「遙かなるリオネス」第二部第二章

第二部第二章

暗黒のガスに囲まれ、1年のうち1日とて陽の射すことのない、リート系第4番惑星 リオネスの空気は希薄で、氷点下を上回ったことがない。はたしてそれが暗黒ガスのためであるのかどうか知るものはないが、他の惑星から送り込まれてきた流刑囚−−−主に政治犯が多かったが−−−は、まずこの空気に慣れなければならなかった。薄さか冷たさか、どちらかでも耐えられなかったものは、到着して一週間以内に死亡するしかないのである。この時点での死亡率5パーセント。
リオネスの薄く、寒い空気に慣れたものは、つぎに食生活の貧しさに直面する。彼らは囚人となるまえに所有していた財産を、ほとんど没収されることなく、リオネスでも通用するカードとして持ち歩くことができる−−−せめてもの恩恵というわけか、たんなる皮肉か。
だから、流刑囚は普通のリオネス人に比べて金持ちが多い。だが、いくら金を積んでみせたところで、リオネスからはそれこそ魔法のようには彼らの見慣れた食事は出てこない。金はある。しかし買えるものがない。味の悪さもさることながら、栄養価が低い。これでは、体がもたないのは当り前だ。空気よりさらに大きいこの壁に、激突して果てるものも少なくはない。いまどき、栄養失調で死ぬなんて、リオネスでもなければ起きないことだ。この時点での死亡率は6パーセント。
貧しく乏しい食物にも慣れた。ところが、リオネスはさらに追い打ちをかける。
人間はふだん自分の惑星で暮らしているときには気づかないものだが、太陽の恩恵を多く被っている。その温もりがいかにありがたいものであるのか、いつも感じているものは少ないが、リオネスにはそれがほとんどない−−−帝国の調査では太陽光線は1パーセントばかり届くのだという。しかし、肌と血液に葉緑素を持ち、そのわずかな恩恵を自己のエネルギーに変換できるリオネス人とちがって、囚人たちにはリオネスの昼も夜もおなじことなのだ。それ以前に区別もできない。ふたつの関門をくぐり抜けたものも、これは容易に越えられるものではないし、たとえ越えられたところで、リオネスを出られる見込みもなく、この暗黒の惑星で、だれにも見取られずに果てるのが落ちであった。この時点での死亡率は、トータルで20パーセント。
かつて、即位したばかりの五代皇帝グロシェン=インパールは、これをゲームだと言った。しかし、ゲームと呼ぶには、リオネスはあまりに手強く、くるものすべてを拒絶しているようでもあった。いいや、これはすでにゲームとは呼べない。勝率のないゲームはありえないのだから。
ところで、リオネスには、宇宙港はひとつしかない。マナスから見ると、リオネスはいつもおなじ面ばかり向けているというので、宇宙港のあるこちら側を表リオネスと呼んでいる。しかしこの宇宙港への着陸は、よほどのベテラン・パイロットでも10回に1回は失敗するという難所で、自動運転制御装置でしか飛ばしたことのない新人パイロットでは、とうてい成功しえないと有名なところなのだ。口の悪いパイロットなどは、「くそったれの惑星、くそったれの宇宙港」とまで呼んでいるくらいだった。
宇宙港の近くには、リオネスで最大の町エルレストレーゴがあって、ここにだけ帝国軍が常駐している。軍隊の質は悪く、主に首はつながっているけれど、ほかに受け入れ先がないものが、左遷という形でやってくるところだ。彼らの勤務期間は2年と他の惑星に比べると破格に短いが、リオネスでの2年とは、気の遠くなるような先のことなのだった。しかも、100人に5人は勤務を勤めあげるまえに死亡してしまう。帰れる見込みがあるだけ、彼らはましだったとも言えようが、宇宙港同様、帝国軍のなかでも、「リオネスに飛ばされたらおしまい」とまで言われるほどだった。
エルレストレーゴは、町と呼ぶにはお粗末なところだ。たんに、バラックの集合体に名前をつけただけという感じで、町長もいないし、町としての機能はなにひとつ持っていない、人間がよく集まるところだった。
だが、宇宙港は、わざわざエルレストレーゴの近くに造られたわけで、宇宙港ができてから人間が集まり、エルレストレーゴと呼ばれるようになったのではない。平屋ばかりのバラックの立ち並ぶなかで、帝国軍の近代的な二階建ての宿舎は異様でさえある。しかし、流刑囚はともかく、関心を持つようなリオネス人は少なかった。彼らには縁のないところだ。
町のなかでひときわ大きな建物は賭博場である。リオネスでは唯一の娯楽施設ともいえ、ここにだけは流刑囚もリオネス人も区別なく入ることができた。
だが、軍人は自分たちの立場をよく心得ているので、宿舎からは滅多に出ない。しかも出てくるときは必ず最重武装してくるので、よけい嫌われるという悪循環である。
