第三部第四章
リオネスを守るバリヤーがなくなったことは、帝国軍にもはっきりとわかった。いとも簡単に跳ね返されていた攻撃が、面白いように暗黒ガスのなかに吸い込まれていく。モニターに写ったその光景に、思わずいつもは沈着冷静でならしたランバルド リオネス鎮圧軍指揮官も、つい腰を浮かさずにはいられなかったほどであった。
それがなんのためであるのかはわからなかったが、ランバルド大将は、厳かに攻撃の中止命令を出した。いまの爆撃がリオネスを襲ったのはほぼ間違いない。もはや、リオネスの反乱軍は壊滅状態にあるはずだった。
突然の中止命令に驚いていた部下たちも、やがてそのことに気づき、旗艦エンペライアの艦橋は、たちまちのうちに歓声に包まれたのだった。このときばかりは、帝国軍一気難しいと言われるショーゼン=ランバルド大将の旗艦であることを、彼らはすっかり忘れていたのである。
そのとき、全艦隊のモニターが歪み、雑音が混じりながらも、リオネスからの交信であることを伝えた。
「我々は…降伏……これ以上の……攻撃…中止…してもらいたい……」
モニターに写ったのは、最初に現われた白髪のリオネス人ではなかった。あれこそグラエだと信じてやまない帝国の人びとは、それがなにものであるのか、そして「グラエ」がどうしたのかを知りたがった。
モニターに写っているのは、20代と覚しき、紫色の髪をした男だったからだ。
しかし、ランバルドはそうした空気を察しながらも、降伏を受け入れる旨を伝えて、リオネス宇宙港に入港すると宣言した。
交信の相手はそれを受け入れ、交信が切れると、モニターも正常に戻った。「グラエ」による電波乗っ取りと状況はよく似ていた。もしかしたら、あれが「グラエ」なのかもしれないと、ランバルドは考えていたが、油断は禁物、それに思い込みはあってはならなかった。
「T49740522を連れてこい。“グラエ”がC31175611であるかどうかはわしにはなんの関心もないが、諜報部としてはそうも言ってはいられないだろうからな」
「はっ」
やがて連れてこられた「T49740522」とは、当然のことながらクローディアであったが、顔面を包帯でぐるぐる巻きにしたうえ、目と鼻、それに口と耳しか外には出ていなかったので、一見そうとはわからなかっただろう。
しかし、包帯に血がにじんでいて、それが乾きつつあることから見ても、彼女の扱いが粗雑であることは一目瞭然であった。しかも、その足取りはがたがたと震えており、身体をかばおうとするような腕の動きも、どこかぎこちなかった。
「車椅子に乗せてやれ」
これには、さすがのランバルドも顔をしかめ、部下に命令した。
その間、クローディアは一言も発しようとはせず、きょろきょろと目だけがせわしなく動くのみであった。
エンペライア号の倉庫をひっかき回して、ようやく見つかった車椅子は、型が旧式で手動、本当にあるだけましの代物だった。
彼は、クローディアとその付き添いを1人、それに副官を含めた50人のものを護衛につけ、シャトルでリオネスに降りることにした。
「もはや時間の問題でしょうなぁ」
と、シャトルの乗っているときに、付き添いがランバルドに囁いた。
彼はクローディアを振り返って見たが、包帯の下からは、ときおり苦しそうにうめく声が聞こえてくるのみであった。包帯で巻かれた頭の不気味さとあいまって、それはそこにいるものをぞっとさせるような声音であった。
けれども、ランバルドも含めて、彼らはその恐怖を表に出すようなことはなかったのである。
やがて地上に降りた彼らは、攻撃のためにすっかりぼろぼろになった宇宙港で、予想に反して、たった2人の人物だけが待っているのを見つけた。
