Stage Seven「皇子」5

Stage Seven「皇子」

トリエステを出て、さらに街道を外れたところでグランディーナはアラディを見つけた。
「待たせたな、アラディ」
「待つのは慣れています。ですが、1つ、悪い報告です。ブルースが殺されました。彼の最後の報告では、アプローズ男爵の配下に魔術師がいてマラノ全体に大がかりな罠を仕掛けているそうです。おそらく、解放軍のほかに結婚式の客が大勢が来ていることも承知の上だと思われます」
彼はそこで言葉を切って、グランディーナの顔色をうかがったが、アヴァロン島の時のような変化は見られなかった。
「ブルースの死体はどうした?」
「マラノ市内のロシュフォル教会に引き取ってもらいました。ほかに適当な場所も思いつかなかったのですが、わたしの顔も割れてしまったかもしれません」
「わかった。いったん全員引き上げろ。魔法の罠ならば、あなたたちでは調べられまい。あなたたちまで、これ以上危険を冒すことはない」
「ですが、どのような罠が仕掛けてあるか、調べなければならないのではありませんか?」
「そうだ。だが迂闊(うかつ)だった、アプローズがポグロムの森を焼き払ったことを軽く見ていた。ただの火であれほど大きな森を1晩で焼けるはずがない。ゼノビア時代からお抱えの魔術師がいて、そいつがポグロムの森も今度の罠にも関係しているのに違いない。ただ、それがどんな罠か、あなたたちではわからないだろう。だからいったん帰ってこい。魔法のことならば、魔術師たちがいる。彼らに訊いてから罠について調べた方が効率がいい」
「わたしの力が及ばず、申し訳ありません」
「あなたが謝ることではあるまい。魔法の罠など予想もしてなかったし、それ以外の危険を承知であなたたちをマラノに送り込んだのは私だ」
「それではわたしは4人を連れてきます」
「気をつけていけ」
アラディは南に走り去った。しかし彼が去ってもグランディーナの岩のような表情は動かぬままだ。
やがて彼女は思い出したように野営地に戻った。
「デネブ、頼んでいた物はできたか?」
「あなたも無茶苦茶言ってくれるわよねぇ。こんな自分の研究室でも何でもないところで魔法の護符を作れなんて言うんだから、人使いが荒いのにもほどがあるわよ」
「ウォーレンたちでは難しいだろうがあなたならできるだろうと思ったから頼んだ。それに先日ラロシェルで買い物させたのはパンプキンヘッドの強化のためだけじゃない」
「あら、そういう言い方をするのならあたしは解放軍のお金は1ゴートも使ってないわよ。確かにあなたの言うようにいろいろと買い物もしたけれどね。だけど、あなた相手に大人げないこと言うのもおもしろくないから、ここはあたしが折れておいてあげるわ。夜まで待ってちょうだい。それでいいかしら?」
「わかった。無理を言ってすまない」
「しおらしいこと言わないの。どこか悪いのか心配になるじゃないの」
「そんなことはない。グレッグと話があるから、そちらが終わったら来てくれ」
「そんなに長いの?」
「皆の命がかかっている。場合によっては徹夜だし、魔術師は全員集める」
「ずいぶんと深刻そうな話ねぇ。でも睡眠不足は美容の大敵よ。そんなに遅い時間にあたしが行くなんて期待しないでね」
トリエステの北門を占拠した解放軍はそのまま町の外に野営地を設置した。人数が増えると野営地の広さも単純に倍というわけにはいかなくなる。カストロ峡谷までは大した問題にはならなかったが、マラノへ近づくにつれてだんだんと設置する場所を選ばなければならないようになっていた。
もはや解放軍の規模は安易に宿舎などを借りられるようなものではなくなっていた。逆に野営地は人海戦術で素早く広げられるという利点があった。
野営地を設置する慌ただしさを脇にグランディーナはギルバルドから報告を聞いた。同席したカノープスと口を揃えたのはトリエステの守りの薄さで、いくら結婚式を控えているとはいえ、ギルバルドはゼノビア時代のアプローズを比較に出して不審を口にする。
