第一部第二章
星域内の7つの恒星系のうち、マナスより10光年ほど離れたウェルデン恒星系にだけ、まったく生命体がいなかった。いや、そう信じられてきた。このウェルデンという名も、発見者レオナン=ウェルデン天文学博士にちなんだ仮称でしかない。
ところが、ウェルデン恒星系改造計画の一環として、帝国暦90年に飛ばされた探査艇より送られた映像には、帝国中どこを探してみても驚かなかったものがいなかったのである。
帝国の星域内でも、ウェルデンはもっとも年ふりた恒星である。フェラ、フィアレス、アイデメース、ルクス、フェネーラ、メスセアの各恒星が一様に若く白い星であるのにたいして、ウェルデンのみが赤いのはそのためなのだ。
そのウェルデン恒星系は、10の惑星を数える。あるいは各惑星の動きなどから見て、幻の11番目の惑星も主張されているが、ともかく帝国の全恒星系のなかでももっとも多くの惑星を持つ。
そのうちの3番惑星に、超古代文明の遺跡が発見されたのであった。それも、規模や建築物の構造などから見積もって、十分に現在のレベルを凌駕しうる文明跡である。これに驚き、興奮しないではいられまい。
それらの遺跡は、液体のように濃密なガスに守られて、ほぼ完全な形を残していた。
たちまち、あらゆる学会や研究所から調査員が派遣され、ウェルデン恒星系調査専門委員会が設立された。その指導と検討のもと、翌帝国暦91年、探査機の名をとって「メミーズ」と仮に名づけられた惑星に、第一次調査隊が送り込まれた。
だれもがわくわくして新しい発見を待った。知られている限り、ウェルデン恒星系は銀河帝国の手の及んでいない最後の星系だ。帝国の支配下に入っていない星系ならば、他にメスセア恒星系があったが、そこもほぼ調べつくされた感がある。知的生命体がいないといわれるウェルデン恒星系は、まさに人跡未踏の最後の秘境なのである。
ところが、帝国中の人びとが注目したテレビの前で、突如としてレポーターが溶解したのを皮きりに、調査隊およそ100名のうち、10名が死ぬという惨事に発展し、結果は散々なものとなったのだった。参加者および死亡者数に調査隊に同行させられた200名ほどの奴隷が含まれていないのは帝国ならではの措置だが、合わせて数えると、300名中40名が死亡という、かつてない大惨事になるのである。
命からがら逃げ帰った調査隊は、それでもかろうじて惑星を覆うガスをいくらか持ち帰った。
だが、帝国科学の粋を結集して、念には念を入れて分析されたガスの成分は完全にわからず、その粒子が知られているいかなる物質よりも細かいこと、わずか1ミリグラムほどで、象をも溶解してしまえるきわめて強酸性の性質を持っていることという恐るべき事実が判明したのみであった。
水にも容易に溶け、空気中よりその力は落ちるもののなお強烈な溶解力を持っており、おそらく惑星全体を覆うガスのために、メミーズの生命態は一気に崩壊したのだろうと発表された。
皮肉なことに、ガスがメミーズの文明跡を、想像を絶するような長期間のあいだ、守っていたわけであるが。
これにより、11人の犠牲者については、このガスがわずかな隙間から侵入したのだろうとわかり、メミーズの調査は主としてロボットに頼って行われることになったのである。また、防護服の改良も盛んに行われた。
そして、第三次調査隊によって、メミーズの海洋や河川が強酸性になっていることも確認されたのだった。
ガスについては、その分析班の名称をとって「トルーアン」と名づけられたが、保存がきわめて難しく、とうてい“懐の爆弾”とはなりえぬようであった。というのも、メミーズでは何千年、あるいは何万年も遺跡を守ってきたというのに、マナスに持ってくると簡単に消失してしまったからである。