1人は大柄なリオネス人の若い男、もう1人は小柄なリオネス人の老婆だ。
ランバルドがなにか言うよりも早く、いちばん最後に付き添いに車椅子を押されて降りてきたクローディアが、よろよろと若い男のほうに向かって走り出した。
彼女はなにか叫んでいたようだった。けれども、喉からもれる、ヒューヒューという音のほかには、なにも聞こえてはこなかった。
若い男のほうが、どうやらさきほどのモニターに写ったらしい。
彼らは、ゆっくりとこちらに向かってきて、ランバルドから3分の1くらいのところでクローディアと出逢うことにことになった。
走れるはずがないのだ。それでも、彼女を急き立て、彼のもとに行かねばならないと思わせたのは、ただ執念によってであった。
いまにも死にそうな実験体の女に、リオネスの強さとおなじものを感じたランバルドは、人知れずぞっとせずにはいられなかった。
赤い血が、包帯を染めた。そればかりではない。彼女の手や足からも、血が流れ、コーヒー色のクローディアの肌は、少しずつ赤く染まっていった。
ランバルドはただ待っていた。けれども、部下たちには少しで2人がおかしな素振りを見せたら、遠慮なく銃で撃ってやれと言ってあった。
血にまみれたクローディアの手が、力なく男の胸を叩いた。
ヒューヒューと漏れるかすれ声は、彼らには聞き取ることができなくて、不意に、電池が切れるように彼女は倒れた。
動かなくなったクローディアを、ゆっくりと血が染めていったが、もはやだれも彼女には関心を払わなかった。死んだというのなら、それでもいい。
ランバルドは、もともと彼女にはなんの関心もなかったし、彼女を旗艦に乗せなければならないことも好ましいとは思っていなかったからだった。
男は、倒れたクローディアには目もくれず、一旦は立ち止まったものを、またゆっくりとランバルドに近づいてきた。
老婆が彼女をまたぎ、やはり近づいてきていた。
「そこで止まれ!」
ランバルドの命令に、2人はすなおに従った。
「おまえたちがリオネス反乱軍の代表というわけだな?」
「そうだ。俺たちは降伏する。これ以上リオネスを攻撃するのはやめてほしい」
「では訊こう。グラエはどこにいる?」
「俺が、グラエだ」
「なに」
ランバルドも含めて、その場のものは足が凍りついたように動けなくなっていた。
「グラエ」と名乗った男が、お粗末な剣を振りかざして走ってくる。
その後ろに立つ老婆の目が怪しく光り、銃をかまえたまま、彼らは引き金を引こうと無駄なあがきをしていた。
こんなところで死ぬのか。ランバルドは、その恐怖に囚われた。
俺は苦労して出世してきた。それが、こんな馬鹿らしい戦いのために終わってしまうのか。
その意志の力が、老婆の意志をねじ伏せる。
「撃て! 撃てぇーっ」
その瞬間、老婆の束縛は消え去り、50人は一斉に2人に向かって射撃したのであった。
バードとディオラは、シラムーンやダイナと一緒に逃げたわけではなかった。
グラエの死を予期した彼らは、帝国が彼の死をたしかめるまではリオネスへの攻撃をやめることはないだろうことを恐れて、バードが「グラエ」と成り済ますことで、帝国に矛先を収めさせようとしたのであった。
それはグラエとの約束を違えることであったが、2人の代わりに、シラムーンとダイナのことは、古くからのメンバーが引き受けてくれたのである。
苦楽をともにしてきた彼らは、自分たちが「グラエ」の偽物となることを進言したのだが、それが間違いなく死ぬことなのだとわかっていた2人は、もはやだれにも任せる気にはなれなかったのである。それに、これはだれにでもできるようなことでもなかったのだ。
ディオラの強いテレパシーの助けを受けて、わずかながらバードの持っていたシンパシーは、最後の最後で役に立った。
