Final Stage
「まだ目を覚まさねぇのか?」
「うむ。揺すっても反応がないし魔法も効かない。このままでは栄養が摂れず、早晩、衰弱死してしまう」
「眠っているわけではなくて?」
「だとしたら、これは相当、深い眠りということになるが起こす手立てがない。物理的な手段も試してみたが、効果はなかった」
カノープスはグランディーナに目をやった。暗黒神ディアブロに取り込まれ、助け出された時から容態に、ずっと変化はない。眼は固く閉じられ、息こそしているものの意識のない状態が続いていた。
サラディンとアイーシャが、つきっきりで看病しているが目を覚ます気配はないままだった。
荷馬車は街道の凹凸に揺れている。
グランディーナが倒れたため、皆は自然とトリスタン皇子に指揮を求めた。それで解放軍はゼテギネア、旧ハイランド領を離れてゼノビアに向かっているのだ。王都に着いたら、皇子は新しい王国の建設と即位を宣言し、ラウニィーを妃に迎えて結婚式を行う段取りも着々と進められていた。
カノープス自身も新生ゼノビア王国の魔獣軍団長に就くことになっていた。
聖騎士団長にランスロット、魔法軍団長にウォーレンが就くことも決まっているし副団長を要請されて承諾した者もいる。
その一方で皇子の要請を断った者もいる。その筆頭がサラディンだ。彼は戦いの趨勢が決定する前からグランディーナに従うと言っていたので頼んだ皇子も期待半分というところだったらしかった。
そして旧ゼノビア王国の魔獣軍団長だったギルバルドはもとよりライアンも、また気ままな傭兵暮らしに戻るのだと言う。
「解放軍ぐらいなら、まだ肩が凝らなくていいが王国仕えとなると、どうもしゃっちょこばっちゃっていけねぇや。俺の力を買ってくれた皇子さんにゃ悪いが、つき合いはここまでだ」
そう言って早々とゼテギネアで別れてしまった。
「皇子じゃなくて彼女が王になるなら、そんなに堅苦しいこともねぇんだろうが、まぁ、宮仕えなんてことは俺の性に合わねぇからな。あばよ!」
「元気でね!」
「今度会う時に敵じゃないことを祈ってるぞ!」
「へへっ、その時はお手柔らかに頼むぜ」
「そっちこそフレアブラスの軍団なんか引き連れてくるんじゃねぇぞ!」
「楽しみにしててくれ!」
「うぇっ」
また天使長のユーシスと天空の三騎士も天界に帰った。特にユーシスは太陽神の意に逆らって暗黒のガルフや前天使長ミザールの討伐後も地上に残った。〈魔宮〉シャリーアを、すぐに出ての別れだった。
天空の三騎士も暗黒神ディアブロを退けた報告のために天空の島に戻らなければならないと言ったが、トリスタン皇子とラウニィーの結婚式には参加すると約束しての帰還となった。
新生ゼノビア王国に残るのか、はっきりしないのがデボネアだ。トリスタン皇子が三つの軍団を束ねる将軍位を提示しても、どうにも煮え切らない態度なのだという。ゼテギネア帝国の四天王だったことが引っかかっているのか、なかなか首を縦に振らない。ノルンとの結婚も確実視されているだけに、その返答は注目の的だ。
一方、いかなる形でも新国家に仕えないという立場を明確にしたギルバルドは、ペシャワールに帰ることもなく、グランディーナに従うと言う。シャローム地方には彼に従った元魔獣軍団員が少なくない。その影響力はカノープスの比ではなく、結果的に2人の軍団長がいることになってしまうので、ほとぼりが冷めるまでゼテギネアを離れたいと言うのだった。
アイーシャもアヴァロン島には帰らないでグランディーナに同行するそうだ。
ロシュフォル教会は、いまだ大神官を指名できず、帝国教会から復帰する者もあり、混乱した状態が続いている。前大神官の娘としてアイーシャの帰島を望む声はあるが彼女は、まだ修行中の身だと言ってアヴァロン島に帰る気はないのだ。それに帰島を望む声もある一方で、それを妬む声も少なくなく、もうしばらく離れていたいという気持ちもあるのだった。
しかし肝心のグランディーナが意識不明のままだ。万が一、彼女が、このまま目覚めなかったら、どうするのか誰も訊けないでいる。
そこに賑やかに近づいた者があった。4体のパンプキンヘッドたちを連れた魔女デネブだ。
「聞いたわよ、アイーシャ! グランディーナが目を覚まさないんですって?」