賭博場ではリオン・ダイスと呼ばれる、サイコロ4個を使った博打しかやっていない。リオン・ダイスは当然のことながらリオネスで昔から行われてきた、帝国で知られているなかでも、もっとも伝統ある博打だ。親が1人に子が無制限という、1回きりの多人数用と、親と子が1人ずつで、長くやっているかわりに一度に動く金も半端ではない2人用とがある。しかし、流刑囚が参加できるのは多人数用の子だけで、親は必ずリオネス人と決まっていた。それでもここはいつもたくさんのひとでごったがえしていた。
リオネスで時間をつぶそうと思ったなら、あとは娼館に行くぐらいしかなく、こちらも商売繁盛でいつも1時間待ちもざらではなかったのである。しかも、1時間ぐらいで出なければならなかった。
エルレストレーゴの町灯りは、真っ暗なリオネスでは遠くからでもよく目立つ目印だ。そうした集合体はリオネスの各地にいくつもあったが、互いに灯りが見えるほど近いところはひとつもない。
しかし、リオネス人は、通常、他惑星人のように明かりを持ち歩くこともしない。ではどうするのかというと、リオネス人の金色の眼は、赤外線探知機になっているのである。そのため、周囲との温度差によって、暗闇でもあまり不自由することなく、ものを見分けることができるのだ。リオネス人の8割はこの金色の眼を片方に持ち、左右色違いの目をしていた。
だが、1割のものは金色の眼を持たず、町から出るときには明かりを持たねばならず、もう1割は両方とも金色の眼を持っていた。それらのものを、リオネスの共通語オレス語で前者はトリエリ、つまり“半人前”、後者をカイリ、つまり“闇の人”と呼んでいる。もっとも、カイリはともかく、トリエリが面と向かって言われることは滅多になかった。暗黒の惑星リオネスでは暗闇で不自由するものが生き延びることは難しく、帝国の支配下に入ってからは、リオネス人以外のすべてをトリエリと呼ぶこともあった。
表リオネスがあるからには裏もある。もちろん、裏リオネスにも町はある−−−エルレストレーゴを町と呼べるなら、他のバラックの集合体を町と呼んでもなんの差し支えもなかろう。それらは住民以外にとっては名もない町にすぎなかったが。
そうした町のひとつで起きた奇妙な出来事は、わずか2名に目撃されただけだった。
「バード、見て! ねぇ、なに、あれ…」
「人間だ…!」
バードと呼ばれた若者とそう呼んだ少女は、暗闇を割いて、ゆらめくように現われた人影に走りよった。そのものは力なく地面に倒れ、それきりぴくりとも動かなかった。辺りはなにごともなかったかのように静まりかえっていて、2人のほかにはだれもいなかった。
2人が近づいていっても、その人物はやはり動くことなく、暗闇のなかでも、彼の白髪ははっきりと判別できた。
2人の金色の眼は、彼の体が真っ赤だったのから、少し赤味を落としていくさまをとらえた。体温が下がっている。けれど、彼が死んでいるのではない証拠に、2人とおなじくらいの赤さになると、もう変動することはなかったのだった。
彼の息は荒く、脈はどこか不規則に打っている。2人には、彼がリオネス人だということがすぐにわかった。
「おい、大丈夫か?」
バードが呼びかけたが、返事はない。大柄なバードが軽々と抱き上げてやると、そのものが彼らとおなじくらいの年齢であることがわかったが、彼は間もなく、弱々しく目を開けたのだった。
金色の双眸には、一瞬言いようのない恐怖が浮かんだが、2人がおなじリオネス人であることに気づいたのか、それはすぐに消えた。
彼は弱々しかった。けれども、なにより2人を驚かせたのは、彼の手首と足首についた、ちぎれた鎖付の枷と、頭や体に刺された無数の針だった。
鎖の先は、まるで溶かされたかのようにひしゃげており、まだわずかに熱を持っていた。針にもコードが付いていたが、それらも鎖同様に溶かされている。
しかも、彼の格好もおかしかった。薄い貫頭衣をひっかけているだけで、ほかにはなにも着ていないのだから。リオネスでは見たこともないような服だったが、服というよりもただの布きれといったほうがよかったかもしれない。
「……ここは、どこ…?」かぼそい声で彼はささやいたが、すぐに、疲れきったようすで目をつぶってしまった。
「ハルミアの町さ。おまえは、いきなり現われたんだぜ。いったい、どういう手品なんだい?」
しかし、彼は大きく息を吐き出しただけだった。答えることもできないほど疲れているようで、息もまだ落ち着かず、バードの腕に力なくもたれかかっている。
「とりあえず、うちへ連れていってあげない? 話はそれからだっていいじゃない」
「ああ、それもそうだな…」
2人は歩き出し、少し行ってから、少女のほうが背伸びしてささやいた。
「でも、ねぇ、なにか変じゃない、彼って?」
「どこが? 服装がか?」