彼は、身体中を蜂の巣のようにされながらもなお、最後の瞬間まで、そこにいる帝国軍に向かって、自分がグラエなのだと、いままで帝国がグラエと思っていたものが、たんに力が強いだけのリオネス人の1人だったに過ぎないと思わせようとしたのである。
死は覚悟のうえであった。というよりも、最初から死ぬことが前提の行動だった。
薄れゆく意識のなかで、バードは妹とダイナのことを考えていた。
決してつかまるな、幸せになれ。いつか、リオネスを解放してくれ。自分たちができなかったことを、いまは託す。
けれど、それが最後の記憶だった。
ランバルドが我に返ったとき、目のまえには血まみれの死体が2体、もはやどちらとも見分けがつかぬほど、銃によって千切れていた。
彼は男のほうに近づいた。さっき、たしかに自分が「グラエ」だと名乗った男だ。
その頭はあっちの方向に転げていたが、ほとんど無傷で、笑みさえ浮かべているように見えた。
それから、彼はもうひとつの死体に近づいた。
そちらは怪しげな力を使った老婆だ。これも頭は無事だったが、彼はふたつとも回収するように命じた。その表情も、緑色の血にまみれてよくわからなかったのだが、やはり満足そうな顔をしていた。
けれども、彼らは知らなかった。
いま、クローディアが倒れているところこそが、グラエの死んだ場所であることなど。彼の死体は灰さえも残らなかったのだ。黒い黒い染み、それだけが彼がこの世に残した自分であった。
だが、そんなことはグラエにはどうでもいいことだったろう。彼の命は確実にダイナに受け継がれたのだったから。
「グラエは死んだのですから、こんな頭は必要ないんじゃないでしょうか?」
部下の1人が言った。
「だが、やつらはさらになにか隠しているかもしれん。これからマナスに帰ってからでは、どれだけ情報が残っているかもしれないが、グラエの死体は持って帰るようにという命令だったからな」
バードのシンパシーとディオラのテレパシーによって、暗示は完璧なものであった。しかし、それでもランバルドが受けた命令を消すことは、決してできなかったのである。
「終わったな…」
ランバルドは、一言だけそう言って、さっさとシャトルに乗り込んだ。
が、途中でふと思い出したように振り返って、クローディアの遺体を指して付け加えた。
「あれも回収しておけ。頭だけでいいからな」
「はっ」
兵士の1人が彼女に駆け寄って頭を持ち上げると、腕と脚が、両方とももげて落ちた。
「切り落とすんですかぁ?」
彼は驚いて、つい情けない声をあげた。いくら強者とはいえ、目のまえで腕と脚が落ちれば、それは嫌な気分にもなろう。
だが、腕と脚は、実は巧妙に造られた人工のものだったと気づいて、ほっとしたような顔になった。
「そこまですることはないだろう。胴体がつながっていても、収納するところはあるだろうさ。もしもなかったら、そのときは切り落とせばいいじゃないか」
指揮官はもうシャトルのなかだったので、代わりに彼の副官が答えた。
「わかりました」
けれども、彼の腕のなかで、顔があるはずのところは妙によく動いた。まるで、彼女が仮面でもかぶっていたかのように、緩んできた包帯がぶかぶかに動いている。
彼は、クローディアのことなど知らなかった。
皇帝が倒れて、皇太子が代理の執務を執ったのは知っている。それから、すぐに帝国艦隊に総出撃命令が出されて、彼女が来たのはそのときのことだった。
顔は知らない。来たときには、もう頼りなげな足取りで、立っているのも苦しそうだったから。
それから、リオネスに攻撃している最中、彼女はずっと与えられた部屋に籠りっぱなしだったのだけれども、それではなんのために来たのだろう?
