけの力がなく、ただ伝統と慣習によって昔ながらの膨大な権力を得ているだけにすぎないのだから、惑星をも軽く凌駕しうる情報網と経済力を持った財閥が、貴族のような特権階級になりたいと願ったところで、なんの不思議もない。
だが、この惑星を長いあいだ支配してきた貴族=支配者という構図は、たとえいかなる財力を手に入れたところでそう簡単に崩れるものでもなく、結果として精神的に優位な貴族が、経済的に優位な財閥と結びつき、相乗的により強力になっていったのだった。
マナスの支配者層において、身分制度が崩れるような新しい時代など、来ても困るだけなのだ。人間には貴賎の差があり、貧富の差があるのも当り前のことと、人びとが受け止めていてくれなければならない。そんなものは、人間が勝手にこしらえたものと被支配者層が気づいてしまえば、彼らはもはや甘い汁を吸うことはできなくなるのだから。貴族たちは、そうしてうまいこと財閥をも自己のなかで消化し、我がものとしてしまったのである。
ところで、ディルティメント家が貴族と縁組をしたのは、三代目アデレード、つまり皇帝アスニシオンの父のときにであった。
二代目カイザンによって、惑星間複合財閥のひとつに数えられるまでにのし上がったディルティメント家は、アデレードに受け継がれてからもちゃくちゃくと力を伸ばし、いつかマナスの支配者同然となっていた。
家柄などは二の次に、ただ己の力を伸ばすことのみに持てる才能をすべて注いだカイザン=ディルティメントこそ、帝国の本当の意味での初代皇帝に数えられるべきであったかもしれない。彼の力なくして、ディルティメント家は財閥になどなれなかったであろうし、ましてやその孫の代で、マナス帝国など建てることもできなかったであろうことは明白だったからである。
しかし、カイザンは「ディルティメント帝国」と皮肉られることはあっても、自らそう名乗ったことは一度もなかった。彼は大胆さと慎重さをうまいこと使い分けることのできる人物だったが、そうした点についてはいたって慎重だったのだ。
40代の若さで早逝したアデレードを継いで、若年のアスニシオンが当主となってからも、その力は衰えることを知らぬかのように、なおも諸惑星に影響を持っていたカイザンは、しかし、アスニシオンが54歳でマナス帝国を興すのを見ることなく没したのであった。
カイザンの死によってももはや支配が揺らぐことなどないほどに、ディルティメント家の地位は確固たるものとなっていたが、やはり彼の功労なくしてはありえなかったろう。その努力たるや、想像を絶するものがある。
栄えるものの影に、その踏み石があるのは自然の理である。マナスのように、権力や富が集中している構造ならば、なおさらその石は無数に積み重なりあっているものだ。そして下の石は忘れられる。下にいけばいくほど、細かく砕けてしまう石のことなど、だれが思いやるだろう。だれも考えはしないし、ただ忘れられていくのみであり、さらに石を積まれるだけのことなのだ。
惑星間複合財閥とは、そうした歪んだ社会に咲いた徒花、それも大輪の花であった。しかも、そうした踏み石は、なにも財閥や階級制度が生まれたからできたものではないというところに、癒しきれないマナスの深い病根がある。
人種差別−−−銀河帝国のもとではもはや死語と化したこの言葉こそ、マナスや、それにつづく二大帝国を端的に象徴している。
その始まりは遥か昔、人類がいまだ宇宙を知らず、夜空に見上げる星のなかにも自分たちと同じような人間がいることなど想像だにしなかった時代にまで遡ることができるのであった。
マナスの人種は、大別すると二つである。赤道付近より発生し、豊かな三大陸中に広がった、農耕を主とする黒人と、両極地帯に発生し、そこよりほとんど外れることのなかった、狩りと遊牧を主とする白人である。
ひとくちに「黒人」といっても、その肌の色は黒から茶までさまざまなものだし、毛髪も真っ直ぐだったりカールがかかっていたり、ウェーブしていたり、縮れていたりと千差万別である。けれど彼らは、人類学的に見ると、一つの種から派生したマナス・ネグロイドであり、主としてその生活環境によって外見が変化していったというのが正しい。
このころは、現代のようにあまりはっきりとした階級なども生まれてはおらず、頻繁に起こった戦争もじつは土地を巡ってのものが多かったのである。
黒人は、おおむね好戦的な人種であった。
土地を第一の財産とし、場合によっては家族さえ二の次となる社会にあっては、勝者がいちばんの土地持ちであり、自分の耕す土地を持っていることがまず他者と対等に扱われるための最低条件となる。成人することは、己の家族を養えるだけの土地を所有することを意味したほどだ。
