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バリュードメイン 「遙かなるリオネス」第三部第一章

第三部第一章

銀河帝国皇帝グロシェン=インパールは、無理に起こされたもので、たいへん機嫌が悪かった。61歳になったというのに、好色で偏食、遊び好きのこの皇帝は、いつも昼すぎまで寝ていたし、それだって彼が眠いとなれば、いくらでも寝ていることができ、だれかに起こされるなんてことは、即位当時より一度としてなかったので、こんなふうに起こされるなんてことは立腹どころか、いやいや、そんな不届きなやつは、即刻処刑しかねないほどの気分だったわけである。
しかし、そんな気持ちはたちまちのうちに吹き飛んだ。グロシェン帝は、怒りで全身が熱くなるどころか、恐怖のために血の一滴残らず、凍りつくような思いだった。
「僕はグラエ」
相手の口調は、わけのわからぬ子どもを諭そうとするかのように穏やかなものだった。けれども、彼はグロシェンに反論の余地を与えず、静かに言い放った。その毅然とした口調は、皇帝には長いこと聞いた記憶がないものだった---そう、多分、父帝エメルスン=フォード以来だろう。
「銀河帝国皇帝に告げる。僕はすべてのリオネス人の代表として、リート系リオネスの、銀河帝国よりの独立をここに宣言する」
そこまで聞いてしまうと、もはや、グロシェンには皇帝の貫祿などなかった。腰を抜かし、ただ口をぱくぱくさせて、グラエと名乗ったリオネス人を見つめているだけだ。彼をさす指も震えていた。
それで、グラエは一呼吸おいて、言葉をついだ。
「その際、現在リオネスに駐屯している帝国軍と、放逐されている流刑囚すべてをリオネスより帰還させるつもりだ。今後、リオネスは独立国家として、軍と囚人のどちらをも断る。
我々は、帝国支配下の時代にリオネスおよびリオネス人に対して行われた不当な差別や扱いについて、なんら賠償などは求めない。しかし、リオネスへの内政干渉はやめてもらいたい。それだけが我々の要求だ。
これが認められない場合は、我々は徹底抗戦も辞さないつもりである」
「……」
グラエが消えるようにいなくなって初めて、グロシェンは声を出すことができた。が、彼がまずしたことといえば、いつも隣室に控えているはずの護衛に、助けを求めることぐらいでしかなかった。
「バーシア、バーシアはおらぬのか」
「お目覚めでございますか、陛下?」
現れたのは、チョコレートというより、磨きあげられた黒檀のように黒いグロシェンとはまったく対照的な、透けるように白い肌の若者だった。短く淡い金髪に、すらりと均整のとれた体格は、男とも女とも見分けがつかず、中性的でさえある。
しかしグロシェンは、まず返事がわりにいつも決して手元から離したことのない鞭を打ち込んだ。狙いは過たず、額から真紅の血が一筋流れたが、バーシアは微動だにしなかった。
「愚か者め! このわしが、銀河帝国皇帝たる、このわしが…」
「父上!」
途中でグロシェンの言葉が途切れたのは、皇太子のイェリオ=カラザアが許しも得ずに入ってきたからだ。この無礼な態度に、我が子とはいえ、皇帝はふたたび怒り心頭になりかけたが、皇太子の告げた言葉が、先ほどの目覚めのできごとが決して夢でも幻影でもなかったことを決定的にしたので、怒ることも忘れて、思わず生唾を飲み込んだのだった。
バーシアはさっきからおなじところに控えて、主人たる皇帝の次の命令を待っているようだったが、いまのグロシェン帝は自分のことで手一杯で、白人の若者のことなどまったく眼中にないといったようすだ。
「グラエと名乗るものにより、リート系リオネスが独立を宣言しました。リオネスに駐屯中の帝国軍とすべての流刑囚を1ヶ月中に帰還させるつもりであり、今後は内政不干渉であれと」
「そ、それは、だれが知っているのだ? おまえだけか、イェリオ? それとも…」
「やつは帝国の電波を乗っ取ったのです。御存じでしたか、父上?
いまごろは、おそらく、帝国中のもの、すべてが---父上」
「あとは私が、殿下」
一見細そうなバーシアの腕は、軽々と、気絶したグロシェン帝を抱き上げた。皇帝は、日頃の不節制が祟って、最近ますます肥満が進んでいるというのにまったく意に介さないようだ。
イェリオは、父帝の護衛兼愛人の白人に、一瞬嫌悪の目を向けたが、黙って頷いた。自分が代わりに運べと言われてもお断りである。
「宰相たちに父上の名で招集をかけておく。父上が目覚められたら、小会議室でお待ち申し上げると、そうお伝えしてくれ」
「かしこまりました」
皇太子の露骨な視線に、バーシアが気づかなかったはずはなかったろうが、白人の若者は、ただ軽く頭を下げたのみであった。
イェリオは、自分の半分以下の年齢でしかないバーシアをもう一度見て、すぐに皇帝の寝室を出ていった。
あの氷のように冷たい美貌のしたで、なにを考えているかなんて、わかったものじゃない。バーシアは、快楽用として育てられた白人奴隷だ。10歳ぐらいのときに皇帝が目をつけたが、間もなく両性体と判明した---知られているかぎり、両性体はかなり珍しいものだ。1億人に1人か2人いるぐらいである。しかし、バーシアの例もあるように、成長してから両性体と判別することもあるので、実際はもっと多いのではないかと思われていたが、どちらにしても、そうそう見られるようなものではない。両性体のいちばんの特徴は、なんといっても男女の性器を兼ね備えていることだが、多くの場合は、そのくせに性的不能であるという。
それで、グロシェンは、世にも珍しいペットに喜んで、余計なことを教えたのだ。父帝は、奴隷は従順なものと信じている。主人の命令には盲目的に従うのだと考えていて、バーシアに思いつくかぎりの格闘技を教えさせたのだった。
いまでは、彼女、あるいは彼は、個体としての戦闘力は帝国最強と言い切ってもいいほどで、体の線がはっきりとわかるほどぴったりしたスーツのしたには、それこそセラミックよりも強靱な、驚異的な身体が隠されているはずである。
バーシアをしとめるためには、軍隊を出動させねばなるまい。しかし、それほどまでに危険なものでありながら、同時にここ8年ほどは、皇帝の忠実な愛人なのだった。
まあ、バーシアのおかげで、皇帝が見境なしに女性に手を出すことはなくなったのだから、悪いことばかりでもないというのが、彼の考えではあった。しかも、バーシアからは絶対に皇帝の血を引くような子どもは産まれないのだから、一石二鳥どころではない。この際、父帝が、死ぬまで飽きがこないのを祈るのみだ。
「皇太子殿下、陛下はいかが仰せでした?」
そこへ、ビアラニ宰相が声をかけ、イェリオは現実に引き戻された。
「宰相以下、内務尚書全員を小会議室に集めよとのことだ。わたしも出席しなければならないし、陛下は間もなくおいでになろう」
彼の言葉に、ビアラニはわずかに皮肉めいた笑みを浮かべた。が、黙って頭を下げ、悠々とした足取りで去っていく。
彼が言いたいことはわかっている。グロシェン帝に執政能力はない。いっそ、廃位してしまったらどうだと言うのだ。
ジオ=ビアラニは、エメルスン帝の晩年より宰相の地位にある、名実ともに帝国のナンバー・ワンだ。彼がいるから、グロシェン帝があんなに遊びまくっていても帝国は成り立っている。けれど、もしもそのことを父帝が知れば、おそらくビアラニの首と胴体は繋がってはいないだろう。父ながら、イェリオはグロシェンのことを、無能のうえに狭量と見ていた。
そのビアラニ宰相に習ったおかげで、彼は若いころから聡明な皇太子ともてはやされていたが、そろそろ新しい風を入れたいのも事実だった。
ビアラニはいろいろなことを知りすぎているし、20歳以上も年の離れているイェリオ皇太子にしてみれば、二人の意見がいろいろと食い違うのも当然のことであったし、それほど互いに煩わしいこともなかった。
開発王エメルスン帝の残した平和な時代はもう過去のものだった。五代皇帝グロシェン=インパールにとって、それは初めて訪れた危機らしい危機だ。たとえ、とるに足りないリオネスの反乱であっても、いつ、他の惑星に波及するかもしれない。しかも、いちばん恐ろしいのはその点なのである。
しかし、イェリオ皇太子はまだ余裕の表情でいられた。帝国市民の最下層に位置するリオネスの反乱に、はたして賛同するような惑星があるだろうか。そんなもの、あるわけがない。
リオネスは、帝国のなかでもとくに孤立しているのだ。リオネスに味方をしたところで、得をするような惑星はひとつもないはずだった。