「これは何か裏を感じます。アプローズ男爵という人物は領主として残虐なところはありましたが愚か者ではありません。自分の結婚式を控えているからといって浮かれているとも思えないのです」
「じゃあ、何だ、奴はポグロムを再現しようとしているとでも言うのか?」
「それもその場しのぎではなく、用意周到な罠を仕掛けているだろうということだ。あるいはこちらの考えすぎで単に周辺都市の守りはそれほど重視していないということかもしれない」
「罠があるのは、あなたの推測どおりだが、それがどんなものかわかっていない。これから魔術師たちと話し合うが、あなたたちは予定どおり、ほかの六都市を落とせ。アプローズが単に周辺都市を重視していないというのならそれもけっこう」
「わかりました」
グランディーナは急ぎ足でその場を去った。
「カノープス、明日以後の話をするからライアンを捜しに行こう」
「上の奴のがよく働くのは解放軍じゃあ常識になりつつあるねぇ」
「自ら動かぬ者にはついていかないのが、おぬしの信念ではなかったのか?」
「だから、俺がおまえと同じ立場に立たされたら同じだけ働かなきゃならねぇだろうが? ライアンを呼びつけるとか、ほどほどにしといてくれねぇか?」
「期待しているぞ」
滅多に笑わぬギルバルドが声さえあげたので、近くにいた者は何事かと振り返ったほどだった。
トリスタン皇子一行がジャックの馬車で送られてきたのは、夕方になってからだ。辺りはかなり暗くなり、例によって夕餉(ゆうげ)の煙が野営地には漂っている。
「殿下、大したもてなしもできませんが、どうぞこちらへいらしてください」
「君は?」
「マチルダ=エクスラインと申します。解放軍では主に治療部隊を預らせていただいております」
「それは頼もしいな、マチルダ。万が一の時にはよろしく頼むよ」
「はい」
アッシュ、ヨークレイフ、ランスロットはそのままマチルダとトリスタンについていったが、ウォーレンを見かけるとマチルダの影にいたアイーシャが急いで声をかけた。
「ウォーレンさま、グランディーナが、来たらケインさまと一緒にグレッグさまのところに来てくれって言ってましたので行ってくださるようお願いします」
「グレッグはどこですか、アイーシャ?」
「ここから行ったら、いちばん奥です。マクレディさま、ゼルさまもお待ちです」
ケインはさも不満そうな顔をしていたが、ウォーレンに促されて、しぶしぶついていく。
「ジャックさまにはこちらでお待ちくださるよう、グランディーナが言っておりました」
「可愛らしいお嬢さん、ご丁寧なお迎えを痛み入ります。あなたも解放軍の一員なのですか?」
話しかけながら、ジャックの手がアイーシャの手を取り、素早く口づける。
「はい。私など、まだまだ若輩者にすぎませんが、できることをさせていただいております」
「若いのにしっかりした娘さんだ。お名前をうかがってもよろしいですか?」
「私はアイーシャ=クヌーデルといいます」
「それはそれは。お母上のことではご愁傷様でした。ここであなたとお会いしたのも何かの巡り合わせでしょう。フォーリスさまの死を悼んで、大陸全土のロシュフォル教会に寄付をさせていただきますよ」
「ありがとうございます、ジャックさま」
彼女は一瞬、躊躇い、言葉を続ける。
「あなたに聖なる父の祝福がありますように」
「ありがとう、アイーシャ殿。あなたとお会いできたことはささやかな喜びとなりましょう」
「ジャック、待たせたな」
「いいえ。あなたをお待たせする罪悪感に比べたら、わたしが待たされるなど些細なことにすぎません」
「私があなたに待たされたことなどなかったと思うが、まぁいい。それで十三人会の方はどうだった?」
「その話はわたしの馬車の中でいたしましょう」
「わかった。
アイーシャ、ありがとう」
「どういたしまして」
2人が馬車に乗ると、すぐに動き出した。並足でゆっくりと北、つまりフラヴィオ方面に向かっている。