ランバルド指揮官は、彼女を実験体呼ばわりした。どうやらなにかの確認のためだったらしいのだが、彼には話がまったくわからなかった。
彼女を入れるように指示された箱には、すでに頭が2つ入っていた。彼は、ぞっとするような思いで慌てて蓋を閉めたが、箱を冷凍室に入れておくことだけは忘れなかった。
バードたちは当然知らないことだったが、帝国はいまや、あるていど新しい死体ならば、脳から直接データを読み取ることもできるようになっていたのだ。
ただし、死んだばかりの真新しい死体ならともかく、脳の組織が壊れていたり腐ったりしているような場合は論外だったし、たとえ冷凍保存などによって無事に残っていたとしても、死んでからどれだけの日にちが経っているかによって、読み取ることのできる情報量はかなり変わってくる、不完全なものだったのである。
帝国艦隊は旗艦エンペライアを先頭にぞくぞくと帰艦を始めた。死体から情報を得るためには、一刻も早くマナスに帰らなければならなかった。それで、旗艦が帰るなら我も我も、というわけで、やがてリオネスの上空には、監視用にただ1隻が残されただけとなったのである。
帝国暦189年8月18日、この日をもって、銀河帝国第五代皇帝グロシェン=インパールは、リオネス反乱がここに終結したことが全土に向けて宣言した。
しかし、彼は同時に、皇太子イェリオ=カラザアが何者かによって卑劣にも暗殺されたことを告げ、宰相らも含めて、あっと言わせたのである。
リオネス反乱の件で、イェリオの人気は不動のものとなった。それはだれあろう、皇帝自身がいちばんよく知っていることであり、快く思っていないことでもあった。
このままでは、自分は存命中に退位というもっとも不名誉なことになってしまう。
それは、いままでの銀河帝国ではありえなかったことである。マナス帝国の始祖アスニシオン=メルキュールの代よりずっと、皇帝の地位は終身制、つまり死ぬまで皇帝と決まっていたのだ。
皇帝は精神的に追い詰められていた。
病床にある間ずっと、彼に皇太子の動きについて逐一報告がいった。それはときとしてバーシアであったりしたが、たいていの場合は、皇帝だけが使える特権として、特別諜報部員がいたのである。
イェリオ皇太子は有能である。彼は庶民の人気も高いし、やることなすことそつがない。ビアラニ宰相や内務尚書の面々ともけっこう気が合うようだし、これはリオネス反乱以上の、グロシェン帝に起こったピンチであった。
このままでは、だれもが第六代皇帝イェリオ=カラザアを臨むのは当り前のことだ。それで、彼は皇太子のうちに暗殺してしまうという、卑劣な策に出たのである。
卑劣な暗殺者とは、ほかならぬ彼のことだったのだ。実行犯はともかくしても。
「バーシアよ、おまえはわしに忠実であろうな?」
「なんなりと御命令を、陛下。私はなにをすればよいのです?」
「皇太子を殺すのだ。だれにも見つからぬようにな。だが、もしも見つかったときは、おまえ1人の仕業だと言うのだぞ。よいな?」
「かしこまりました」
イェリオの寝室に忍び込むバーシアを、まさかだれも見なかったということはあるまい。
しかし、この若者を動かせるのは、皇帝しかいなかった。たとえ身体を引き裂かれようとも、その忠誠心は変わらないのだ。
どうして、皇太子の死に皇帝が直接関わっているなど証言できようか。
そう証言したところで、いったいだれに届こうか。
おそらく、そのものはそう考えたにちがいなかった。
そして、証言者もいないまま、皇太子暗殺の件は、まるで奴隷や実験体のように闇に葬られたのであった。
代わりに皇太子となったのは、イェリオの同母弟、ジェレミア=カラザアだった。
皇帝としては、イェリオの弟を選ぶようなことはしたくなかったろうが、皇太母となった故ビルフィニア=ローク=エノア=カラザアの地位を取り消すことはできないと言われて、しょうがなくジェレミアが次の皇太子とされたのである。
