最後のもの

最後のもの 4

起こされたときには、ガイルはやっぱり二日酔いだった。
けれども、さすがに3度も妖魔と鉢合わせすると頭が割れそうに痛いながら警戒心だけはちゃんと働いた。まさか2日連続で妖魔の襲撃かと緊張して、寝ぼけ眼ながら剣の柄を握りしめたが、そういうわけではなかった。
「幽霊…?」
「なんじゃなんじゃ、年寄りを毎日起こしおって。わしゃあ−−−」
「都合のいいときだけ年寄りぶるな。こういうことは俺よりもお主のほうが詳しいはずだろう」
「冗談を言うな。わしゃあ妖術師とはちがうぞ! まあ、お主よりも詳しいのは確かじゃがな」
ぶつくさ言いながらオルズデールがまえに出て、ガイルもあとにつづいた。
妖術師とはまた懐かしい言葉だ。
薄ぼんやりした人影は、半透明で青白く光っていた。昨日のことがあるだけにバーザムがオルズデールを起こしたのも無理はない。もしも妖魔でなかったとしても、幽霊ならばやはり魔法使いのほうが詳しかろう。
「……なんじゃ、わしの出る幕もないわい。見ろ、こっちへ来いと言っとるぞ」
言いながら、老魔法使いは2人を手招いてみせた。
「敵なのか味方なのか?」
「わしが知るか。だいたい、幽霊が手招きするとしたら、その先にはろくなものがないと決まっとるわい」
「先生、行きましょうよ。せっかく幽霊が誘ってくれているんですし、見たところは地の民みたいじゃないですか。きっとなにかありますよ」
「ふむ、おまえもたまにはいいことを言う。
罠なら罠でもかかってみる価値はあるものじゃしな」
ガイルの一言で決まった。オルズデールもバーザムも反対を言わずにそそくさと荷をまとめた。
「ほら、ぼさっとしとらんで行くぞ!」
言い出しっぺのガイルのほうが呆気にとられていたくらい2人の反応は素早く、バーザム、オルズデールが出てから、彼は慌てて最後尾についた。頭がまだ痛いが、そんなことを言ってられる状況ではなさそうだ。
幽霊は速かった。
3人は走るような速さで通路を走り、それでも時折見失うほどだった。
途中でオルズデールが呪文を唱えて飛ぶことにしたほかは、彼らは一度も立ち止まらせてはもらえなかった。
道は途中から登りとなった。
そのころにはガイルは息が上がって後方警戒をするどころではなくなっていた。
「おまえが先に行け。こんな状態で妖魔に見つかりでもしたらことだ」
そう言ってバーザムが最後尾についたが、先頭なら先頭で、幽霊を見失うわけにはいかないのがまた大変だった。
だいたい、こんな地理の不案内なところを全速力で移動するものじゃないのだ。
けれどもそのときのガイルにはそんなことを考える余裕さえなくて、分かれ道ではかならずと言っていいほどオルズデールの指示がなければ行き先も決められなかった。
「敵か味方かは知らんが、なんて無茶をさせるやつじゃ!」
自分がガイルを二日酔いにさせたことは棚に上げて、オルズデールはちょっとだけ憤慨した。
もっとも走っているガイルもバーザムも、それどころではなかったのだが。
地の民の幽霊は、最後には石の扉に溶け込んで消えた。
完全に行き止まりで、思わぬ長距離走にガイルはしばらく息を荒くしていたし、さすがのバーザムもかなり疲れたようだった。
「なんじゃ、2人してだらしない。お主も年をとったもんじゃのぅ、バーザム?」
「自分は楽していたくせになにを言う」
「先生、その扉…!」
「ん…?」
そこにつけられた爪痕に、ガイルはもちろんのこと、オルズデールやバーザムさえ息を呑んだ。
妖魔か、あるいは魔族でさえ開けられないような扉の奥に、いったいなにが待ちかまえているというのか。彼らには想像もできなかったのである。
いや、想像できないこともなかったが、自分たちの探していたものの正体を初めて知ったようなようすだった。
しかし、オルズデールが杖を構えるよりも早く、扉は軋みながら開いた。
「ようこそ、我が捕らわれの部屋へ。お主たちは、このカザドブルへの、最初で最後の人間のお客というわけだな」
その向こう側に、彼らは求めてきたもの、地の民を見つけたのであった。雪のように白い髭と髪を床まで垂らし、岩のように古く頑丈な体を持った、古の民の、おそらくは最後の一人を。
あまり広い部屋ではなかったが、地の民一人が暮らしていくのに不自由はなさそうに見えた。もちろん、自由に外を歩くことができないという条件はあるようだが。
そこには陽の光が差し込んでいた。暗がりに慣れてきていた3人には、とても明るく、まばゆいばかりで、しばらくは目をぱちぱちさせていたほどだった。
地の民とはいっても、地下にばかりいたいわけではないらしい。
老いた地の民は、どっしりと椅子にかけ、突然の、しかしおそらくは彼自身が招いたであろう来訪者を悠然と見つめていた。
どこかで見たような顔だ。こっそりと師匠の顔色を盗み見たガイルは、オルズデールもおなじようなこと、あるいはそれ以上について考えているのを察した。
地の民の周りにはたくさんの書きつけがたまっている。それを見たガイルは、ふとオルズデールの塔をも思い出した。