「あなたの策を十三人会に話したところ、反対者が4人出ました。どのような策であれ、マラノを戦火に巻き込むのはどうしても嫌だと仰って、解放軍の策には乗れないそうです。ブラスティアス=サンシール殿、カドール=ヴィトゲンシュタイン殿、ウリエン=ランヌ殿、ブラモア・ド・ガニス=スール殿です。何とか会合に出ていただけるよう説得はできましたがね」
「賛成してくれた者はいたのか?」
「こちらも4人いまして、ルーカン=ベルナドット殿、ラモラック=ノルレンドルフ殿、ベディヴィア殿、バリン=ダヴー殿です」
「あとの5人は?」
「様子見、というところでしょう。もちろんトリスタン皇子にはおいで願えるのでしょうね?」
「もちろんだ。ところで、ベディヴィアは除いてもいいだろう。何人がアプローズとつるんでいる?」
「それはベディヴィア殿も入れて全員と言ってもいいでしょう。アプローズ男爵に鼻薬を嗅がせているのは十三人会の方針ですから」
「そうじゃない。十三人会のなかに積極的にアプローズに協力している者がいるはずだ。マラノの自治より自分の地位を上げることにしか興味のない者、帝国と結びついた方が得だと考えている者がいる。それが誰かと訊いているんだ」
「それはわたしにもわかりません。ですが、ここまであなた方が迫っている以上、アプローズ男爵だけに荷担するのは危険だと思います。商人とはどちらについた方が得か、いつでも考えているものですがねぇ」
「アプローズには切り札がある。我々を一網打尽にできる罠があるのならば、損得を判断する天秤がアプローズに大きく傾いても不思議はあるまい。だがその当人は、まさか自分もアプローズの罠の対象だとは思ってもいないだろうがな」
「何ですか、その切り札というのは?」
「あなたはポグロムの森を知っているか?」
「ええ、アプローズ男爵の引き起こした忌まわしい事件ですね。まさか、マラノでそれと同じことをしようとしているのですか?」
「私も魔法のことは詳しくないのでよくわからないが、今度はポグロムの森の比ではないだろう」
さすがのジャックも息を呑んだようだ。
「そのことを言えば、アプローズ男爵についた者が考えを改められると思いますか?」
「さぁ、商人の考えは私にはわからない。だが、その罠が発動すれば、危ないのは我々も同じだ。それを阻止する方法を考えているところだ」
「本当にそんな罠が仕掛けられているのですか?」
「影が1人、命がけで伝えた情報だ。嘘とは考えたくないし、アプローズには罠を仕掛ける十分な時間があった。だがそれでポグロムの森で感じた疑問が解けた。サタンを召還できるほどの賢者が森を焼く炎を止められなかったと言ったのだ。ただの炎ではなかったに違いない。今度の罠はマラノを灰燼に帰すだろう。わからないのはアプローズがなぜ、それほどの危険を冒すのかということだ。たとえ我々を掃討するためとはいえマラノと引き替えにするほどの規模だとは思えない。かといって半端な攻撃では効果がないだろうし、マラノを失えば奴の地位が失墜するのは目に見えているが、こればかりは本人に確認しなければわからないかもしれないな」
ジャックが立ち上がり、扉を開けた。
「トリエステに戻りなさい!」
馬車が止まり、反転する。今度は速歩で走り出した。
「グランディーナ、このまま、トリスタン皇子と一緒にマラノまで来ていただけませんか?」
「トリスタンは連れていってもいいが、私は駄目だ。まだすることが残っている」
「それでは明日の晩、陽の沈むころまでにお二人でフェルラーラのロシュフォル教会まで来てください。十三人会とわたしはそこでお待ちしています」
「わかった」
往きは並足、帰りは速歩のため、馬車はすぐに野営地に着き、グランディーナが降りると即座に発った。
トリスタン皇子の周りにはアッシュやヨークレイフを初めとして大勢の者が集まっている。ランスロットも今日は珍しく雑用をしないで済んだ。
グランディーナはトリスタンだけを呼びつけた。
「明日は私とあなたはフェルラーラへ行く。十三人会と話し合いだ」
「忙しそうだが、何か手伝おうか?」
「あなたに手伝ってもらうことはない。皆と話し込むのは勝手だが、明日の話し合いであなたに寝ぼけ眼でいられては困る。それだけだ」