もちろん、ビルフィニアの息子や娘たちが全員死んでいれば問題はないのだが、イェリオとジェレミアの間の娘2人はとうに結婚しており、皇位継承権を放棄していたので、20歳近くも年が離れていたが、ジェレミアが皇太子となったのであった。
長い銀河帝国の歴史のなかで、皇太子が変えられたのは、ただこのときしかなかったという。
皇帝は、イェリオ=カラザアの葬儀を派手派手しく行った。国葬にして、1ヶ月間は喪に服するように全市民に伝えた。
だが、実際には他のだれが悲しんでいたとしても、彼だけは相変わらずバーシアと遊びまわっていた。
グロシェン帝にはいいことずくめだったのだ。うっとうしいリオネスの問題はイェリオが片づけてくれたわけだし、これでだれはばかることなく、遊ぶことができるようなものだ。
けれども、彼はだんだんバーシアに飽きてもいた。
生来が飽きっぽく長続きがしない性格である。バーシアとの愛人関係が9年間もつづいたこと自体が、むしろ奇跡と言えよう。
「バーシアよ、おまえは最後までわしに忠実であるか?」
彼は、一度も使ったことのない、細身の剣を抜いて、バーシアに迫った。
「私は陛下の下僕でございます。私の忠誠は陛下の御元にあります」
床に正座した彼、あるいは彼女は、いつものように身体にぴったりのスーツを着て、微動だにせずに答えた。揃えられた膝のうえに置かれた白い手には、真新しい傷がついたままだった。
「よくぞ言った。そなたの忠誠心、たとえわしが忘れようとも、この剣が忘れまいぞ。
さあ、ここで死ぬのだ。わしとおまえの思い出がつまったこの部屋で、おまえは死ななければならん。
命乞いをしてはみぬか、バーシア? おまえが抵抗したことなど一度もなかったからな、わしもそろそろ退屈してきたのよ」
それは真っ赤な嘘である。一度でも抵抗されれば、グロシェン帝のことだ、たとえ相手が奴隷だろうと貴族の娘だろうと、決して生かしてはおくまい。
彼は、得意そうに剣を放り投げた。
バーシアは、ためらいひとつ見せずに、それを拾った。
皇帝のために皇太子まで殺した。
リオネス反乱の間は、バーシアの身体には生傷が絶えず、白い肌にはつねに血がにじんでいた。
たとえリオネス反乱が勃発するまえであっても、彼、あるいは彼女の身体には、いつもどこかしらに傷があったが、なかには傷口をかきまわされたせいで、思わずうめき声をあげてしまったこともあった。その声がいいと、皇帝はさらにやめようとはしなかったものだ。
彼の性欲はとどまるところを知らず、時間も場所もおかまいなし、しかもバーシアの体調が優れないなんてことになろうものなら、また機嫌が悪くなった。
気紛れで残忍、わがままで子どもっぽくて、なにひとつ尊敬の対象になるようなところなど見当たらない男なのだが、それでも、最後の瞬間まで、バーシアの忠誠心は彼を裏切ることはなかった。
その白い胸に、バーシアは剣を突き立てた。
真っ赤な血潮が噴き出し、身体が断末魔の叫びをあげる。
心はあくまでも皇帝に忠実であったが、身体は正直だった。だが、その真の叫びに、バーシアが気づくことはなかったし、これからもありえないのであった。
皇帝は、その光景を冷ややかな目で眺めた。もはや、常軌を逸している。
けれども、狂人皇帝をだれが止められただろう? ただ、その自滅を待つしか手はないのだった。そうでなければ、自らの死を覚悟のうえで、失われた秩序を回復するため、皇帝を粛正することだった。
新たに皇太子となったジェレミア=カラザアは、イェリオとちがって子沢山であった。しかも、彼は父帝の性格をよくわきまえてもいたので、実兄の二の舞だけは決して踏んではならないと、自分の行動を慎み、動かなくてはならないときでも、慎重さを忘れなかった。そのため、最初のうちはジェレミアを臆病者と考えるものの少なくなかったが、彼はその誤解さえ解こうとはしなかったのである。
どちらにしても、彼よりも皇帝のほうが長生きすることなどありえないのだから、ジェレミアとしては、消極的な策ではあったが、いちばん安全と思われる策をとるしかなかったのだ。