土地こそ、彼らの生命そのものなのだから、その土地が争いのために荒らされることは、もっとも激しい攻撃であった。あるいは罰として、報復として使われることもあって、こうした事情により、毛色がちがうことによる区別は行われはじめたという。
「あいつは我々とはちがう毛色だ。だから土地荒らしの犯人にちがいない」など。
けれどもそんなものは、後に行われた差別に比べれば、ずっとかわいいものであった。
土地の大きさによって貧富の差が生まれる。持つものと持たざるものの格差は、なかなか縮まるようなものではない。支配するものと支配されざるもの、いつかそうした差が貴賎の差となったとき、貴族という名の特権階級が生まれたのである。
一方、寒冷な地を好んだ白人は、熊や狼、トナカイや海豹などを狩り、飼いならし、生活そのものが戦いといっても過言ではないくらいに厳しい環境にいたが、総じて争い事を好まなかった。
日々の戦いで満足していたというよりも、生死を賭けたそれらの行為を、彼らは神聖なものとみなし、「狩りすぎず、所有しすぎず、自らの手に余るものは最初から持たない」という、独特の哲学を持っていたからである。それは、哲学というよりもむしろ、厳しい環境下における生活の知恵であった。
しかも、過酷な生活ではなかなか人口が増えなかったことも、彼らに争う必要性を生じさせなかったのだろうし、争いによって死者が出ることは、勝っても負けても得なはずはなかった。
現代にわずかに残る白人たちの伝承歌に次のようなものがある。
「神々は我らに広き土地を賜われた。
我らが土地を、狩りの獲物をめぐって争わぬように、十分な土地をくだされた。
土地はどこまでも広く、我らが行くのを待っている。
恋人よ、神々に賜われた土地へ行こう。
広い広い土地で、我らの子どもを育てよう。
獲物は我らに狩られ、神々の館へ行く日を待っているのだ。
神々はいつでも我らを見守ってくださる。
我らが手に余るものを望まぬかぎり」
そしてもっとも大きな理由としては、彼らの外観がほとんど同系色だったことがあげられる。肌は薄いピンク色、髪の毛は金髪か銀髪、緯度65度線に近いほど茶色くなるぐらいだ。眼の色も青や緑がほとんどで、たまに紫や灰色の眼のものがいた。外観で区別をつけるという発想が、これでは生まれるはずもない。
また、彼らの所有しすぎないという知恵は、貧富の差を作らなかった。高い地位にあるべきは集団をまとめる長であり、狩りの名人だ。彼らがその地位にいる理由は明白で、だれもが納得できるものだ。貴族が生まれるような要因はなかったのである。
こうして、対照的な文化を持った二つの人種は、長いあいだ、互いの存在を知ることも、ましてや干渉しあうこともなく、己の領分に十分満足して、その領域を出ないできた。世界はまだまだ広く、未知の領域も少なくなかった。黒人でさえ、自分の土地がほしければ、手つかずの地を見つけて開墾すればよかったぐらいだ−−−それはまたそれで、たいへんなことではあったが。
それは、知られているかぎり、マナスという惑星においても、互いにとっても、そして後の時代にあっても、もっとも幸福な時代であった。
マナスという惑星は、南北とも緯度65度近辺を境に、気候も植物相もがらりと変わる。ひとつには四つの大陸のうち、三つまでがそのあいだに完全に含まれているからだろう。
つまり、黒人と白人のあいだには、容易に越えることのできない大海原が横たわっていたわけである。
大昔の人びとにとって、海は荒々しい神であり、手に負えない魔物でもあった。それを征服すること、あるいは少なくともその脅威に耐えてみせることが、近代化への第一歩だったのである。
テリトリーの周囲を海に囲まれた黒人たちは昔、こんな神話を語り伝えたという。
「世界は、無限の水をたたえた円盤のうえに乗っている。
それを我々は海と呼んでいるのである。
世界のはてより水は虚無の空間を落ちる。
けれども、我々にはわからない方法によって、いつか世界に雨や雪となって戻ってくる。
水は川となって、ふたたび海に注ぎ、無限にこの行為は繰り返される。
世界のはてには、轟々ととどろく滝があり、その先はだれにも見ることはできない。
我々の世界は、水ではなく滝に囲まれているのだ」
実際のところ、〈世界のはて〉を見ようという願いをもって、命がけで大陸を離れていったものもいなかったわけではない。けれど、帰ってきたものはただの一人もいなかった。彼らが第四の大陸に漂着してでも辿り着けたか、海の藻屑と消えたかは、だれにもわからないことだ。
