Stage Four「戦場に翻るは青き旗」
しかし白竜の月13日の夜中過ぎ、グランディーナは予定どおりゼノビア城を攻めるべく指示を出した。
ウォーレンとデネブを先頭に合計7頭のグリフォンとコカトリス、それにワイバーンが発ち、西に黒々とした影を落とすゼノビア城に向かう。
エルランゲンからゼノビア城まではグリフォンで約2時間、城壁内のスラム街に灯はなく闇に沈んでいる。
ゼノビア城の灯りも乏しく、雨のせいで見張りの手も多少緩んでいるようだ。
グランディーナはカノープスとエレボスに乗り、一路ゼノビア城を目指した。
ウォーレンの部隊とデネブは2頭のグリフォンとワイバーン、コカトリスに騎乗していた。ランスロットはギルバルドとともにもう1頭のワイバーン、プルートーンに乗り、グランディーナとともに城に侵入する手はずだ。
一行がゼノビア城の上空に到達するころには東の空がわずかに明るくなり始めていた。
天守を持たないゼノビア城は四角い城郭が内庭を作り二重の城壁を築いている。上空から見ると内庭に人影はなく、魔獣もいない。
城郭の四隅には塔が築かれており、城の入り口は南側である。そこと北側の城郭は東西よりも数倍厚く、城の主要な設備が集中している。特に王家の住居や玉座の間は北側の城郭にあって、グランディーナはそこから侵入することを伝えていた。いったん侵入してしまえば、城内は繋がっている。目指すデボネアもその中にいるはずだった。
にわかに北側の2つの塔の中が明るくなった。
屋上にはまだ誰もいない。
「ランスロット、続け!」
「承知!」
グランディーナとランスロットが続いて北の城郭に飛び降りた。
そこへ帝国軍兵士も現れた。ゼノビア城全体が急に慌ただしくなり、中庭に魔獣が引き出される。
屋上から城内への入り口は1つしかない。帝国軍兵士がさらに数人、続いて現れる。
「ごめんあそばせ!」
デネブが帝国軍を足止めするのと、ウォーレンの唱えた呪文が魔獣に炸裂するのとほぼ同時だった。
すかさずグランディーナが城に侵入する。ランスロットも続いた。
カノープスとカリナが城郭に降り、帝国軍兵士を捕獲、呪文の第二弾が間をおかず魔獣に放たれた。
ゼノビア城内は解放軍の奇襲に騒然としていた。
螺旋階段が階下に続き、足音が高らかに響く。
「ここは通さんぞ!」
「邪魔だ!! ランスロット、下がっていろ!」
目にも留まらぬ速さで曲刀が振り下ろされた。グランディーナ自身ばかりかランスロットまで巻き込んで衝撃波が帝国兵に襲いかかる。
階上から放たれたそれは階下の兵士まで巻き込んで、10人近くをあっという間になぎ倒した。衝撃波と階上からの落下、階下にいて下敷きになったことなど、諸々の悪条件が重なって階段から廊下にかけては血塗られた修羅場と化した。
それらの帝国兵を避けてグランディーナが駆け下り、ランスロットも続く。
ゼノビア城は小規模な造りで3階しかない。玉座の間や王家の人びとの居室は最上階にあり、デボネアもそこを住処にしているだろうと考えられる。
廊下に出たグランディーナは迷わず玉座の間を目指し、立ちはだかった帝国軍の騎士を斬った。
「ぎゃああああっ!」
悲鳴に驚いたのはランスロットばかりではなかった。帝国兵もぎょっとしてのたうち回る騎士を見る。
右手が剣を握ったまま、あらぬ方に転がっていた。
その元の持ち主とのあいだに立つグランディーナの刀は切っ先から血を滴らせている。
「次は誰が相手だ?」
彼女が進むと帝国兵の方が同じだけ後ずさった。
ランスロットはふと、戦いに慣れていないのが解放軍ばかりでないことに思い至った。
ゼテギネア帝国の時代になって24年、帝国軍は旧王国の残党狩りに明け暮れたことはあっても、まともな戦闘の経験者は少ないのではないか。大陸全土は偽りの平和の下にあった。そのあいだにほかの大陸からの侵略がなかったのは紛れもない事実だ。
「どきたまえ!」
扉の開く音がして、若々しい声が聞かれた。帝国兵がかしこまり、やがて金髪を肩まで垂らした30歳そこそことおぼしき騎士が現れた。背はランスロットよりわずかに高いが線の細い印象を受ける。
「ゼテギネア帝国四天王が1人、クアス=デボネア将軍だな?」
「そうだ。もしや君が噂に高い反乱軍のリーダーか。夜襲とは考えたな。だがたった2人で乗り込んでくるとは命知らずもいいところだ」