だがそれは、他の多くの惑星も、自覚はしていないだけで似たり寄ったりの状況であった。開発王エメルスン=フォードは、その母、女帝カスタリア=ハンセの治世を顧みて、各惑星同士を反目させるよう、いくつもの密約を取り結んでいた。
たとえばそれは、シウェナだけが得をするものであったり、フェネーラ系のなかでも、タイトゥーンだけが不利益を被るようなものだった。
なんといっても、彼は、帝国の支配権が揺らぐことをなによりも憂い、そのための対策にいちばん頭を悩ませていたのだから。
世に、マナス黒人を頂点とする人種ピラミッドがあることを知らぬものはない。しかし、あれは正しい図とはいえない。頂点にマナス黒人があれば、あとは亜人たるラコニアとリオネスを除けば、その順番など、ないも同然なのだ。ただ、いくつかのの惑星に優越感を持たせることで、帝国が最大の利益をあげられるようになっているだけのことなのだった。
皇帝を寝所に戻すと、バーシアはカーテンを開けた。もう昼だというのに、年とともにグロシェンは不節制な生活になっていく。最近では、すっかり朝方に寝るのが癖になっていて、その時間も彼の気紛れひとつで、いくらでも早くなったり遅くなったりする。これで麻薬などに手を染めないだけ、まだましというべきだろうか。
皇帝の額の汗を、バーシアはそっと手で拭った。その動作は、イェリオ皇太子の疑いも吹き飛んでしまいそうなほど、深い尊敬の情に満ちていた。
ふと、己の額に手をやると、傷はもう血が固まりかけていた。顔を洗うと、みみずばれが残り、バーシアは鏡に写ったそれを、なんの感慨もなしに眺めた。
「おまえの体は、どれひとつとしておまえのものではないことを忘れるな。
おまえの耳はただ御主人の言葉を聞きとるためだけにある。
おまえの目は、ただ御主人を見つめるためだけにある。そうでなければ、主人の示すものを見るためだけにあるのだ。
おまえの口に入れられるものはすべて受け入れよ。それはつねに食物だとは限らない。だが、それが御主人の希望なのだとわかれば、おまえはたとえそれが自分の排泄物であったとしても、食べなければならないし、それがおまえの口の役目なのだ。
おまえの手が御主人を喜ばせられることを忘れてはならないが、それがすべてではないことも覚えておくがいい。
おまえの足も同様だ。
もしもおまえの御主人が変えられてしまったとしても、なにも思い迷うことはない。おまえはただ、新しい御主人が、自分がそうなのだと教えられるのを待っていればいいだけだ。そうすれば、おまえはいままでどおりに、御主人に仕えればいいのだ」
そんな言葉が、ふと脳裏をよぎる。それは、バーシアがまだ子どもだったころ、センターとだけ知っているところで、毎日のように繰り返し教えられてきたことだ。それ以外の生き方を彼、あるいは彼女は知らない。それだけがバーシアにとっては真実であり、従うべき道なのだ。
この若者は知らぬことだったし、一生知ることもないだろうが、そこは快楽奴隷の教育センターで、主に性的テクニックや鑑賞に耐えられるほどの舞や踊りなどを教えるところだった。
ちなみに、快楽奴隷とは技術用のそれとはまったく別物である。いつでも取り替えが可能な愛人とでも言えるし、帝国市民が安心して買うことのできる公娼でもある。また、個人的に飼われるのはぴんのほうで、きりともなると、安手のキャバレーやストリップ・ショー用ということもありうる。なにしろ快楽奴隷といえば、人類の、あまり上品とは言えない性欲の始末をするためにあると言い切っても過言ではないくらいなのだ。
物心ついたときからそこで暮らしていたバーシアは、途中で奴隷の身分に落とされたものとはちがって、従順な意識が徹底していた。従順であれと自分に言い聞かせるまでもなく、ごく自然に動くだけで、マナス黒人が抱く、理想的な奴隷像そのままであった。
つまり、最強の殺人機械は、イェリオの心配とはよそに、もっともグロシェン帝に忠実な、真の奴隷だったのである。
皇帝は、例によって機嫌悪く目を覚ましたが、さすがに今度は鞭を使うとまではいかなかった。というのも、バーシアからイェリオの伝言を聞かされたので、いつになくはっきりと目が覚めたのと、愛人の額にはっきりと残るみみずばれに、あまり傷つけないようにしようという気持ちと、サド的な快感を感じたからだった。彼は常々、バーシアの白い肌には、傷がよく似合うと思っていたので、要するに、その点に関してだけは、すこぶる機嫌が良かったのである。バーシアも、そうと知っていて、わざと手当も傷を隠すようなこともしないわけだ。
それで、いつものようにバーシアに手伝ってもらいながら、あまり寄り道をすることなく、着替えた。けれどその表情は、なぜ自分がそんなことをしなければならないのか、納得してはいなかった。なにしろ、つねづね皇帝の執務などしてこなかった男なのだから、それも当然だろう。だから、いつものようにバーシアとじゃれるなんてこともなかったし、寄り道が本道になってしまうようなこともなかったのだが。
ところが、皇太子が父帝の名で内務尚書を集めてしまったのだからしょうがない。グロシェン帝としてはいやいやながらも顔を出して、皇帝の勤めをはたさなければならなかった。それに、あとでイェリオをいじめるほど、彼のとった措置は不適切とは言えないことも、重々承知していたのである---だいたい、40男のイェリオなどいじめたところでおもしろいはずもない。
それでも、小会議室にグロシェン帝が顔を出したのは、皇太子も含めて内務尚書全員が顔をそろえてから、3時間も経ってからのことだった。ビアラニ宰相以下、顔色ひとつ変えることなく彼らは座っていたが、その心中を考えて、皇帝はあまりいい気分ではなかった。しかし、まだくびにしてしまわないのは、宰相の椅子を始め、ちょうどいい替えが見つからないからである。
話はビアラニから始められた。
リオネスの独立宣言への対処をどうするかが議題なのだが、なにしろ彼らとて初めてのことである。しかも、神聖不可侵の銀河帝国に逆らうものがいるなど思いもよらなかったのだから、彼らだって居心地がいいわけはなかった。もちろん、いちばん居心地が悪かったのは、グロシェン帝にほかならなかったろうが。
宰相の話は、みなも知っていることのおさらいに過ぎなかったので、あっさりと短時間で終わった。
そして、だれもが一斉に皇帝に目を向けた。
帝国が、リオネスにたいしていかなる態度をとるのか、やはり彼の一言がすべてを決める。グロシェン帝も、さすがにそれぐらいは察した。言ってみれば、それだけ言えば、彼の役割は終わったようなものだ。あとはビアラニ宰相以下、部下たちがなんとかするだろうし、それが皇帝というものだと彼は信じていた。
「朕は許さぬぞ。リオネスの独立など認めぬし、今後もそんなことがあってはならぬぞ」
「御意のままに、陛下」
そこにいる全員が頭を下げたので、グロシェン帝は少々気分よく立ち上がった。
「朕はもう下がる。あとはよきにはからうのじゃ」
再度、みなは深々と頭を下げた。グロシェン帝が出ていき、その地響きのような足音が遠ざかるまで、一同はそのままの姿勢でいたが、皇太子の「みんな、楽にしてくれ」という一言で、皇帝が現われてからのその場の緊張が、ようやくとけた。
皇帝が、このあとなにをしようと、それは彼らの関与することではない---しかし、好色なグロシェン帝のしたがるようなことなど、察しはつくものだ。もっとも、わずかな勤めさえはたしてくれれば、彼などたとえ寝たきりだって放蕩者だって、いっこうにかまうことはなかった。だれも口には出さなかったが、その場にいるだれもが、おなじように考えていただろう。
「さて、裁は下された。いかがはからいますかな?」
「グラエという男を捕らえるべきでしょう。しかしそやつ、いかにして電波を乗っ取ったのでしょう? リオネスにいるのではないのですかな?」
「軍隊でもってリオネスを制圧してやればよい。リオネス駐在の軍と連絡をつけ、ただちに内外から叩いてやればすぐに終わりましょう。問題は他の惑星にたいする影響です。早々に終わらせるのが得策かと思いますが」
「いかがでしょう、殿下?」
「わたしも賛成だ。長引けば長引くほど、他の惑星の不満分子が、いつ動き出さないとも限らない。ここは、まずリオネスを制圧し、グラエとやらを殺すなりすればよいのではないか。やつがいかに電波を乗っ取ったかなど、そのあとでもよかろう」
「まことにごもっともな意見でございますな」