「はい。サラディンさまも手を尽くしてくださっているのですが、どうしても目覚めさせられないと仰るのです。このまま彼女が目覚めなかったら私、どうしたらいいか」
「あらあら、大事なアイーシャを泣かすなんて悪い子ね。いいわよ、お姉さん、そのために来たんだもの、グランディーナの目を覚ませられないか試してみるわ。だから、ちょっとだけ二人きりにしてくれる?」
「もちろんです!」
それで問答無用でサラディンとカノープスが追い出された。そのあいだにも馬車は粛々と進んでゆくのでアイーシャともども歩いて追いかけなければならなくなった。
「大丈夫なのか、デネブなんかに任せて?」
「わたしでは手に負えないのも事実だ、彼女がどうにかしてくれるのなら任せるしかあるまい」
そう言ったサラディンの表情は焦燥にやつれている。
「少し休みましょう。ゼテギネアを発ってから、ほとんで寝ていらっしゃらないじゃありませんか。そのままではグランディーナが目覚めるよりも先にサラディンさまが倒れてしまわれます」
「確かにひどい顔だな。あんた1人ぐらいなら休める空きも見つかるだろう。ちょっと探してくるぜ!」
「すまぬな」
カノープスがギルバルドやユーリアにも声をかけたので、すぐにサラディンとアイーシャの休む場所は見つかった。
実際、アイーシャは、とてもサラディンのことなど言えた状況ではなく目の下に隈まで作りかけていたのだ。それで2人は別々の場所で半ば強制的に横にならせられた。
1人にされてしまえば眠るしかない。カノープスたちの、そういう配慮だったが、2人とも横になった途端に眠ってしまったので彼らは放っておくことにしたのだった。
一方、グランディーナと二人きりにしろと言ったデネブだったが、当然、パンプキンヘッドたちも一緒であった。
魔女は、いつもかぶっているピンクのとんがり帽子をグランディーナの胸に置いた。それは、わずかに上下したがグランディーナの様子に変わりはない。
帽子を脱ぐと魔女の南瓜色の鮮やかな髪が重々しく垂れ下がったが、帽子をかぶり直すと不思議とまとまるのであった。
「なぁるほど。いつまでも目を覚まさないのは、そういうわけだったのね。でもね、お姫様を目覚めさせるのは、いつでも熱い口づけよ。知らなかった?」
膝を抱えて眠り込んでいたら誰かに肩を揺すぶられた。身体全体が大きく揺らぐような強さではなかったが、微睡(まどろ)んでいた意識は、はっきりと目覚め、彼女は目を開いた。
目の前にいたのは薄紫色の翼と衣の天使だった。その美しい容貌は柔らかく微笑みかけ、内側から光り輝くようなまぶしさに彼女は思わず手をかざそうとして、その手を取られた。冷たくも暖かくもない、不思議な手だった。
「ようこそ、休息の島へ。ここは、あなたのように栄えある勇者の働きを讃え、フィラーハさまが労う憩いの島、一時の安らぎの島です。どうぞ、ごゆっくり、おくつろぎください」
「勇者? 私が?」
「そうです。あなたこそ地上にもたらされんとした第二のオウガバトルを未然に防いだ勇者さま、その栄誉は地上のみならず天界でも末永く讃えられることになるでしょう」
「オウガバトル? 何のことだか、さっぱりわからない。私は誰なんだ? 名は? なぜ、ここにいる? 地上にいたのではなかったのか?」
「そのことは、これから説明してさしあげますわ。でも、その前に汚れたお召し物をお着替えください。そのような襤褸(ぼろ)は、あなたほどの勇者には相応しくありません」
「襤褸?」
見ると言われたとおり、ひどい格好だった。何があったのか、彼女の服は形をなしていない。ただ切れ切れの端布がかろうじてつながっているだけで半裸も同然の有様だった。
「どうして、こんなことに?」
「それも、これから説明いたします。ですが、まずはどうか着替えてくださいませ。そのままでは、あなたを皆様にご紹介することもできません」
「ほかに誰か、いるのか?」
「ええ。あなたほどではありませんが、ここには何人もの勇者さまが安らいでいらっしゃるのですよ」
そう言って天使は彼女を促し、立たせた。
その時になって彼女には辺りを見回す余裕ができた。