それゆえに、造船技術が進歩し、航海術が発達するまで、黒人たちは〈世界のはてにある滝〉を信じ、なかには「空から見たこともない船が降ってきた。どうやら、昔に〈世界のはて〉を見に行った船の一隻らしい」という噂が真面目に伝えられたり、空から落ちてきた船の一部だといわれる木材が博物館に飾られるほどだったのである。
実際に、そんなものはありえなかったのだが、当時の人びとは真面目に信じ、ありがたそうに拝んだ。いまとなっては笑い話にしかなりはしない。
白人たちは、もとより己の領分で満足していたし、探検などに行くような余裕もなかった。彼らの生活は、常に死がつきまとう、ぎりぎりのところだったのだ。
あるいは彼らもまた、〈世界のはてにある滝〉のような神話を持っていたのかもしれない。それは銀河帝国となった、いまではわからぬことだが。
黒人たちはやがて、産業革命を機に、ついに未知の領域に踏み入れる。
知られているかぎり、三つの大陸にはもはや人の手が及ばず、かつ実りある土地は見当たらなかった。土地はかならずだれかの所有になっているか、荒れ地や砂漠、険しい山岳しか残っていなかった。しかし、爆発的に増えた人口は、いずれどこかに連れていかねば養いきれない。増えすぎた人口に土地は足りなかった。そして、技はまだ急激な人口の増加には追いついていなかったのである。
想像もつかないほど冷たい風の吹きすさぶ、その向こう側にいったいどんな世界があるのか。いまもなお〈世界のはてにある滝〉の存在を信じる迷信深い人びとを退けて、船は次々に港を出ていった。
長く厳しい大海原の航海を経て、無事に第四の大陸にたどり着いたものは少なかっただろう。なかには、迷信深い水夫の反乱に遭い、途中で引き返さざるを得なかった船もあった。
しかし黒人は、とうとう新しい土地を発見するとともに、自分たちとはまったく生活様式も文化も、もちろん外観も異なる、白人の存在を知ったのだった。
それこそ、マナスを変えた一大事件であった。産業革命以上の「革命」といっても過言ではないほどの、歴史の大きな転換期であった。
だが、両者にとっては、不幸な時代が始まったのである。幸福な時代はもはや、忘却のかなたに捨て去られてしまった。
つまり、黒人は貴く、白人は賤しい。黒人は優れ、白人は劣る。
おなじ人間同士が区別され、越えることのできない壁で隔てられる愚行は、この後、長きにわたって、マナスばかりでなく、やがて「銀河帝国」と呼ばれることになる星域をも支配しつづけるのである。
帝国との戦いは、まさにその差別を克服するための戦いであった。この長い闘いは、すでにこのときにはじまっていたのだ。
さて、黒人と白人の初めての接触は、伝えられるところではごく平和裡に行われたという。互いに見たこともないものを見たのだから、それもしごく当然のことだ。
もっとも、黒人のほうには、早くも劣等な人種を発見したとの思いが強かったらしい。
その原因は主に技術的な面にあった。白人の生活形態は、大昔よりあまり変わるところがなかったのだ。発展に発展を重ね、失敗と発明を繰り返し、ついに産業革命にまで至った黒人にすれば、それはたしかに劣ったと見られても仕方なかったのかもしれない。
というのも、白人たちは、火の存在は知っていたし、利用していたものの、まったく金属を知らず、骨と木と皮で九割方の道具を作ってき、毛皮をまとい、熊や狼を乗りこなしていたのだから。黒人の目に、まず危険な野蛮人と写ったのも無理はない。
とかく黒人とは、この寒冷な地方で育まれた文化に敬意を捧げようとはせず、ただものだけを見る即物的な人種だったのだ。
しかも、付き合っていくうちに、黒人たちには交易のメリットがただ珍品を手に入れるためだけとなり、白人たちが文字を持たぬことさえ、差別の進むいい口実となっていった。必要最小限の物資しか持たぬ白人たちには、文字を書いてなにかを残すのは重ばるものであり、かえって効率が悪い。それに、口伝者の情報量がいかに桁外れのものであるかも黒人たちは知らなかったのである。
それでも、白人たちにもたらされた影響はとてつもないものだった。
彼らは初めて金属を知った。それでできた武器はなんと強力なことか、しかもそれさえ、もはや時代遅れだと黒い人びとは言うのだ。いいや、彼らはほんとうに、我われと同じ人間だというのだろうか。彼らは神ではないのか。しかし神々とは、我らのように白いはずだ。黒い神々など聞いたことがないし、なにより彼らは、熊の神と狼の神に負けてしまったではないか。