「しかしみなさまがた、ひとつ忘れておいでですぞ」
いままで沈黙していたビアラニが、ひとつ咳払いをして、さっと壁を示した。すると、あらかじめ用意してあったものとみえて、室内の灯りは消え、リオネスに関するデータが、白い壁に映し出された。
「これは少々古い資料なのですが、リオネス人は超能力者ばかりだということです。しかも、グラエとは、リオネスの公用語で“戦士”という意味とか。もしやそのもの、相当な超能力者では---」
呼出し音が彼の言葉を遮って、室内いっぱいに響いた。ビアラニが少々不機嫌そうに応答のスイッチを押すと、若い受付嬢が「諜報部より、至急お伝えしたいことがあると仰せなのですが」と告げた。
「早速、お通ししなさい」
しかし、彼としては、リオネスについてみなにうんちくを傾けることで、いつものようにこの会議の主導権を握ろうとしていた矢先のことだったので、あまりいい顔はしなかった。それは、室内が暗かったのでだれにもわからなかったけれども。
「かしこまりました」
「ずいぶん早く来たものだな」とイェリオ。
「帝国中のものがほぼ同時に見たわけですからね。しかし、おかげで、こちらから呼び出す手間がはぶけたというものです」
それがビアラニにできる、精一杯の強がりだった。
壁のデータは消え、室内の灯りは戻った。緊張感の抜けた面々は、それでもこの話題から一瞬でもそれるわけにはいかなかった。
「諜報部はなにをつかんだのでしょう?」
「さて、諜報部が最近リオネス人と関わった事件などありましたかな?」
「さあて、こんなことでもなければ、あんな辺境の惑星にだれが気を使ったりするものですか」
「まったく、そのとおりですよ」
やがて現れたのは、彼らの知っている諜報部局長スルクトではなかったし、たったの一人だった。ディルティメント皇帝家の色そのままの若者は、イェリオ皇太子の姿を見つけると、まず深々と一礼をした。
「諜報部よりまいりましたディレル=ハーパーと申します。皇太子殿下、ならびに宰相殿、内務尚書の方々には御機嫌うるわしく存じます」
「堅苦しい挨拶は抜きにして、早速用件に入ってくれ。ディレルと申したな? いったい、諜報部はなにを知っておるのだ?」
「まずはこれをご覧ください」
若いながら、ディレルの態度は堂々としたものだった。ポケットから立方体を取り出し、机のうえに置くとスイッチを押した。若い兵士たちが、恋人や家族の写真を入れておくのに使う、立体画像キューブである。等身大の、まだ20歳まえのリオネス人の映像が、机のうえにぎゅんと伸び上がった。
「これはだれだ…?」
「いや、待て。だれかに似ておるぞ」
「白髪のリオネス人が?」
「いや、わたしにはいっこうに心当たりはありませんが」
「グラエだ…!」
イェリオがつぶやくと、ディレル以外のだれもがぽんと手を打った。音がずれた何人かのものは、本当に気づかなかったようだが、ビアラニなどは彼がそう言うのを待っていたような節がある。
「しかし、よく似てはおりますが、顔つきがちがいますまいか?」
と言って、ビアラニはイェリオとディレルを見比べた。
「これはいったいなにものなのだ?」
「民族生体科学研究所内フェール=リオネス研究室登録の実験体C31175611、通称ロゥンです。1年ほどまえに、フェール=リオネス研究室を爆破し、6人の研究員を殺して逃亡中。しかし、リオネス人実験体の起こした事件ということで、帝国市民に与える影響を考慮して、いままで極秘捜査が進められておりました。
このロゥンの映像は、フェール研究室の唯一の生き残りである、クローディア=ジャレス、現在は実験体T49740522の記憶より再現したものです」
「グラエがロゥンだと言うのか?」
「しかし、どうやってリオネスなどに逃げたのか、わかっているのだろうな?」
「テレポートしたと思われています。やつは超能力者ですよ」
「フェール=リオネス研究室というと、あの機密事項の件か。そんなとんでもないやつだったとは、これは呑気なことは言ってられませんぞ」
「超能力者か…たしかに、これは、我々の盲点ですからな」
「しかし、女帝陛下の二の舞を踏むわけにはいきませんぞ。テルミナスのようなことになってはならないのです。いくら超能力者とはいえ、いかほどの力を持っておるのでしょう?」
「マナスからリオネスまでは、10光年ある。もしもそれだけの距離をテレポートとやらで行ったというのなら、やつの力を侮れば、痛い目を見るのは我々ということになる。マイナード総司令官を呼んで、軍としての意見も伺ってみたらどうだろう?」
「ごもっともです、殿下。実際に我々がリオネスへ行くわけにはまいりませんからな」
イェリオはマイナード総司令官を待つ間、ふとディレルを探してみた。
諜報部の若者は、まるで存在を消してしまったかのように思われたが、皇太子のすぐ背後に物静かに控えていた。その表情からは、どんな考えも伺い知ることはできない。まるでバーシアのように、冷たい表情だ。諜報部だとはいうもののの、ただの諜報部員であるようには見えず、あるいはその思いもかけぬ若さのために、ディレルは特別に見えているだけなのかもしれない。
「なにか腑に落ちぬことでもございますか、殿下?」
イェリオが見ているのに気づいたのだろう。しかし、そのささやくような言い方は、周囲に気をつかってのことなのだろうか?
「なぜ、今回のことに限って、スルクトでなく、そなたが来たのかということ、そなたがなぜ、ロゥンのことなどを知っているのかと思ってな。あの事故のことはわたしもよくは知らないし、いちばん知っているのは諜報部のはずだ。だが、そなた、ただの諜報部員ではあるまいが、それをここで訊ねるのはどうかということだ」
ディレルはわずかに笑みを浮かべたが、合わせた唇のまえで指を立て、沈黙を守れという素振りをした。
2人の会話を聞いていたようなものもおらず、ディレルの素振りが、自分以外に聞かせたくないという意味なのか、イェリオにははっきりとわからなかった。
そのうちにローレン=マイナード帝国軍総司令官が姿を現し、会議は再開された。
マイナードは、軍部では最高位にあるのだが、いかんせん平和な時代の軍など年功序列で位は決まるものだ。彼がはたして司令官としていかに有能であるのかなど、だれにわかろう? いいや、たかがリオネスを相手に総司令が出るまでもないだろうから、部下を出すことになるだろうが、その人選も的確にできるのかもわからない。
改めて、ディレルやビアラニから話を聞かされたマイナードは、しばらく考え深そうに腕組みをしていた。
しかし、やがて口を開いた彼の言葉は、とても平和慣れした軍人のものとは思えなくて、だれもが驚きをあらわにしたのだった。
「惑星リオネスを消してしまうわけにはいかないのですかな? そのほうが手っ取り早いし、早く片がつくし、帝国の威信をまったく失わない、よい方法ではないかと思うのですが」
イェリオ皇太子は、思わずビアラニ宰相の顔を盗み見たほどだった。予想してもみなかった総司令官の過激な発言に、老練宰相もいささか戸惑い気味のようだ。
そこで、彼はみなの心中を代表するようなつもりで、なんとはなしにマイナードに述べた---これは、とんでもない勘違いであった。
「なかなか大胆な意見だが、あまり賛成はできぬな」
すると、イェリオの発言に、みなの注目が集まった。背後からさえ、ディレルの視線を感じないではいられないが、彼は乗りかかった船と腹をくくったのだった。しかし、みながみな、自分とおなじように考えていたのではないらしいとは、そのときになって、ようやくわかったようなものだった。
「いくらリオネスとはいえ、ただ消すのでは策がなさすぎると思う。たしかに、そなたの言うように、帝国の威信と、今後の方針を示してやるのにはよい機会となろうが、惑星ひとつを消せば、いろいろとリート系全体に問題も起きようから、それは最後の手段ということにしてもらいたい。もちろん、その方法をまったく否定するわけではないが。
しかし、リオネスのいくつかの町を消してやるのは、反乱軍に対してはよい見せしめとなろう。あの暗黒ガスの外側から爆弾を落としてやることはできるのかな? あるいは、それだけで、リオネスは降伏するかもしれないのだし。
しかし、グラエというものが超能力者だと聞いたが、いかなる力を持っているのか、それがどれくらい強いのかもわからないのでは手の打ちようがないだろうから、いくつか、壊されてもかまわないような戦艦を集めて、リオネスにやってみたらどうだろうか?