言いながらグランディーナはもう背を向けている。
「わたしも君が心配するほど柔ではないつもりだが、気をつけよう」
トリスタンは笑って答えたが、グランディーナが立ち去るとバーンズ=タウンゼントが憤慨して誰にともなく言った。
「皇子に対して何て態度だ。彼女は礼儀というものを知らなさすぎる」
「でも彼女が誰にでもあのような話し方をするのは、いまに始まったことではありませんし、敬称をつけて呼ぶこともほとんどありません。私が覚えている限りでは彼女が敬称をつけたのは、ロシュフォル教会の大神官フォーリスさまだけですわ」
「彼女はフォーリス殿のことを知っているのか?」
トリスタンの問いにマチルダは頷いて続けた。
「かなり親しかったようなのですが、自分のことは話したがらないので事情はわかりません」
「フォーリス殿はガレス皇子に殺されたそうだな? わたしがアヴァロン島を離れてすぐだったとか」
「私たちがアヴァロン島に着いた時にはもう手遅れでした。ガレス皇子は倒しましたが、フォーリスさまはお戻りにはなりません。でも解放軍にはフォーリスさまのお嬢さまがいらっしゃいますわ、殿下」
「それは本当か? 会わせてくれないか?」
「かしこまりました」
先に立ったマチルダにトリスタン皇子だけでなく、アッシュやヨークレイフ、ランスロット、バーンズまでついていき、一同はぞろぞろと動いたが、これには遠慮した者も少なくなかった。
だが、実はマチルダが夕食後のアイーシャの行動を知らなかったので、野営地の中を練り歩くことになり、見つかった時には彼女はデネブの隣で何やら熱心に書き物をしているところだった。
もちろん2人だけではない。グランディーナのほかにウォーレンやケイン、グレッグ=シェイク、マクレディ=ホルツェンドルフ、ゼル=フリードリヒがいる。
「何の用だ?」
「トリスタン皇子がアイーシャさんに会いたいと仰せでしたので、探していたのです」
アイーシャは書き物の手を止め、さも驚いたように顔を上げた。彼女は立ち上がってトリスタンに近づく。
「初めてお目にかかります、トリスタン皇子。私がアイーシャです。どのようなご用事でしょうか?」
「わたしはマラノに来る前にあなたの母上にお会いして励ましていただいたことがある。この戦いが終わり、ゼノビア王国の復興という大願がかなったら、フォーリス殿にもう一度会ってお礼を言いたいと思っていたが、まさかあのような亡くなり方をするとは思わなかったのだ。娘のあなたが解放軍にいると聞いたので、お悔やみの言葉を伝えたかった」
「ありがとうございます、トリスタン皇子。大願の成就をお祈りいたします」
「ありがとう、アイーシャ」
トリスタンは微笑んで、彼女が書き物に戻ったのを見送るとその場の面々をひととおり見渡した。彼にはグランディーナに、ウォーレン、アイーシャ、ケインしかわからない。
「君たちは何をしているんだ? わたしがいては邪魔かな?」
「口を挟まないのなら、あなたたちがいてもかまわないが、ただの好奇心で口を挟んだら追い払うぞ」
「わかった」
トリスタンは笑って答え、焚き火の傍らの適当な場所に腰を下ろし、ほかの者も倣ったが、突然ケインが立ち上がり、グランディーナの肩に手を置いた。
「皇子に何て口の利き方だ。即刻、訂正してくれ。それにあなたに話したいことがあると言ったのも、うやむやなままにしているじゃないか」
それで皆は黙り込んだが、彼女は振り返りもせずに彼の手を払いのけた。
「そんな話は後にしろ。それに私は野営地に戻ったらつき合うとは言ったが時間があったらとも言った。いまはあなたたちにしてもらっている実験の方が優先だ。文句を言う暇があったら、さっさと手を動かせ」
「後まわしにできないから言っているんだ」
グランディーナが振り返ったのと、急いで立ち上がったトリスタンがケインの両肩をわしづかみにしたのとほぼ同時だった。
「待ってくれ、ケイン。そのことで話がある。こっちに来てくれ」
「しかし、トリスタン」
「いいから、さぁ!