このトルーアン・ガスの発見により、ウェルデン恒星系にはメミーズだけでなく、さらに多くの惑星に調査隊が送り込まれるようになった。メミーズのような遺跡がもっと残されていないか、それらによって、このウェルデン文明が少しでも解明できないかと期待されたわけである。
すると、驚くべきことに、第1番から第10番惑星まで、すべてに大なり小なりの遺跡が発見され、それらもまた、トルーアン・ガスに守られていることがわかった。
これらの惑星にもトルーアン・ガスがあったことに、10も20もの仮説が立てられたが、どれひとつとして真実を言い当てたものはない。ウェルデン恒星系に起こった出来事は、人びとの想像をはるかに上回っていたのである。
しかし、メミーズに勝る発見はなかった。メミーズ以外の遺跡は、どれも前梢基地程度の小規模なものだったからだ。このことから、ウェルデン文明の中心はメミーズであり、他の惑星はメミーズの人びとによって開発された植民地であろうという推測が成り立ったが、だれもがまだ、すべてのピースが揃っていないと感じていたのである。
これらの遺跡の詳細な調査の結果、メミーズに住んでいた知的生命体が、現存する人類にほぼ似通っていたであろうことが公表されると、一度は冷めかけたウェルデン・ブームがまた再来してきて、調査隊に同行するマスコミ関係者ももより多人数で頻繁に送り込まれるようになった。
ところが、そんな帝国市民を嘲笑うかのように、帝国暦92年、ウェルデン恒星系は第二の悲劇をもたらしたのである。
幻の第4番惑星への不時着は、生存者がカーウィン=ライゲール考古学博士とコルゥ=オルドー飛行士のわずか2名という大惨事となった。
11番目の惑星の存在がはっきり確認できてはおらず、その安全性がとやかく言われていた矢先の事故である。生存者の確認はおろか、突如としてレーダーより消えた宇宙船の行方すらわからぬというていたらくに、はたしてこの事故が予想しうるものであったかどうかは、帝国のマスコミを二分する大論争にまで発展した。
しかし、それらはみな机上の空論でしかなかった。事故の詳しい状況をわかっているものはだれもいなかったからである。
ライゲール博士とオルドー飛行士が発見されたのは、帝国暦93年も終わりのことで、丸々一年以上も行方不明だったことになるが、2人とも、憔悴しきってはいたものの無事であった。
彼らの証言により、正確にウェルデン恒星系には幻の第4惑星の存在が確認された。そして、惑星への不時着が、暗黒のガスに覆われて発見できず、重力圏につかまったと気づいたときには時遅し、宇宙船はもう墜落していたというのだから、先のマスコミによる、事故は予想可能であったか否かという論争を再燃させたのである。
しかも不思議なことに、ライゲールは「事故は予想不可能だった」とコメントしたのに対し、オルドーは「事故は十分予想しえた」と発表して対立、両者の主張をめぐって、ますますマスコミはにぎやかになったのだった。もっとも、公式発表で「事故は予想不可能」とされると、人びとは急速に興味を失っていったが。
しかし、メミーズでの遺跡の発見よりも人びとを驚かせたのは、ウェルデン恒星系第4番惑星に、知的生命体が住んでいるという2人の報告であった。
彼らはメミーズに残された人類の絵にそっくりで、どこから見ても人類そのものであったが、その薄い緑色の肌は、帝国の人びとに動く植物を連想させた。しかも彼らは、メミーズの高度な文明の名残もない原始的な生活をしていた。ライゲールとオルドーを助けたのは、これら旧人類であり、彼らの助けなくしては2人の生存もありえなかったことは後々証明されたが、帝国はこの世紀の大発見に、まったくふさわしくない形で報いたのであった。
しかし、彼らがたしかにメミーズ人と関係があったという証拠には、メミーズをスペリオル、自分たちの惑星をリオネスと呼び、仮称が与えられていたウェルデン恒星系の全惑星についても、順にキネリア、ラバト、スペリオル、リオネス、ウンブリア、エトルリア、ウォーデン、キシァレン、ヤルタ、タール、ゼベダイ、恒星はリートと呼んでいたのである。