「言いたいことはそれだけか。あなたこそ、そのたった2人の私たちの前に姿を見せるとは、よほど命が惜しくないものと見える」
「おもしろい。反乱軍のリーダーは傭兵上がりと聞いたが大した自信家のようだ。どれほどの腕前か、ひとつ、お手合わせを願おうか。その前に、投降の意志があるのならば聞いてやらないこともないぞ。どうだ、そちらの騎士は?」
「ゼテギネア帝国に尻尾を振るなど死んでもお断りだ。それにわたしの剣は彼女に捧げられている。騎士たるものが二君に仕えるなどできるものか」
「それにあなたが言うのはこちらの台詞だ。あなたが降伏すれば、こちらはこれ以上、戦闘を続ける理由がなくなる。ゼノビア城は我々解放軍がいただこう。もっともたとえ私たちが投降したところで、中央に戻る当てもないあなたが、どう上層部に口を利いてくれるのか興味がなくはないがな」
デボネアの表が屈辱に青ざめた。端正な顔立ちが怒りに歪む。
「生意気を言うな! 神聖ゼテギネア帝国の名にかけて反乱軍に降伏などできるものか。君たちの方こそ、君が倒されれば一巻の終わりではないか。しょせん反乱軍など烏合の衆だ。帝国にかなうはずがないと思い知るがいい」
しかしグランディーナはさらにせせら笑って曲刀の切っ先をデボネアに向けた。
「私が倒されればだと? 四天王というのは剣よりも口が立つ奴が選ばれるらしいな。自分と相手の力の差もわからぬくせにでかい口ばかりたたくものだ。あなたに私が倒せると思っているのか!」
言うや否や彼女はデボネアに斬りかかった。
将軍もすぐさま長剣を抜いて応戦したが、反応が遅れたこともあって防戦一方だ。
左。右。
それほど広くもない廊下に激しい剣戟の音が響く。
上、下。
デボネアの動きはまるで剣術の見本だ。時に避け、時に受け、グランディーナの攻撃を交わしきった。
「大きな口をたたいておいて君の腕前はその程度か。次はこちらからいくぞ!」
「させるか! だから口だけだと言う。あれが私の攻撃の全てだと思ったか!」
彼女はデボネアに反撃を許さない。その動きが速くなる。先ほどは全てデボネアに回避、あるいは防御されきった攻撃が今度は5回に1回、4回に1回と頻度を増して当たるようになった。3回に1回、2回に1回、その速さにデボネアがついていけなくなる。音速剣と言われた彼が太刀筋の速さで負けているのだ。
デボネアも強引に攻撃に転じようとするが、その隙を与えない。彼が繰り出そうとする手を寸前で止める。
四天王と呼ばれ、ただ大将軍以外には負ける相手などなかったはずのデボネアは、ゼノビアなどという田舎で反乱軍のリーダーと嘯(うそぶ)く小娘に負けるはずがなかったのだ。ゼテギネア帝国軍に入った時から順調な出世街道を歩み、ついに四天王という帝国軍次鋒にまで上ってきたはずだのに逆に彼の道はそこから狂いだした。
生まれて初めて謁見のかなった神聖ゼテギネア帝国の女帝エンドラ、だが憧れの女帝は彼を冷たい眼差しで見下し、口をきいた、ただその1回で不興を買った。
「我が治世も早22年を数えた。フィガロ、デボネア、四天王が代替わりするのは初めてのことじゃ。2人とも顔を上げよ。そなたたちの感ずるところ、妾に忌憚(きたん)なく申してみよ」
ともに四天王に選ばれたカラム=フィガロとは軍に入ってからの無二の親友同士、エンドラに憧れたという点では共通するところの多い2人だったが、デボネアは先に女帝への崇敬の言葉を並べ、そのために生涯、独身であることさえ誓ったフィガロが言うのをどこか遠いところで発せられているように感じていた。
「恐れながら、畏(かしこ)き女帝陛下、ガレス殿下、賢者ラシュディ殿に申し上げます−−−」
「戦闘中にいらぬことを考えるとは余裕だな!」
「うっ!」
音速剣ソニックブレードが弾き飛ばされた。ハイランド王国の北方、永久氷原に眠る天竜ディバインドラゴンの鱗を削りだして作られた剣、デボネアの身を守り、ともに戦い、大将軍ヒカシュー=ウィンザルフ、四天王デニス=ルバロン、アルフィン=プレヴィア、フィガロ以外の攻撃では決して動じなかったソニックブレードが、何者とも知らぬ反乱軍のリーダーが振るう無名の刀に力負けしたのだ。
「わたしの、負け、か?」
「そうだ。部下たちに降伏するよう伝えろ。それぐらいの元気は残っていよう」
