「おもしろくない」と「退屈」がイコールにならない映画。これは私が興味のあるところばかりだったからかもしれません。でも、この映像のどれか1つにでも「興味がない」と言う人はちょっと怖い。それは私たちが決して忘れてはいけないことだから。
映像は淡々とアウシュビッツ・ビルケナウ、板門店、ベルリンを映し続け、物静かなナレーションと年老いた旅人が映し出されます。時々過去の映像が挿入され、強制収容所に送られるユダヤ人や、ヒトラーを熱狂的に迎えるドイツの民衆、広島・長崎に落とされた原爆、その惨禍、朝鮮戦争、朝鮮半島の離散家族の様子、崩されるベルリンの壁など、この映画にはストーリーはありません。
アウシュビッツ・ビルケナウは私が訪れた9月よりもずっと明るい光の下、過去の傷痕を残したまま、その記憶を風化させることなく、物言わぬ証言を語り続けています。怖くてのぞけなかったビルケナウの現存する収容所、ガス室、焼き窯、死の壁、みんなみんなそのままに。
板門店はつい1年ほど前に「JSA」で見たところ。ただし、本当に映画のカメラが入るのはこれが最初で、あちらはソウル郊外に作られた縮小されたセット。でも、蟻でさえ軽々と越えていくわずか10cmの高さの国境線を挟んで立っている韓国の兵士と北朝鮮の兵士は、映画の方にそっくりで。
なくなってしまってから、もう13年も経つことが信じられないベルリンの壁も、今はそこに跡が残っているだけで、わざわざ気にする人もいません。
人が作り出した境界線だけが、人を苦しめ、生き物を傷つけているという事実。本当にそれは消えるでしょうか。私たちはその境界線を消してしまえるでしょうか。
(了)