それは一見当たり前のことだ。だが、通常のレーダーでは発見できないような暗黒ガスに覆われ、ガスがメミーズならぬスペリオルのように地表にまで届いてはいないというものの、星空を垣間見ることもできないリオネスにおいて、星々の存在はおろか、名前をつけるという発想もありえないのだった。だとすれば、リオネス人たちがそうした名称に慣れてから、暗黒ガスが惑星を覆ったものと考えるのが妥当であろう。
太陽光線は菌類や苔、しだ類のような原始的な植物をいくらか育てるほどしか届かぬ暗黒の惑星リオネスにおいて、彼らの薄緑色の肌こそ、この地で生き延びる最大の切り札だったのである。彼らの肌と血には葉緑素が含まれている。わずかな光を感知して、これらの葉緑素は光合成ができ、食物摂取によるエネルギーの不足を補えるのだ。
もともと暗黒ガスに覆われた惑星でもなかったし、薄緑色の肌をしていたわけでもなかったリオネス人は、あるとき 学者の想像ではスペリオルの遺跡が滅んだのと同時期ぐらい−−−から、この薄緑色の肌をしているのだという。
放射能による年代測定法によって、スペリオルの遺跡はほぼ300万年前のものと判明した。
その、300万年という気の遠くなるような時間を隔てた現在、はたしてリオネス人の話にどれだけの信憑性があるのかはわからない。しかし、偶然というには、リオネス人と暗黒ガスの関係はできすぎていると見る学者は少なくないのである。
リオネスの発見より5年後、帝国暦97年10月、銀河帝国皇帝カスタリア=ハンセは、リート恒星系の併合を、例によって一方的に宣言した。
国家どころか支配者ももたず、いくつ町があるのか、何万人のリオネス人がいるのかさえいまだにわかってはいなかったが、女帝にとっては、たとえとるにたりない惑星であっても、帝国の支配下に入っていないことはお気に召さないというのがその最大の理由であったらしい。が、メスセア恒星系のソラノとテルミナスはいまだにその支配下に入っていなかった。
そして、五代皇帝グロシェン=インパールの代になると、リオネスには新しい活用方法が考えられることになったのだった。
惑星リオネスより得られるもので、帝国が利益をあげられるようなものは皆無に等しい。なにしろ、リオネスには産業と呼ぶべきものがないのだ。特殊な身体の構造のおかげで、乏しい食料でも細々と自給自足が可能だった惑星上で、余剰生産物などができるはずもない。
それはまた、リオネス人たちがスペリオルにあったような高度な文明を失った十分な理由でもあった。リート系全体に広まったトルーアン・ガスは、帝国の人びとが考えていたよりも、もっと凄まじい破壊力をもって超文明を襲ったにちがいない。
しかし、いまだにリート系の文明が滅びた過程や、なぜリオネスだけが暗黒ガスに覆われ、トルーアン・ガスに覆われなかったのか、納得できるような仮説を立てたものはないのだった。
だが、たとえリオネスに産業がなくとも、どんなものでも金になるのが帝国である。
金になれば商売も成り立つというもので、たとえば、リオネス産の酒と煙草。味はともかくとして、これらは帝国で知られ、流通してきたどんな麻薬よりも強力な代物で、量を間違えると死亡することもあるというものだ。リオネス人たちがアルブン、アコニンとそれぞれ呼ぶ、これらの麻薬は、たちまちのうちに帝国の闇市場に出回り、またブラック・リストの先頭に載せられたのだった。だれからともなく呼びはじめた“死への夢路”という俗称は、いつしか本来の名前よりも有名なものになっていた。まさに、アルブンもアコニンも、その名のとおり夢見のうちに死んでしまうのである。