いや、これはあくまでもわたし個人の意見なのだが、戦術については、そなたのほうがもっと有効な手を打ち立てられるだろうからな」
自分でも驚くほどすらすらと、彼はリオネス対策について述べることができた。
最初のうちは、あまり気乗りがしなさそうに聞いていたマイナードも、そのうちに身を乗り出して聞くようになった。それで、イェリオが話し終えると、ようやく一連のリオネス問題に興味を抱いたようだった。
マイナードは、40がらみの大柄な男だった。年齢だけで言うなら、皇太子とそう違いはあるまい。彼はゆっくりと立ち上がると、再度、イェリオに向かって深々と一礼をした。
「皇太子殿下の簡明な御措置、まことにありがたく存じます。なにしろ、相手があのリオネスでは、我々のように頭が固いものでは、かえって逆効果になるやもしれません。殿下の示していただいた策は、十分実戦でも通用すると思われます。
それでは、細かい取り決めなどもございますので、小官はこれにて失礼いたします」
「うむ、よろしく頼むぞ、マイナード司令」
彼がいなくなってしばらくしてから、ビアラニがぱんぱんと手を叩き、みなの注目を集めた。
その肥満気味の顔は、たかが軍人と侮っていたマイナードが、思ったよりも骨のある男だったという意外さや、皇太子にしっかり握られた主導権をまた自分に戻したいという意志がありありだったと、イェリオはあとでディレルに聞いた。それ以外にもディレルは、マイナードも含めて、そこにいたもの全員をそのときの心境の変化を皇太子に訊ねられるままに話したのだった。
「さてさて、これで問題が片づいたわけではありませんぞ。リオネス本星は軍部に任せておけるからよしとしても、リオネス人は帝国中におるのですから、そちらをどうすべきかも考えねばなりますまい。それに、開発王がなされた各惑星との密約についても確かめたりしなければなりませんし、いろいろと頭の痛い問題はたまっておりますな」
「そうですな、まったく宰相殿の言われるとおりでしょう。ところで殿下、その点についてはいかがなものでございましょう?」
もう引き時であった。イェリオはビアラニの視線を痛いほどに感じながら、答えを辞した。
「あとはそなたたちに任せたいと思う。いまはたまたまわたしの意見が通っただけのこと、しかもリオネス人の問題は、帝国全体に関わるのであろうし、これ以上話しているとぼろが出そうだ」
「かしこまりました」
全員の一礼に見送られて、彼は外に出た。皇帝ほどではないにしても、皇太子である彼だって、決して歓迎されているわけではない。政治のプロたる内務内務尚書にとって、皇帝はもとり、自分だって素人同然に思われているのだろう。そんなことは百も承知であった。
広い皇宮は、歩いていくとすぐに自分の居場所がわからなくなる。生まれてからずっとここに住んでいるとはいえ、イェリオはその全容を知っていたわけではなかった。
夏になると避暑に行く、母方のカラザア家の別荘は、もっと小さかったものだが、母が亡くなってからというもの、つい足も遠のきがちで、もう何年も行っていない。
自室に戻ると、まず彼は、自分で入れたお茶を飲んだ。
父の反動か、イェリオはいたって禁欲的なところがあり、愛人の一人も持ったことがないし、身のまわりのことはたいていは自分ですませてしまう。質素な皇太子殿下として、彼はけっこう庶民には人気があった。
これで妻でもいれば、まだ生活に潤いもあるのだろうが、皇太子妃ミネアバ=アストリスは、数年前に病没しており、イェリオはさみしい男やもめなのだった。しかも2人の間には子どももいなかったので、周囲が再婚しろと騒ぎ、挙句のはてには相手の立体写真まで持ってくるのは当然のことなのに、彼は現在のままでけっこう満足していた。
というのも、彼が第六代皇帝となったあかつきには、同母弟ジェレミアから養子をもらうことになっていたからだったし、彼はまだミネアバのことが忘れられそうになかった。そう言ったら、彼女はまた、朗らかに笑うだろうけれど。
皇太子は、しばらくぼーっとしてお茶を飲んでいた。窓から見える外の光景は、午後の日射しが暑そうに照りつけており、さすがに遊んでいる子どももいない。たくさんの甥や姪たちが遊び始めるのは、もっと陽が傾いてからのことになるだろう。
ジェレミアもそうなのだが、皇帝ディルティメント家はとかく多産である。しかも、父帝のようにつぎつぎと愛人を取り替えていたら、いったい異母兄弟が何人できるか、知れたものじゃない。奴隷がいいというのは、間違っても子どもが産まれる心配がないためだ。
それにしても、太陽に近いために常夏の惑星マナスは、年が明けたばかりだというのに、ずっと一日の平均気温が25度を下回ったためしがなかった。ただし、これは両緯度55度までの話で、それより北や南の極地帯は、一年中寒いのだという。
イェリオ皇太子には、そんな寒さは予想もつかなかった。白人たちがずっと住んでいるという寒冷な土地は、きっとバーシアの白い肌によく似合うだろうと、彼にしては珍しいことを考えて、なぜか自分でも恥ずかしくなった。
(わたしは、父上のように奴隷なんてお断りだな…やはり、おなじような肌の色の女性がいちばん魅力的だと思うし、心からわたしを愛してくれる女性でなくてはね…)
なんといっても、イェリオ皇太子は、ミネアバ=アストリス嬢とは、熱烈な恋愛のはてに結婚したもので、見合い結婚にはいまいち気乗りがしないのは、どうもそのせいらしい。
そんなことを考えていたとき、なぜリオネスなどが反乱を起こしたのだろうという疑問が、ふっとわきあがった。いや、たまたまリオネスが最初だったというだけで、他の惑星だってそんな種火はいくらでも抱え込んでいるし、マナスだってそれは例外ではありえない。
バーシアがいい例だ。すっかり亜人におとしめられたとはいえ、白人たちのなかにだって、奴隷ではないものもいるのだから、完全に安心だとは言い切れないのである。これから先、そんなことがいくらだって起きるかもしれない。
(だが、リオネスだけは徹底的に叩きつぶさねばなるまいな…やつらは亜人だ、人間以下の存在に恩恵など与えるわけにはいかぬし、放っておけば、他の惑星にたいしてしめしがつかぬうえに、増長させる原因となりかねん……最終的には、マイナードの言うとおり、星ごと破壊したとて、見せしめとしなければ…!)