上空は白光が柔らかく差し込んでいて、気持ちを落ち着けてくれた。そのまま目をつぶれば、いつまでも眠っていられそうだ。暖かくも寒くもなく、それで自分の格好が気にならなかったのだが空には、あるはずのものがなかった。そのことが彼女に、このまま天使の言うがままにさせることを躊躇(ためら)わせた。
「どうしました、勇者さま?」
「なぜ、ここには太陽がない? あなたは、さっき、ここを島だと言ったな? 島の名は何だ? 私の質問に、すぐ答えろ!」
天使の笑顔が、わずかに歪んだ。一見、へりくだった物腰だが、その美しい笑顔の下には悪意を感じないではいられない。彼女が何も思い出せないでいるのをいいことに、このまま丸め込んでしまおうとしているようだ。
彼女は天使の手を振りほどき、胸ぐらをつかんだ。もはや天使の表に笑みはなくなっていた。
「さあ、答えろ! 勇者なんて言葉に私は騙されない。ここは地上ではないのか?」
「そ、そうです。ここは天界、地上ではアヴァロン島と呼ばれているところです。手を離してください。私たちは乱暴を好みません」
「あなたが私の訊くことに、ちゃんと答えれば、すぐにでも離してやる。なぜ私が天界にいる? 私は死んだのか?!」
「その手を放してください。彼女に替わって、私があなたの訊きたいことに答えましょう、勇者グランディーナ」
それは聞き覚えのある声だった。
けれども名前を呼ばれて蘇った記憶のなかにある姿とは違っていた。彼女の翼は6枚もなかったはずなのだ。それでもグランディーナは締め上げかけていたスローンズから手を放した。
「私もセラフィムになれたのよ。正式な天使長になったの。あなたを騙すような真似をして、ごめんなさい」
「騙したという自覚はあるのだな」
「天使長ですもの、それぐらいの区別はつくわ。
さあ、エリーゼ、ここは私に任せて。あなたは、あちらへお行きなさい」
「はい、ユーシスさま」
スローンズは優雅に一礼して、言われた方に去った。
「質問に答えてもらおう。私は死んだのか?」
「いいえ。だけど、こうして意識が切り離されて、あなたの身体は死にかけているわ」
「いますぐ戻せ。死んでもいないのに、こんなところに拉致される謂われはない」
「フィラーハさまの意志には逆らえないわ。たとえ私を殺しても無理よ、だから、いまは話を聞いて」
「何のために、こんなことを?」
「次なるオウガバトルに備えて、あなたを天空の騎士に迎えるため。あなたは現在の天空の騎士に勝利した力の持ち主、しかも堕ちることもなくなった稀有な存在、フィラーハさまは決して、あなたを手放しはしないでしょう」
「冗談じゃない。天界に尽くすつもりなどないと言ったぞ」
「だけど、あなたはこうも言ったわ。いっそ命を取れと。フィラーハさまが、あなたの命を取ることはできないわ。だけど、あなたの身体を放置させれば、あなたは遅かれ早かれ死んでしまう。そうすれば、あなたは天空の騎士になるわ、その意志とは無関係に」
「なぜ、そんなことを私に教える? あなたは天使長なのだろう?」
「姉様のことがあったから何もできないとわかっていても何か、したかったのよ」
「ミザールと私に何の関係がある? あの時の喧嘩の続きをしたいと言うのなら話は別だが」
「いまのあなたに、そんな猶予はないわ。ただ姉様なら黙って見ていなかっただろうと思ったの。たとえ、それがフィラーハさまの意志に反することであっても。それにアイーシャの涙は見たくないわ」
「なるほど。だったら強行突破といこう。天界にいるならば話が早い。フィラーハに会わせてくれ」
「会って、どうするの?」
グランディーナは踵を返して歩き出した。まとっていた襤褸が失せ、彼女が最後の戦いの時に身につけていた衣服が現れた。
「殴る。こんなことをされて黙っていられるか」
「だけど、ここは天界といっても神々のおわすところに比べたら、ずっと下層だわ。私たちだって滅多に行かないし、ましてや天空の三騎士だって立ち入りを許されていないのに、どうやって行くつもり?」
「あなたと一緒なら行けるのだろう? 滅多に行かないというだけで行けないとは言ってないからな」
ユーシスの表情が、にわかに強張る。
「フィラーハのいないところで叛逆まがいの真似はできるが、じかにフィラーハに逆らうつもりはないということか」