ささやき返すにはバードは身をかがめなければならなかった。
「ちがうちがう。見てよ、腕にちっとも毛がはえてないじゃない」
「ほんとだ…!」
「しーっ!」
2人はきょろきょろと周囲を見回したが、町というにはあまりにお粗末な建物の群れのなかからは、相変わらず、だれ一人として出てくるものはなかった。バードの言葉を聞きとがめたものはいなかったのだ。
それから、2人はいろいろなことを想像しながら歩き、謎の少年に刺さった針を抜いてやった。毛がないのは腕だけではなかった。頭髪以外は全部だ。しかし、鎖と枷は、いまはとることはできそうもなかった。針は、とくに頭と胸に多く刺さっていたのだが、その用途について、2人は思い浮かべることもできなかったのである。
名前も素性も知らない異邦人は、それから、バードと妹のシラムーンの家で3日は寝たきりで意識もなかった。兄妹の2人きりで、他に気がねする必要などないわけなのだから、そんなこともできたのだった。裏リオネスにあるハルミアの町は、エルレストレーゴほど住人の心が荒んでもいなかったのである。
エルレストレーゴは、住人の半分近くが帝国の流刑囚だと言われるほどで、リオネスで唯一、帝国軍が常駐している町でもある。犯罪者と左遷された軍人が多く集まるところとなれば、エルレストレーゴの人びとがあれほど荒んでしまったのもしょうがないのかもしれない。
ところで、ハルミアの町は、リオネスの大多数の町と同様に、つねに灯りが絶えなかった。というのも、暗闇でもあまり不自由することなく暮らせるリオネス人であったが、明るいほうが視界がいいのは当然のことであり、なによりも人が集まるところに灯りを絶やさないことが、彼らの習慣となっていたのである。
この暗闇のなかで一人きりで暮らしていけるものはいない。だからリオネス人は集団で暮らす。目に見えるところにだれかがいないと安心できないから。灯りは人がいることの、もっともわかりやすい目印だった。
灯りの燃料はさまざまだ。帝国のようにスイッチひとつでつけたり消したりできるわけではないのだから、どうしてもなにかを燃やして灯りを作らなければならない。そのために、天井は煤だらけで、いつもなにかを燃やす臭いで、リオネスは独特の異臭を放っていた。エルレストレーゴももちろん例外ではなく、帝国人が死にやすい原因に一役買っているのかもしれない。もっとも、空気が薄いせいで燃焼が悪く、なかなか明るくはならなかったが、火があるとなしとでは大違いであろう。
バードとシラムーンの家も、動物の油を燃す臭いがしていたが、これは安いのがメリットであるかわりに臭かった。しかも、いまいち薄暗いという欠点もあった。
異邦人の少年は、そんな臭いも気にならないのか、いっこうに目が覚めるようすもない。彼がおかしいのは毛がないことばかりではなかった。身体のあちこちに黒い斑点があって、二人ともますます彼の正体に思いを巡らせたのであった。
そんなこんなで彼がようやく目を開けたのは、とつぜん現われてから3日目のことだった。
「お、目が覚めたかい?」
「ここは…?」
「ハルミアの町さ、最初に言っただろう? どうだい、腹が減ってないか? なにしろ、おまえは3日も寝てたんだもんな。俺はバードっていうんだ、本当はバーディシュっていうんだけど、みんなは縮めてバードって呼ぶのさ。おまえは?」
「僕は…ロゥン……」
「あ、なによぅ、彼が目を覚ましたら呼んでくれって言ったじゃない。バードったら、すぐに忘れちゃうんだもんなぁ」
「目を覚ましたらって、いま起きたばっかりなんだぜ。でな、ロゥン、こいつはシーラっていうんだ。俺の異母妹さ」
「よろしくね、ロゥン。あたしはほんとはシラムーンっていうの。でも、シーラって呼ぶひともいるわ」
ロゥンは、ゆっくりと身を起こした。じゃらじゃらと鎖がうるさく鳴って、彼は初めてその存在を思い出したような顔をした。
「ああ、それな。おまえの体に刺さっていた針は全部とれたんだけれど、鎖は道具がないとできないし、おまえは眠っていたから−−−」
「…訊かないのかい……?」
「なにを?」
「どうして、僕がこんなものをしているのかって……」
「訊いたら、話してくれるのか? でも、そんなことはどうでもいいんだよ。おまえは俺たちのまえに現われて、具合がひどく悪そうだった。だから助けたんだ。おまえの事情は、それはまぁ、興味がないわけじゃないが、話したくないんならべつにどっちだっていいし、話さないからって関係はないしな」
彼は納得したようなしていないような顔だった。どこか奇妙なロゥンに、バードはなんとなく違和感を感じたが、やはりなにも訊ねるつもりはなかった。
「ねぇねぇロゥン、こんなものしかないんだけど、食べられるかしら?」