午後の陽射しはもう傾きかけており、元気に飛び出す子どもの姿が見えた。あれは、ジェレミアの二番目の息子、エレウシヌス=バストだ。
そのとき、彼の部屋の扉を軽くノックするものがあった。
「だれだ…?」
「ディレル=ハーパーでございます。こちらにおいでだと伺いましたもので」
「…入りたまえ」
その日、ディレルは遅くまでイェリオ皇太子の部屋にいた。しかし、2人がなにを話していたのかは、だれも知らないままであった---。
「お主が、リオネス駐屯軍隊長バーツ=ブライドだな?」
「そうでさぁ。なんです、俺のほかにはだれもいやしねぇ。もしかして、こいつは極秘の軍事裁判なんですかい?」
「お主の返答次第では、残念だがそうもなりかねんな。なにしろお主は、名誉ある帝国軍人でありながら、リオネスの反乱軍にその名誉をむざむざ汚させたのだからな。本来ならば、即刻処刑されていたとしてもおかしくないぐらいなのだが、お主に名誉回復の機会をやろう。
さて、早速だがブライド大尉、お主にリオネスを攻める艦隊の指揮官となってもらいたいのだ」
「俺に? また、あのくそったれの惑星に戻れっていうんですかい?」
「指揮官としてそれなりの戦果をあげられれば、帰還後には二階級特進を約束しよう。リオネスに左遷された軍人としては、これは地位と名誉を取り戻すよい機会ではないかと思うがね。
しかし、もしもリオネスに行くことを拒否するようならば、反乱軍になんら抵抗するような素振りも見せなかったのだから、駐屯軍隊長として、それなりの処置は覚悟してもらわなければならなくなるが。さて、どちらがいいかね?」
「…具体的にはどうしろって言うんですか? 自慢じゃないけど、俺は戦艦に乗ったことはあっても、実戦はないも同然だし、ましてや指揮なんてしたこともないんですよ」
「そのことなら心配しなくてもいい、ブライド大尉。細かい指示はこちらで出すつもりなのだ、君はそれを配下の艦隊に出してくれればいい」
「わかりました。そういうことでしたら、やらしていただきましょう。俺も、まだ命は惜しいですからね」
旧式の戦艦10隻よりなる艦隊は、リオネスが独立宣言をしてから、わずか2ヶ月後にマナスを発った。指揮官も急ごしらえなら、艦隊も急ごしらえ、それはとても艦隊などと呼べるようなものではなかったが、だれもが二階級特進の飴につられたのと、ブライドのように、名誉回復のいい機会だと吹き込まれて、それぞれの戦艦に乗り込んだのであった。
ブライドとて軍人である。艦隊の布陣を見たときに、これがどうやらおとり艦隊にすぎないことを察したのであるが、いまさら退くわけにはいかないし、もうどうにでもなれの心境で、彼は出発したのだった。
さらに、各戦艦の乗組員の名簿を見せられたブライドは、それがほとんどリオネスに左遷された連中で構成されているのを知って唖然とした。言ってみれば、みな、つい1ヶ月まえまでの彼の部下だった男たちである。そうでないものも、リオネスに飛ばされるのも時間の問題と陰口をたたかれたような連中ばかりだった。要するに、どっちを向いても、今度の艦隊には、鼻つまみものしか乗っていなかったわけである。
なにしろ、彼らは世間の事情には疎くなっていた。辺境のリオネスではそれもあるていどはしょうがないのだが、まさかグラエが超能力者だとも知らず、自分たちの役割が勝つことよりもその超能力を知るためなのだとは思いも寄らなかったのである。
それでも、彼らはリオネスに向かわないわけにはいかなかった。昇進は軍人である以上は、なによりも魅力的な話だが、そんなことよりも彼らは軍人として不名誉に処刑されたくはなかったし、まさかリオネスに、艦隊を襲撃するだけの武装があるとは思えなかったのである。
ブライドを始めとして、リオネス駐屯軍のなかに、宿舎への襲撃がいかにして行われたのか、はっきりとわかっているものはいない。反乱軍には大した武器もなかったはずなのに、気がついたらマナスへ自動航路がセットされた宇宙船のなかだったのだ。彼らには応戦するような暇もなかった。
しかも、心の準備もなしに、いきなりハイパー・ドライブに入られたので、かなりのものが宇宙酔いを体験する羽目になったほどだった。
それだけに、グラエを中心とする反乱軍には、少々不気味な印象を抱いているものも少なくはなかったが、それだって、あのときはほとんど丸腰だったからあっさりと奇襲されてしまったけれども、今度は艦隊で行くのだから大丈夫と、たかをくくっているものも多かった。
「ブライド指揮官! へへへ、気分はいかがですかい、指揮官?」
「よせやい。指揮官なんて言われたって、まだぴんとこねぇや。いままでどおりに隊長でいいよ。
それにしても、見てみろよ、この名簿。リオネスから追い出されたやつばかり乗ってやがる、お偉いさんの狙いがわかろうっていうものじゃないか」
「へぇ、ほんとだ。こいつは、うまいこと利用されちまったなぁ。でもですよ、二階級特進なんておいしい餌を見せられちまったら、だれだって嫌とは言えませんぜ、なにしろ、嫌だなんて言おうものなら、首が飛んでいたって不思議じゃないほどでしたしね」
「そうそう。どうせ俺たち下っ端は、使い捨てってわけでさぁ」
「そのことなんだけどな、俺は、この際反乱軍をつぶしてやろうと思っているのさ。こんなことをされて黙ってはいられねぇからな。それに、俺たちで鎮圧しちまえば、上層部だって考えを改めざるを得なくなるだろうし、二階級特進どころか、いきなり大将なんかになれちまうかもしれないぜ!」
「さぁすが、隊長。転んでも只じゃあ起きませんね。でも、隊長が大将なら、俺たちはなんになるんでしょう?」
「そんなもの自分で考えろよ。
そいつを果たすためには、とくに日頃の点検が重要なのさ。俺たちの船はけっこう型が古いみたいだしな。すぐにがたがこられたんじゃ、たまらねぇからな。
さて、おまえらもさっさと持ち場に帰んな。これから忙しくなるんだぜ」
「へいへい。せいぜい、特進の夢でも見てまさぁ」
「へへっ、とかなんとか言って、おめぇ、また居眠りをするんじゃねぇだろうなぁ?」
「わかってるんなら、わざわざ言うねい」
「全艦に、指揮官ブライド大尉より告ぐ。
各整備士長のもとには各戦艦の装備リストがいっていること思う。これと照らし合わせて、漏れがないかどうかを報告せよ。
また、今後、点検は日に1回行うように、不都合があれば、すぐに旗艦ブイルダーンに連絡するように。
繰り返す---」
それから5時間後、おとり艦隊は一斉に第1回目のハイパー・ドライブに入った。リオネスまでの10光年という道のりは、彼らには果てしなく遠いように思われたが、ハイパー・ドライブだけが、その距離を少しでも縮めてくれるのだった。
「どうだい、リオ? 帝国の宇宙船が近づいているようすはある?」
「まだ大丈夫ですよ。でも、そろそろ、ヴェーラと交代してもいいですか?」
「ああ、ごめん。じゃあ、あとはよろしく頼むよ。ヴェーラに、少しでも異変を発見したら、すぐに知らせるようにって言っておいて」
「もちろんですとも」
グラエはそこを離れた。リオネスから帝国軍と流刑囚を追い出して以来、ずっとクレヤボヤンスの持ち主にリオネスの外を見張ってもらっているのだが、まだ帝国の船は来そうにはなかった。
まさか、リオネスの独立宣言を、帝国がはい、そうですかとあっさりと受け入れるとも思えなかったので、エルレストレーゴの近くに本拠地を移した独立反乱軍は、警戒をつづけていたのである。
ちなみに、この独立反乱軍という名称は、どうもだれもがしっくりこないと考えていたのだが、もとよりグラエがそんなことを気にするはずもなく、そのままにされていたのだった。
グラエの姿を見つけると、だれが見ても妊婦だとわかる体型になったシラムーンは、嬉しそうに手を振った。ちなみに、妊娠約9ヶ月というところである。
彼女の妊娠がみなにばれたのは、3ヶ月ごろのことで、ほんの10日ばかり、悪阻に悩まされたためだった。
バードは、最初から妹の気がグラエにあることなど、とっくにお見通しだったらしく、あんまり驚かず、かといって大して怒りもせずに、2人におめでとうを言った。
みなも口々におめでとうを言い、この明るいニュースにはだれもが喜んだ。
外見が20歳ぐらいに見えるグラエと、18歳のシラムーンとでは、帝国の常識でいえば、妊娠は早い。そうでなくても、最近の帝国は晩婚ばやりである。
だが、ここはリオネスだし、最初に産んだ子が無事に育つのはなかなか難しいことなので、早いうちの出産はみなが奨励することなのである。母体が若くて健康なうちに子どもはどんどん産んだほうがいいというのが、大方の意見なのだ。しかも、ほかならぬグラエの子となれば、何人でも産んでほしいとまで言うものもいるほどだった。
そういうわけで、シラムーンはすっかり、グラエに次ぐぐらいの要人扱いをされていた。
彼女は、みなの大げさともいえる対応に逆に驚いたが、グラエの子どもにかけられる期待がそれだけ大きいのを知って、好意はありがたく受け入れることにしていた。