「いいえ、それよりも私から申し上げるわ。天界の神々は人間を殺せない。フィラーハさまが間接的にとはいえ、その約束を最初に破るわけにはいかないのだもの」
「でも、どうやって?」
「天界の神々よ!」
ユーシスは6枚の翼を広げ、よく通る声で上空に呼びかけた。
「私は太陽神フィラーハにお仕えする天使長ユーシス、ここにお願いをいたします。彼女は地上の戦いを平定し、暗黒神ディアブロの復活を阻止した勇者グランディーナ。ですが、ここにあるは、まだ生きている彼女の意識であり、切り離された肉体は無為な死を迎えようとしています。神々よ、どうか聖なる父の過ちを正し、彼女の意識が地上に戻れるよう、取りはからってはいただけませんか?」
するとアヴァロン島は震え、数多の神々が2人の前に現れたが、天宮シャングリラでフェルアーナを見た時と同様、グランディーナには光の塊にしか見えなかった。ユーシスは優雅に一礼し、言葉を続ける。
「彼女には、まだ地上ですべきことがあります。それを遮り、天界に召すのは地上への不当な介入となりましょう。皆様が案じておられるオウガバトルの再来を、むしろ早めてしまうかもしれません」
神々は一斉にしゃべった。頭の中で、いくつもの声が同時に響き、誰が何を言ったのか聞き分けるのは難しかったし、シャングリラ以来の神の声は一瞬でも頭の割れるような痛みを伴った。
それでもグランディーナが、かろうじて聞き取ったのは次のような会話だった。
「新しい天使長は頭がまわる。確かにフィラーハのやり方は性急すぎるし地上に影響を与えるだろう」
「フィラーハに畏敬の念を抱いておらぬ者を、どうして天空の騎士に迎えようというのか理解に苦しむ」
「この者にあるのは力だけ、フォーゲルらの足元にも及ぶまい。天界に置くには過ぎた措置」
「だが天使長の言うことも一理ある。天界に与えし混乱を終息させたは確かにこの者の功績、その褒美がこれでは惨いというもの」
「皆の衆、気をつけられよ。この者、我らの言うことを理解している節があるぞ」
「たかが人間が我らの言葉を理解したところで何になろうぞ」
それらの言葉が同時に交わされ、ユーシスまでも理解しているのは驚きだった。あるいは天空の騎士になれば理解できるのかもしれなかったがグランディーナが覚えている3人は人間と変わらぬ話し方であった。
それから神々は、また一斉に話した。今度は次のようなことを言ったらしく、会話にはユーシスも混じっていた。
「皆様、どうぞ、聖なる父に進言してください。この者の意識を地上に戻し、天界に拘束しないと」
「身も心も天界には相応しくない器ぞ」
「当人が望まぬものを天界に縛りつけることはあるまい」
「さて我らが言ってもフィラーハが承諾しようか。この者を天界に入れたのは、その力だけが理由ではあるまい?」
「神々の王が何を恐れると? どれだけ強かろうが、たかが人の子ではないか」
「ならば、ますます地上に戻すがよい。フィラーハよ、決断を」
グランディーナの身体が急に軽くなった。
と同時に神々は消え、ユーシスが微笑む。
「聖なる父は、あなたを地上に戻すことに決められたようです。さあ、お帰りなさい。あなたの身体は危うい状態にありますが、サラディンとアイーシャの世話のおかげで、いま戻れば間に合いましょう」
「ありがとう、ユーシス。世話になった」
「いいえ、あなたが地上でしてくださったことに比べれば私のしたことなど微々たるものにすぎません。礼を申し上げるのは、こちらの方です。ですが、いまはゆっくりと語り合っている時間もありません。どうぞ、お元気で!」
天使長の姿が急に遠ざかっていった。
みるみるうちにグランディーナの意識は上昇し、足下にアヴァロン島と思しき島が見えたと思った瞬間、彼女は自らの身体の重さを実感していた。
まぶたが異常に重たかったが彼女は必死で動かした。
遠い昔、バルモアの教会跡で目覚めた時も、こんな風に意識を取り戻したことを思い出す。あの時は全ての記憶をサラディンに封印されていたので自分の身に起きたことを理解して身体を思いどおりに動かせるようになるまで1年もかかってしまったが今度は、もっと早く動かせるようにならなければなるまい。
彼女は薄目を開けようとしたまま、次は指先に意識を集中させていた。そのために誰かが近づいたことにも気づかなかった。
「グランディーナ?!
