Stage Seven「皇子」4

Stage Seven「皇子」

一方、先に馬車に乗り込んだ3人は、内部の豪華さに驚き呆れていた。本天の総天鵞絨(びろうど)張りの座席はいままで誰も座ったことがないような手触りだし、窓には贅沢にも硝子まではめ込んである。改めてマラノ商人の財力を思い知らされた感じだ。
「昨日より大きい馬車だな」
最後に乗り込んできたグランディーナは空いていたカラドックの隣に座ったが、アッシュ、ウォーレン、ランスロットが並んで座った向かいの席も、あと1人2人は楽に座れそうな余裕があった。
「主人から大きい馬車で迎えに行くよう命じられたのです。皆さんに窮屈な思いをさせるなと言われましたので」
「助かる」
「皆さんにお目にかかるのはこれが初めてですね。わたしはカラドック=ブリフブラといいます。ジャック=グルーシー=ジョミニを補佐しておりますが、このたびは我が主人に危急の用が生じてしまったため、僭越ながら代理としてお迎えに上がりました」
「あなたをよこすとはジャックも抜かりがない。礼を言う」
カラドックは黙って頭を下げた。身長はウォーレンと同じくらいだが横幅がある。年齢は40代だろうが、商人にしては地味な印象だ。しかし、グランディーナの言い方だとジャックの部下のなかでもかなり高い地位にありそうだ。
「カラドック殿、差し支えなければトリスタン皇子についてお聞かせ願いたい。どなたと一緒においでなのか、どのような状況でジャック殿と会われたのかなどをだ」
「申し訳ないのですが、わたしの知っていることはほとんどありません。トリスタン皇子はケインという若い方とヨークレイフ=ウィンガーという騎士殿とご一緒です。ですが、わたしの主人と会った時のことは存じ上げません」
「ヨークレイフがトリスタン皇子と?」
「はい。それ以上のことはご本人から直接おうかがいになってください」
「承知した」
「アッシュ殿、ヨークレイフ=ウィンガー殿とはゼノビア王国騎士団に所属していた方でしょうか?」
ウォーレンはその名前に心当たりがあるようでアッシュも頷いた。
「おそらく、そのヨークレイフであろう。わしは彼もとうに処刑されたものと思っておった。生きていたとは喜ばしいことだが、皇子の連れならば、皇子付の騎士エストラーダ=エクソンだろうと思ったのだ」
「ヨークレイフ殿とはどのような方ですか?」
「いまとなってはゼノビア王国騎士団ただ1人の生き残りと言ってもよかろう。だが少々変わった奴で、剣を振るよりも竪琴を奏でる方を好いており、陛下よりも妃殿下に可愛がられておったと記憶している。文官にでもなれば良かったのだろうが、ウィンガー家は代々騎士の家柄、彼にとっては不幸なことであったのかもしれぬな」
「そのような方がいらっしゃったとは存じ上げませんでした」
「従騎士だったそなたが知らなくとも無理はない。従騎士の訓練など進んで引き受けるような男ではなかったからな」
話しながら、アッシュは昔を懐かしむように目を細めた。
しかし、ランスロットが覚えている騎士たちは、団長のアッシュのほかには副団長パーシバル=シュレディンガー、剣を教わったアーキス=ヒューズと父のリチャードぐらいである。アーキスと父はウーサーに処刑され、パーシバルはグラン王が暗殺される直前に行方不明になっている。
ふと見ると、グランディーナは外に視線をやっていた。硝子を通して見える光景は、グリフォンに騎乗した時ほどではないが、かなりの速さで去っていく。
「君には退屈な話だったか?」
「そうでもない。トリスタンの人となりには私も興味があるが口を挟むことでもないから黙っていた」
「それは意外だな。君は皇子のことにはそれほど関心がないと思っていた」
「そんなことはない」
しばらく馬車の中は沈黙が支配した。グランディーナはもとよりアッシュも自分の考えに没頭したからだ。ウォーレンもランスロットも同国人でもないカラドックの前で皇子について話すことは気が進まなかった。
「もうじきトリエステだ」