「初めてお目にかかる、我らの及ばぬ尊き御方よ。あなたのことはトワド何世陛下とお呼びすればよろしいのですかな?」
オルズデールの言葉に、老いた地の民の印象がかなり変わったのは明白だった。彼は明らかに3人を蔑視していたのだが、老魔法使いだけは他の2人よりも引き上げて見ることにしたらしかった。
「…わしに対しては“陛下”などという人間が考えた呼称を使うのはやめてもらおうか・わしのことは、ただトワドと呼んでくれればよい…」
「それではトワド殿、このものたちを代表して、まずは招かれざる来訪をお詫び申し上げましょう」
この地の民は、オルズデール以上に年降り、老いているように見えた。ガイルのあやふやな記憶のなかにある地の精みたいに古い古い岩のようだ。
それにしてもあの石像の直系の子孫とは、彼は師匠が言い出すまで思い出しもしなかった。
「…人間とはもっと野蛮なものと聞いておったが、わしの記憶も古びたものよ……。
…さ、入るがよい。捕らわれの部屋とはいえ、わしはその扉を閉めねばならぬ。お主たちをあれほど急がせたのもそのためなのだ、ここには、我が仇敵がおるのだからな…捕らわれの部屋と申したのは、我が町でありながら、このカザドブルを、わしが自由に歩いたのは、遠い昔のことだからなのだ…」
部屋の天井は高く、バーザムでさえ、ゆうに歩けるほどだった。彼らの背後でゆっくりと扉は閉まり、地の民は深いため息をついた。
「…不思議そうな顔をしておるな。なぜわしがお主たちの言葉を話せるのかと…魔法の力によるものだ、お主たちとて、知らぬわけではあるまい…? お主たちの魔法は元来我らより盗んだものだったのだからな…しかし、嘆かわしい世になったものだ。カザドブルは我が誇り、我が魂…されど、いまそこを我が物顔で歩くのは、我らの仇敵なのだから…」
「御気持ちはお察し申し上げます。あなた方の敵は、我らにとってもまた手強い敵ですからな」
オルズデールの言葉に、地の民はいかつい、白い枝のような形の眉をひそめ、首を振った。
「…いいや、わかるまい…人間は我らとは異なる生き物。カザドブルを破壊される、その悲しみが、お主たちにわかるとは思えぬ。
…お主たちはむしろ、我らの仇敵に近い生き物ではないのか…欲望のままに生き、光と闇のあいだでいつもお主たちの天秤は揺れ動いている。人間とはあやつら以上に我らには−−−」
「わかるはずがないって−−−おまえにこそわかるものか! 先生がへりくだっていればいい気になりやがって、俺たちはおまえのごたくなんか聞きにきたわけじゃないんだ!」
突然飛び出したガイルは、オルズデールもバーザムも止める間もなく、もう地の民の王の襟首をつかみあげていた。まるで岩のように重かったのだが、そんなことも気にならないほどだった。
「わかるものか、目の前で両親が殺されたことなど! 俺はな、おまえたちが暗黒の島と呼んだアダモン島から来たんだ! 妖魔や魔族に村を焼かれ、両親も友だちも殺された、この気持ちがおまえにわかるっていうのか、畜生!」
「いい加減にせんか」
ガイルに言いたいだけ言わせてから、オルズデールはたしなめる。
「まったく前々からせっかちなやつじゃとは思っておったが、おまえは短気でいかん。自分の目的を忘れたのか?」
「…忘れてなんかいませんよ…!」
トワドは、ただ呆気にとられてガイルを見ていた。彼には、この無礼な若者がなぜ激怒するのかもわかってはいなかろう。彼の悲しみが、こちらには理解しにくいように。
ガイルは、まるで白い岩のように見えるトワドをにらみつけ、ぷいと目をそらした。こんなやつに頭を下げるために来たのか。古の民を探せとはこういうことだったのか、彼が考えていたことといえば、ただそれだけであった。
「……そういえば、お主たちの目的をまだ聞いてはおらなんだな…我が手になる武器や鎧を求めるか? 妖魔や魔族と戦うに、かの四振りの宝剣ほどではないがお主たちの技ではいまだ及ぶまい。
それとも、その名も高き真の銀を求めるのか? あれは希少なものなれど、わしはそのありかを知っておるし、真銀による武器や鎧もあるぞ。けれど、真銀を鍛えなおす技をお主らは身につけたのか…?」
「残念ながらそのどれでもないですな。そのような名高き武器はなくとも、わしらは妖魔や魔族と戦ってきましたゆえ、いまさらここで一本や二本手に入れたところで、なにも喜ぶことはありませんのじゃ。
…単刀直入に申し上げましょう。我らの目的とは、遥か昔にあなた方が我ら人間に課した、杖の呪いを解いていただくことじゃ」
「杖の呪い…? 我らがお主たち人間にいかなる呪いをかけたというのだ? 我らがいかなる害をお主たちにもたらしたというのだ…?!」
トワドが身動きするや否や、バーザムも黙ってはいなかったが、オルズデールが素早く制した。その早いことといったら、歴戦の強者であるバーザムばかりかトワドの動きさえも止めたほどだった。
「妖魔がおるところでわしらが争うほど愚かなことはありますまい。そうではないですかな、トワド殿?」
「……お主の言うとおりじゃな……」