言うまでもなかった。デボネアも含めていま、この場にある負傷者は全てグランディーナの手になる者だ。そして誰も治療されていない。
「立て。あなたに会いたがっている者がいる。あなたの処分はそれから決める」
戦意を喪失した帝国軍のなかを抜けてグランディーナとランスロットはデボネアを連れて屋上に戻った。
ギルバルドが事情を察してプルートーンを着地させ、カノープスが呼ぶとエレボスがやってくる。
「わたしをどこへ連れていくつもりだ?」
「アッシュ=クラウゼンを知っていよう。彼があなたに会いたがっている」
「アッシュ=クラウゼンだと?」
デボネアは呆けていたが、その名に期すところがあったのか急に顔つきが変わった。
「すまないが敗軍の将として先にやるべきことをやらせてもらえないか。それほど手間はとらせないと思うが、部下たちをこのままにしておけない」
「そういうことならば手伝いはいるか?」
「君たちの手を煩わせるほどではない。だが負傷者も少なくないだろうから僧侶がいてくれると助かる」
「良かろう。
ギルバルド、マチルダとミネアを連れてきてくれ。できるだけ速く頼む」
「承知しました」
「ありがとう」
デボネアはとても敗軍の将などとは思えないような明るい笑顔を見せて礼を言うと、城下に降りていった。
ギルバルドがプルートーンに騎乗し、クロヌスを連れて飛び立つ。昨夜の場所から動いていなければ、往復で4時間はかかるはずだ。
「意外と骨のある奴だな。伊達に四天王ではないってことか。しかし俺たちはどうするんだ? まさかデボネアのやることが終わるのを待ってるなんて言うんじゃないだろうな?」
「放っておくわけにもいくまい。あなたたちは先に皆と合流しろ。私には見届ける義務がある」
「君が残るのならば、わたしも残ろう」
ランスロットがそう言ったので、ウォーレンとカノープスは頷きあった。
「俺はどうします?」
役目のなくなったカリナがおもしろくなさそうに言う。この状況で旗を掲げても目立たなさそうだ。
「帝国旗をいつまでも掲げておく義理もないな。その旗と取り替えるか。旗はまた作らせる。同じ生地を買って、旗にあつらえておけ」
それでカリナが旗を交換するのを待って、グランディーナとランスロット以外の者は野営地に帰還することになった。
デボネアを待つあいだ、グランディーナは屋上から眼下のスラム街を眺め、ランスロットもつき合う。
彼が覚えているゼノビアの街は家並みと街路が整然と並ぶ美しい都であった。だが建てられるだけ建てた掘っ建て小屋の並ぶスラム街にその面影は微塵もない。ゼノビアの復興には時間がかかりそうだ。そもそも元のような整然とした町並みを取り戻すことがいいのか、新しく生まれ変わるべきなのか。
「この先、わたしたちはどうするんだ?」
「アヴァロン島、その後はディアスポラだ」
「ゼノビアのことはどうする?」
「復興でもしろと言うのか。そんなことを始めれば1ヶ月かかっても終わらないし、そのあいだに帝国に反撃されればゼノビアぐらいではひとたまりもない。気にかけるだけ時間の無駄だ」
「そうだな。我々の目的はゼテギネア帝国を倒すことだ。ゼノビアで足踏みしているようではいけないのだったな」
「残りたいのならば言え。脱落者が出るのは覚悟の上だ」
「馬鹿な。わたしは最後までつき合うさ。そういえば、君はどこの生まれなんだ?」
「藪から棒にそんなことを訊いてどうする?」
「ただの好奇心だが、24年ぶりにゼノビアに帰ってきて、わたしも郷愁にかられたのかもしれないな」
「ならばそこで止めておけ。要らぬ好奇心は身を滅ぼすぞ」
ランスロットは己が耳を疑ったが、彼女はちょうど出てきたデボネアの方へ向かっていた。
「待たせてすまないな。荷の片づけにもう半日ぐらいかかりそうだが、とりあえずするべきことは指示した。城の明け渡しにはわたしの副官にスティングという男がいるから彼に任せてある。後はどうなりと指示してくれ」
デボネアの後から出てきた騎士が一礼した。アレックぐらいの歳で薄い茶の髪と白い肌がいかにも北国ハイランドの人間らしい。
「デボネアにはつき合ってもらうが、あなたたちは勝手に帰るがいい。捕虜を取るつもりはない。だが帰る時はそこのスラム街を通っていってもらおう。住民に止められるも素通りできるも、あなたたちのしたことの結果だ。それと食糧が余るようなら住民に分けてやれ。私の指示はそれだけだ」