さらに、アッシャーと呼ばれる、山羊とも羊ともかもしかとも見える生き物の毛は、自然に採れる素材として最高の強度をほこり、さまざまな分野で重宝された。しかしアッシャーは、リオネスの特殊な環境下でしか棲息できないため、いつでも供給不足という事態に陥ったり、他の繊維の値段が暴落したりと、二次的な現象まで引き起こしたほどだ。アッシャーのようにリオネスでしか棲息できない生物というのは、その後もいくつか発見された。
アッシャーによって、リオネスにも産業と呼ばれるものが生まれたのだが、これは、帝国の機構に組み入れられたリオネスが恩恵を受けた唯一の例である。それはまったく過言などではない。
しかし、リオネスがあげる資源のうち、もっとも帝国の金になったのはやはり人間であった。肌と血液中に葉緑素を持つという特殊性もさることながら、人類学者がいちばん知りたがったのは、文明崩壊より300万年を経て、彼らがこの星でいかなる進化や退化を遂げたのかということだった。
マナス黒人お得意の交渉術が、このときもリオネスに発揮された。飴を見せびらかせて近づき、最後には鞭を振るうというあの方法である。
マナス白人にたいして最初に使われて以来、伝統的に行われてきたこの作法は、しかしリオネスでは思うようにはいかなかった。
緑色の肌をし、暗闇では赤外線探知機の役割を持つ金色の目のリオネス人たちには、もうひとつ、帝国ではフェラ系第7番惑星トラップなどでわずかに見られるぐらいの、超常能力が備わっていたのである。
大方のものはテレパシーがせいぜいなのだが、クレヤボヤンスやサイコキネシスなどもやってのけるものがいるとわかると、帝国は本格的にリオネス人を捕らえ、調査することを決定した。超能力についての研究は、超能力者の絶対数の不足から帝国ではほとんど進んでいなかったので、リオネス人は格好の実験材料だったというわけだ。そうなると、帝国ほど狡猾に立ち回るものもない。
同時に、そのための策としてすでに決定されていた惑星間の優劣において、水棲人の住む、陸地のないフェネーラ系第4番惑星ラコニアの下に、つまり最下層にリオネスを置いたのだった。
ちなみに、この順番にどれだけの根拠があるのか、当の銀河帝国皇帝をもってしても、はっきりと述べることはできないだろう。歴史的、という点においては、どれだけ素直に帝国に従ったかの順番になるかもしれないが。
その順位は以下のようである。
マナス、バルトーク、シウェナ、オルロ、オノン、マイン、サンデード、ソラノ、フェーン、アパートン、ヴィジュアル、テルミナス、ラコニア、リオネスだ。
この順位にフェラ系第7番惑星トラップ、フィアレス系第4番惑星カムシン、フェネーラ系第2番惑星サンデードが含まれていないのは、他の惑星よりの移住者のみで成り立つ、植民惑星だからである。
女帝カスタリアを継いだ「開発王」エメルスン=フォードは、これらの仕組みをさらに押し進めて、市民・準市民・亜人からなる身分制度を確立し、かつてマナスで、白人相手に施行した市民権法を、名称も新たに「帝国市民権法」として復活させた。エメルスン帝が即位して間もない、帝国暦125年のことである。
リオネス人とラコニア人はこのなかで亜人に属していた。すでに奴隷制度が定着していた帝国において、彼らは「主人を持たない奴隷」にすぎなくなったのである。
惑星ごと亜人に属したのがリオネスとラコニア以外にないとすれば、この扱いがいかに不当なものであるかは、容易に想像がつこう。しかし、人間とはなかなか他人の痛みは理解できないものだ。もちろん、銀河帝国の病根はそればかりではなかったのだが。
そうと知りながら、リオネス人たちは徐々に帝国に広がっていった。噂に聞く明るい世界に憧れてだろうか、未来のないリオネスの生活に絶望してだろうか。彼らは、帝国にいったいどんな希望を抱いていたのだろう?
