戦争と平和

戦争と平和

1965-67年、ソ連
監督:セルゲイ=ボンダルチュク
出演:ナターシャ=ロストワ(リュミドラ=サベーリエワ)、アンドレイ=ボルコンスキー(ビヤチェスラフ=チーホノフ)、ピエール=クズーホフ(セルゲイ=ボンダルチュク)、他
原作:レフ=トルストイ
見たところ:東急文化村オーチャードホール

 あまりにも有名な(でも読んでないけど)トルストイの「戦争と平和」を、本家ソ連で製作した7時間もの大作映画。金と人のかかっていることにかけては世界一で、世界でいちばん長い映画は「人間の条件」(日)だそうです。たきがはは第1部という区切りのない「ショアー」が世界でいちばん長い映画だと思ってたんですが。「人間の条件」って第5部くらいまであったざんしょ。

この日、東京は国際映画祭の真っ最中で、この「戦争と平和」も、そのイベントの一環としてかかったわけですが、正直なところ、たとえスポンサー付の映画祭とはいえ、これだけスポンサーが前面に出てくるのはげっぷが出るほどでして、来年から映画祭には行くまいと思いました。たきがははスポンサーというのは、「縁の下の力持ち」的なものだと思ってるので、前面に出てこられて、「映画なんてどーでもいいからうちの商品をよろしくね」的なふるまいをされるのは見ていて腹が立つ人間なもので、映画そのものよりもそのスポンサーに嫌になりました。こういうのって世界的に映画祭の特徴なんでしょうか、日本だけなんでしょうか。気になるところではありますが、どうもこの映画祭のスポンサーというのが、普段は映画なんて見向きもしないくせに「国際映画祭」と名がつくばかりにしゃしゃり出てきたという印象が強くて、それは本末転倒と言うのではないだろうかとか思います。

閑話休題。

 1805年、フランス革命後のロシア。貴族の息子、アンドレイ=ボルコンスキーはおべっかと虚飾に彩られた宮廷生活に嫌気がさして、身重の妻を実家に預けて、戦地に赴く。フランス革命後、一介の兵卒から皇帝の地位にまで上り詰めたナポレオンは、その野心をオーストリア、次いでロシアに向けた、侵略戦争を開始していた。フランス軍を迎え撃つロシア・オーストリアの連合軍は、アウステルリッツで大敗し、アンドレイも行方不明となる。妻リーザの出産に間に合ってアンドレイは帰宅したが、リーザは難産のために亡くなる。(第1部)
 13歳で社交界にデビューしたナターシャ=ロストワは、18歳で初めて舞踏会に出て、アンドレイと踊る。たちまち恋に落ちた2人だったが、ナターシャより年長のアンドレイは婚約も極秘にして、結婚まで1年の期間を置く。ナターシャは理性ではアンドレイを敬愛していたが、軽薄なアナトリーと駆け落ちの約束までしてしまい、アンドレイから婚約の破棄を告げられる。アナトリーの義兄にあたる、アンドレイの親友ピエール=クズーホフは、ナターシャの名誉を守ろうと奔走し、彼女に不器用だが誠実な愛を告白するのだった。(第2部)
 1812年。ロシアの寒村ボロディノでフランスとロシアは激突し、互いに死傷者を多数出した。勝ったのはフランスだったが、受けたダメージはロシアにも勝るとも劣らぬものであった。この戦闘でアンドレイは再び負傷する。(第3部)
 勝ちに乗じてモスクワまで進撃するフランス。しかしモスクワにはわずかの人間しか残っておらず、フランス軍はモスクワで破壊と略奪を欲しいままにする。モスクワに残ったピエールは、単身ナポレオンの暗殺を企むが、武器の所持がばれて虜囚の身となる。一方、アンドレイはナターシャの看護を受けるが、回復することはなく、ナターシャに許しを与え、愛を告げてこの世を去る。そのうちに冬将軍が到来した。撤退するフランス軍はもはや敗残の徒であった。解放されたピエールはナターシャと再会し、2人の間には静かだが強い愛の絆が生まれていた。(第4部)

たきがは、体調不良のため、第3部で沈没。でも寝る前に戦争やってたけど、目が覚めても戦争が終わってなかったので、あながち間違いではないと思います。両軍入り乱れての激戦で、だんだんどっちがフランス軍でどっちがロシア軍なんだかわからなくなっちゃって、しかも勝敗もはっきりしないし、なにやってるのかもわからない。1時間半もかけるようなシーンだったのか、ちと疑問が残ります。

第3部を犠牲にしたおかげで第4部では復活して全部見られましたが、7時間もかけないで、もうちょっと切り落としてもよかろーというシーンもけっこうありまして、正直言うと、1/3くらい退屈な映画でした。

主要な登場人物だけ36人もいるそうなのですが、基本的にはナターシャ、アンドレイ、ピエールを追いかけていれば話の筋はほぼつかめます(という見方をしているから、第3部で沈没したという話もなくはないですが)。原作はロシアのあらゆる階層の人物が出てくるそうですが、映画では基本的に貴族ばっかで、一般庶民はほぼ皆無。スターリン没後とはいえ、社会主義時代のソ連で、よー撮ったなーという気もしなくもないです。国策かかってるから張り切ったのかな。

確か、本家ソ連で撮る前に、ハリウッドでオードリー=ヘプバーン主演の「戦争と平和」を撮ってると思ったのですが、オードリーの役がナターシャでして、どうも本家の方もそのイメージが強かったのか、オードリーにうり二つの女優さんでありました。どうでもいいけど、オードリーってミーハーに人気高いすね。

で、監督も務めたピエールは、最初のうちこそ、貴族の私生児で放蕩生活という不遇の役だったのに、遺産もちゃんともらえたし、第4部ではタイトルにまでなっちゃって(ちなみに第1部が「アンドレイ=ボルコンスキー」、第2部が「ナターシャ=ロストワ」、第3部が「1812年」です)実はいちばん美味しい役所だったのではなかろーかと思ったりしてますです。

登場こそ華々しいアンドレイは、よく言えば真面目、平たく言うと融通の利かないくそまじめな男でして、最後の最後でナターシャを許すとか、「いちばん愛している」とか言ってるものの、第2部でナターシャにあんなこと言わなければ、今頃幸せだったんじゃなかろーかとか思うと、因果応報とか自業自得という言葉が浮かんだりしました。信念通ってるのか思うとそうでもないし、ちょっと理想主義っぽいところがつまらないと言いましょうか。

「戦争と平和」というタイトルの割には、戦争はよく見た(しかもフランス軍が悪役という往年のハリウッド映画みたいな展開。日本軍=悪役というあれです。たきがは、日本軍の弁明もいたしませんが、そー露骨に馬鹿に描かんでもと思うこともあります)けど、じゃあ「平和」はどこだと言ったら、平和は平和だけど、帝政ロシアの貴族の平和だし、農奴の悲惨な生活は出てこないし、トルストイの言いたい「平和」ってどこらへんのことなんだろうと思ったです。これはもう、原作読むしかないかも。

(了)

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