トワドは苦虫を噛み潰したような表情だ。しゃあしゃあと言うが、発端はこの老人からであることは百も承知のはずだ。
「では話をつづけさせていただきますぞ。
呪いというのはあなた方が人間に与えた魔法使いの杖よ。このものは杖を失った。だが、魔法の力を取り戻したいと考えておるのじゃ。それには杖の呪いを解いていただくしかありませんのでな」
「呪いとはな…お主たちのあいだではかように伝えられてきたのか…? 呪いではないわ、お主たち人間の欲するところは金銀財宝であれ力であれ、とどまるところを知らぬ、魔法についてもおなじことだ……。
……かつて魔法をよくする人間がおった、まだ我らがなにもせなんだころにな。だがそのもの、己の欲望に醜く染まっており、その師を手にかけ、しまいには森の民の宝ともいうべき乙女の命をも奪いおった。やつの願いとは、我らが精霊王たちの力を借りてようやく鍛えし四振りの宝剣に勝る魔剣を鍛え上げることだったが、やつは乙女とともに命を落とし、そのためかはわからぬが、〈月の剣〉が現れたのがそれから間もなくのことじゃ……やつのような輩を放置しておったのは我らの咎よ、我らの過ちであった…人間にやりたい放題にやらせるわけにはいかぬ、杖はその止めであり、お主たちをひいては守りもしよう。
人間は魔法を操るには幼いもの、それゆえの杖である、わしは、その認識を新たにしたぞ…」
ガイルの表情が硬くこわばった。握りしめた拳が白い。けれどもオルズデールはトワドの相手で弟子に気を使うどころではなかったし、バーザムも声をかけるはおろか、手さえ出そうとはしなかった。
ガイルはたった一人の地の民の王トワドに背を向けた。唇を強くかみしめる。切り札を持っているのは自分じゃないのだ。手のうちをすべてさらけ出して、手札を全部使いきった賭博師よりもたちが悪い。
けれどもあくまでも冷静−−−というよりもオルズデールの場合はバーザムに言わせると単にひとをくっているだけの物言いなのだが、それがかえって彼の頭を冷やすのに役に立った。
「では、なにゆえにわしらを導かれた? 導かれたと、わしはあえて申し上げますぞ。この扉、外側にはわしらなど震えがくるような爪痕がついておりましたな、あれほどの攻撃から守りきるほどの魔法とは、わしのような若輩者には想像もつかぬこと。けれどもあなたは我らに対して扉を開かれた。妖魔や魔族でも開けられぬ扉をなぜ、わしらのために開けられたのじゃ? 招かれざる客であることは今一度詫びさせていただこう。しかしあなたはわしらが目障りであったとは思えぬようすじゃ」
トワドは長いこと沈黙していた。が、オルズデールが辛抱強く待っていたので、やがて重い口を開いた。
「…このカザドブルに巣くう妖魔や魔族を、お主たちに片づけてほしいと思ったのだ。お主たちには、正確にはそこの若者を除いてはそれだけの力がある、妖魔との戦いぶりは見せてもらったからな。わしがただ一人この地に残ったのも、それゆえなのだ…わしはもはや民なき王となりはてたが、我らの造ったこの町を、仇敵どもの手に渡したままでは去ることもできぬ、だがこのままここで一人朽ちてゆくのもおなじこと、ならばいっそ、お主たち人間の手を借りるのもしょうがないと考えておるのだ…」
オルズデールは振り返ってガイルとバーザムを順に見た。
若者の考えは口に出さなくても明白だった。ここで魔力を取り戻せる望みがなければ去るのみだ。そのためには相手がたとえ妖魔であろうと魔族だろうと引くつもりはない。弟子の相変わらずの頑固さに老魔法使いは嘆息するように首を振ったが、どこまで本気なのかはわからないところだ。
さっきから一度も口をきかぬバーザムは、ガイルのほうを顎でしゃくってみせただけだった。彼が行くというのならバーザムは命を賭けてその目的を達成するのに力を貸すし、そうでなければ後について去るだけだ。彼は旅の最初から自分の意見を挟むことはなかった−−−まったくなかったとは言わないが、重要な局面では必ずガイルの判断に任せたのはオルズデールもおなじことだ。いまのことだって、訊くまえからわかりきっていたのだ。もっともオルズデールも単に確認のためだけに見たのにすぎなかったようだった。
それで、老魔法使いは改めてトワドのほうに向き直った。
「トワド殿、わしら人間に、まさか無償でやれとは申しますまいな…? 確かに、困っておる人を助けるのは我らとて望むところですが、不案内な土地でしかも相手は妖魔か魔族ときておる。ひとつしかない命をここでみすみす落とすのはわしらの本望ではないですからな」
「無論じゃ。お主たちは相も変わらず強欲な生き物なのじゃな…まあ、よい、わしも無償で働けとは申しておらぬ……わしの提供するものは、武器と鎧じゃ。真銀もすべて持っていくがよい、小説以外を持てるだけ持ってゆけ、だが、いまは渡せぬ、妖魔と魔族が、鍛冶場の近辺を徘徊しているのだからな……」
トワドは大儀そうに椅子に座りなおした。何十年、いや何百年を彼はそうして過ごしてきたのだろう。
ずっと一人きりで…?