しかし、彼女がしていた触媒としての役割は、出産ぎりぎりまではつづけるつもりでもいたし、こればかりは、だれかが替われるようなことでもなかった。
けれども、彼女は子どもがいかにしてこの世に生まれたかなどということは、やはりだれにも話さなかった。それはグラエだって当然の考えだったろう。
「ねぇ、男の子か女の子か、わかる?」
「無事に生まれてくれればどちらでもいいよ。いい、シーラ?」
「もちろんよ」
自分のおなかのなかにいるもので、シラムーンは、しょっちゅう赤ん坊の存在を感じているのだけれど、相変わらず忙しい身であるグラエは、寝るときぐらいしか、ゆっくりと赤ん坊を感じることもできない。
そして彼は、自分が父親なのだということ以上に、シラムーンの体内で息づく赤ん坊の存在に、まるで奇跡でも見るような顔をするのだった。
彼の手がシラムーンのおなかに触れると、赤ん坊もその存在を感じているのか、急に動きが活発になって、元気よく母親のおなかを蹴飛ばした。彼女が笑うと、赤ん坊も身体を揺すっているのがわかる。
それは、たしかに奇跡であった。ふつうならば、この子は生まれるはずはなかったのだから。グラエの力とシラムーンの協力があって、初めてこの世に生を受けることができたのだから。
「僕はもう行かなくちゃ。本当は、このまま終わってしまえばいいのだけれどね」
「そんな弱気を言うものじゃないわ。ねぇ、それよりも、あたしたちの赤ちゃんの名前を考えておいてよ。男の子のときと女の子のときと、ねっ、いいでしょ?」
「僕が? 子どもの名前を?」
「当り前じゃない。だって、あなたがお父さんなんですもの。大丈夫、まだ2ヶ月もあるんだもの、ゆっくり考えてくれればいいわ」
「うん……まあ、一応考えてはみるけれど、あんまり期待しないでよ。そういうことはぜんぜんわからないんだから」
シラムーンはにこにこしているだけだった。
グラエは、困ったような顔をしていたが、そのうちに用事がたくさんたまっていることを思い出したのだろう。そそくさとテレポートしてしまった。
(あなたには、わかっているのかしら…? いまのがあなたのお父さんよ、あたしたちのグラエなのよ。あなた、彼が来るといつも元気になるわ、ふだんはこんなにおとなしい子なのにね…元気で生まれてほしいわ、あたしたちの願いはただそれだけ…あなたが生まれてきたら、もっといろいろなことを教えてあげるからね……)
シラムーンは、妊娠してからはずっと、嫌なことは極力考えないように努めてきた。彼女の力は、いまではすっかり抑えがきくようになってはいたけれども、産むまではずっと繋がっている子どものことを考えると、そうしたほうがいいのはわかりきっていたのである。
けれども、強力な超能力者であるグラエと、数少ないシンパシーの持ち主であるシラムーンとの子どもにしては、その力はまだ目醒めていないのか、話しかけてやっても、返答があったためしはない。いいや、自然に逆らうような形でこの世に生を受けた子どもなのだ。産まれるまえから力を示すようでは、この先どんな力を発揮するか、不気味でさえあろう。
一方、グラエのほうはまだまだ父親としての気分どころではなかった。多分、その実感がわくころには、きっと帝国もリオネスに来るだろう。シラムーンも赤ん坊も安全なところに避難させておかなければならないし、ますます、ゆっくりと赤ん坊の顔を見るような機会は減りそうだった。
独立反乱軍のムードは、まずまずというところだった。帝国軍の宿舎襲撃が、集団催眠のおかげで簡単に済み、独立宣言をしてから、わずか1ヶ月で、流刑囚ともども、軍人をリオネスから駆逐してしまえたのだから、気分もよくなろうというものだ。
それに、シラムーンが身ごもっているグラエの子どものこともある。未来への希望を、だれもが抱かずにはいられなかった。
しかし、一部のリオネス人の間には、すでにグラエに対する非難がわきあがっていた。というのも、彼が軍人と流刑囚をまったくの無傷で帝国に返したからだった。
彼らは当然受けるべき報復を受けて返すべきだったのだとそのものたちは考えていたが、そう考えるのは、新参者、とくに独立宣言をしてから加わったようなものが少なくなかった。
「彼らを殺すことで、いったい僕らがどんなメリットを得られるのかを聞きたい。僕らは独立のために立ち上がったのであって、帝国に暴力を奮われたからといって、そのお返しをするようでは、いつまでたっても問題は解決しないと思う。もしも、僕のやり方に不満があるというのなら、去っていってもらってもいっこうにかまわない」
彼は、決して怒鳴ることなく、静かに諭したが、それでも、彼らの不満を完全に消してしまうことはできなかった。独立宣言のなかでグラエが否定した、いままでの帝国のリオネスに対する不当な措置への賠償は、しかしみながもっとも求めるものであったのだ。
そして、この問題はそれから間もなく、ふたたび起きたのだが、それにはまず、おとり艦隊にリオネスに着いてもらわねばならないのである。
帝国暦188年11月のある日、グラエは帝国の戦艦の参考に少しでもならないかと、いつものように帝国軍が残していった船を調べていた。外壁はともかく、内部の構造は彼が考えていたよりもずっと複雑で、そう簡単に壊れないような工夫がいくつも施してあった。
実際にやってみようとしたわけではないのだが、グラエの調べでは、おそらくこの船を爆破させるには、1ヶ所に爆弾を撃ち込むだけでは済むまい。内部がいくつものブロックに区切られており、そう簡単に誘爆しないようになっている。彼の力をもってしても、これだけのものを爆破するのは難しそうだった。
頼みのつなは、2ヶ所に集められた弾薬庫で、ここに爆弾を撃ち込めば、さしもの戦艦も落とせるのではないかというのが、彼のようやく得た結論だった。
だが、それだって楽ではないのだし、暴力に暴力で対抗するのをよしとしない彼には気持ちいいことでもない。グラエとしては、爆破をせずに戦艦を動かなくさせられる方法を探していたのである。
「グラエ! グラエ! どこにいるんですか?」
「ここだよ、マーシィ。そんなに慌ててどうしたの?」
「来たんです、帝国が! 10隻もの艦隊で来たって、みんなが大騒ぎしてて」
「わかった。ありがとう、一緒に戻ろうか」
テレポートしてみなのもとに戻ったグラエは、マーシィにそっと囁いた。
「ディオラとミディア、それにフィーリを呼んできて。大切な話があるってね」
「はいっ」
16歳になったばかりのマーシィは、はりきって走っていった。
見張りの側に立って、彼は空を見上げた。クレヤボヤンスの力を持つものだけが、あの暗黒ガスを透してリオネスの外を見ることができる。
艦隊はまだそんなにリオネスに近づいてきていたわけではなかった。けれど、それはたんに時間の問題にすぎない。
グラエは、つい近くまでいって、艦隊の構成や内部構造などを、もっとよく見たいという衝動にかられたが、それは自分勝手というものだ。この時のために鍛えられた9人がぞくぞくと集まってきている。彼らにまずは指示を出してやらなければならなかった。
「アレン、君はそのまま透視をつづけていて、疲れたらだれかに替わってもいいから。戦艦の型や内部の構造について、もっとよく見ておいてほしいんだ」
「任せておいてください」
「グラエ、僕たちはなにをすればいいんです?」
「まだなにも。それよりも、君たちには覚えておいてもらわなければならないことがある、こっちにおいで」
シリルを始めとして、彼らは興奮気味だった。帝国との戦いがいよいよ始まるのだ。それがどんな意味であるのかもわからずに、彼らは早く、自分の力をみなに披露したかったのである。
グラエについてテレポートした一行は、それが、例の帝国軍の残していった宇宙船であることを知った。
「まさか、これを壊すんですか?」
「違うよ。壊すんじゃない、君たちがしなければならないのは、船を動かなくさせることさ」
「ええーっ だって、そのためにサイコキネシスの訓練だってしてきたのに、どうしてそんなことをしなければならないんです?」
「まずはこの船を透視してみて」
「はーい」
期待と全然違ったもので、彼らはちょっと不満そうだった。けれど、グラエが一度こうと決めたことは、たとえシラムーンだって簡単に翻せないのを彼らはいちばんよく知ってもいたので、素直に従った。
「アルベス、この船の構造はどうなっている?」
「区画がいくつも分けられています…なんて厚い壁なんだ、ちょっとぐらいの爆発じゃ、こんな壁は壊れないかもしれないや」
「わかったろう? 軍隊が残していったものだから、これが帝国の船の主流だとは言えないけれど、壊すのは大変なんだ。実際に壊せるかどうかもわからないし、だとしたら、いちばん安全でしかも力を消耗しない作戦をとるのがいい」
「でも、グラエ、いったいどこを壊せば、船を止められるんですか?」
「操縦席はわかるかい?」
「ええ、あの、いちばんうえの狭いところでしょ?」
「そこに航法コンピュータがある。それを壊せば、大丈夫だよ。航法コンピュータはわかるね?