馬車に乗り込んでずいぶん経ったころ、そう言いながら、グランディーナが素早く長衣を頭からかぶった。誰が使うのか知らないが、頭巾をかぶると顔は見えず、立ち上がってもかろうじて足先がのぞくほどの長さだ。さらに彼女は靴を脱ぎ、裸足になった。
そんなことをしているうちに馬車は石畳を走るようになり、トリエステの町中に入ったことが察せられた。
「検問もなかったな」
「〈何でも屋〉のジャックの馬車に検問などしません。ふだんから鼻薬はたっぷり嗅がせてるんですから」
8頭立てだけあって馬車の大きさも相当なはずだが、トリエステの通りは余裕で走れるようだ。しかし、ランスロットが外をのぞこうとするよりも早く馬車は止まり、御者が扉を開けた。
「到着しました」
「ご苦労。さぁ、皆さん、どうぞ」
扉にいちばん近かったグランディーナが真っ先に降りる。さらにランスロット、ウォーレン、アッシュ、カラドックの順に降り、そこが想像していたよりこぢんまりした館の玄関先であることを知った。
「ここはシュワルツェンベルク家のお屋敷です。当主のベディヴィア殿は今度の件ではあなた方の全面的な味方です」
カラドックの先導で一同が館に入っていくと、裕福そうな男が両手を広げて出迎えた。短く刈り込んだ黒髪で、30歳そこそこというところだ。身長はグランディーナより少し高いがランスロットより細身である。
彼女らの背後で重々しい音を立てて扉が閉まった。ここにきてグランディーナは頭巾を下ろす。
「ようこそ、解放軍の方々。わたしが当主のベディヴィア=シュワルツェンベルクです。これからお見知りおき願います」
「十三人会のお一人のベディヴィア殿か?」
「はい。ですが、今日はジャック殿のたっての頼みで微力ながら、ご協力させていただいているのです。十三人会のことはしばしお忘れ願います」
「承知した」
「それでは皆さん、こちらへどうぞ。先ほどから待ちかねておいでですよ」
「グランディーナ殿、靴はどうするのですか?」
「帰るまで預けておいてくれ」
「わかりました。
それではベディヴィア殿、わたしはいったん引き上げさせていただきます」
「はい。ジャック殿によろしくお伝えください。
さぁ、どうぞ。こちらの部屋です」
彼女らが案内されたのは1階の窓のない部屋にだった。扉が開けられると中にいた3人の人物がこちらを振り返ったが、最も年かさの中年男性は腰を浮かして、また座り直した。あとの2人は20代の若者だ。1人は長い豪奢な金髪で、もう1人は短い赤毛である。
「それではわたしは席を外します。何かご用がありましたら、そこの紐を引いてください。すぐに召使いに飲み物を運ばせましょう」
「いや、呼ぶまで誰も入ってこないでくれ」
「かしこまりました。それではまた後でお目にかかります」
扉が閉まり、ベディヴィアが去る。
その時になって、3人は初めて立ち、金髪の若者がさらに1歩進み出たので、グランディーナも前に出た。3人のなかでは彼がいちばんの長身だ。
「初めてお目にかかる。解放軍のリーダー、グランディーナだ。あなたがフィクス=トリシュトラム=ゼノビアだな?」
「そうだ。だがわたしのことはトリスタンと呼んでもらいたい。彼らを紹介させてもらってもいいだろうか。わたしの従者ケインと騎士のヨークレイフ=ウィンガーだ」
皇子の紹介を受けて、ケインとヨークレイフはそれぞれ頭を下げたが、ヨークレイフが震えているのは傍目にもはっきりとわかるほどだ。
「私の連れも紹介しておこう。皆、ゼノビア王国縁の者だ。元騎士団長アッシュ=クラウゼン、魔法軍団所属のウォーレン=ムーン、従騎士のランスロット=ハミルトンだ」
「騎士団長のアッシュだと?!」
皇子の顔色が変わり、アッシュがすかさず前に進み出て片膝をついた。ヨークレイフは顔を背けたが、ケインはアッシュから視線を外さない。
「殿下は陛下殺害の罪をご存じとお見受けいたす。ならば討たれよ。殿下に討たれるとあらば24年間生き恥をさらした身には余る光栄、我が罪、いかな言い訳をしても償われるものではないと心得まする」