サラディンさま! サラディンさま、グランディーナが!!」
「ア、イ、シャ?」
何日、意識を失っていたのか舌も思うように動かせない。そもそも〈魔宮〉シャリーアで何日過ごしたのか。いま、どこを通過しているのかも知らないのだ。
「グランディーナ、良かった! 良かった、目を覚ましてくれて!」
アイーシャの涙がグランディーナの頬を濡らした。その温かさが、とても懐かしく思われて彼女は微笑む。
すると2人を乗せた馬車が止まり、周囲が急に賑やかになった。皆が集まってきたのだった。
それから数日間、グランディーナは寝たきりで過ごしたが、サラディンから、自分が倒れた後の、おおよその事情を聞かされた。
解放軍は、もはやその存在も消えかかっていたが、ともかく〈魔宮〉シャリーアでの戦いを終えると、間もなくゼテギネアを発った。トリスタン皇子が新しい国の首都をゼノビアにと望んでおり、戴冠式と結婚式も、そこで行うつもりだったからだ。
けれども、なかには早々に新生ゼノビア王国に残らないと宣言した者もいたしゼノビアに帰る旅の途中で、何人もが去っていった。ゼノビアに残ることを決めても、まず自宅に帰りたいという者も少なくなかった。
そんなわけで解放軍の規模は少しずつ小さくなっていった。グランディーナが目を覚ました時には、かつての三分の二ぐらいになったというし、それも日々、小さくなっているのだそうだ。
彼女が、ようやく起き上がれるようになって最初の訪問者はトリスタン皇子だった。彼はケインも連れずに1人で訪ねてきた。
「君には長いあいだ、世話になったな。ゼテギネア帝国を倒してくれたこと、礼を言う。それで君に改めて新生ゼノビア王国の将軍に就いてもらえるよう頼みたい」
「言っただろう、私は残る気はないと。この期に及んで約束を違える気はない」
「だが我々はローディス教国がゼテギネアに侵攻しようとしていることを知ってしまった。君も聞いているかもしれないがランスロット、ウォーレン、カノープスに三つの軍団長を頼んだが、彼らの上に立って全軍をまとめられる人物が欲しい」
「私を試すな、トリスタン。ローディスがゼテギネアに攻めるつもりなら私たちが帝国と戦っていたあいだ以上の好機はなかったはずだ。なぜ、そうしなかったのかは知らないがローディスは機会を失い、いまのゼテギネアに侵攻しては来ないだろう。国も人も疲弊しているが新しい国ができたばかりで皆の気持ちも高揚している。ローディスが来るのは自国の準備を整えてからだ。私が必要なのは、いまではない」
「そうか。そこまで言われては是非にとは誘えないな。だけど、わたしの戴冠式と結婚式には出てくれるのだろうね?」
「私はゼノビアには行かない。あなたとは途中でお別れだ。言っただろう、あなたと国を争うつもりはないと。私がゼノビアに行かなければ、その可能性も潰える、今度こそな」
「それは残念だな。わたしの結婚式ぐらいには出てもらいたかったのに」
「私のような戦争屋が出ても、けちをつけるだけだ。私は、そんな華やかな場に相応しい人間ではない」
「わかったよ。君との約束だ、いまさら破るつもりもないが、不穏な動きもある。もしやと思ってね。だったら、これで本当にお別れだな。いままで、ありがとう、グランディーナ」
トリスタン皇子から差し出された左手を彼女は握り返した。
「さようなら、トリスタン」
「元気で」
トリスタン皇子の次にやってきたのはランスロットだった。その時は、たまたまサラディンが留守で、アイーシャも席を外すよう頼まれた。
「そんなに時間は取らないつもりだ。すまないね」
「いいえ、ランスロットさま」
彼が入っていくとグランディーナは起き上がっていて、聞けば、少しずつでも歩いたり、身体を動かしているそうだ。
「剣を返せとでも言うのか?」
「ああ。君には、くだらないこだわりにしか思えないかもしれないが、わたしが納得できない。君に頼み事をするのも、これが最後だ。どうか、つき合ってくれないか」