それでも、黒人の持ち込む便利な道具に乗り換えることで、生活は潤い、余裕も生まれてきた。人口も、この人種においては急速な伸び率を示し、死が徐々に遠いものとなっていく。こうなってしまったら、「狩りすぎず、持ちすぎず」の法則をだれが守ろうとするだろう。物質の豊かさと便利さを求めるあまり、白人たちはいちばん大切なもの、心の豊かさを失ってしまったのだ。それは、かつて黒人もたどった道であった。しかし、白人ほど急進なものではなかったろう。
伝統的な口承文学や伝承歌は失われ、黒人の字をまねた文字が、教育と称して広まった。
それを見て、黒人たちは笑ったものだ。
「ごらん、野蛮人は真似るしか能がない」
黒人の教育者たちは先を争って白人の教化に参加した。貴族も商人も、気前よく金を出したという。
熊や狼に乗ることも、すっかり古くなっていた。けれども、黒人が示した乗り物はここではまともに働かず、せいぜいそりが普及したぐらいだったろうか。黒人と出逢うまえは、そりなんて長ほどに力を持つものだけが持っているようなものだったのに。
白人がすっかり黒人の文化に感化されたころ、両者の関係は新たな段階へ進むのである。
いまや両者の立場は決定的なものだ。白人のうえに黒人、その図式はずっと昔から永遠につづけられてきたかに見える。
そして、黒人たちは白人たちの土地に入り込み、次々に境界線を引っ張っていった。手つかずの資源が眠る凍土は、もう白人たちの踏み込めない土地なのだ。彼らに残されたのは、貧しく狭い土地だけ。「居留区」という名の、檻だけだ。
黒人たちは、いったい自分たちにどうさせようというのだろうと、白人たちが思ったところで、なんの不思議もあるまい。
さらに、「文化人類学者」と称する連中がやってきては、白人たちの道具を持ちかえり、もはや失われつつある生活習慣や口承文学を記録し、ときには1ヶ月以上もともに暮らした。
もちろん、それは、自分たちの文化とまったく異なる方向に発展した白人の文化を、今度こそ見直そうというのではなく、失われてしまうまえに博物館や各々の研究室に閉じ込め、過去のものとしてしまうためであった。
もちろん、すべての黒人が悪意の固まりではなかっただろう。なかには、純粋に白人の文化を知り、無知な人びとに教えようとしたものもいただろう。しかし、そうしたものはあまりに少数であった。恩恵を被った白人たちの心にさえ残らぬほどに。
白人はまた、貴重な人的資源でもあった。急速に増えた人口は、とうてい現在の貧しい土地では賄いきれない。歌われた「広い世界」などとうになく、口減らしのためや、より進んでいると言われる黒人の文明に直接触れたいという憧れなどもあり、多くの白人が自らのテリトリーを離れた。
彼らの無知さを利用しない手はないと、働き手を求める声が殺到し、それだけでは足りなくなったものが、今度は白人たちの土地に入り、直接に交渉を始める。
甘い言葉に乗せられた若者のなんと多かったことか。そして、彼らは二度とふるさとの土を踏むことはなかったのだ。その行方を知るものはない。
ありとあらゆる面から、白人たちの文化はなし崩し的に崩壊していった。かろうじて残っていたのは、部族社会だったが、それさえも崩壊寸前のぎりぎりのところにあった。
やがて、もはや取り返しのつかないことになっていると彼らが気づいたとき、黒人たちは第一号ロケットの打ち上げ成功に有頂天になっていたのである。
それは、マナスを一回転しただけで、海に着水した。
「我らの惑星のなんと青くて美しいことか」宇宙飛行士はそう述べたと伝えられる。
「敗北」の二文字を背負いながらも、白人たちは失われたものを少しでも取り戻そうとする。当初は、黒人ばかりでなく、同じ白人にさえ「復古主義」と謗られてきた活動は遅々として進まなかったが、それは確実に白人たちを目醒めさせていった。
黒人も白人もおなじ人間であり、互いに尊重しあうべき文化があり生活があるという、あまりに当り前すぎる事柄に、初めて白人たちは気づいたのだ。
しかし、そうした白人の行為は、黒人にとってはもっとも歓迎されざることであり、忌避されるべきであった。白人たちは無知だから使いでがあるのだ。へたな知恵をつけられては面白くない。
そうした考えこそ、まさにマナスの支配者層に共通したものである。支配されるものは、その矛盾に気づかないのがいちばんいい。そうでなければ、より劣ったもの、憎悪や侮蔑の対象を造り出すことである。
こうしたやりかたが、まさか一千年以上も未来にまで応用されようとは、だれが想像しえたであろう?