「いい覚悟だ、アッシュ」
トリスタンの手が腰の剣に触れたが、グランディーナが止めた。
「その罪が冤罪であっても彼を斬るか?」
「どういう意味だ?」
「グランディーナ、それは!」
「皇子を得る代わりにあなたを失うわけにはいかないし、自己満足の死など私は許さない。それに真の敵が誰であるか、皇子が知っていても損にはなるまい」
アッシュが首を垂れる。それでトリスタンも彼女の言葉の言外の意味を理解したようだった。
「真の敵とは誰のことだ?」
「ゼテギネア帝国のガレス、奴がグラン殺害の真犯人ということだ」
「それは本当か、アッシュ?」
彼はうなだれたが、すぐに観念したように答えた。
「はい。ガレス皇子がわしに化けて陛下を殺したと、アヴァロン島で対峙した時にそのように言われました。しかし、わしが陛下を、妃殿下やジャン皇子殿下をもお守りできなかったことも事実、どうか、殿下のお気の済むように罰してください」
「馬鹿なことを言うな。誰一人殺したわけでもないのにどうして、わたしがおまえを罰することなどできよう。わたしの方こそ、今日まで事実を知らなかったことをすまなく思う。許してくれ、アッシュ」
トリスタン皇子は彼の手を取り、立たせた。
けれど、その時、ゼノビア王国元騎士団長の表に浮かんだのは希望などではなかったが彼は黙って頭(こうべ)を垂れ、皇子に敬意を表した。
「グランディーナ殿、あなたにも礼を言わねばなるまい。事実を教えてもらわなければ、わたしはいまもゼノビア王家に忠実な騎士団長を誤って討つところであった。ありがとう」
「私は事実を伝えたまで。それに私には敬称など不要に願おう」
「それではわたしのことも敬称はなしでかまわない。そしてぜひ君たち解放軍とともに戦わせてくれ」
「解放軍を代表して、あなたたちを歓迎する」
グランディーナが差し出した手をトリスタンは握り返した。皇子にしては無骨で大きな手だ。ここまでの道のりが平坦無事ではなかった証拠だろう。ランスロットはそう思いながら、皇子の手に見入っていた。
「だがあらかじめ、あなたたちに断っておく。解放軍のリーダーは引き続き私が務める」
「わたしに異存はない。
ケイン、ヨークレイフ、かまわないな?」
「皇子がそう仰せならば」
ケインの言葉にヨークレイフも頷く。
「ならば、話はひとまず済んだ。私はトリスタンにまだ話がある。あなたたちは適当に過ごせ」
グランディーナがトリスタンを連れて、部屋の隅に引っ込む。
しかし、皇子を連れていかれてはウォーレンもランスロットもどこから話を切り出したら良いのかわからない。ケインも案ずるように皇子の方を見つめるなか、アッシュがヨークレイフに話しかけた。
「久しぶりだな、ヨークレイフ=ウィンガー。殿下とともにいるとは思わなんだ。なぜ、そなたが殿下とともにいるのか、ぜひ聞かせてはもらえまいか」
「団長が牢に囚われておいでと知りながら、何もできなかったこと、どうかお許しください! この身は無事でありながら、真相を知ろうともせず、わたしはただ酒に溺れるばかりでした」
彼はとうとうアッシュの前に平伏した。だが対峙するアッシュの顔は穏やかだ。彼はヨークレイフの肩に手を置き、静かに話し続けた。
「顔を上げよ、ヨークレイフ。わしはそなたを責めているのではない。そなたも聞いておったように騎士道を貫けなんだ、わしに誰を責める権利があろうか。だがわしは、24年間生死も存じ上げなかったトリスタン皇子がどのように過ごされ、御身の素性を知られたのか知りたいだけなのだ。教えてはもらえぬか?」
「アッシュ殿、トリスタン皇子のことならば、わたしがお話ししましょう。アッシュ殿はきっとエストラーダ=エクソンさまの行方もお知りになりたいのではありますまいか。この24年間、わたしはトリスタン皇子と一緒におりました。アッシュ殿のお知りになりたいことにはほとんどお答えできると思います」