いいかい、君たちは貴重な戦力なんだってことを忘れないで。自分の力を過信しないで、敵の力を恐れすぎないで、慎重にやるんだ。1人では難しいときは、だれかを呼ぶこと、それは僕でもいいし、この9人のなかのだれかでもいい。決して1人でなんでも片付けようとしないってことを約束してほしいんだ」
「わかってます。忘れません」
「でも、無茶な注文ですよ。だって、自分の力を過信しないで、敵の力を恐れないでって、すごく矛盾してるじゃないですか」
「僕もうまい言葉を選べないから、そういうことになってしまうんだよ。
さあ、戻ろう。くれぐれも、帝国の出方を見てから、出撃するようにね」
「はい!」
彼らが戻ると、ディオラたちがグラエを待っていた。ついに来るべきものが来たというようすで、さすがの彼女らも興奮を隠しきれないようだ。とくに、マナスにいるときはいたって冷静であったミディアが、リオネスに来てからは別人のように興奮していた。
「いよいよだね、グラエ。でも、独立宣言から4ヶ月とは、ずいぶん早いお着きじゃないか」
「そうだね。それよりも、あなたたちに頼みたいことがあるんだけど---」
「わかっているよ、シラムーンのことだろう?」
ミディアが陽気に笑いながら言った。
「あの娘ももうすぐお産だからねぇ、おまえが心配するのもわかるさ。でも、あたしらに任せておおき、ちゃんと無事に赤ん坊を出産させてやるともさ」
とミディアが言えば、シウェナにいたときから興奮気味だったフィーリもつづけた。
「心配しないでいいよ、シラムーンは元気なんだもの。母体が元気なのはいいことさ、出産には体力がいるからね。大丈夫、あんたのために、元気な赤ん坊を産んでくれるよ」
「そうそう、まだ陣痛は来ないんですか?」
4人の話を聞いて、出産経験のある女性や、とりあえずやることのないものがわっと話の輪に加わってきた。
「今日は大丈夫っぽいねぇ。でも、どうだか、はっきりしたことは言えないよ。そうだ、なんだったら、会っていってやったらいいんじゃないかい?」
「実は、シーラのことだけじゃないんだけど…」
グラエが、ようやく言いたかったことを口に出すと、いままで黙っていたディオラが、わかったような顔で頷いてみせた。
「これから、帝国の艦隊は何回か来ると思う。そのときに、僕やラディたちで、できるだけ爆弾とか、リオネスに落ちないようにするつもりだけど、万が一ってこともあるから、みんなは穴のなかに避難していてほしいんだ。それを伝えてもらおうと思ったんだけどね…」
「そんなことだって百も承知だよ。まったく、照れなくたっていいんだよ、グラエ。ちょっとだけ、会っていっておやりよ、ねぇ?」
ディオラはあまり変わらないのだが、ミディアとフィーリがこんなにお喋りだったとは知らず、グラエは内心閉口してしまうときがあった。
けれども、今日はシラムーンに会っていくのは予定どおりだったので、彼はあとのことはディオラたちに任せて、さっさと彼女のもとへ飛んだのだった。
「もうすぐ始まるの?」
「どうしてわかるんだい?」
いよいよ出産が近づいたので、シラムーンは1ヶ月ほどまえから、リオネスの伝統に従って、地下に籠りきりだ。
少しでも丈夫な子どもが産まれますように、母親たちは、母なる惑星リオネスに近づき、少しでもその恩恵を被りたいと考え、そんな習慣が生まれたのだという。けれど、それはなかなかかなわぬ願いだ。せっかく産まれてきても奇形だったりすることもあったし、育つ途中で死んでしまう子どもだって珍しくないのだ。
シラムーンは、みなから提供された毛布のうえで、静かに微笑んだ。
「なんとなく、伝わってきたの。みんなが興奮していたから、もしかしらって、思ったのよ。あなたも行くの、グラエ?」
「僕が行かなくちゃね。そのためにいままでずっと準備してきたんだし…君はなんにも心配しないで、無事に子どもを産んでほしいよ。これからがいちばん大変なときなんだろう?」
「でも、おなかのなかの赤ちゃんにだって伝わってるのよ、大丈夫かしら?」
グラエは、黙ってシラムーンを抱きしめた。
「ありがとう、シーラ…」
「なぁに? どうしたの、急に? 大丈夫よ、グラエ、あたしは元気な子を産むわ。だって、あたしの母さんもそのまた母さんも、みんなこうして地下に潜ったんですもの、大丈夫よ、きっとおまじないは効くわ」
けれども、彼が感じているのはもっと別の不安なのだ。それはシラムーンも十分承知していたのだが、わざと明るくふるまうことで、彼を元気づけようと思ったのだった。
「僕は、自分だけの判断で、みんなをとても危険なことに巻き込んではいないだろうか…? まだシリルもアルベスも、十分だとは言えないのに、僕はもう彼らを戦いに連れていこうとしているんだ…」
「そんなことを言っては駄目よ、グラエ。あなたがそんなふうに思ってはみんなが自信をなくしてしまうわ、それでは、勝てる戦いも勝てなくなってしまうじゃないの。そんなふうに考えないで、みんな、あなたを信じているんだもの」
「…だからさ、シーラ……だから、恐ろしくなるんだ、自分が、取り返しのつかない過ちをしたのじゃないかって、心配になるんだ…僕にだってわかっていたさ、ディオラの言うとおりだったんだよ、半年後じゃあ、まだ準備は完全には整わないって、わかっていたのに、始めてしまったんだ」
「もうやめて。あなた、うえに戻らなくちゃ。ねぇ、戻るまえに、ひとつ、あたしからおまじないをしてあげる」
シラムーンは、グラエの額に軽くキスをした。
「そうでなくたって、あたしはいまが大事なときなのよ、そんなに心配をさせたいの?」
「ごめん…そんなつもりじゃなかったんだけど、つい…」
グラエがようやく笑顔を見せたので、彼女もほっと肩の荷を降ろしたような気分だった。
けれども、彼がいなくなると、シラムーンはやはり不安に襲われないではいられなかった。なんといっても、彼が早めに始めた理由を知っているのは、彼女と、多分ディオラだけだ。グラエの命は、あと何年あるのだろう? そのとき、戦いはどうなっているのだろうか?
いいや、これ以上考えるのはやめにしよう。そう彼女が気持ちを赤ん坊に切り替えたとき、強い痛みが彼女を襲ったのだった。
“もしも、艦隊が爆弾を撃ってきたら、僕が全部引き受ける。君たちには、戦艦を止めるほうに集中してもらいたい。残った1隻はみんなで片付けてもいいから”
“わかりました”
帝国軍は、まさか自分たちが来たことがもう反乱軍に知られているとは思いも寄らなかったので、まったく爆弾など発射しなかった。
そろそろリオネスのはずだと彼らが考えたときにはもう遅く、航法コンピュータがばちばちと火花をあげて、とつぜん戦艦は止まってしまったのである。
動いているのは旗艦ブイルダーンただ1隻、それも間もなく止まり、慣性の法則に従えば、そのままリオネスに突っ込むはずなのに、他の9隻同様に、宇宙空間に止まってしまっていた。
帝国側が、レーダーに10の高エネルギー体を発見したときにはすでに遅く、彼らはリオネスで受けたものにつづく二度目の奇襲に、ただ唖然とするばかりであった。
突然の事態にパニックに陥った乗組員が、無我夢中で爆弾の発射スイッチを入れ、その発射の反動で、戦艦は慣性の法則に従って、ゆっくりとリオネスから遠ざかっていく。
グラエは急いで爆弾を追ったが、1隻がやると残りも真似をして、次々に爆弾を発射したので、とうてい宇宙空間ではつかまえきれずに、9人も一瞬パニックに陥りかけたほどだった。
“爆弾を追うんだ! リオネスの仲間を傷つけたいのか!”