彼が、皇帝の愛人兼護衛の白人奴隷、バーシアの死を知ったのは、それから間もなく、189年も終わろうとする12月のことだった。
ランバルド・リオネス反乱鎮圧軍指揮官が持ち帰った3つの脳の解析もそろそろ終わろうとするかというころのことだ。
実兄から、父がいかにバーシアを可愛がっていたかよく聞かされていたジェレミアだったが、いい加減飽きてきたのだろうと思って、大して驚きもしなかった。
そうして、バーシアは歴史の闇に埋もれてしまった。それが奴隷の宿命であったとはいえ、その最後はあまりに呆気なく、皇帝に裏切られたゆえの死は、だれにも知られることはなかったのである。
3つの脳についての報告は、やがて年が明けてから、銀河帝国皇帝のもとにもたらされたが、そのコピーはちゃんと皇太子のもとにも届いた。グロシェン帝の治世下ではそれは当り前のことだったし、そんな皇帝は彼だけだったが。
それによると、実験体T49740522、通称クローディアの脳からは大した情報は得られなかったという。
そんなことよりも、彼女の死がもたらした結論は、生体機械にはまだまだ改良の余地があり、実用の段階にはほど遠いということであった。
手術によってクローディアの残った肉体と生体機械とは繋げられたわけである。厳しいリハビリののち、社会生活ができるまでに復帰した彼女の死因は、生体機械の肉体よりの分離と、それによる出血多量のためであった。
一度はごまかしてとりつけたものの、肉体は拒絶し、リオネス反乱鎮圧軍に乗り込んだときには、もう分離が始まっていたのである。それで、頭は包帯で巻いて顔が落ちないようにしたものの、腕や脚も接合は結果的には失敗に終わったわけだった。けれども、それで生体機械の可能性が完全に否定されたわけではなかった。
彼女は、「グラエ」がロゥンではないことを証言していたが−−−最後の瞬間にはそれが言いたかったわけなのである−−−、生体機械である顔が外れつつあったので、声を発することもできずに死んでしまったというのが、追加報告として添えられていた。
残る2つの脳、老婆と「グラエ」の情報は大体似通っていた。
彼がグラエであること、たしかにロゥンがリオネスにいたこと、何人かの超能力者が協力して艦隊を撃退してきたこと、そして彼らの死により、もはや戦うことはできないと判断した彼と老婆ディオラが、これ以上のリオネスへの攻撃を止めさせるために、また帝国艦隊にせめても一太刃浴びせるために降伏を伝達したことなどであった。
けれども、帝国をもっとも恐れさせたのは、グラエの妻シラムーンと娘ダイナが逃亡したという事実だった。
リオネスの反乱はたしかに終わった。しかし、彼らをもっとも手こずらせた超能力者の血筋はここで終わったわけではなかったのである。
バードもディオラも、まさかそんなことまで知られてしまうとは思ってもみなかっただろう。いいと思った考えが、実はシラムーンとダイナを危険に巻き込むことになるとわかっていれば、あんな形では降伏しなかったにちがいなかった。
しかし、もはや賽は投げられたのである。
シラムーンとダイナの行方については、運を天にまかすよりないのであった。
銀河帝国は間もなくもとの秩序を取り戻していた。
リオネス反乱が残した影響は、征服王と女帝時代の戦争と比べても、遜色ないくらいであったかもしれないが、しょせん1年と短いものであった。
だが、それは平和な時代に、人びとの眠りをさまさせようとするかの如く、辺境の惑星リオネスから起こった反乱であった。
リオネスの、そしてグラエを始めとする人びとの戦いはもう終わってしまったのかもしれないが、それはまた、新たな戦いの始まりでもあった。
失われた真実を求める声は、その後も各惑星においてやむことはなかったが、どれも反乱までには至らず、長い月日だけが、ただ帝国の人びとのうえを流れていったのであった。