そして、やがて各惑星に、スラム街よりもさらに貧しいリオネス人街ができあがっていくのである。侮蔑や憎しみの対象を他に作ることで、他の惑星人のマナス黒人、とくに皇帝家への反発を反らそうとする目的にかなった、格好の標的となることも知らずに。
そんなマナスの伝統芸など、リオネス人が知るよしもなかったが。
リート恒星系で、唯一人間が居住可能な惑星リオネスのいちばんの問題点は、太陽光線をあらかた吸収してしまう暗黒ガスに覆われていることにある。
そこで、当然提案されるのが暗黒ガスを取り払い、リオネスを再開発しなおそうということだったのだが、なぜか開発王はこれらの案をことごとく退け、別の実験を行わせた。
それは、リオネス人とラコニア人を除く、全帝国民が、リオネスにおいてどれぐらい生きられるかというものであった。ラコニア人を使わなかったのは、水棲人しかいないため、リオネスの環境にまったく適合しないと考えたのであろう。
もちろん、こんな非人道的な実験は公にされることもないわけなのだが、性急にリオネスの開発をしなくても、気にするような帝国市民は稀だったのである。
しかし、公開されたところで、眉をしかめるものがどれだけいただろうか?
ましてや、異議を唱えるものなどありえただろうか?
奴隷制度がある以上、実験材料に事欠かぬ帝国は、マナス黒人を除く、全惑星人の奴隷を男女二組ずつ、マナス黒人のみ、終身刑を宣告された囚人をやはり同数、それぞれ生体反応板と脳に直結した遠隔制御装置を埋め込んで、リオネスでもとくに人気のないところに住まわせた。マナス黒人だけ奴隷を使わなかったのは、人種階層の頂点におり、奴隷がいなかったためである。しかし犯罪者とはどこにでもいくらでもいるものだ。
食物も、リオネスで通常手に入るもののみを与え、その健康状態や各種の数値の変化などを克明に記録し、はては同惑星人同士のカップル二組に、子どもまで作らせてみるという念の入りようで、実験が完了したのは、もはやエメルスン帝が死の床に臥そうかというころであった。
この実験をあくまでも秘した帝国は、終了とともに使用した奴隷や囚人、生まれた子らを全員抹殺し、関わった研究者にも固く口止めしたのである。しかし、生き延びたものとて暗黒惑星リオネスの悪影響を受けたのか、早死にしてしまうものも少なくなかったという。
その膨大なデータが、即位したばかりの五代皇帝グロシェン=インパールのもとに届けられたとき、帝国内にはすでに、リオネスを流刑星として活用する案が生まれていた。
実験から導かれる解答は、「惑星リオネスは、リオネス人、ラコニア人を除く全帝国人民に悪しき影響を及ぼすものである。
とくに乳幼児の死亡率は7割を越え、個体の平均寿命も30代で老いを迎えるのが通例である。
暗黒ガスを取り払わぬかぎり、リオネスへの居住は不可能」というものだった。
しかしグロシェン帝は、100人以上の犠牲のうえに成り立つデータをこともなげに放り投げて、こう言った。もちろん、奴隷や囚人をものの数に入れればということだが。
「これは囚人どもの命を賭けたゲームなのだ。本来ならば即刻死刑にするべき連中がリオネスから生きて帰れるかどうかのな。生きて帰れればそやつにはまだ運があったということよ、無罪放免にしてやろうではないか。死んでしまったところで死神王の思し召しというもの、帝国には痛くも痒くもないわ。きゃつらの死亡率など我の知ったことではないし、それ以外にあんな惑星に利用価値などないではないか」
データは廃棄されないですんだものの、この鶴の一声でリオネスの処置は決まり、グロシェン帝の即位した帝国暦176年には、一回目の流刑囚100名が送り込まれたのだった。そのなかで、生きて帝国に戻ったものはいないという。
その後、毎年のようにリオネスには流刑囚が送り込まれていったが、現地での5年間の死亡率は、じつに70パーセント以上にも達したのである。
しかも、当初のうちは死刑囚ばかりであったところを、徐々に規制が緩められて、とくに政治犯を中心に選ばれるようになっていった。凶悪な殺人鬼やテロリストよりも、自らの思想を曲げようとせず、帝国にたてつく政治犯のほうが、帝国にはもっと嫌だったのだろう。それは帝国、ひいてはマナス黒人の支配を脅かす存在となりえるのだから。