口を挟んだケインにアッシュは鋭い眼差しを向ける。だが彼やヨークレイフよりも頭半分ほども低い痩せた若者は、それにも動じた様子はなかった。トリスタン皇子とともに相当な修羅場をくぐってきたものと思われる。
「そなたは何者だ? エストラーダの名も知るとはただ者ではあるまい」
「いいえ、残念ながら、わたしはエストラーダさまにトリスタン皇子とともに育てていただいた、ただの戦災孤児です」
「やはりエストラーダは殿下と一緒であったのか! だが、そなたが戦災孤児とはどういうことだ?」
「わたしも残念ながら、それ以上、自分の素性は知りません。トリスタン皇子とわたしはエストラーダさまとバーニャさまに育てられましたが、トリスタン皇子が16歳の時、エストラーダさまに従って義勇軍を結成し、近隣の盗賊退治に乗り出したのです」
ケインの話はアッシュたちには驚くべきことだった。
トリスタン皇子付の騎士であったエストラーダ=エクソンは、グラン王がアッシュの姿を借りたガレス皇子に暗殺された直後、皇子の乳母バーニャとともにゼノビア城を脱出し、ヴォルザーク島よりさらに東の、ゼノビア王国の属国であったリヒトフロス王国に逃れ、そこで途中で拾った戦災孤児のケインとともに皇子を育てた。もちろん皇子の素性は隠し、近隣の盗賊退治に義勇軍を結成した時もリーダーを務めたのはエストラーダであった。
しかし、盗賊たちを影から操っていた妖術師ジェンガにエストラーダが死の呪いをかけられて騎士は亡くなった。
彼の遺言でバーニャの待つエストア村に戻った2人は、神聖ゼテギネア帝国の追っ手がこの地にも及んできたため、彼女がトリスタン宛の手紙だけを残して行方をくらましたことを知る。手紙にはトリスタンが旧ゼノビア王国の皇子であることなどが書かれていた。トリスタン自身はもちろんケインも驚いたが、この事実は2人のほかにはただリヒトフロス国王に知らされただけであった。
けれどもリヒトフロス王国の争乱はジェンガの死とともには収まらなかった。トリスタン皇子は義勇軍の新たなリーダーとなり、エストラーダの死から3年後、ジェンガさえも操っていた真の黒幕である闇の騎士バルドルとの戦いに挑んだ。
新しい仲間との出会いと別れ、うち続く困難な戦いを乗り越えた義勇軍は、最後にはバルドルを倒し、一帯に平和を取り戻すことができたのであった。
騎士ヨークレイフとはそのバルドルとの戦いの最中に出会い、旧ゼノビア王国の名軍師として名をはせたグラント=オフトマインも皇子とともに行動していたが、彼は昨年亡くなったということであった。
グラン王の死より数年前に引退したグラントはともかく、現役の騎士だったヨークレイフが属国とはいえ、なぜリヒトフロス王国にいたのかとアッシュに問われると、彼はしょげかえった様子でこう答えた。
「あの日、わたしは自宅におりました。団長が陛下を暗殺し、ラシュディがその場にいた来賓の方々を殺したことを聞いて、恐ろしくなって逃げ出したのです。ゼテギネア帝国の手はすぐにシャロームの辺境にまで及び、リヒトフロスまで逃げなければなりませんでした。お許しください、団長。わたしは戦わずに逃げ出した騎士です。騎士道に背き、祖国に背き、わたしはただ1人だけ生き延びることを考えたのです。殿下に従ってゼテギネアに戻ってくれば、知った顔と再会することも承知していましたが、殿下は臆病さから酒に逃げていたわたしを必要としてくださいました。その恩義にまで背くわけにはいかなかったのです」
「わしにそなたを責める権利はないのだ。それよりも、7年間、殿下を支えてきてくれたこと、礼を言う。牢に繋がれて生き恥をさらし、陛下のためにも妃殿下のためにも、お二人の皇子殿下のためにも何もできなかったわしに比べ、そなたは殿下と巡り会い、立派に騎士としての役割を果たしたではないか」
「しかし、団長」
「それにわしはもう団長ではない。解放軍に加わった時から、わしは一介の戦士となったのだ。わしとそなたとは対等なのだ」