「それで、あなたの気が済むのなら。あなたには、世話になったな」
グランディーナの手からランスロットの手へ剣が返された。アッシュの形見となったロンバルディアだ。
「それは、こちらの台詞だ。君がいなければ我々は、ゼテギネア帝国を倒せなかっただろう。君には、とても感謝している。本当にありがとう」
「私は戦争屋だ、あんなことしかできない」
「だからゼノビアには残らないと?」
「私が指揮した戦いで大勢の者が死んだ。ゼテギネア帝国の者は、もちろん解放軍の者もだ。私が、このまま残れば恨みも残るだろう。疲弊したゼテギネアに必要なのは新しい国を作るという高揚感であって恨みではない。最初からゼノビアに私の居場所はない」
「それは残念だな。君が将軍になってくれれば、という声も少なくないのに」
「違うだろう? 私が残れば遅かれ早かれトリスタンを支持する者との諍いになる。あなたたちは、それだけは阻止したいはずだ」
ランスロットは沈黙した。手中には返されたばかりのロンバルディアがあり、グランディーナは丸腰だ。
「なんだ、もう先客がいるのか」
そこに顔を出したのはカノープスだ。
「早いな、ランスロット。どうせ、おまえのことだから捧げた剣を返せとか言ってるんだろう?」
「ありがとう、カノープス」
「おい、どこへ行くんだよ?」
「用は、もう済んだんだ。
ありがとう、グランディーナ」
「なんだ、ありゃあ?」
ランスロットは強引に馬車を降りていき、カノープスが上がってくる。彼の翼は馬車の中では、さも狭そうに縮こまった。
「何を話していたんだ、おまえら?」
「あなたの推測どおりと、あとは他愛もない話だ」
「それなら、いいけどよ」
「あなたこそ何の用だ?」
彼は頭をかいた。
「俺の方こそ野暮用だ。おまえがゼノビアまで行かないって聞いたからよ、礼のひとつでも言っておかねぇとと思ってな」
「礼を言われるほどのことはしていない」
そう言った彼女の顔が、わずかにほころんだ。
「俺だって、こんなことは小っ恥ずかしくて言いたかねぇんだ。人が礼を言ってる時は素直に受け取っておけ」
「私こそ、あなたには、ずいぶん世話になった。ありがとう」
グランディーナが差し出した左手をカノープスは握り返したが出会ったばかりのころのことを思い出して、こそばゆい気持ちにさせられた。
「ギルバルドが、おまえと一緒に行きたいと言ってる。大事な親友だ、頼んだぜ」
「わかっている」
「ライアンの奴とはゼテギネアで別れちまったんだ。おまえに、よろしくって言ってたぜ」
「彼とは、またどこかで会うかもしれないな」
「ほかの魔獣部隊の奴らは、みんなゼノビアに残るそうだ。発つ前に声をかけてやってくれよ」
「ああ」
「ユーリアが、おまえが発つ時に歌を唄うなんて言い出したんだ。ちゃんと聞いていけよ」
「それは光栄だな」
「元気でな!」
「あなたも」
そう言って彼女が笑顔を見せたのでカノープスは抱きしめて、すぐに離れた。
「湿っぽいのはらしくねぇや。じゃあな!」
「ありがとう」
彼が馬車を降りるとサラディンとギルバルドが荷物を持って近づいてくるところだった。
「もう旅支度かい。早いな」
「グランディーナは、まだ長旅はできぬが体調が整えば、すぐに発ちたいと言っている。いまのうちに必要な物を揃えておこうと思ってな」
「あいつも性急(せっかち)だなぁ。まだ本調子じゃねぇんだ、こんな時ぐらい、ゆっくりすりゃあいいのに。ゼノビアなんて、まだまだ先だぜ」
「ゼノビアに行かないと、あれだけ広言していても、もしやと期待する者もいるのだ。少しでも早く離れれば、そうした者たちも諦めるだろう」
「厄介な話だな」
「すまんな、カノープス。おぬし一人にすべてを押しつけることになってしまって」
「24年前は俺が全部、押しつけた。これで、おあいこだな」
「オブライエン家の土地や屋敷は全て手放してしまったぞ?」