艦隊は、いまやゆっくりと下がっているところだった。
グラエは、とうとう暗黒ガスを突き抜けた爆弾を追っていき、地上より数十キロメートルのところで爆発させた。
残りの爆弾もシリルたちが片付け、何事もなく終わったようだったが、地上に戻った彼らは、見張りを勤めるものたちから、思わぬ攻撃をくらったのである。
「どうして、艦隊を爆破しないんですか? 爆弾が落ちていたら、いくら地下に避難していたって、死者が出たかもしれないのに」
「そうですよ。たしかに、帝国軍を追い出すときは、こちらも被害がまったくなくて済んだけれど、今度の相手は爆弾を落としたじゃないですか」
グラエは、少々当惑したようなようすで、そこに集まったものたちを見た。
実際に戦うものは、あまり力を使いすぎるなということで説得できたように思った。しかし、その彼らを支援するべきものたちが、ここまで艦隊の爆破を望むとは、彼は考えてもみなかったのだ。
彼らの言うとおりにしたのでは、今後、なにかにつけて、その要求はエスカレートしていくかもしれない。彼はふと、ロゥンたちに次々に課せられていった過酷な実験を思い出さずにはいられず、人間とはなんて貪欲なものなのだろうかと考えたほどだった。
けれども、艦隊の爆破が、仲間の士気を高めるのだとしたら、グラエとしては決行せざるを得なかった。
「…わかったよ、やろう。みんな、頼む」
「はいっ!」
喜々としたようすで、シリルたちは次々にテレポートしていった。グラエは少し遅れてそのあとを追ったが、みなの歓声が聞こえてくるようで、耳を塞ぎたいほどだった。
10隻の艦隊は、シリルたちだけの力であっという間に爆破されていた。それは、彼らに自信を植えつけたが、グラエにはどうしても素直に喜べることではなかったのである。
(これで、きっと帝国は本腰を入れてくるにちがいない……でも、どうすればよかったんだ? みんなの士気をそがずに、どうすればよかったっていうんだ)
おとり艦隊全滅の報を、銀河帝国はグラエが恐れていた以上に、もっと効果的に宣伝に使った。
その宣伝文句をあげてみるだけでも、ざっとこんなふうである。
「前途有望な若者を無慈悲に殺したリオネス人の独立を承認できるのか?」
「リオネス人は鬼畜である。彼らは最初、艦隊の航法コンピュータを止めることで、乗組員に一抹の希望を抱かせたのちに、これを全艦撃破したのだ」
「リオネスで命を奪われた、軍人の母絶叫。『息子を返してくれ』」
「遺族連絡委員会結成、帝国にリオネスの徹底粉砕を求める」
「シウェナの首都ドーリアのリオネス人街、襲撃される。犯人は、リオネスで命を奪われた軍人たちの遺族と声明」
「シウェナにつづき、帝都アムールでもリオネス人街襲撃。やはり犯人は遺族と声明するが、町の人びとの声は、むしろ遺族に同情的である」
「リオネス人奴隷、集団私刑で死亡」
などなど。
まさに、これぞ帝国の望む方向であった。それだけでも、おとり艦隊は十分な役目を果たしたと言えた。いいや、できすぎといってもよいぐらいだった。そのための二階級特進であり、鼻つまみものばかりを乗せたのは、彼らなど、たとえ全滅したところでちっとも惜しいわけがなかったからである。
だが、そんな事実は、彼らの全滅という出来事のまえでは霞んでしまっていた。銀河帝国という色一色に染められたマスコミさえ、声高にリオネスを攻撃せよと叫んでいたくらいである。一般市民にそんな真実が見えようか? それはクローディア=ジャレスの例を見てもわかるとおり、無理な相談であった。
マイナード総司令官は、世論を十分に利用した。そして、帝国市民の気持ちが反リオネスへと傾いていった絶頂期を狙って、帝国艦隊の報復出撃を決定したのである。
年明けて、帝国暦189年1月、艦隊は、人びとの熱狂的な声援に見送られて、マナスを出発した。
しかし、リオネスの独立反乱はまだ始まったばかりであり、それはマイナードも十分に承知していたのである。
おとり艦隊が全滅させられたころ、シラムーンの潜った洞窟のなかに、元気な赤ん坊の声が響いた。
赤ん坊は女の子で、母子ともに無事、自分の決断が間違っていなかったかどうか悩むグラエにとって、それはなによりも救いであり、朗報であった。
彼が帰ってきたときは、後産の片付けもすっかり終わったところで、しわくちゃの赤ん坊は、産湯をつかわれたあと、気持ちよさそうに、シラムーンにお乳をもらっているところだった。
嬉しそうに、まず祝いの言葉をかけようとしたディオラやミディアたちは、グラエの表情からそれどころではないことを知った。
彼女たちは、親子3人だけにしてやって、自分たちは、果たしてなにがあったのかを知るために、静かに洞窟を出ていった。
フィーリが振り返ると、シラムーンがぺこりと頭を下げたが、やはり彼女もなにも言わなかった。
「女の子よ、グラエ」
お乳を飲み終わった赤ん坊を、彼女はそっと彼に渡した。
「標準よりもちょっと軽いんですって。ミディアが言うには、あたしたちの子は、ちょっと小さいみたいよ。
ね、名前、考えてくれてた?」
彼は、ただ首を振った。そして、右手で赤ん坊を抱きながら、なにも言わずに、シラムーンに抱きついてきた。
「約束したのに、忘れちゃったのね…?」
「ごめん、シーラ……」
「じゃあ、いまから2人で考えましょう、ね、いいでしょう?」
「なんにも考えられないんだ……嬉しいのに、なんにも思いつかないんだよ…!」
「どうしたの、グラエ? みんなが騒がしいみたいだけれど、うえで、いったいなにがあったの?」
「なにも言わないでくれる…? 駄目なんだ、いまはなにも言えないんだよ…」
しかし、彼の腕のなかで、とつぜん赤ん坊が泣き出したので、2人はいつまでもそのままの格好でいるわけにはいかなかった。
シラムーンは赤ん坊を受け取り、声をかけながらあやした。強いシンパシーの持ち主である彼女に似て、赤子は、父親の不安な心中を察したのかもしれなかった。そうでなくても、赤ん坊は敏感だと聞くし。
「ダイナ……」
「え…?」
「いま、ふっと思い出したんだよ、ロゥンたちの母親の名前なんだ…でも、母親といったって、卵子の提供者というだけのことなんだけどね…」
「いい名前じゃない、グラエ。ダイナって、オレス語で“希望”っていうことよ。ねぇ、その名前をいただいちゃったら? あたし、とってもいい名前だと思う」
彼はしばらく無言で、赤ん坊をあやすシラムーンを見つめていた。彼女の顔からは、わずかに血の気が引いているようだったが、それも、大役をやり遂げたという満足感からか、あまり気にしてもいないらしかった。
「……そうだね、ダイナにしようか……」
赤ん坊がようやく寝ついたとき、グラエはそう呟いたのだった。
その、あまりに頼りなさそうなようすに、シラムーンは思わず、初めてロゥンに会ったばかりのことを思い出して、少し驚いていた。
空間を裂いて、突然、シラムーンとバードのまえに現われたロゥン、身体中にコード付の針が刺され、手足には鎖が繋がれ、息も脈も弱々しく、3日ばかりは寝たきりだったっけ---あんな実験をやられたあとだったのだから、それも当然か。
けれども彼はすぐにグラエになって、はかなげだったロゥンはいなくなっていた。あのころのシラムーンには、彼がとても自信に溢れているように見えたものだ。自分に自信がなかったために、余計そう思ったのかもしれないけど。
あのときは、こんなことになるなんて予想もしなかった。自分が彼の子どもを産むなんて、彼女は考えてもいなかった。
けれども、こんなグラエは珍しい。
いいや、ここ1年ばかりは、こんなことはなかったのに。
シラムーンは、黙って彼を抱いた。彼が強くしがみついてくるのも、半分以上は予期していたことだ。けれど、彼女にはなんにもかけてあげられる言葉がなかった。グラエの肩が小刻みに震えるのを、ただ不安な面持ちで見つめるだけであった。
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