デボネアもスティングもしばし呆気に取られた。
「本当にそれだけか?」
「捕虜をとっても交換する相手がない。吊し上げる趣味もない。ゼノビアを取ればあなたたちに用はない」
「傭兵らしい実用的な意見だな」
だがそこへ意外に早くマチルダとミネアが到着した。
「遅くなってすみません。ギルバルドさまにお手伝いするよう言われてきたのですが何をすればよろしいのでしょうか?」
「彼はスティングだ。元帝国軍の副官だが、彼の指示に従ってくれ。ランスロット、あなたも手伝え。私はデボネアをアッシュのところに連れていく」
「いえ、私たちだけで大丈夫です」
「騎士が女子どもを人質に取るのはいくらでも見てきた。この期に及んでとは思うが念のためだ」
「承知した」
ミネアはさらに恐縮していたが、グランディーナは取り合わず、3人に背を向けた。
ランスロットがスティングを見ると、騎士は特に気を悪くしたようでもなく、マチルダたちを城内に案内していく。
ギルバルドが黙ってプルートーンの手綱をグランディーナに渡し、クロヌスに乗り換えた。デボネアは大きい方のプルートーンに騎乗し、2頭のワイバーンはすぐに飛び立つ。
「我々のことを信用してはいないというわけか」
「念のためと言った。それにあそこまであからさまに言われて人質を取るような度胸があるのか」
「そうかな。わたしも伊達に−−−」
突然プルートーンが空中で反転し、デボネアは放り出された。
デボネアはもとよりギルバルドも口の中で悲鳴をあげたが、完全に不意をつかれてクロヌスは間に合わない。だいいちプルートーンはそんな無茶な飛び方はしないよう訓練したはずだ。
しかしグランディーナは最初からそのつもりだったらしく、悠々とワイバーンを操って落下するデボネアを受け止めた。
そのあいだにギルバルドは地面に光る物が落ちるのを認めた。デボネアはと見ると、プルートーンの背で言葉もないようだ。心の準備もなく空中に放り出されれば無理もないと言いたいところだが、2人の会話を聞いていないギルバルドにはグランディーナの行動が理解できなかった。
2頭のワイバーンはその後は何事もなく解放軍の野営地に向かったが、デボネアの顔色はずっと、気の毒なくらいに青ざめたままであった。
「着いたぞ」
待ちかねたようにアッシュが近づいてくる。ほかの者は騎乗鞍に腹這いになっているデボネアを興味深そうに眺めている。
「何かあったのですか?」
「自分の立場を思い知らせてやっただけだ。手綱を取っているのがこちらだというのに短刀を出すような奴だとは思わなかった」
ギルバルドはデボネアを盗み見た。ゼテギネア帝国四天王はやっとワイバーンを降りたところだが足下がまだふらついている。
「デボネア、1年ぶりだな。そなたのおかげで生き延び、こうして帝国と戦うことができる。礼を言う」
「礼? わたしは礼を言われるようなことはしていない。牢獄に繋がれていた20年以上に比べれば、たかだか1年など贖罪にもなりはすまい」
「己のしたことを贖罪と言うか。ならば、そなたに訊きたい。陛下を暗殺したのは誰ぞ? そしていま一度そなたに問う。正々堂々と戦いを挑んで負かすならばいざ知らず暗殺などという卑怯な手段を使い、ゼノビアの民を次々に処刑し、恐怖政治を大陸全土に布いたゼテギネア帝国に正義有りとなお考えておるのか。答えよ、クアス=デボネア、正義はいずこに有りや? 1年前そなたは女帝を信じるのみと言ったな。いまも、その心に変わりはないのか?」
「ないと言えば嘘になる。ゼノビア1つを見ても帝国のやり方には疑問を感じざるを得ない。かつての四王国を滅ぼしてハイランド王国が理想的な国家に統一したのであれば、なぜ民はいつも我々を恐れ、脅え、疑いの眼差しを向けるものか。だがわたしは軍人だ。わたしはあなたがいまでもグラン王ただ一人に忠誠を誓っているようにエンドラ陛下に忠誠を誓い、剣を捧げた身、わたしの仕事はエンドラ陛下の剣となることであって陛下のなさることに口出しをすることではない。わたしの忠誠はただエンドラ陛下のためだけにあるのだ」
「ならば正義は帝国に有りや? 答えよ! それにそなたはわしのもう1つの問いに答えておらぬぞ。陛下を暗殺したのは誰ぞ?」