いったんいなくなったシラムーンが、またやってきて縁の欠けた木の椀を差し出した。中身は実のほとんどないスープだった。湯気が立っているので熱いことはわかるのだが、けっしていい匂いとはいえない。
けれども、「ありがとう」と一言、ロゥンは一気に中身を飲み干してしまったのである。
「おいおい、そんなに早く食うと、おまえの腹によくないんだぞ、腹が減ってるのはわかるけど、もうちょっとゆっくり食べたほうが…」
「大丈夫、なんでも食べられるよ」
「そういう問題じゃなくってだなぁ」
「いいじゃない、バード。ロゥンが食べられるっていうんだから。ね、おかわりあるわよ。もっと食べてもいいんだからね」
「うん、ありがとう…でも、あんまり食べられないから、これで十分だよ。
二人とも、ちょっと離れていてくれるかい?」
「どうしたの?」
「なにかあったのか?」
二人はほとんど同時に訊ねたのだが、ロゥンは答えずに、右腕を差し出した。重たそうに鎖が揺れている。
彼がそれを睨むと、バードとシラムーンは信じられないような思いで鎖がみるみるうちに溶けていくのを見つめた。
右腕ばかりではなかった。四本の鎖と枷がみるみるうちに溶け、あとかたもなく蒸発してしまったのである。
それらがあったという証拠に、薄暗い部屋のなかは白い蒸気が一瞬こもったけれども、それもすぐに消えた。あとには、なんの臭いも残らなかったほどだ−−−あるいは、獣脂ランプの臭さにかき消されたのかもしれないが。
大きな息をロゥンは吐き出した。気がつくと、彼は全身に汗をかいており、いまの“手品”で疲れたようで、また横になった。
「ねっねっ、いまのはなぁに? 最初に現われたときから、あなた、どこか変わってると思ったんだけど、いったいなにをしたの?」
「…鎖を溶かしたんだよ…ただ、それだけのことさ……」
彼には、シラムーンがなぜそんなに興味津々で訊いてくるのか、ちっともわかっていないようだった。そうとわかると、バードだって黙ってはいられない。
「なぁ、おまえ、最初にここに現われたときに、いったいどういう手品をつかったんだい? あれはぜったいに普通じゃなかったぜ」
それで、ロゥンは2人の顔を交互に見比べた。自分ができることが当り前だと思っていたけれども、どうやら彼らにはそうでないらしいということを、彼はやっと理解したようだった。
けれども、彼は自分がなにをしたのか説明しなかった。
「……少し疲れたんだ、眠らせてもらってもいいかい…?」
「ああ、そうだな」とバード。ロゥンになにも訊かないと言った手前、それ以上追及するわけにはいかなかった。
兄が譲歩してしまったのと、ロゥンがほんとうに疲れているみたいだったので、シラムーンも「しょうがないわね」と納得した。
「じゃあ、おやすみ、ロゥン」
2人はあっさりと彼を一人にしてくれた。けれどもロゥンには、彼らの好意に甘えているという自覚も意識もまったくない。
なぜなら、彼にはすべて初めてのことだったからだ。
ロゥンが知っているのは、弟や妹たちと、自分たちを最後まで人間とは扱ってくれなかった、7人の人物だけだった。名前も顔も、彼ははっきりと思い出せる。忘れられるなんてことはないだろう。
そう、彼らは実験者と名乗っていたっけ。そして、自分たちは、かつて実験体だったのだ−−−。
リオネス人の8人の子らは、そうなるべくして8人に分かれたのではなかった。できるだけ多くの実験体を欲したレッセ=フェール博士によって、強制的に分割されたにすぎなかったのだった。
人口100億をとうに超え、そろそろ200億の声も聞かれるかという帝国にあっては、自然に生まれた多産児でさえ敬遠されがちだったが、リオネス研究室のように、赤ん坊のころから実験体を育てているという場合は、よく排卵誘致剤が使われたのである。
8人は共通語でA(ロゥン)、B(ヌー)、C(キリエ)、D(ザルト)、E(アディ)、F(ルカ)、G(ターナ)、H(ヒューラ)と名づけられ、実験体としてC31175611〜5618の番号で登録された。
はたして、フェール博士の手元にあったリオネス人男女の精子と卵子の提供者がどうしたのか、知るものはない。それを手に入れるために、彼がいくら積んだのかも。あるいはまったく無償で手に入れたのかもしれないが、真相は闇のなかなのである。
8人は、もちろん両親の顔を知らずに育てられた。生きているのか死んでいるのか、またどんな事情があって、フェールなどに精巣と卵巣を提供したのか知らないという以前に、両親の存在そのものを知らなかったのだ。育児ロボットが親の代わりだったが、そのプログラミングは必要最低限のものしかされなかったため、子どもたちは動いているものにすぎなかった。
だいたいにおいて、育児ロボットには人間を育てられないというのが通説である。というのも、人間ならば当り前のように持っている愛情やしぐさなどを、すべてロボットの記憶装置に叩き込もうとすると、どうしても子ども一人分の記憶さえ入らないくらいにあふれてしまうのだ。