彼がカザドブルと呼ぶ、ダンドカンバ山脈の内部に築かれた地の民の町を妖魔や魔族から取り戻す夢を見続けてきたのだろうか。
「そのようなものは望まぬと言ったらどうされますかな…?」
オルズデールの即答に、宙をさまよっていたトワドの視線が彼に釘付けになった。
「いかにもわしらは強欲じゃが、あなたの望みもひとが良すぎやしませんかな。わしらがここに求めてきたのは、伝説に歌われるほどの武具ではないのですぞ。わしらはすでに足りておると申し上げたはずじゃ。それとも地の民の王ともあろうお方が、自分の意志だけを通されるおつもりか。あなたはカザドブルを妖魔や魔族の手から解放してほしい、わしらは杖の呪いを解く方法を知りたい。利害は一致しておるはずじゃが?」
トワドはオルズデールを睨んだ。
自分たちが睨まれたわけでもないのに、ガイルもバーザムも背筋を冷たいものが走った。
かつて真なる王はそのひと睨みだけで敵を殺したといわれた。二人ともそんな伝説などはなから疑ってかかるような現実主義者だったが、目の前の最後の地の民の王にはその力があるかと思えた。
ところが二人よりも小柄なオルズデールときたら、そんな視線さえさらりとかわしてしまったようだった。この老人にかかると、いかなる凶眼であっても効を発しないのではないかと思われたほどだ。昨日の骸骨も似たようなことを捨てぜりふに残していったっけ。
「わしらは、この町から妖魔や魔族を一掃して差し上げよう。もちろんそれには多少の時間がかかろうが。だが、その見返りには杖の呪いを解いていただかねばな」
「お主たちの真の魔力を解放するわけにはいかぬ…! わしのご先祖たちが決定されたことを、わし一人の意志で覆すことはできぬ。
魔法とは闇の力じゃ、お主たちの真の魔力を解放すれば、世の闇はいや増し、いつかお主たちを破壊しつくすかもしれんのだぞ。そうでなくとも、宝剣戦争はいつまでも終わらぬ、妖魔も魔族もおり、世界を荒らし、四鬼どもがのさばっておるではないか。
しかもお主たちはいまだ幼き民だ、魔法の力を操るには幼稚すぎるのだ…! お主たちはすでに武力を得ているではないか。我らの与えた鍛冶の技を持ち、我らより盗んだ魔法をも使う。それで足りないとは言わせぬぞ…! 現にお主は先ほど申したな、我らの武具がなくとも妖魔どもとは戦えると。ならばこれ以上魔法の力を解放する理はあるまい…?!」
オルズデールは振り返って再度ガイルを見た。けれど若者は、頑に首を振っただけだった。
諦めきれないのだ。人間というものを、はなから自分たちより劣った幼稚な民と決めつける地の民に、こんなところで夢を絶たれたくはない。
それは、魔法使い自身は無論のことながら、ずっと沈黙しているバーザムだって同じ気持ちだっただろう。まるですべての責任が、妖魔や魔族、それに人間にあると言わんばかりではないか。
この頑固な、岩のような固い頭の持ち主に承諾させるために、老魔法使いはもう一肌も二肌も脱がねばなるまいと考えていた。まったく、いつだっていちばん働かされるのは自分なのだ。
「……では、この町をおいてあなたは帰られるがよかろう。聞けば、あなた方古の民とは、本来この世界の住人ではなかったそうではないか。現に、地の民で残っておられるのはあなた一人、森の民とて、はたしてどれだけ残っているかはわからぬ。
けれどもわしらにはおなじことじゃ。あなた方はいずれ我らのまえより消えゆくものにすぎぬ…もちろん、わしらとて、妖魔や魔族を憎む気持ちはあるが、我らの望みが受け入れられぬとあれば、たかが遺跡のために戦う気は起きぬ。少し見せていただいたが、我らが住むにはとうてい向かぬところじゃ、遺跡としての興味は大いにそそられるところだが、それはまた、いずれ別の機会に探索させていただくとしよう。幸い、わしにもまだ時間はある。そのうちに妖魔も魔族も飽いて去るかもしれぬ。それこそこちらの望むところじゃ。
つまり、どちらにしてもこの町から妖魔や魔族を一掃するというあなたの願いはかなわぬこと、諦めて帰られるがよい。もともと、あなた方のほうこそ、この世界には招かれざる客人なのじゃ」
「交換条件を出したところで無駄なこと、お主たちこそ帰るがいい。ここは我が町カザドブルじゃ。お主たちのような人間のいるところではないわ。
それに、わしを怒らせようとしても無駄じゃ。お主たちがカザドブルを解放せぬというのなら、わしは次なるものを待つだけのことよ。お主たちとちがって、わしには長い寿命もある、それにお主ら人間の欲にはまこと限りがないものだからな……」
「あなたのような方を相手に、わしは怒らせようなどとは考えておりませんぞ。ただ事実を申し上げただけじゃ。少々わしの主観も入っておりましたがな。
……トワド殿、先ほどあなたはこの町を己の魂だと申されましたな。なぜ本当に帰られるところがありながら、そのように言われるのです? そこは至福の地、その名も高き仙境と伺っておりますぞ。できるものならば、こんな妖魔や魔族などという厄介なもののおる世界など、わしらの方で去らせていただきたいものじゃ。なにしろわしら人間は確かに、あなた方に比べるとずいぶんと短命ですからな。死ぬときぐらい、話に聞く桃源郷など覗いてみたいものだと思いますのよ。もっとも、そうするには、まだわしらにはこの世に未練が多すぎますかな。それをあなた方が欲と呼ばれるのは勝手じゃが」
こんな場でなかったら、バーザムは吹き出すかオルズデールにつっこみを入れていたにちがいない。
オルズデール=フォレスという人物がそんな仙境などにいって1ヶ月、いいや1日だって持つはずがないのだ。すぐに飽き飽きして帰りたがるに決まっている。それをまあ、よくもいけしゃあしゃあと言えたものだ。
それを知ってから知らずか、トワドの返答はにべもなかった。
「それはかなわぬ相談じゃな。人間が仙境に行くことはできぬ、かの地は心の汚れたものを受け入れぬのじゃ。それに人間は、我らとはちがい、そもそもの初めからこの世界に縛りつけられておる」
「だが、あなた方は、そのわしらに妖魔や魔族との戦いを残していかれましたな。四振りの宝剣とともに、もっと厄介なものを残された。それについてはいかが仰るつもりか、ついでに伺いたいものですが」
オルズデールの容赦のない攻撃にトワドは再度苦虫を噛み潰したように顔をしかめた。宝剣戦争のことは古の民にとって明らかに触れてほしくない汚点なのだ。
先の戦いより1000年近くが経った。「復活暦」の始まりがまえの宝剣戦争の終結した翌年、ハロンドール神聖王国の建国された年だから正確には今年で958年目というわけだ。
だが、まさかそのときのことを人間ふぜいが詳しく知っているとは夢にも思ってもみなかったようだ。
「……わしらの始めた戦いではないわ。妖魔と魔族が始めたのだ、それゆえの宝剣だ。やつらが戦いを仕掛けてこなければ、いいや、やつらが我らを殺そうとしなければ、宝剣さえ我らは望まなかったであろう。妖魔や魔族とはいえ、命あることにかわりはない。そのたった一つの命を奪うには忍びぬと、あれほど愛し、慈しんだカザドブルを去った地の民も、森の都エル・ガラゾンを去った森の民もおるのだぞ。
たとえわしらが仙境より来たのだとしても、この地もまたわしらの故郷であることにかわりはない。わしらがカザドブルやエル・ガラゾンをどれだけ愛し去りがたく思っていたかなど、お主ら人間にはわかるまい。ここは我らの故郷以上だ、我らの魂そのものなのだ…!