「グラン暗殺の真犯人はわたしも知らない。だがわたしは、正義は−−−」
「理想なき国がそなたたちハイランドの目指したものか? それがエンドラの、ラシュディの命令か? ヒカシューの命令か? 答えよ、デボネア。そなたは我々を反乱軍と言う。だが平和を乱しているのは我々か、そなたたちの国か? 正義がどちらの側にあるのかそなたはわかっていよう。わかっているからゼノビアに左遷されたのではないのか? わかっていたからエンドラに進言し不興を買ったのではないのか?」
「うるさい、黙れ! それ以上、陛下や大将軍を侮辱することは許さないぞ、アッシュ」
「ならば帝国に非有りと認めるのか? 正義が帝国になしと認めるか? そなたの剣は誰がために振るうのだ? 正義なき女帝のためにそなたは殺戮も厭わぬと言えるのか? 正義なき剣を振るうことがそなたの騎士としての誇りか?」
「黙れ黙れ! ならばエンドラ陛下にいまいちど我が剣と我が誇り、我が命を懸けてお訊ねする。この大陸を治めるのはエンドラ陛下ただお一人、神聖ゼテギネア帝国こそ選ばれたただ1つの国家なのだ。だがこれ以上あなたたちと話すことはない! さらばだ!」
「待て、デボネア!」
過去にどんな者でも、いまのデボネアのような見事な逃げっぷりを見せたことはないだろう。そう思わずにいられないような消え方だった。それもポケットから拳大の石を取り出したと思った瞬間のことで声を上げる間もなかったほどだ。
解放軍一同は呆気に取られ、たったいままでデボネアのいた場所を見つめた。グランディーナでさえこんな事態は予想外という顔をして、誰一人言葉もなかったが不意に哄笑したのはアッシュであった。つられて皆が笑い出したが、グランディーナはやはり笑うことがなかった。
「指揮官が一人逃げたところで何をするつもりだ。ゼノビアも部下も失って、戻っても裏切り者と誹られるのが落ちだということも気づかないとは」
「そうなると思われますか?」
こちらもほとんど笑わず、ギルバルドが訊ねる。いつの間にかカノープスとユーリアも近づいていて興味津々という顔だ。
「ならないと思う方がどうかしている。四天王など手柄を立ててこその地位だ。だが逃げたものはしょうがない」
彼女が手を挙げると笑い声がやみ、一斉に視線が集まった。誰もが明るい顔で解放軍のリーダーを見ている。それはデボネアのことばかりでなく、目的地の1つに達した喜び、ゼノビア王国残党を自認する者たちにとっては長年の願望を果たした喜びもあったろう。
「ご苦労だった。明日はフィラーハからアヴァロン島に渡り、ロシュフォル教大神官フォーリス=クヌーデルさまにお会いする。ロシュフォル教の認可が得られれば、この先の戦いで心強いことになろうし、我々の正当性も高まる。今日は休め」
もっとも休めと言われても今日も野宿であろうことは容易に察せられる。それだけにどこか、いつもと変わらないような、いつもより浮き足だったような空気が野営地全体に漂っていた。
「ウォーレン、カノープス、アッシュ、休む前に私につき合え。
そのあいだ、こちらはギルバルド、あなたに任せる。
ポリーシャ、バーンズ、あなたたちもゼノビア城まで一緒に来てくれ。
ロギンス、グリフォンとコカトリスを使いたい。休ませたか?」
「ええ、十分に。ワイバーンはよろしいのですか?」
「ゼノビア城まで何回も往復させている。少し休ませよう。ゼノビア城にランスロットがいる。ポリーシャとバーンズはそこで彼に交替してくれ。行くぞ」
「承知しました。どこへ行かれるのです?」
「カルロバツで確かめてもらいたいことがある」
「お気をつけて」
指名された者は5頭のグリフォンとコカトリスに分乗した。ポリーシャとバーンズはグリフォンに乗るのは初めてなもので相当緊張した顔つきだ。
スラム街の上を飛んでいる時にアッシュとポリーシャは驚き、嘆くような顔をしたがその思いを口に出しはしなかった。
ゼノビア城でランスロットとポリーシャ、バーンズが交替したが、帝国軍副官のスティング=モートンはデボネアが逃げたことを知ると怒り心頭といった顔つきになった。
「わたしを解放軍に加えてくれないか」
「あなただけか?」
「いや。ほかに希望者がいれば受け入れてもらえるのか? 皆の意見は聞いていないのだが」