それに、ロボット工学の最先端をいく帝国科学技術研究所内人工知能研究室では、かつて人間なみの感情を与えたアンドロイド、通称ESTタイプに反乱され、実験が失敗に終わったという苦い思い出がある。人間なみは必要ないのだ。つまり8人は最初から人間の扱いを受けていなかったわけである。
ロゥン、ヌー、アディ、ルカの4人には、赤ん坊のころから成長促進剤が投与され、キリエ、ザルト、ターナ、ヒューラのおよそ倍の速さで大きくなっていった。しかし、中身は変わりなかったので、外見は4歳でもまだよちよち歩きだったというちぐはぐなことも少なくなかったが、そんなことが問題になるはずもなかった。
フェールは、ロゥンたちがまだ人工子宮のなかにいるときから、日に一度、子どもたちを見に来た。彼らが実験を開始できる5歳になるまで、彼はそれこそ一日千秋の思いで待ちつづけたのだろう。毎日来たのは、たんに子どもらに自分を覚えさせるためだったのかもしれない。実際、ロゥンはわずかに彼のことを覚えていた。
ロゥンたちはなかなか言葉を覚えず、実験が始まってからも話すことはなかった。なぜなら、彼らにはそんなものは必要がなかったのだ。最初のうちは触れ合うだけで互いの心がわかりあえた。彼らの思考も感情もとうに芽生えていた。実験者たちには秘密にされていたというだけのことだった。秘密というよりも、むしろ実験者たちが気づかなかったといったほうが正しいだろう。なにしろ、「リオネス人は喜怒哀楽のような感情を持たない」を考えてしまうような連中だったから。
やがて実験が始まると、彼らは互いの痛みや苦しみを共感しあうようになっていた。いつでも8人分の苦しみ、8人分の痛み、だから、子どもたちにとって心休まるときなどありえない。実験がだれかに行われているかぎり、それは全員に与えられるも同然なのだ。
また彼らは自我さえ持っていた、わずか5歳の子らが。けれど、表面上は、ロゥンたちはなんにでも無感動なものでしかなかった。表に出す必要がなかったのである。実験が始まるまで、世界には彼ら8人とロボットしかいなかった。ロボットにテレパシーは伝わらない。日に一度訪れるフェールは、子どもたちには赤の他人だった。
しかし、実験が始まると事情はまったく異なってきた。幼い彼らにとってただの苦痛の時間は、皮肉なことに彼らのテレパシーを強くしたが、実験者たちには届かなかった。ロゥンたちが最初に覚えたのは、自分たちの交流手段、すなわちテレパシーを黒い肌の実験者たちが持っていないということだった。その黒という色さえ、最初は知らなかったのに。そして、5年間も表面に感情を出さずにすごしてきた子らにとって、表に出すということなど、いまさら考えつきもしない。
彼らは実験を恐れた。近づきつつある死ではなく、実験の行為そのものを。数多くの薬品と実験への恐怖のために髪が白くなった子どもたちは、それでも狂ってしまうこともできずに生きていたのだった。
7歳のとき、ルカが死んだ。ロゥンやアディとの比較だといって、ヌーとともに、いちばん薬を飲まされていたルカ。ロゥンとアディは、成長促進剤以外にはあまり薬は飲まされなかった。けれど、彼女を殺したのは薬ではなかった。気圧や空気の薄さへの適合性を調べるためといっての実験でだった。
彼女は外見は14歳くらいだったけれど、それは自然の流れに逆らったからだ。彼女もアディも、外見が12歳ぐらいのころから、不規則にやってくるひどい月経痛に悩まされていた。体内のホルモンのバランスがすっかり狂ってしまい、どうしてやることもできなかったのだ。
「本当なら6歳のくせに、月経痛だなんて早熟なやつらだなぁ」とあきれたように言った実験者は、彼女らの苦しみなど知りもしない。
彼女の真っ白な髪を、ロゥンは覚えている。真空でばらばらに散った彼女の緑色の血、肌、肉体は、クリーナーという大きな機械で片づけられてしまった。なにもなかったかのように。初めから、まるでだれもいなかったかのように。
弟も妹も、あの事故でどれだけ苦しんだろう、悲しんだろう。ルカはどれだけ苦しかったろう、痛かったろう。
ロゥンは声にならぬ叫びをあげつづけた。届かないとわかっていながら、彼はいつだってなにか言いたくていた。
けれど、彼は力を得た。ルカの魂は、彼のところに還ってきたのだった。
“あたいたちは、もともと2人しかいなかったの、ロゥンとアディだけだったのを、あいつらが勝手にばらばらにしちゃったんだわ、だから、あたいはロゥンのところに還ってきたの、あたいの力をロゥンにあげる、もうあたいには必要ないものだから…これからはずぅっと一緒だよ、ロゥン、リオネスを忘れないで、きっとね…!”
“待って、ルカ…!”