ここに、両者は初めて武力衝突に到ったが、準備から終戦まで1ヶ月も終わらぬうちに決着がついた。後の世に言う「1ヶ月戦争」あるいは黒人側の主張によれば「ささやかな反乱」である。
圧倒的な勝利を収めた黒人は、もはや白人にたいしては鞭を使うべきだと判断する。飴は十分にやったはずなのだ。
ところで白人たちは、たとえ都市に住む労働者といえども、自分の身分を証明できるようなものはなにひとつ持っていなかった。いや、そもそも身分証明とはいかなるものかの認識さえない。黒人たちは名前や生年月日、住所、登録地区名、職業などを明記した身分証明書なるものを持っていたが、それがどんな役に立つのか、白人にはまったくわからなかった。こんなちっぽけなカード一枚で、黒人は他人を信用できるのか、とさえ思ったほどだ。
彼らの狭い部族社会においては名声がある程度はその役割を果たしたものだったが、黒人の社会で白人の名声が通用するはずもない。それに前述のとおり、黒人たちは形になっていないものを信用しない。
結果として、いまだにその全体像は把握されていなかった−−−身分証明書とはすなわち、権力が一般民衆を把握するための口実にすぎなかったわけだ−−−。部族数さえ、自称に他称、別称があっては混乱をきわめる一方で、白人はもとよりそんなことは気にしなかったし、黒人もおざなりにしてきたのだった。
部族社会においてはなんの問題にもならなかった数が、いまや差別の立派な名目となっていた。
曰く、「市民権を所有せざるものを市民と認めず。戸籍を持たざるものに市民権の発行を認めず」
この市民権法が正式に成立するや否や、とうとう白人は市民ならざるものにまで堕とされてしまったのである。
黒人の勝手で制定された法に従ういわれはないという反発が白人のなかに起き、心ある黒人が異議を唱えたのは当然の成り行きであった。だが、大多数の黒人はこれを支持し、そればかりか、市民権を持たぬものを人間以下として狩ることさえ始めたのだった。
かつて安上がりの労働力として歓迎された白人は、いまや狩りの獲物であり、自らの権利をなにひとつ持たない動物同然だった。時代の趨勢のまえに良心はなんの役にも立たない。
やがて黒人たちは、自らをのみ「マナス人」と称する。そして、奴隷制度が公然と行われだしたのである。人間を人間ならざる家畜であり財産でありものでもあると定める奴隷制度こそ、太古に復帰するような制度ではなかったのではないだろうか?