「祖国に弓引く気があるのなら歓迎する。だがあなたの目的はそんなことではなさそうだな」
「君たちとともに行けばいずれデボネア将軍に再会できるだろう。その時に今日の真意を確かめたいのだ。誇り高きゼテギネア帝国の軍人が負けたとはいえ敵に背を向けるなど、いったい何を考えているのだ。それでもかまわないか?」
「ゼテギネア帝国を倒すのが我々の目的だ。その気がないのならば断る。デボネアの逃げた理由など興味がない。一時的にでも帝国の者と馴れ合う気はない」
スティングは呻いた。だが彼は長く迷っておらず、すぐに頷いてみせる。
「わかった。わたしもこれ以上、帝国に未練はない。解放軍のために働こう」
「ゼノビア城外壁の門を4つとも開け放て。南門を出たところに我々の野営地がある。そこで待っていろ。ギルバルドには私から言われたと伝えろ」
「承知した」
ランスロットはアッシュと交替してシューメーに乗り、アッシュがエレボスに乗って一行はさらにゼノビアの西、小島にあるカルロバツを目指した。
「カルロバツになど、どんな用があるのだ?」
「あなたたちに確かめてもらいたいことがある。それはあなたたちにとっては朗報のはずだ」
アッシュはそれ以上、問わなかった。
ゼノビア城の外壁を越えるとまもなく海となり、その海は北方にアヴァロン島、カストラート海の諸島が続く。カルロバツは孤島の中央に位置する田舎の町で空から渡る以外にはゼノビアの南に位置するフィラーハからの海路を使うしかないので見た目以上の距離が2つの都市のあいだには横たわっていることになる。
フィラーハはアヴァロン島との定期連絡船を有する港町で、カルロバツはその途中になる。大陸全土が戦乱に巻き込まれた24年前にも、その連絡船が途絶えることはなく、多くの人びとが難民となってアヴァロン島に逃れ、ロシュフォル教会大本山の庇護を求めた。アヴァロン島はフィラーハから3日ほどだ。
やがてカルロバツの町が見え、グランディーナは郊外に着陸させた。ゼノビア城で今朝方あった戦闘も知らぬような、のどかな町だ。あるいはこの町は24年前も変わらずにたたずみ、時の流れから置き去りにされているのかもしれない。思わず、そう錯覚しそうな田舎なのである。
「カルロバツに来たのは初めてです。いったいここに何があるというのですか?」
「誰も来たことがないのか?」
ウォーレンばかりか皆が一斉に頷いた。
「親戚も知り合いもないのにこんなところに来るかよ。空を飛んでるからゼノビアから近いように感じるけど本当はもっと遠回りなんだぞ」
「知っている。誰も知り合いもいないのならば、あなたたちの名を利用させてもらおう」
「何だ、そりゃ?」
ほかの町に比べると申し訳程度の外壁が町を囲んでいた。だがその戸は閉ざされ、真っ先にグランディーナが近づくとちっとも兵隊らしくない若者が小窓から顔をのぞかせる。
「この町に旧ゼノビア王国の貴族がいるだろう。我々は解放軍、旧ゼノビア王国騎士団、魔法軍団、魔獣軍団の者たちだ。取り次いでもらいたい」
「何だって?」
アッシュが門に近づいた。
「わしはゼノビア王国元騎士団長アッシュ=クラウゼン、恥を忍んでそなたに頼む。そのようなことならば門を開けてくれ。聞きたいことがある」
若者の顔が引っ込んで、また顔をのぞかせた。
「あとは誰がいるんだ?」
「俺はカノープス=ウォルフ、あっちの爺はウォーレン=ムーン、騎士がランスロット=ハミルトンだ」
「一度に言わないでくれ。書ききれない」
「書ききれない?」
それで全員の名前を順に伝え、最後は解放軍のリーダーとしてグランディーナが名乗りを上げた。
門の向こうが賑やかになり、また小窓が開いたのはしばらく経ってからだ。
「クラウゼン卿! アッシュ=クラウゼン卿ではありませんか!」
「そなた、バーデンドルフ殿か?」
「お待ちください、すぐに門を開けます。
早く開けてくれ、大事な方がお待ちなのだ。待たせるでない」
聞こえた声は年寄りのものであった。さらに門が開けられると先ほどの兵士のほかに貴族然とした老人が数人いて、うち1人だけ女性であった。
アッシュはたちまちそれらの人びとに囲まれたが、せっかく伝えたのに、ほかの者の存在はまったく忘れられたらしい。