アッシュの言葉にヨークレイフは人目をはばかることなく涙をこぼした。アッシュの手を握り、感極まった様子は、彼の上にも等しく流れた24年という歳月の長さを思わせる。
そのあいだにケインが手慣れた様子で皆に杯を渡す。シュワルツェンベルク家の召使いが持ってきた飲み物が話に熱中するあまり、そのまま放置されていたのだ。
しかし、2人きりで話すグランディーナとトリスタンの方はまだ終わりそうになく、ケインが杯を手に近づこうとすると、グランディーナに追い払われた。彼は不快さを顔に出したが、強行突破は試みなかった。
長い昔話が済めば、彼らは皆、旧ゼノビア王国縁の者同士だ。戦災孤児だというケインでさえ、エストラーダを介してゼノビア騎士団に縁があるし、ゼノビアからの逃亡路を考えれば、ゼノビア王国の者であることは疑いようもない。アッシュ、ウォーレン、ヨークレイフはさらにうち解けた様子で話が弾んでいた。
ケイン1人がグランディーナとトリスタンの方を睨んでいる。
「ケイン、君は皇子の幼なじみなのだろう?」
「僭越ながらそのようなことになりますが、わたしはそういう考えは捨てました」
「なぜだね?」
ケインは少しうるさがるようにランスロットを見たが、話をやめることはしなかった。
「バーニャさまの手紙にはトリスタンが、ゼノビア王国の第二皇子、フィクス=トリシュトラム=ゼノビアさまであることが綴られ、ゼノビアの民を救えるのはトリスタン皇子以外にないと結ばれていました。わたしたちがとても驚いたのは言うまでもありません。ゼテギネア帝国のなす恐怖政治はリヒトフロス王国にまで伝わってきていましたが、自分たちがその関係者だとは誰も想像してみませんからね」
「バーニャ殿にはゼノビア城の近くにあるカルロバツという村でお会いしたよ。ほかにもゼノビアの貴族だった方々がご一緒でお元気だった」
「皇子が知られたら、お喜びになるでしょう。10年以上もお会いしていませんから」
だが復興なりつつあるゼノビアで、バーニャを初めとする貴族たちはやはりカルロバツに隠れたままなのだろう。トリスタン皇子がゼノビアに凱旋すれば我先にと出迎えもするだろうが、それまでは自らの手を汚すこともなく過ごしているに違いない。そんな彼女らが貴族というだけで特権を得られる時代に戻るのを解放軍の主立った者が違和感を覚えていることを、トリスタン皇子はどう受け止めるのだろうか。
「ランスロットさま、どうされましたか?」
「すまない。何の話をしていたのだっけな?」
「バーニャさまのご無事を伝えていただきました。それとわたし自身のことを」
「そうだった。そのバーニャ殿からの手紙のなかに君のことは書いてなかったのか?」
「ええ。わたしは氏素性も知れない戦災孤児です。お二人はトリスタン皇子同様にわたしのことも可愛がってくださいましたが、何も知らない子どもの時ならばいざ知らず、トリスタンさまはゼノビア王国の皇子なのですから。その時から、わたしはトリスタン皇子を支えていかなければならないと思ったのです」
「わたしからも君に礼を言わせてくれ。そしてこれからもトリスタン皇子のことを頼む」
「それがわたしの役割です。ですが、あなた方はなぜ、あのような振る舞いを許しているのですか?」
「彼女はどこの国にも属さぬ者だ。いままで誰かを特別扱いしたことがない。解放軍には旧ゼノビア王国以外の者も大勢いる。中立を守りたいのだろう」
「ですが、そのなかにほかの四王国の王家の方はいないのでしょう? トリスタン皇子を一般市民と同列に扱うのはわたしは賛成できません」
「その話をしているのかもしれない。あちらの話が終わったら彼女に話してみてくれ」
「君のような女性が解放軍のリーダーだとは思わなかった。まずはわたしたちを受け入れてくれたこと、王都ゼノビアを解放してくれたこと、改めて礼を言う。それでわたしに話とは何だろうか?」
「ゼテギネア帝国を倒した後のことだ。あなたに国の再興を引き受けてもらいたい」