目を覚ますと、彼は暗くて小さな部屋に独りきりだった。
だが、右手を掲げたロゥンは、“これがロゥンとルカの手…”とはっきり意識し、自分が昨日までのロゥンとちがうことをも知った。ルカの魂と合体することで、彼はべつの人間となったのだ。あるいは、ルカの言うように、本来はアディと自分だけだったのだから、彼は本当の自分に戻ろうとしているのかもしれなかった。
やがて目覚めたヌー、キリエ、ザルト、アディ、ターナ、ヒューラもまた、すぐにロゥンになにが起きたか、ルカがどうなったかを知った。彼はもう、自分たちとおなじ7歳の子どもではない。
ルカが最後に言った「リオネス」という名を、彼らは強く懐かしく感じずにはいられなかった。それがなんであるのか、知るものはなかったのだけれど。
またロゥンは、多少の力を身につけていた。テレパシーよりもっと強いサイコキネシスは、ルカとの合体で生まれたのだろうか。
けれども、彼ら7人の共通した意見は、この力を決して表には出さない、実験者たちには感じさせないようにしようということだった。使っていない超能力を探知機は拾うことはできない。いいや、ロゥンはやがて、探知機などに気取られぬようにある程度まで力を使うことができるようになっていた。
その一方で、ルカの死は、ロゥンを除く6人に重要な問題を提示してみせた。一足す一は二ではない。それ以上のものだ。けれどもルカのようにロゥンと合体することができるだろうか。そうでなければ、ただの死で終わってしまう。
彼らは長いこと話し合った。こういうときにはテレパシーは便利なものだ。いつか、それにロゥンも加わっていた。
だが、結論は一つしかなかった。たとえ結果がどうなってしまうのだとしても、このまま実験をつづけられるよりもいい。生きつづけるよりはましだろう。
もはや実験は尋常の苦しみではなくなっていた。もしも立場が逆転しても、実験者たちではひとつとして生き残れまい。子どもらには、それらのことが本能のようにわかっていた。
遺伝子の構造からして異なるリオネス人には、他の惑星人に比べて、異常なまでのさまざまな物質への耐性が備わっていたのである。そのなかにはリオネスには存在しないものも含まれていた。
けれども、そんなことを相談しているうちに、とうとうザルトも死んでしまった。
実験はエスカレートする一方で、終わるということがない。生きのびられれば生きのびただけ、過酷な要求が待っているだけなのだ。
それが実験というものだ。それが実験体というものだった。
ザルトの魂は迷わなかった。還るべきところへ還ってくるだけのことだと彼は言った。
ザルトとの合体により、ロゥンは彼の記憶と透視する力を得、他の5人よりも大人びた考えを持つようになった。ルカのときとおなじように、いままでのロゥンではなくなっていた。
残る5人は今度はロゥンのことを心配した。最後の1人になったらどうするのか、それまで彼だけが実験に耐えつづけなければならないのか。
“僕がやる”
長いこと考えたあげくに、ロゥンはそう決めた。昔の彼ならば決してそうは思わなかっただろう。
“ルカとザルトが僕を選んだのだから、僕がリオネスへ行かなくちゃいけない、みんなと一緒に、リオネスへ還るんだ”
ルカのときもザルトのときも、死の瞬間までも彼らは共有してきた。生まれたときからずっと、彼らは8人で1人のようなものだったのだ。
リオネスは、もはや懐かしいだけのものではない。そこは、彼らの故郷の星だ。たとえその地が、暗い帳に覆われていても、流刑囚の放逐により、帝国認可の無法地帯と化していようとも、そこだけが彼らのふるさとなのだ。
たった一人残り、リオネスへ還ることを決めたロゥン。
けれど彼らはいまだに知らない。リオネスがマナスから10光年も離れた、帝国のなかでも辺境の惑星であることを。
それから、ヒューラ、キリエ、ヌー、アディが死んだ。弟や妹が死んでいくごとに、ロゥンのサイコキネシスやクレヤボヤンスはさらに強力なものとなり、リオネスについての知識は増した。しかも、彼はもはや肉体の年齢にふさわしいだけの分別を身にそなえていた。
奇妙な話だった。同い年のはずのターナが9歳の小さい女の子に思えるとは。その彼女もひどく弱っているのがわかる。
“ロゥン、あたいももうすぐバイバイするわ、わかるの、本能みたいにはっきりとわかったの…あたいたち、逃げられてもあんまり長くない、でも怖くないわ、ロゥンといっしょになれば、みんながいるものね……”
“ターナ、ターナ…!”