人びとはリオネス行の船を見て噂する。
「あれが死の船だ」と。
またこうも言い合った。
「帰りの船はがらがらだってね」
そして帝国暦183年6月、帝国民族生体科学研究所の一角に、フェール=リオネス研究室が開かれた。
帝国民族生体科学研究所は、アムール市の郊外にあり、中央の建物より回廊がいくつも伸びて、別棟を多く抱えるという複雑な構造をしていた。その周囲1キロメートルは研究所の所有する土地で、「関係者以外立ち入り禁止」の札ととも、それがたんなるこけおどしではないという証拠にものものしい警備がされている。研究所を囲む柵は、一見なんの変哲もない棒と針金であったが、実はスイッチひとつで、バリヤーがはりめぐらされ、触れたものを麻痺させる仕掛けになっていた。バリヤーは、外部よりの好奇心旺盛な侵入者を妨げるとともに、実験体の逃亡を防ぐ役割も持っており、3メートルの高さの棒によって外界と遮断されている。
研究所の入り口は正門と裏門の二つだったが、裏門は主に、出口専用と化していた。正門より入ってきた実験体は、ただ死体となって裏門をくぐる以外に、この研究所より出るすべはなかった。しかし、死体となってでも、出ていくことができたものは稀である。彼らの体はすみずみまで刻まれ、ホルマリン漬けの標本となって研究室に残されるのが常だったのだ。それも顧みられることは少なかったが。そんな標本が山とあった研究所は、事情を知らないものにしてみれば、いつでも臭い−−−ホルマリンの臭いなど知らないであろうから−−−ところだったにちがいない。
正門のほぼ真向かいに位置する裏門の周辺には、墓標も立ててもらえぬ実験体の死骸が山と埋められているのだという。それらはどれもかれも、蛆虫さえわかぬほど異様な臭いを発しており、暗く冷たい土のなかで、未来永劫、虚空をにらみつづけているのだともいわれる。死んでからまでなお、研究所に縛りつけられた彼らが解放される日はない。
研究所の近くには、研究員の家族が住人のほとんどである村があったが、農地もないというのに異様に広い敷地で、どこか閑散とした、生活感のあまりないところだった。しかも、多くの家族は、自分の夫や妻、あるいは息子や娘がなにをしているのか、ほとんど知らなかったのだ。
民族生体科学研究所とは、いってみれば公然と人体実験が行えるところである。どの惑星人にはどんな薬物が有効なのか、また無効なのか、どの兵器を使えば簡単に殺せるのか、麻痺させられるのか、そうした実験がいくらでも行えるところだった。当然のことながら、各研究室の実験体の死亡率は高い。そのため、連日のように実験の補充用に奴隷が運び込まれていた。
元来、奴隷とは人間ではない。帝国の巨大コンピューターにおいて、彼らは九桁の番号によって登録されたものであり、家畜だ。彼らの名前など、いちいち番号で呼ぶのが面倒だからついているようなもので、そこに人格の入る余地はない。
奴隷と亜人とのちがいは、ただ番号を持っているかどうかだけのことである。
フェール=リオネス研究室において、実験体として登録されたのは男女4名ずつの子どもたち。実はその前の年から、排卵誘致剤を使って、もとは二卵性双生児だった受精卵より、わざわざ八つ子を作っていたのだった。
個体は、9桁の番号とは別に、便宜上呼称がつけられていた。
男の子には、ロゥン、ヌー、キリエ、ザルト、女の子には、アディ、ルカ、ターナ、ヒューラという。
名前といっても、帝国共通語の最初から8番目までの文字とは、ずいぶん手を抜いたものだ。覚えやすいものではあるが、こうした呼称のつけかたは、この研究所ではよくあるパターンなのだった。
また、新たに研究室配属となったのは、責任者レッセ=フェール博士のほかに、ウィリーズ=ラインスター、ホウマー=トーイアン、スミルノ=アンセハム、オーレ=ディヴァーズ、ジョウル=ターバー、そしてクローディア=ジャレスの7名であった−−−。