意外なのはあれだけ喧伝されたアッシュのグラン王暗殺の罪が責められないことだ。会話の切れ切れからは彼らもまたアッシュの冤罪を信じていたらしいことを伺われた。もっとも、その冤罪を晴らすために彼らが何かをした、というわけでもなかったようだ。
「クラウゼン卿、そちらの方々を紹介していただけませんか。あなたのお名前だけを聞いて飛んできたものですから」
振り返ったアッシュは真っ先にグランディーナを指した。
「解放軍のリーダー、グランディーナ殿だ」
「おお、聞いたことがあります。打倒ゼテギネア帝国を掲げる元ゼノビア王国騎士団がヴォルザーク島で兵を興したとか。やっとゼノビアまで来たのですか」
「今朝、ゼノビア城を解放したばかりだ」
グランディーナの言葉に老人たちは感嘆の声をあげ、往事を懐かしむように互いを見合った。
「それでは我々も近いうちにゼノビアに戻れますな。ご苦労でした、皆さん。これで後は−−−」
「皇子が帰ってくれば我々は用無しというわけか」
「どうしてそれを?!」
「なんですって?!」
「皇子が生きておいでなのですか?!」
「いつから知ってたんだ?!」
「どういうことです?!」
叫ばなかったのは婦人だけだ。それぐらい皇子生存の事実は彼らには重要なことであると言えた。だが興奮している解放軍の面々と異なり、老人たちが驚くのは、自分たちのとっておきの秘密がすでに知られたものだったということだろう。
「ここにはその事実を確かめに来た。お互いに手間が省けたな。帰るぞ」
「お待ちなさい。殿下のご生存を知ってどうするつもりです?」
老婦人が毅然とした口調で引き留める。白髪を頭の上に結い、淡い色調の服が優しげな印象を与えるが、その眼差しは居並ぶ老人に勝るとも劣らぬ頑固な貴族主義のものだ。
「どうもしない。彼らは旧ゼノビア王国縁の者だ。皇子が生きているのが確実ならば気合いも入るだろう。そう思って来た。それとゼノビアに戻るのは勝手だが、スラム街の住人はしばらく去らないだろう。その帰還、復興を手伝ってもらえるのなら助かる」
老婆は眉をひそめた。老人たちも急に冷めた様子でグランディーナを見る。
スラム街のことも復興のことも考えていなかったという顔だ。そんなものは自分たちの仕事ではないしゼノビアに戻る時には全てが片づいていて当然という顔だ。人を使うことには慣れていても自らの手では食糧も取ったことがない者の顔だ。24年という歳月は彼らの本質を変えるには至らなかったのだ。
「戦争屋に町の復興など当てにするな。あなたたちの町だろう、あなたたちの手で立て直したらどうだ」
「どこの馬の骨ともわからぬあなたにそのようなことを指図される覚えはありません。
トリスタン皇子はアヴァロン島に向かわれました。クラウゼン卿、この先、殿下にお会いすることがあれば、この鍵をお渡し願います」
彼女は頭を聳(そび)やかし精一杯の威厳を保って、その貴族性が理解できる唯一の人物と判断したアッシュに接した。渡された鍵はどこぞの倉庫でも開けられそうな大きなもので厚い鉄製だ。
「これは栄光の鍵、陛下の世継ぎの証です」
「おお、ついにその鍵を殿下にお渡しする時が来たのですな」
「そうです。悪しきゼテギネア帝国を倒し、この大陸を立て直せるのは神帝グラン陛下のただ一人の正当な血筋の持ち主、フィクス=トリシュトラム=ゼノビアさまをおいて、ほかにありえません。それとも何か、あなたがゼテギネア帝国を倒し、国を興す権利があるとでも言いますか?」
「そんな気はない。皇子の生存を喜んでいるのは彼ら以上だ。だがゼテギネア帝国を倒すのとその後に国を興すのとではまるっきり別次元の問題だろう」
「戦争屋らしい言い分ですこと。口では何とでも言えましょう。傭兵など何が目当てかわかったものではありませんからね」
「そうだ、クラウゼン卿を差し置いて傭兵がリーダーなど厚かましい話ではないか」
「恐れながら申し上げます!」
ランスロットが進み出たが、それはカノープスよりほんの少し速かった。
「彼女は我ら、ゼノビア王国騎士団の残党が解放軍のリーダーに望み、その大任をゼノビアまで果たしてきてくれたのです。この先も彼女なしに帝国と戦い抜くことはできますまい。解放軍の一戦士として、彼女に剣を捧げた者として、何よりゼノビア王国に忠誠を誓う騎士として、それ以上の侮辱は許せません」
「ぶ、無礼な!