だからこそわしらは宝剣を鍛えた。わしらの愛するものを守るために、後々の災いを生まぬためにだ。あの黒き災い、名はそう、なんといったかな…オルヴ…? そうだ、オルヴズ=フォンデールとかいう魔法使いのように、己の欲望のために森の姫を殺したのとはわけがちがうのだ。
だが宝剣は、わしらのものにはならなんだ。四大精霊の王たちの力を借り、我らのなかでも最高の技を持つものが魂を刻むような思いで鍛え上げた宝剣は、次には我らのなかからその主人を選ばなんだ……次なる戦さのときには、あの忌まわしき〈月の剣〉も含めて、人間の手に握られておった……。
それから戦さがあったのかはわしは知らん。だがいまだ妖魔はおり魔族も消えぬ、戦いはお主ら人間と妖魔とに委ねられたものと見えるわ……」
せっかくのトワドの力説だったが、はたしてオルズデールがどれだけ真面目に聞いているかは残念ながら疑わしいものだと、バーザムはその変わらない後ろ姿を見て思った。もっとも彼だって、話が宝剣戦争のくだりに入るとたとえ地の民の王の言葉とはいえ、さっ引いて考えなければなるまいと考えていたぐらいだ。
「妖魔どもと古の民の方々と、どちらが先であったかは、わしらには重要なことではないのですぞ。むしろ、妖魔や魔族どもをそのままにして、あなた方が去ったことのほうが問題じゃ。たとえ妖魔や魔族であれ、命を奪うのが惜しいとはな、残されたわしらには体のいい言い訳にしか聞こえませぬがな。それはつまり、残されたものに去ったものの分まで働けということでしょうからな、つまり、あなたが先ほどから人間ごときとおっしゃるわしらにじゃ。
たしかに、〈月の剣〉はあなた方には忌まわしき剣であったでしょうな。オルヴィス=フォンドゥール、わしらはその名もちゃあんと知っておりますぞ、そのものはあなた方の宝を奪いもした、〈月の剣〉を鍛えるためにな。しかし、わしはこうも考えておりますぞ。最初に四振りの剣なかりせば、〈月の剣〉もまた生まれなかったであろうと。見方などいろいろとあるものです、どんな物事にもただひとつの客観的な見方などありえん、わしはそう思っておりますがな。現に、おなじことをあなたは古の民の立場で話され、わしは人間の、正しくはわし自身が感じ、知っていることに基づいて話しておる。わしの後ろのもの、アダモン島の出身と申し上げたが、さらにちがう意見を持っておるかもしれない。この戦士もおなじことじゃ。そのどれもが正しく、どれもが間違っておる。
だが、それさえもわしらには大切なことではない。なぜなら真実はひとつきりだからじゃ。妖魔との戦いをまえにあなた方は宝剣を残して去った。違いますかな? 五振りの宝剣はすでにあり、妖魔や魔族ばかりでなく、四鬼や長までおるのですからな。
そう、奴らはなぜ消えないのか、わしは考えておりましたわ。なぜわしらは奴らと戦わねばならぬのか、なんのための宝剣かとな。あるいはこの長い戦いは、どちらかが滅びるまで終わらないのかもしれない。それがどちらかはいまのところわしらには見当もつかないが、もしもわしら人間が滅びるのだとしたら、その魂は未来永劫奴らに弄ばれましょうな。奴ら、とくに魔族はわしらの魂をも貪るものと聞いております。それに、あなた方のようにわしらには仙境などありませぬゆえ。
しかし、もしもわしらが勝てば、さて、そのときはいかなる世界となることやらわしには想像もつきませぬが、せめて戦いのない世界をと望みますな。ふふん、わしらには無理だと仰りたいようじゃ。
昔、あなた方古の民は、わしら人間を好戦的と言われましたな。それゆえに鍛冶や魔法の性格は変わったとも…しかし、わしはこう申し上げますぞ。自分より力があるとわかっている相手に、好きこのんで戦いを仕掛ける人間はおらんのじゃ。わしらはそこまで愚かではない。少なくともわしはそうはしない。だが、それでもわしらは戦わねばならぬ。あなた方のようにいつでも汚れなき仙境へ発てるわけではないし、わしらの始めた戦いではなくともじゃ。
わしらの命はあなた方に比べれば塵ほどにも短い。じゃが、だからこそ、わしらは生を愛する。弱く脆いがゆえに、わしは人間というものをいとおしむのじゃ、とな…」
地の民は、大きなため息をついた。目をつぶり、それから長いこと、思案しているようだった。
やがて、彼は難儀そうに立ち上がった。歩くと白い髪も髭も床を這い、彼がたった一人ですごした長い時間を彷彿とさせた。
なにをするのかと思いきや、短めの杖をとり、一振りすると、四人分のほかほかと湯気のたつ朝食が出てきた。
「魔法使いよ。まずはお主たちも食べるがよい…去っていったものたちに、お主のような人間がいたと話せることを、わしは嬉しく思う。それだけでも、この荒廃したカザドブルに残っていた甲斐があろうというもの…」
「……いいや、まだ頂くわけにはまいりませぬ。わしらはあなたから返答を頂いてはおらんのだから」
オルズデールを見るトワドの表情はずっと穏やかなものとなっていた。それでも彼はため息をひとつつき、そうすることがもはや癖になってもいるようだった。
「……約束をしよう、魔法使いどの。すべての人間にかけた杖の呪いを解くことはなかなかできないが、一人の人間であればたやすいこと、お主たちにその術を教えよう。
ただ行ってくるがいい。お主の言うとおりなのだ、わしはもうカザドブルを去るべきなのだろう。だから妖魔や魔族どもをこの町より一掃する必要はない…」