アスニシオン=メルキュール=ディルティメントのマナス帝国は、そうした歴史がすべて過去のものとなってしまったころに生まれた。
白人の最後の部族、白熊族は、とうに消滅させられていた。
白熊族は、すでに滅びたいくつもの白人の部族を吸収して拡大し、いつまでも自分たちの古い文化を大切にした部族であったが、最後の熊長アブドル=シャイフが殺されてからは、急速にその力も衰え、自然消滅に近い形であった。
居留区だけが白人の住処となり、みな、9桁の番号でもって管理され、一人一人に生体反応板もつけようかという動きもあったころのことだ。
マナスは、どこもかしこも黒人の文化一色に染めあげられていった。画一的な価値観しか持たぬ民衆ほど、支配しやすいものはない。
ディルティメント家は、私兵でもって貴族院を制圧し、マナスの全権を握った。ここに、長きにわたってマナスを支配してきた貴族共和政治は終わった。
人びとは新しい政治の到来を、まだその本質も知らないうちから喜んでいたともいう。
恒星フェラより遠く離れたフェーン、アパートン、そしてトラップの3惑星は、それぞれに独自の発展を遂げていたが、とうていマナスに勝る力は持ちえず、とうの昔にディルティメント家の経済網に組み込まれていた。
またマナスの衛星ヴィジュアルは、貴族院最盛期のころに、とうに征服されており、これも無傷でディルティメント家の支配下に入った。
こうして、4惑星と1つの衛星を持つマナス帝国は、ただの一度の挙兵で誕生したのであった。
その後、アスニシオンはマナス帝国誕生にあたって暦をマナス暦から帝国暦に改めるとともに、帝国全土にこの暦を広めた。各惑星に独自の暦は残すことを許されはしたものの、正式な暦はすべて帝国暦だけとなり、マナス暦2501年が帝国暦元年として発布されたのであった。そもそもマナスの植民地として開発されたトラップはともかく、フェーン、アパートンともそれぞれに独自の暦を持っていたのだが、マナス帝国支配下にあっては、帝国暦に付随した形で元の暦が使われるようになった。
たとえば、こんなふうに。
「帝国暦元年2月11日(アパートン暦1708年8月3日)は、アパートンがマナス帝国の支配下に入って、アパートンにおいて丸一年となる」など。
アスニシオンの治世は、それから、わずか10年と短いものだったが、いまもってなお「創世王」と讃えられる。
まさに人民が無知であったゆえに。
そして、その子ボルネオール=デボラル=ディルティメントの代になると、「生まれながらの皇帝」を自称して次々に開戦、後の銀河帝国の八割の領土が征服された。
フェラ系より2光年離れたフィアレス系バルトーク、カムシン、4光年離れたアイデメース系オルロ、オノン、5光年離れたルクス系シウェナ、6光年離れたフェネーラ系マイン、サンデード、タイトゥーン、ラコニアの4恒星系9惑星である。
強大なマナス帝国は、たとえ10の惑星がたばになったところでかなうような相手ではない。しかも、支配者同士の連合意識がもろく、逆に帝国に従ったほうが楽だとしたら、いったいだれが好んで、自分の惑星を攻撃させたいなどと思うだろうか?
後の世に「マナス帝国に逆らった愚か者」と称されるより、「いまの裏切り者」になったほうがよほどましだとも考えたのだろう。
この偉業により、ボルネオール帝は、「征服王」の異名を頂戴した。やがてフェネーラ戦役終了後、帝国暦59年「銀河帝国」が誕生したのである。
征服王の治世は49年であった。
三代皇帝は唯一の女帝カスタリア=ハンセ=ディルティメントである。美貌で知られるこの皇帝は、しかし父に勝るとも劣らぬ女傑であった。
強大無比の銀河帝国といえど、つねに平穏無事だったわけではない。トラップ、カムシン、サンデードを除く各惑星とは、征服者と被征服者である以上、怨恨があり、事実それらが表に噴き出してくることもあった。20代前半の若さで即位し、しかも女性という点もあってか、彼女の治世は、これらの内乱をいかに鎮圧するかが最重要課題となっていた。
ところがカスタリアは、その父ボルネオールの例にならい、内乱に対しては徹底的に武力を行使した。帝国の版図である以上、もはや甘い餌は必要ないと判断したのか、あるいはこれ以上なめられてたまるかと考えたのか、帝国中に情報網を張り巡らして、内乱の声があがるより早く、首謀者を捕え、遠慮会釈なしに処刑したのだった。間に合わなくて軍隊を派遣しなければならなくなれば、自ら檄を飛ばした二個艦隊を送り込んで、完膚なきまでに叩きつぶしたのである。
女傑の名にたったひとつ染みをつけたのは、星域内で最後まで独立を保っていた、メスセア恒星系第4番惑星テルミナスである。