「それはまた、ずいぶんと先の話だな。もちろん、君に言われるまでもなく、わたしの願いはゼノビア王国の再興にほかならない。だがそれならばなぜ、君が引き続き解放軍のリーダーをやるつもりなのか教えてくれ。わたしに国の再興をしろとは、まさか旧ゼノビア王国領だけの話ではあるまい?」
「結成後しばらくは私以外の者は皆、ゼノビアの者だったが、解放軍の半数以上はすでにそうではないし、これからドヌーブやオファイス、最終的にはハイランドにまで攻め上がろうというのにゼノビアの旗を掲げられたままでは都合が悪い。あなたがどう聞かされたのかは知らないが、グランの血を引くあなたが前面に立てば、拒絶反応を示す者も大勢いるだろう」
「あいにくと、わたしは父のことは覚えていないし、グラン王について聞かされたのは君も知っているような五英雄の1人である剣士グランとか、ゼノビア王国を興した神帝についてだ。アッシュやヨークレイフほどにも父のことは知らない。そんなわたしがグラン王の権威を笠に着ることは万が一にもないと思うが、そこまで考えているのなら、リーダーの件は無理にとは言わない」
「無理にと言われても譲る気はない。私が始めた戦争だ。最後まで私が責任を取る、あなたがしゃしゃり出てくることはない。もちろんあなたに治めてもらいたいのはゼテギネア全土だ。エンドラとガレスを除けば、旧四王国の王家で生き残っているのはあなた1人、攻め手としては敬遠されても、統治者となれば、グランの血筋がものを言うだろう。帝国を滅ぼした後の王位にはあなたが就いてもらいたい」
「その時、君はどうするつもりだ?」
「私は戦争屋だ。帝国を倒せば私など不要になる。へたに私を祭り上げようという動きが出る前に姿を消す。あなたの王位を脅かす気はない。案ずるな」
「だが君は最後まで解放軍のリーダーなのだろう? いくらわたしがゼノビアの皇子であっても逆にわたしが王位に就くことを嫌がる者はきっといるはずだ。だが解放軍を率いてゼテギネア帝国と戦った君ならば、誰もが納得する王になれるじゃないか」
「だから私は姿を消すのだ。端から王になど、なるつもりはない。帝国を倒した後で、あなたと王位を争う羽目になるのは、まっぴらごめんだ」
「わたしとしても王位に就く競争者が減ることは望ましいが、王になって何をしろと言うのだ?」
「マラノを攻めるのにマラノ市最高参事会の力を借りたい。この屋敷のベディヴィア=シュワルツェンベルクもその1人、通称十三人会の一員だ。その時にあなたに同行してほしい。マラノは24年前の戦争の時も戦火を避けて帝国に降伏した。彼らを説得できそうな策を立てたが、交渉の席に十三人会の連中を引っ張り出すのには、あなたが必要だ」
「だが、マラノはホーライ王国にも神帝グランにも従わなかった自治都市のはずだ。わたしが行ったなら逆効果ではないのか?」
「だから十三人会に約束してくれ。ゼテギネア帝国を倒したあかつきには、マラノの自治を取り戻すと。それはあなた以外にはできないことだ」
「もしもだが、わたしが嫌だと言ったらマラノはどうなる? マラノはゼテギネアでも最大の貿易都市だ。ここに落ちる金は旧ゼノビア王国の集めた税金よりも多いだろう。そのうまみを逃す手はあるまい?」
「おそらく十三人会の協力は得られまい。だがマラノを、アプローズをこのままにしておくつもりはない。こちらの独断でマラノを攻める。最悪の場合はマラノ全土が灰燼(かいじん)に帰すだろう」
「だが、そんなことをすれば、君がリーダーだろうとわたしがリーダーになろうと、この先、民衆の協力は得られなくなる」
「そうなれば、力で抑えつけてでも協力させる。あなたの回答によることを忘れるな」
「安心してくれ、グランディーナ。マラノの領主がアプローズ男爵だと聞いた時から、わたしの気持ちは決まっている。君にどのような作戦があるのかは知らないが、わたしにできる協力は惜しまないつもりだ」
「してもらわねば困る。私だってマラノに限らず、どの国も町も戦火に巻き込むようなことはできるだけしたくない」