「本当によろしいのですかな? わしら人間は欲深いと先ほど仰られたのはあなたのほうですのに」
「…わしのなかには仙境に還りたい気持ちとカザドブルを妖魔どもの手から解放したい気持ちとがせめぎ合っておるのだ……わしは長くこちらの世界にありすぎた…仙境へ行って、癒しを得たい……そうだ、わしらは妖魔との戦いから逃げ出したのかもしれない……」
「そうとばかりは言えますまい。あなた方は争乱を嫌う方々だと聞いております」
「では、承諾してもらえるのだな…?」
「無論」
「ならば、さあ、冷めないうちに食べるがよい。わしらの味つけがお主らの口に合うかどうかはわからぬが…」
最初に口をつけたのは、やはりオルズデールだった。一口目で彼は大変複雑な顔をした。
その心中が察せられるだけに、ガイルとバーザムは笑いをこらえるのが苦しいほどで、自分たちも遠慮なく、お相伴に預かることにした。
「これは、けっこうな技ですな…」
こめかみのあたりをまだひくひくさせながら、オルズデールは言った。
そんなことも言わなければよかったのに、とうとう、ガイルもバーザムも笑いをこらえきれなくなり、どっと吹き出した。
「いい加減にせんか! だれのおかげでここまで持ち込んだと思うのじゃ、この恩知らず!」
ぽかり。
「あいた…! だって先生…」
それ以上は言葉が続けられず、ガイルはまた笑い出す。
オルズデールは、地団太踏みかねない勢いで杖を振り上げ、思い切りバーザムの頭をぶん殴ろうとしたのだが、これはしっかり外した。
しかもバーザムときたら、老魔法使いが止める間もなく、例の失敗作をこちらも一振り、素っ頓狂な顔のトワドに、弁当をさし出してしまったからたまらない。
訳のわからぬままに彼は弁当を一口食べ、初めてにっこりと微笑んだのだった。
「事が終わったら、この杖はお主に差し上げよう。もしも気に入っていただけたのならば、だが」
こうまで言われては、オルズデールとしてはただ恨みがましく二人をにらむのみで、それでもやっぱり「否」とは言えなかった。
「…かたじけない。今後の参考にさせていただきましょう」と答えたところは、さすがと言うべきだったか。
とんだ失敗作のおかげで、トワドの雰囲気もずっとなごみ、三人は久しぶりにまともな食事にありついた。まったく、前にちゃんとした食事をしたのが、いったいいつのことか覚えていないほどだ。ダンドカンバ山脈に入るまえなのは確かである。
食事が終わってから、トワドはようやくガイルが求めてきたこと、杖なくして魔法を使えるようになる方法を話し始めた。
「ここに一葉の地図と水晶玉の半分がある。地図はこのカザドブルを詳しく記したものだ、地理に不案内なお主たちには必要となろう。この水晶はかように割れておるが、その片割れはここ、宝物庫にあるはずだ。妖魔どもが興味を持つようなものではないはずだからな…これは完全な球の形でなければ魔力を探知することもできないし、力を発揮することもないからだ」
トワドは地図を丸めて細長い筒に収め、水晶のかけらとともにオルズデールに手渡した。
筒は魔法使いがよく巻物を収めておくようなそれとよく似ている。ちがうのは、表面にまるで紋様のように刻まれた地の民の文字だ。老魔法使いもこのような筒は何本も持っていたが、これとおなじくらいルーンが刻まれたものはなかった。
水晶は両方の手のひらに乗せて余るほどの大きさだったが、そのわりに重くはなく、オルズデールはすぐさま長衣の袂に放り込んだ。
「それはただ一度しか使えぬ〈解呪の玉〉だ。わしのところに一個だけ残っておってな、まさか使う機会などあるまいと思っていたのだが…片割れを見つけたら二つをあわせるがよい。おそらく二つはかねてより一つであったかのようにぴたりとあい、元の形に戻るだろう。そのときに〈プエナ〉と唱えるのだ」
オルズデールは神妙な顔で頷いてみせたが、ガイルの眉がわずかに動いたことは見逃さなかった。
「それだけで杖の呪いが解けるのですな?」
「その玉を持つものだけのな…〈プエナ〉という言葉を知っておるか・?」
「解毒などのときに使う言葉だと聞き及んではおりますが…残念ながらわしらの魔法が専門的なものに分かれてから久しいのです。そしてわしは、そういう系統には詳しくない」
「元々はコ・ルム、お主たちの言う森の民の言葉であったが、わしらもおなじような意味で使っておる。“元に戻す”ということだ。そのものにかけられた魔法や呪いをすべて取り払うことができるのだ…お主たちの求めるものにふさわしい魔具だろう」
「では使わせていただきましょう。
ところでガイル、バーザム、わしゃあ一昨日の晩からちっとも寝たような気がしておらん。出かけるまえに少し休みたいのだがな」
「俺はかまわんが?」
「俺も賛成です。ここまできたら、焦ってもしょうがないですし、ちょっと疲れました」
「あんなもので疲れているようでは、まだまだ先は長いのぅ、ガイル?」
彼は苦笑いを浮かべた。その表情には、言っていることとは裏腹にすぐにでも行きたいのがありありと浮かんでいたが、彼はオルズデールの言い分がもっともだともわかっていたし、なによりいまになって二日酔いがまだ冷めていなかったことを思い出したので、不承不承に頷いたのだった。
「では失礼して、部屋の隅で休ませてもらうとしようか」
三人がひと休みして出かけたときには、もう陽は暮れていた。
トワドに無言で見送られつつ、彼らは背後で石の扉が閉まる重たい音を聞いたのだった。
「ガイル、おまえ、なんか隠しとるじゃろう?」