「そんな物、俺が要るかよ。俺には魔獣があれば十分さ」
「何を言う。新生ゼノビア王国の魔獣軍団長ともあろう人物が、バハーワルプルのあばら屋に住み続けるつもりか?」
「おまえっ! 言うに事欠いて俺んちをあばら屋呼ばわりしたな!」
「事実だから仕方がないだろう」
「この野郎!」
ギルバルドは荷物を置くと素早く走り出し、カノープスの手を逃れたが、2人は、そのまま追いかけっこの形になった。
「もっと携行食糧を持ってきます!」
「そうはさせるか! 待て、こら!!」
2人と入れ違いにアイーシャが戻ってきた。彼女は解放軍で買った治療用の鞄と薬草を持っていたが、ギルバルドが置いていった荷物も一緒に持って馬車に乗り込んだ。
グランディーナは、また眠ったようだ。アイーシャは、その布団を少し直す。
「先ほどランスロットさまをお見かけしましたが少し恐い顔をしておいででした」
「大丈夫だ。明日には、いつもの彼に戻るだろう」
サラディンの返答にアイーシャは安堵したように頷いた。彼女は荷物の整理をして、薬草を油紙に包んだりと細かい仕事を片づけていた。
「トリスタンさまはマラノにも寄らないで真っ直ぐにゼノビアに向かわれるそうですね。マラノの商人の方々のお誘いもお断りになったとか」
「一刻も早くゼノビアに戻りたいのだろう。お父上と同じようにゼノビアで戴冠式を挙げ、建国を宣言したいのだ。マラノとは先日の約束で自治を認めることになっている。亡国の皇子ではなく一国の王として訪れたいのだろう」
「ラウニィーさまとの結婚式も控えていらっしゃいますものね」
「お二人の仲が良かったとはいえ、勇気のある決断だったな。おかげで旧ハイランドの民も新しい国になじみやすくなっただろう。王家の血筋ではないが大将軍の娘御ならば王妃にも相応しい。何より旧ハイランドの民だけが敗残国という負い目も負わなくて済む。皆が建国に励める下地が整ったというわけだ」
「ですが、それではガレス皇子やエンドラさまが、あんまりお気の毒に思われます」
「責任を取る者は必要だ。2人は旧ハイランド王家の血筋、仕方があるまい。これでデボネアが将軍となれば後の憂いはなくなるだろう」
「ですが、そのデボネアさまは、いまだトリスタンさまに将軍位を承諾していらっしゃらないのだそうですよ」
「まだ四天王だったという負い目があるのだろうかな?」
「さあ?」
そう言ってサラディンとアイーシャは笑い合った。
「カストロ峡谷で皆と別れよう」
ギルバルドもいる時にグランディーナは、そう切り出した。
「あそこは陸続きでパラティヌス王国につながっている。ローディス教国は、その北だ」
「やはりローディスに向かうのか?」
「今度の戦いも、もとを正せばローディスに端を発する。なぜゼテギネアに攻めてこなかったのかはわからないが、いまのうちに調べる必要がある」
「良かろう」
「だが、どんな危険があるか、わからない。それでもいいのか?」
「あなたがいなければ裏切り者のままで終わっていた命だ。思う存分、使ってくれ」
「私は、まだ修行中の身よ。あなたと一緒に行くのがいちばんの修行なの」
「おまえが、わたしを石から戻してくれたのだ。おまえが行くところならば、どこにでも行こう」
「本当に、いいのだな?」
「くどいぞ、グランディーナ」
「三人とも、ありがとう」
影竜の月10日、奇しくも解放軍がヴォルザーク島を発った日がグランディーナたちの旅立ちの日となった。その出立は誰にも告げられることなく、皆が寝ついた時間を選んで行われた。
はずだったが、どこから聞きつけてきたのやら、カノープスを初めとする魔獣部隊の面々、デボネアまでが見送りに現れた。しかもデボネアはノルンと一緒におらず、旅支度だ。
「俺を出し抜こうなんざ10年早いんだよ。こんな夜中に、こそこそ発たねえで堂々と皆の見送りを受けていけばいいだろうが」