「それを聞いて安心したよ。解放軍のリーダーは元傭兵の戦争屋だと聞いたから、どんな女丈夫かと思っていたんだ」
「だが、いまの予定では1人だけ危険を冒してもらわなければならない者がいる」
「誰だ、それは?」
「元ゼテギネア帝国の聖騎士ラウニィー=ウィンザルフ、帝国大将軍ヒカシューの一人娘だ」
「なぜ、彼女にそのような真似をさせるんだ?」
「炎竜の月24日にラウニィーとアプローズの結婚式が予定されている。彼女をいったん保護したがアプローズの元に戻すかもしれない。我々はその隙にマラノ各地で一斉に蜂起する。ラウニィーと十三人会、どちらの協力が欠けても成り立たない」
「大将軍の娘ならば、ラシュディやエンドラが来るのじゃないのか?」
「私も期待したが、ラウニィーは一度アプローズのもとを逃げ出しているし、結婚式の6日前に戻っていないのであれば大物は来るまい。そうと知っていれば、カストロ峡谷でラウニィーを助けなかったんだが、そうもいかなくなった。だが、私はラウニィーを戻せば、アプローズは結婚式を挙げるだろうと聞いている。ヒカシューらにはいずれ会えるはずだ。来る当てもない者を待つよりも目の前のマラノとアプローズのことを片づけたい」
「なるほど。ほかにわたしのできることはあるか? もちろんマラノが終わってからのことでもかまわないのだが」
「マラノを落としたら皆を休ませるが、私は野暮用で10日ぐらい本隊を離れる。あなたが旧ゼノビア王国の者と交流を深めるのは勝手だが、あまり目立たないようにしていてくれ」
「わかっている。ところで、そろそろアッシュたちと話してもいいかな?」
「かまわない。先ほどからあなたの従者に睨まれている」
「ケインはわたしの幼なじみだ。わたしが物心つく前からずっと一緒にいる。エストラーダが殺された時も一緒だった。彼に言わせるとわたしはゼノビア王国の皇子だという自覚がなさすぎるのだそうだ」
端から見ているとグランディーナとトリスタンの話はごく穏やかに進んでいるように見えた。皇子は時々笑いさえしたし、2人とも声は荒げなかったからだ。
皇子が長い話からやっと解放され、グランディーナも立ち上がると、ケインは素早く彼女に近づいた。
「話をしてもいいですか?」
「あなたたちが解放軍に合流してからなら時間があるだろう。その時でよければ、つき合う」
「わかりました」
しかし、部屋を出て行きかけて、彼女は振り返った。
「ケイン、あなたは魔法を使えるのか?」
「たしなむ程度には使えますが、系統立てて魔法を学んだことはありません。なぜそう思ったのです?」
「勘だ。ウォーレンにどれほどの力か見てもらえ。マラノを攻めるのに魔術師が足りない」
ケインは驚いたようにウォーレンを振り返った。
「我々もマラノ攻めの細部までは知らされていないのです。ですが、あなたの力を見ることはできます。いかがいたしますか?」
「かまいません。お願いします」
戸惑う2人を残して、グランディーナは部屋を出ていった。
トリスタン皇子を中心に話が弾んでいるところにグランディーナが戻ってきたのは、そう時間も経たないうちにだった。
「トリスタン、あなたたちは知らせがあるまで、この館を出るな」
「君はどうするんだ?」
「私とランスロットはあなたたちより先にこの館を出る。アッシュとウォーレンもここに残れ」
「武器は持っていくのか?」
「そうだ」
彼女は持ってきた長衣を手にしてさえいない。髪を染めてもいないので堂々とトリエステの町中を歩くつもりらしく、しかも裸足のままだ。
「すみません、トリスタン皇子。そのようなわけでわたしは彼女とともにを先に発ちます。また後で話をお聞かせください」
「なぜ2人だけで出るのだ?」
「あなたたちに話してもしょうがない。行くぞ」
2人が出ていくのをトリスタンは呆気にとられて見送り、説明を求めるようにアッシュとウォーレンを振り返った。
「彼女は影を使いますが、多くの場合は1人で会うのです。単独行動もよく取りたがりますが、ランスロットがついていくことが多いのです」