「え…?」
「とぼけたってわしの目はごまかせんぞ。さっきトワドが〈プエナ〉と言ったときにおまえの顔色が変わったのを、わしはちゃーんと見たんだからな」
例によって、三人はバーザム、オルズデール、ガイルの順で一列になって進んでいたのだが、出発して間もなく、オルズデールはガイルと並ぶとこんなことを言い出したのだった。
「そんなことないですよ。プエナって聞いたことは確かにありますけど」
「なんで知っとるんだ?」
「俺の父は薬師でしたからね。プエナって言葉はよく聞かされました。それにこっちに来てわかったんだけど、アダモン島の言葉って大陸の言葉とずいぶん似てるんですよ」
「いいや、それだけじゃないはずだ。よっく思い出してみろ」
それっきりオルズデールはまた元の位置に戻ってしまったのだが、ガイルは狐につままれたような顔をして、首をひねっていた。
三人はそれからしばらく、薄暗い明かりに不自由して地図を見ながら進み、必要最小限にしか言葉を交わさなかった。
妖魔も魔族も、いまのところはその気配さえ察せられなかったが、ガイルもバーザムももはや剣を鞘に収めてはおかなかった。
「今度の洞をすぎると、間もなく王宮じゃな」
トワドのところを出てから初めての小休止をとりながら、オルズデールが地図の一点を指していった。
指したのは一点だが、王宮はこのカザドブルのなかではいちばん大きな建物で、当然地図も複雑だった。
「じゃあ、宝物庫はそのなかか?」
「うむ、四階にあるらしいが、階段が無事であるかまでは疑わしいものじゃ」
「王宮となれば、妖魔や魔族が好んで居着きそうなところだからな」
「しっ…!」
オルズデールの杖が青白い光を放ち始めたのはそのときだった。老魔法使いはすかさずガイルとバーザムをこづき、地図を素早く畳んで袂にしまい込んだ−−−ポケット同様、この袂にもいろいろなものがしまわれているのである。
「後方からか?」
「そうじゃな。洞に出たら右から二番目の通路に入るんじゃぞ」
「承知」
三人は走り出した。
すぐにガイルは背後から妖魔の足音を聞き、そのぶうぶう言う調子で、自分たちに覚られたことを怒って互いに罪をなすりつけているのだなと思った。
オルズデールの杖の光は徐々に強くなっていた。妖魔の数が増えている紛れもない証拠だ。
三人は間もなく洞に出た。
あちこちの通路から響く妖魔の吼え声がいっぱいに反響していて、光を放つ魔法使いの杖は恰好の的だった。
“消えよ!”
オルズデールの命令に光は消えた。
一瞬視界は暗闇となったが、バーザムは目星をつけていて、魔法使いの言った通路に飛び込んだ。二人がその後につづく。
「次の分かれ道を右じゃ! わしのするように真似するんじゃぞ」
道は行き止まりだったが、オルズデールは壁の右側を押し、ガイルもバーザムもすぐさまおなじように押した。
三人で押すと隠し扉がくるりと回転した。
そんなところだろうと予想はしていたものの、案の定三人ともバランスを崩して向こう側に倒れ込んだ。
ガイルは慌てて膝を曲げて、足がそのまま勢いよく閉まった扉に挟まれるのだけは免れた。
「大丈夫か、オルズデール?」
「そう思ったら、さっさとどかんか!」
「お主の話じゃない、水晶のほうだよ」
「…ぴんぴんしとるわ。こんな魔法の代物が、お主らなんぞにのしかかられたくらいでそう簡単に壊れてたまるものか。それよりもさっさとわしの上からどくんじゃ!」
「すいません!」
オルズデールはガイルとバーザムがどくとすかさず杖を掲げた。
“増えよ、膨れよ、扉をふさげ”
見ていると隠し扉はちょっとだけ膨らんで出っ張ったようだった。これならちょっと押しても回転はするまい。実際、彼は扉をけ飛ばしたが、びくともしなかったようだ。
「ここが王宮ですか?」
「そうじゃ。正確にはまだ裏庭というところじゃがな。しかし王宮の全景は見えるぞ、ほれ」
魔法使いの言うとおりだった。
薄暗いなかに黒々と王宮が聳えている。その形たるや、地の民の技術が結集して造り上げられたのは明白で、さすがに三人も息を呑んだ。
優美な姿ではなかった。ミストローアにあったハロンドール神聖王国の王宮のような繊細さとは縁遠い、いかにも地の民が造りそうな、無骨な感じだった。
「洞のなかだというのに、てっぺんが天井についておらんとは、相当広く掘ったのじゃな。まったく大した技術じゃて。こっちのほうもちゃんと教えておいてもらえばよかったのにのぅ」
「なんだ、トワドにはさっきあんなにきついことを言っておいて、教えておいてもらえばよかったとはな」
「使えるものは使わなけりゃな。わしのモットーだと言ってなかったっけ?」
「いや。そうだろうとは思っていたけど」
「ならば訊くな。
さて、いつまでも感心しとる場合じゃない。ガイル、これはおまえが持て」
オルズデールはそう言って、水晶のかけらを渡した。
彼が頷くと、バーザムまでもが
「これからはおまえが先頭に立ってくれ。俺はしんがりにまわる」
「わかりました」
彼は緊張した面もちで水晶を背負い袋にしまった。
オルズデールが薬瓶の中身を呪文を唱えて飲み干した。
「さあ、行くぞ」
彼らは再度地図に従って、王宮の奥にある、宝物庫を目指して出発したのだった。
最後の地の民の王トワドは、三人の人間たちを出かけてからずっと〈遠見の水晶球〉で行方を追いかけていた。正しくは彼らというより、〈解呪の水晶〉の行方を追えば、自然と三人を追うことになるのだった。