クラウゼン卿、騎士団といえばあなたの部下でありましょう。そのような若輩者が団長を差し置いて私たちに意見するなど許されると思っているのですか?」
「わしは元騎士団長と申し上げた。それに解放軍のなかでいえば、わしはつい3日前に加わった若輩者、最初から解放軍を支えてきたランスロットの功には遙かに及ばぬ。バーニャ殿、皆の衆、栄光の鍵は必ず殿下にお渡しいたす。次にお目にかかる時は必ず殿下をお連れしよう。わしに免じて、ここはお引き取りを」
バーニャは顔を赤らめてアッシュ、グランディーナ、ランスロットと睨み回したが、彼女のなかではグランディーナとランスロットを罵倒する気持ちよりもアッシュを敬う気持ちの方が勝ったものとみえた。
「良きにお計らいを、クラウゼン卿」
そう言ったのは精一杯の強がりであったろう。
「殿下をお頼みしますぞ」
「殿下をお連れくださるというお約束、お忘れなきよう願いますぞ」
「心得ております、皆の衆。朗報をお待ちあれ」
そして彼らは頭を高く保ったまま立ち去った。
「変わってないな、あのお歴々は。ゼノビア王国の再建は本意だがあの連中があのまんま戻ってくるのはいただけないな。
ところで見直したぞ、ランスロット! おまえががつーんと言ってくれなきゃ、俺が言ったところだ。
それにしてもらしくないじゃないか。あれしか言い返さないなんて」
「傭兵がよく思われないのはいつものことだ。慣れている」
「そんなことに慣れてんじゃねぇよ。まぁ、らしいと言えばらしいけどな」
「しかしゼノビアの復興は確かに頭の痛い問題ですね。スラム街の住民も元を質せば同じゼノビア人です。我々がゼノビア領を解放したことで故郷に戻る気になってくれれば話が早いのですが」
「だがスラム街がなくなってもゼノビアが元に戻るわけではあるまい。シャローム地方もそうだったが略奪や破壊の憂き目にあっていない屋敷はないし、それこそ、あの方々が納得はするまい。それに城もだいぶ荒れていた。昔のように復興など、いまのゼノビアを見ればとても無理な話だ」
「なるようにしかなるまい。わしらにはゼノビアで立ち止まっている時間はなかろうからな」
「アッシュの言うとおりだ。戻るぞ」
「おまえ、それでギルバルドに来るよう言わなかったのか?」
「そういうわけじゃない。皇子のことは知っていたが、ああいう貴族までは予定外だ。だがギルバルドはいまさら皇子がいたところで喜びはすまい」
「そうかもしれねぇな」
グランディーナがエレボスに乗ったので皆がそれぞれ行きに乗ってきた魔獣に騎乗する。
空中でウォーレン、ランスロット、カノープスは思わずカルロバツを振り返った。
トリスタン皇子の存命は確かに喜ばしいことだ。だがその秘密を守ってきたバーニャをはじめとする貴族たちの存在は、彼らをしても新たな火種となりそうな予感ではあった。
彼女らが解放軍の野営地に戻ったのはその日の夜のことで、新しく加わった元帝国軍のスティングたちも交えてささやかな宴が張られた。
旧ゼノビア王国第2皇子フィクス=トリシュトラム=ゼノビアの生存は王国縁の者にとっては確かに朗報であり、新たな気合いの種でもある。
だがグランディーナからそのことを聞かされたギルバルド=オブライエンは、1人浮かれることもなしに目を伏せたのだった。
翌日、解放軍はフィラーハに向かった。白竜の月15日にはアヴァロン島に向かう船に乗り込み、カルロバツを経由しながら3日の船旅を過ごす。
カストラート海に浮かぶアヴァロン島は、五英雄の1人、僧侶ラビアンを生み出した聖地であり、やはり五英雄の1人シャロームの皇子ロシュフォルが太陽神フィラーハを崇めるロシュフォル教を興したところでもある。
24年前、戦乱の嵐がゼテギネア大陸全土を吹き荒れた時も、ただアヴァロン島だけは逃れ、大勢の難民が助けを求めた。神聖ゼテギネア帝国が興り、各地のロシュフォル教会を弾圧、ゼテギネア教会を興した時にもアヴァロン島は中立を守り、帝国もこの島には本格的に侵攻しなかった。
だがゼテギネア大陸の東端から起きた反帝国の動きは、この聖なる島にも無縁ではいなかったのである。