「ランスロット=ハミルトンはゼノビアの騎士ではなかったのか?」
これに答えたのはアッシュだ。
「ランスロットはいまはあの者の騎士だからです」
元騎士団長はそれで説明が済んだものと思っているようだが、トリスタンは不可解そうな顔のままだった。
シュワルツェンベルク家の裏口から出ると、グランディーナは足早に北門を目指した。町中が騒然としている。トリスタン皇子たちのいた部屋には窓がなかったし、館自体が高い壁で囲われて外の喧噪からは遠ざけられている。気づかなかったのも無理はないのだろうがランスロットは驚いた。
「何が起きているんだろうな? ベディヴィア殿や召使いから何も聞いていないか?」
「聞いていたがトリスタンたちには黙っていた。ギルバルドたちがトリエステ駐在の帝国軍と戦闘になっている」
「なぜ皇子たちに言わなかったんだ?」
「トリスタンに解放軍だと出しゃばられては都合が悪い。戦端を開いたことを知られれば参戦したがるかもしれないから黙っていた。こっちだ」
「馬車の中にいたのに、よく道がわかるな」
「トリエステに入ってからは一回曲がっただけだ。複雑な道ではなかったろう」
「なるほど。だが解せないな。皇子が解放軍にいると知られて都合が悪いのはなぜだ? 旧ゼノビア王国の旗を忌避したのとは別の理由なのだろう?」
「あなたに話すべきことではあるまい」
2人の頭上をコカトリスに乗ったニコラス=ウェールズたちが通りすぎたが、アイギスを操っていたカリナ=ストレイカーがこちらに気づいて声をかけた。
「こんなところで何してるんすか? 北門の戦闘はあらかた終わってるはずですよ!」
2頭のコカトリスが通りに降り、カリナとニコラス、魔法使いのヴェルナー=サックスとエラトー=バグラチオンも降りてくる。
「ずいぶん手際がいいんだな」
「そりゃあ、団長が指揮してますからね。もっとも大将が言うには敵さんの守りも甘いらしいです」
「ギルバルドたちはどこにいる?」
「北門です。我々もこれから戻るところでしたが、乗っていかれますか?」
「コカトリスに3人はきついだろう。私たちは歩いて戻る。トリエステの様子も見ておきたい」
「それでは、お二人が戻ることを皆に伝えておきましょう」
コカトリスはすぐに飛び立ち、グランディーナたちも表通りに出る。
「町中ではとても戦闘があったようには思えないな。いくら領主の結婚式が近いからといって警戒心が薄すぎると思わないか?」
「罠を仕掛けたのだとしたらずいぶん露骨だが、こちらが攻める気でいる以上、アプローズにとって無駄にはなるまい」
「だがいまのマラノに集まっているのは解放軍だけじゃない。あまり言いたくはないがラウニィー殿とアプローズの結婚式を楽しみに見に来ている者もいるのだろう? そういう者まで罠にかけるつもりなのだろうか?」
「同じ国の人間をポグロムの森で焼き討ちするような男だ。招待もしていない客のことなど頭の片隅にもあるまい。本当に罠が仕掛けてあれば、ポグロムの二の舞もあるかもしれないな」
「トリスタン皇子をお迎えしたというのにそんなことをさせられるものか」
しかしグランディーナは答えず、北門にいる解放軍のなかに入っていく。ギルバルドとカノープスはその中心にいてマチルダから怪我人の報告を受けているところだった。
「グランディーナ、アラディが戻っています。トリエステの郊外でお待ちしているとのことでした」
「わかった。あなたたちの方は大事ないか?」
「怪我人はガーディナーさんとシルキィさん、それにオパールさんだけです」
「それならばアラディの話を先に聞いてくる。
ランスロット、あなたはオーサを連れてトリスタンたちを迎えに行ってくれ。ベディヴィアにはオーサの名を出さなければトリスタンには会わせないように言ってある」
「わかった」
「オーサなら門の外にいるはずだ」
「ありがとう」
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