難しいことではない。トワドは彼らがこのカザドブルに入ってからずっと追いかけてきたのだ。今度は〈水晶〉というはっきりした目標があるのだから、児戯に等しいものであった。
〈水晶〉は、いまトワドとほとんどの話をした老人から、彼につかみかかった無礼な若者に手渡されたところだった。
わずかな期待を裏切られてトワドは嘆息したが、彼らに〈水晶〉を渡してしまった以上、こうなることはわかりきっていた。彼らの言う「杖の呪い」を解いてほしがっていたのは、あの老人ではなく、性急な若者のほうだったから。
(それもまた定めかもしれぬ……彼だけでは済まなかろう…人間たちはいずれ、遅かれ早かれ自分たちで「杖の呪い」とやらを解く術を見つけ出し、いつ終わるとも知れぬ、妖魔や魔族どもとの戦いに臨むのだろう……)
トワドは目をつぶり、しばし回想に身を委ねた。それは遠い昔のことだ。この世がまだ若く、コ・ルムとカザドがだれにはばかることなく闊歩していたころのことだった。
いまはまだ彼らを見ているしかない。
だがそのうちに−−−。
「オルズデール、さっきから妖魔の動きが変わってきたと思わんか?」
「わしもそう考えていたところよ。どうやら、奴らに命令をくだすのがおるらしいな…やはり、魔族もおったか……ガイル、その二つ目の扉じゃ」
「はい」
扉を開けると、そこがほかに出口のない部屋だったので、彼は一瞬ためらった。
「もたもたするな、さっさと入らんか!」
オルズデールが一喝し、ガイルは慌てて残骸の散っている部屋に入った。
オルズデール、バーザムがつづき、扉を閉めたが、がたがたと閉まりが悪かった。
「その戸口でも少し持ちこたえられるな?」
「少しなんて言わずとも、俺一人でもしばらくは大丈夫だ」
「しばらくの必要はないんじゃ」
「…?」
魔法使いはばさばさと地図を広げた。もはやいちいち筒に収めてはおらず、適当に畳んでいるだけなのだが、そう簡単に破れそうな紙ではなかった。
「ちょっと地図を見てくれんか。わしらがいまいるところが、この部屋だ。ここは宝物庫のだいたい真下にあたっておる」
それだけでバーザムが嫌そうな顔をし、オルズデールはにんまりと笑った。
「俺は魔族以上に嫌な予感がするんだがな…」
「なんですか?」
「素直に〈瞬間移動〉が怖いと認めたらどうじゃ、バーザム?」
「〈瞬間移動〉が…?」
ガイルが拍子抜けしていると、バーザムは苦りきったようすで答えた。
「お主の〈瞬間移動〉にはろくな目に遭わされたことがない。使わなけりゃならないような事態なのか?」
「魔族がおるとなったらな。お主、いま自分で認めたところじゃないか」
「まあいい。いつか話す機会もあるだろうさ。〈瞬間移動〉で、一気に宝物庫まで行くつもりなんだな?」
「そのとおり。さ、覚悟はいいか?」
バーザムがますます嫌そうな顔をするのに比べて、オルズデールはよけい嬉しそうだった。
酷い目に遭うとしたら、今度はバーザムだけでなく、ガイルもとうのオルズデール自身も同様のはずなのだが、それ以上にバーザムをいじめられるのが嬉しくてたまらないようすだ。
魔法使いは早口で呪文を唱えた。
バーザムが嫌がったわりに三人は無事に宝物庫らしい部屋に入ったが、ガイルにはほとんど初めての体験だったので、足下がふらついて思わず膝をついた。二日酔いがまだ残っているわけではないのだから、〈瞬間移動〉のせいと見るべきだろう。
部屋はさきほどのところよりもずっと広かったが、宝物庫とは名ばかりで、がらくたが散乱しているだけだった。
「大丈夫か?」
「ええ…〈瞬間移動〉なんて初めてだったものですから」
「そら見ろ」とバーザム。
「魔法使いの弟子がなにを言っとるんだ。それぐらいへっちゃらでなくてどうする」
「お主の腕に問題があるとは思わんのか?」
「勝手に言っとれ!
……うぉっほん!
思ったよりも広い部屋じゃな。ガイル、わしらは戸口で妖魔でも魔族でも来るのを待つとする。おまえ一人で行ってこい」
「わかってます。先生方もお気をつけて」
廊下が賑やかになっていた。
オルズデールは簡単な〈結界〉を描いたが、魔族相手ではどれだけ時間稼ぎができるものかは疑わしいところだった。
妖魔と魔族とでは、それほどまでに力の差は歴然としているのだ。個体によって力にばらつきがあるのは妖魔も魔族も似たようなものだが、妖魔が動物なみの知性しかないとすれば、魔族のそれは人間を上回る。妖魔は人間を喰い、犯し、殺すことしか考えてはいないが、魔族はさらにあくどく、さらに始末に負えないのは、なにもしなくても、そこにいるというだけで周囲に害をなすということだ。
魔族の発する妖気は、草木を枯らせ、弱いもの、小動物や人間でも病人や赤ん坊などを殺してしまうといわれている。
もちろん、それぐらいでは死なないにしても、長時間その妖気を浴びて無事でいられるはずはなく、魔族はその数こそ妖魔の比ではないぐらいに少なかったが、それ以上に恐れられていた。
“鋼よ! 汝の身は鋼の如き硬きものなり!”
オルズデールが呪文を唱え終わるや否や、〈結界〉を造っていた石が粉々にはじけ飛んだ。
「どんなでかぶつにお目にかかれると思う、オルズデール?」
「お主、最近わしの言いたいことをすぐに言ってしまうわ」
石の扉は瓦礫となって崩れ落ち、その向こう側に、醜悪な妖魔を従えた、さらに醜い魔族がいるのを2人は見たのだった。
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