“泣かないで、ロゥン、泣かないで…ねぇ、リオネスを見せて、もう目が見えないの、ロゥンの顔が見えない……”
“もうすぐだよ、ターナ、もうすぐリオネスに行けるんだ…そこでみんなで暮らそう、ずぅっと静かに、僕たちだけで暮らそう……”
命の灯の消えてしまったターナを、ロゥンはそっと床に横たえた。力が感じられる。手を触れずに、隣の部屋のターナを横たえたことなど、意識しないでもできるほどだ。
けれど、それ以上はなにができるのかわからなかった。そして、いちばんの難問は、どうやってリオネスへ行けばいいのかということであった。
8人のうち7人も死んでしまったことで、実験をこのままやめてくれないかという淡い期待は、しかし強欲なフェールのまえには泡のごとくはかないものでしかなかった。
ロゥンは訴えた。ここで唯一の味方のように思えたクローディア=ジャレスなら、きっと自分の気持ちを理解してくれるだろうと願って。ときおり触れる彼女の心は、ここの実験者たちのなかではいちばん暖かい。
すべての糸が切れてしまったのは、クローディアの本質がわかったときのこと。彼女にとって、自分はリオネス人実験体にすぎず、あの温かい笑顔も、すべて演技でしかない。彼女はできるだけロゥンとかかわりたくはない。おとなしく実験を受けてさえいたらそれでいいのだ。クローディアは、自分では意識していなかったようだが、強烈な民族主義者であった。
神経ガスが彼は嫌いだった。本来は対人兵器で、あんまり大量に吸い込むと脳をやられるのだという。しかしこれがリオネス人にはちょうどいい麻酔薬なのだ。いや、通常の麻酔が効かないと言うべきか。
けれども、あの頭のなかをひっかきまわされ、あげくのはてにばらばらになってしまうような気分は、一度なりとも味わったものでなければわかるまい。
ロゥンはまた、自分たちに替わる、リオネス人実験体が16人も育ちつつあることも知っていた。同じ精子と卵子から生まれた弟や妹たちだ。16人だけではない。望めば、いくらでも子どもたちは作ることができるはずだった。精子と卵子がなくなれば、またフェールがどこかから都合をつけてくるにちがいない。
だから、もはや自分が用済みで、今度の実験で死んでしまうかもしれないと思っていた。なにをするのかなんてわかったものじゃない。
案の定、ロゥンは二度も死の淵を覗いた。彼は子どものように実験の中止を哀願したが、それは聞き入れられなかったばかりか、うっかり力のことで口を滑らせたおかげで、フェールに神経ガスの使用を決心させてしまった。
しかし、ロゥンのほうでも、もう限界だった。これ以上耐えられないと思ったとき、彼の力は大爆発を起こしていた。
DNAにすりこまれた記憶でしか知らない故郷の星へのジャンプ。10光年がいかに遠いものかわからぬ彼には、アムール市内の公園へ行くのもさほどちがいないことだったのだ。そして精神的には、リオネスも公園も、ロゥンたちには同じように遠いものであった。生まれてこのかた、一度も研究室を出られたことなどなかったのだから。
彼は一生忘れられないだろう。スローモーションでばらばらにちぎれていく実験者たちのようすを、いちばん遠いところから自分を見ていたクローディアの、あの冷たい眼差しを。
(殺してしまいたかったわけじゃない…! 死んでしまえと願ったわけじゃない……でも、もう止められない、僕のなかの怪物、止められっこなんかない…)
はっとして目を覚ますと、ロゥンはマナスではなく、リオネスにいた。彼は、暗がりでこっそりとこちらを見ているシラムーンの姿を見つけて、むっくりと起き上がった。
「起きてたの、ロゥン?」
「いまね。そんなところでどうしたの、シラムーン?」
「シーラでいいわ…とっても恐い夢を見たのよ、そのなかにあなたがいたの」
「え…?」
シラムーンが近づいてきて、ロゥンの傍に座った。
「バードはまだ寝てるわ。あたし、夢を見てて、目が覚めちゃったのだもの」
「どんな夢だった…?」
「あたしね、変な力を持ってるのよ。ほかのひとの心が、読もうと思わなくても伝わってきちゃうことがあるの。あんまり強く思ったり、触ったりするとね、あたし、勝手に読んでるのよ。バードだけなの、大丈夫なのって、だからロゥンにも触らないようにしていたんだけど…それで、一緒に苦しかったり怒ったり、嬉しかったり悲しかったりするの。嬉しいことってあんまりないわね。みんな、強く思うことって、嫌なことばっかりなんだわ。
ロゥン、夢を見ていたでしょう? あなたの夢なのよ、きっと。そんなつもりなかったのに…」
「気にしないで、シーラ。べつに見られても困るようなことじゃないんだよ、本当にあったことなんだから。僕は、7人も殺して逃げてきた、実験体だったんだから…」
「どうして? どうしてあんなことがあるの? どうしてあんなことができるの? あたしたちだって人間なのに、おんなじように生きているだけなのに…!」
「僕にはわからない。彼らが、自分たちをいちばん優れているって思っていたっていうことしか…リオネス人は、下等な人種なんだって……でも、ここは本当にリオネスなんだね…?」
「そうよ。あなたたちが帰りたいと思ってたところなのよ、ここがリオネスなの。おかえり、ロゥン!」
そう言って彼女は、思わず抱きついていたが、いつものように触っただけで感情が伝わってはこなかったようで、ちょっとびっくりして離れた。
「ありがとう、シーラ…僕はもう行かなくちゃ……」
「どこへ行くの? 独りでどうするの?」
「僕はみんなに約束したんだ。僕たちだけで静かに暮らそうって…それに、僕は独りじゃないんだよ」