「そういうのが面倒だから、こんな時間なんだ。今日は月も明るい。道には迷わないで済む」
「馬鹿言え。みんながみんな、おまえみたいに器用じゃないんだぞ」
「わたしも騒がしいのは好まない。だが好意は素直に受け取ってもいいのではないかな」
「そうだろうそうだろう。さすがサラディン、話がわかるぜ。
だけどデボネア、なんであんたまで、こんな格好なんだ?」
「わたしも一緒に行こうと思ってね」
「ええっ?!」
「あんたはゼノビアの将軍になるんじゃなかったのか?」
「将軍なら一度、経験済みだし気苦労ばかりで面倒だ。それより君と行った方がおもしろそうだからな」
「理由は、それだけか?」
「平和になったゼテギネアよりローディスの方が腕を磨く機会も多そうだ。何より、わたしもゼテギネアを離れたことがない。知らないところに行ってみたくてね」
「ゼノビアのことはともかくノルンのことは、どうするの? てっきり、あなたたちは結婚するものだと思っていたのに」
「彼女と結婚すればゼテギネアに残らなければならなくなるじゃないか。グランディーナを差し置いて全軍を統率する将軍になるわけにはいかないし、まだまだゼテギネア帝国にわだかまりを持つ者も少なくないだろう。彼女がどうしても将軍にならないのだとしても、わたしが将軍を受けるのは時期尚早だよ」
「違うでしょう、デボネア? あなた、ノルンと結婚したくないのよ。だから将軍になれないなんて言い訳しているだけだわ。そうでしょう?」
「ははは、参ったな。どうして、そう思うんだい、ユーリア?」
「私にわからないわけがないわ。ノルンだって本当は、あなたの本心がわかっているはずよ。でも彼女は、あなたが好きだから目をつぶっているだけなのよ」
「うん、そうかもしれない。だから余計に間を置きたくてね。少し離れて彼女とのことを考え直したい。時間が欲しいんだ」
「臆病ね、デボネア」
「手厳しいな。だが、もう決めたんだ。わたしは君たちこそ結婚するものだと思っていたよ。たとえ魔獣軍団長を受けないとしてもな」
「ギルバルドさまが、ご自分に、そんなことを許すと思っていたの? だとしたら、あなたは人を見る目がないんだわ。みんなのためとはいえ、ギルバルドさまがゼテギネア帝国に仕えていた事実は変わらない。大勢の人の命が助けられたのにギルバルドさまを裏切り者と誹る声は消えない。たとえ全財産を投げ打って、みんなを助けてもギルバルドさまを許さないという声は聞こえてくるの。幸せになってはいけないという声がするの。だから、いまはゼテギネアを離れた方がギルバルドさまのためになるのよ」
「だから君は待つと言うのか?」
「そうよ。私は10年以上も待ったのだもの、いまさら1、2年なんて、どうってことはないわ」
「ならばユーリア、笑ってくれ。俺たちの旅立ちを笑って見送ってくれ」
「はい。どうか、ご無事でお戻りください。私はギルバルドさまのお帰りを、いつまでもお待ちしております」
その時、グランディーナが皆に背を向けて歩き出し、サラディンとアイーシャ、それにデボネアが倣った。特にデボネアは、ノルンがいまにも追いかけてくるのではないかと気が気でないような足取りだ。
「気をつけていけよ!」
「おぬしたちも元気でな」
遅れてギルバルドも4人の後を追った。
月明かりが離れていく一行を照らしていたが、その姿は、やがてカストロ峡谷のせり出した崖に隠れてしまった。
こうして神聖ゼテギネア帝国を打ち倒す戦いは終わった。
ゼテギネア大陸全土を統一した新王フィクス=トリシュトラム=ゼノビアは王都ゼノビアにて新生ゼノビア王国の建国とラウニィー=ウィンザルフを妃に迎えることを宣言する。2人の結婚式は天使長ユーシスや天空の三騎士まで参加して華やかなものになったが、そこにいるべき者がいないことを知る者は少なくなかった。
彼らが新たな戦いに巻き込まれるのは、それから10年後、また別の機会に語るとしよう。
《 終 》