同じ星系の第2惑星ソラノは、いままでの星系同様、すんなり、帝国暦118年に支配下に入った。
しかし、星域内で唯一、太古の昔より伝わる魔法を持つテルミナスは、なかなか帝国の支配下に入ることをよしとせず、保守的な独裁者のもと、帝国の文化を受け入れることも、慎重に行ったくらいだった。
時の支配者ナーバール=ハーディンは、帝国の再三の通達をはねつけ、ここに最後の外戦が始まった。帝国暦124年、テルミナス暦では2117年のことだ。
マナスに比べれば劣った技術しか持たないテルミナスには、魔法という超自然的な力があった。戦役は互いに総力戦となり、長期化するかと思われた矢先、テルミナス側の古い怨恨により、あっけない終わりを告げる。
というのも、ナーバールの祖先エルシード=ハーディンがかつて統一王朝を開くにあたり、アステイオン朝という、最古の魔法使い貴族による統一王朝を倒し、一族を皆殺しにした。アステイオン家の直系ではないものの、その傍系や支持者は、自らをログ族と称してテルミナス中に散っていったが、エルシードは魔法使いの血筋である彼らに追手をかけたという。その徹底ぶりは狂気じみてさえいたというが、完全にログ族を根絶やしにしてしまうことはできなかったのだった。
エルシードより数えて五代目、ナーバールを暗殺したのがこのログの一人だったのである。まさに最悪のタイミングで復讐はなされたわけであった。
指導者の死により、テルミナスはあっけなく降伏した。しかし、それだけでは満足しなかったカスタリアは、ハーディン家を全員処刑にしたが、もはや汚点を拭いさることはできなかったのである。
そして、今度はナーバールの怨恨か、テルミナス戦役後、わずか1ヶ月にしてカスタリア帝は没したのである。帝国暦176年の新年が明けたばかりであった。
女帝の治世は65年だった。
カスタリアはまた、別の事柄でも知られる。
後宮を始めたのは彼女であった。年の若い愛人を彼女は一日ごとに取り替えたとも、3000人もの奴隷が集められたともいわれる。どちらにしても、男ばかりでなく女もいたというのが、凄まじいの一言につきよう。もちろん、奴隷の性別にかかわりなく、生殖機能は失われている。
以後、皇子や皇女が腹違いというのは当り前のこととなった。それはまた、帝国にとってはちっとも得するようなことではなかったのだが、思い上がったディルティメント家は、もはや自分たちを神のごときものとみなすようになっていたのだ。だれを愛し、だれに飽きようと神のすることにだれが文句をつけられよう。
四代皇帝はエメルスン=フォード=ディルティメントで、もはや星域に征服すべき惑星はなくなっており、あとはいかに内乱を抑えるかだけに思われたかもしれないが、その偉業は、彼を「開発王」と呼ぶところに現れている。
祖父と母の拡げた領土を、彼はまず整備し、正確な台帳を作ることから始めた。
惑星ごとに異なる言葉やありとあらゆる単位、法律なども数多くの専門家をマナス人であろうとなかろうと集めて、統一的見解を打ち立てるべく、話し合い検討もさせた。
それまでの帝国は、いろいろな惑星の寄せ集めでしかなかった。エメルスンの代になって初めて、さまざまな機構や仕組み、経済や暦などが統一され、とくにマナス以外の人びとには暮らしやすくなったと言われる−−−もちろん、帝国の支配を気にしなければの話だが。
もちろん、これらの功績をただ皇帝一人にのみ与えるのは間違いというものであろうが、それでも四代皇帝エメルスンは、「開発王」のふたつなで呼ばれるのである。
その治世は52年つづき、彼は母ほど淫乱ではなかったが、2人の妻と愛人を3、4人持った。
エメルスンの治世は安定したものだった。しかし、カスタリア帝の治世が長かったので、即位したときには30も半ばであったためなのだろうが、皮肉なことに時の皇太子の命を縮めてしまい、五代皇帝として即位したのは、皇太子ジェイアス=ラデッサの異母弟グロシェン=インパールであった。
ジェイアスとグロシェンは、エメルスン帝在位のころから対立しており、このときもジェイアスの死に疑惑が持ち上がったのだが、皇帝自身不問にした。
二人の皇后アルファンデル=ラデッサとメリリッサ=インパールのいがみ合いも、グロシェンが新たな皇太子となるやおさまり、ラデッサ家は失脚し、インパール家は皇太后家としてかつてない権力を誇った。
グロシェン帝の49歳での即位は、歴代皇帝中二番目に遅い。その治世は、前帝の名残もあり、いまのところは安定していた。
しかし、グロシェン帝の祖母にあたる、女帝カスタリア=ハンセの代より、銀河帝国は内にどでかい爆弾を抱えていたのである−−−。
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