「そんなことできるわけないわ。ここはリオネスなのよ、食事とか、どうするつもりなのよ? 自分たちだけでなんとかしなくちゃならないのよ、だれも助けてくれないのよ」
「なんとかなるよ」
ロゥンは立ち上がった。もはや自分だけでは引き止められないと察して、シラムーンは兄を呼んだ。
「バード! バード−−−」
ロゥンの行く手を大柄な体がふさいだ。彼は臆すことなく、バードを見上げる。
「独りでどこに行くんだよ、ロゥン?」
「僕たちだけで暮らすんだ。そこを通してくれないか、バード?」
「まだ足元がふらついてるっていうのに、そんなことできるものか。まあ座れよ。なにもそんなに焦って行かなくってもいいだろう?」
「どうして行かせてくれないんだい?」
それでも彼は、案外素直に従った。
「おまえのことを心配してるんだぜ、これでも。だいたい、リオネスに来たばっかりのくせにどこ行こうっていうんだよ?」
「どこでもいい、僕たちだけになれるのなら」
「なぜ、おまえたちだけじゃなくちゃならないんだい?」
「わからない。でも、約束したんだ」
「……なあ、ロゥン、おまえに会わせたいひとがいるんだけど、それからでもいいんじゃないかな?」
「だれだい、それ?」
「会えばわかるよ。シーラ、そういうわけだから、また留守番頼んでもいいかぁ?」
「あたしも連れていってくれればいいのに。そうしたら、留守番なんていらないじゃない。盗られて困るようなものなんかないわよ」
「うーん…おまえには、あんまり会わせたくないんだよなぁ」
「どうしてぇ? バード、なに隠してるのよ? まさか、エルレストレーゴなんて行くつもりじゃないでしょうね?」
「馬鹿なこと言うなよ! あんなとこに用があるもんか。さっ、行こうぜ、ロゥン」
「ちょっとぉ!」
ロゥンの手を引っぱって、バードはばたばたと家を出た。
が、少し走っただけでロゥンが息を切らしてしまったので、あとはゆっくり歩いていくしかなかった。
「おまえもぜんぜん鍛えてないな? 細っこい腕をしてさ、あれぐらいで息が切れちまうなんて」
「だって、走ったことなんてなかったもの。生まれて初めてだよ、こんなこと」
バードは信じられないと言いたそうな目をロゥンに向けたが、また口を開いたのは町を出てからのことだった。
「いったいぜんたい、どういう暮らしをしてたんだよ? それにさっきから僕たちだの、約束しただの。まさかリオネスに知り合いでもいるのかい?」
「君は、夢を見なかったの?」
「夢ぇ? そいつはシーラの特技だな。俺は話し声がするから起きてきただけさ。まあ、ちょっと立ち聞きもしたけどな。詳しいことは全然知らない」
「じゃあ、バード、どうして僕をだれかに会わせたいと思ったんだい?」
「思い出したのさ、おまえが使った手品がなんだったか」
「手品…?」
「まあ、そいつはもののたとえってやつだよ。おまえはテレポートができるんだ、そうだろう? そんなことができるやつはめったにいないんだぜ。俺たちはいつだって、どこへ行くにしても歩いていくしかないんだ。でも、テレポートがどんなものか、聞いたことぐらいはあるからな。見たのは初めてだったけど」
「そう言われてもわからないな…僕は、リオネスへ還りたいって思っただけなんだから」
「どこから?」
「帝国民族生体科学研究所。マナスにあるんだって」
「……マナスぅ」
「君は知ってる?」
「いいや、初めて聞いた。ほんとにそれはマナスにあるのか?」
「うん、アムールってところの近くだって」
「……本当にマナスなのか?」
「嘘をついてもしょうがないだろう」
「……で、そのなんたら研究所ってところで、なにをしてたんだよ?」
「僕たちは実験体だったんだ…弟も妹も7人とも殺されてしまった、でも、僕のなかにいるんだけど。僕は逃げ出してきたんだよ、実験者を7人殺してね…」
「だから、もうだれにも関わりたくないってことなのか?」
「それは関係ないな。僕がみんなと約束したのは、逃げてくる、もっとまえのことだったから」
それから、バードはしばらく黙って歩いた。
ロゥンが最初に休もうと訴えたときに彼はまた話し始めた。
「まだこれっぱっかしか来てないのにかぁ?」彼の第一声はそれだった。事実、町の灯はまだまだ近いところに見えた。
「まあ、しょうがないか。それで、ロゥン、実はな。おまえに手伝ってもらいたいこともあるんだよ」
「僕なんかでできることなの?」
「当り前さ。俺たちはリオネスを帝国から独立させようと思ってるんだぜ。実はこれから、その集会所へ行くところなんだ」
「独立? なぜ?」
「もう帝国に縛られないためにさ。俺たちは、亜人だの奴隷だの、実験体だのってのは、もういいかげんにうんざりしてるんだ。だから、帝国から離れて自由になるのさ。一人、強いテレパシーを持った婆さんがいてな、独立のためにいまからどうしたらいいのか、計画を練ったり仲間を集めたり、いろいろやっているのさ」
「どうしてシーラを連れてこないんだい?」
「あいつには厄介な力があるからな…俺たちはもともとはエルレストレーゴにいたんだけど、あんなに人間の多いところはシーラには駄目なんだよ。死んだ親父は、シーラの力のことをエンパシーだって呼んでたけど、四六時中だれかの感情に振り回されてて、それでハルミアに来たのさ。最近、ちょっとは収まっているらしいんだけど…」
「でも、僕になにができるのかしら…?」
「おまえには力があるじゃないか。テレポートとかもそうだけど、鎖を溶かしちまったりしてさ。それはすごい武器なんだぜ…!」
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