皆は話を続けてくれ」
皇子と従者がいなくなるのをその場のほぼ全員が見送った。ランスロットはうかがうようにアッシュの顔を盗み見たが、元騎士団長の表情は変わらない。声の聞こえないところまで離れた2人を黙って見ている。
グランディーナ1人が皇子も従者も無視していたが、皆がそちらに気を取られていることを特に怒鳴りつけることもなしに冷静な眼差しを向けている。
そこへ皆の注目を集めているとも知らずにトリスタンがケインを連れてきた。彼はグランディーナのもとに直行すると、頭を下げた。
「何の真似だ?」
「わたしの従者が君たちの話し合いを邪魔するようなことがあってすまない。主人としてお詫びする」
「詫びなどいい。あなたたちがするべきことをしてくれれば、私のことをどう思おうと問わないし気にもしない。下手に言葉を尽くすくらいなら行動で示せ。だが詫びると言ったからには働け。無駄飯食いを置いておくような余裕は解放軍にはない」
「心得ておこう」
ケインが再び魔術師たちに混じり、トリスタン皇子もその場に残ると、アッシュが1人ひとりの名前と簡単な経歴を紹介しているのを同様に知らないヨークレイフと、ほとんど全員知っているはずのマチルダやバーンズも思わず耳を傾けていた。
そのうちにグランディーナがその場を離れた。トリスタンが彼女の占めていた場に来て、ケインたちが何をさせられているのか見に来たが、5人が熱心に地面に円だの見たこともない模様だのを事細かに書き込んでいることだけしかわからない。
見ているうちにグランディーナが戻ってきた時には夜もだいぶ更けていた。デネブなど大あくびをしてアイーシャの膝枕を決め込んでいるし、トリスタン皇子も含めて皆が眠そうな顔だ。
「マクレディ、今晩の夜番はフィロウに交代させた。ゼルもマンジェラに交代するよう伝えた。その話が終わったら休め」
「わかりました」
考えてみたらとっくに夜番の立つ時間だった。静かになった野営地はほとんどの者が就寝した証でもある。
「その話し合いはいつまで続くんだ?」
トリスタンの疑問は当然だったが、グランディーナは意に介さぬ顔で答えた。
「明日はフェルラーラに行くが、その前に確認しなければならないことだ。徹夜だろうが終わるまで続けてもらう。だが、あなたたちがそれにつき合うことはない。適当に休め。
アイーシャ、あなたもだ」
「そうね」
デネブが起き上がる。
「続きはまた明日にしましょ。夜更かしは美容の大敵よ」
「わかりました。デネブさん、また明日、続きを教えてください。
皆さん、お休みなさい」
「あたしはいつでもかまわないわ」
アイーシャは去ったが、デネブはその場に残るようだ。魔女は傍らに置いたとんがり帽子を角度にこだわりつつ、かぶり直す。
「わかった、わたしも休もう。君たちの話を聞いていたいのはやまやまだが、わたしが休まないとアッシュたちをつき合わせてしまいそうだからな」
「そんなことはありません、殿下。徹夜は老体には堪えます。わしは休もうとしていたところです」
「気にするな、アッシュ。
皆も行こう」
トリスタンの誘いにアッシュのほかに、マチルダとバーンズ、ヨークレイフが従った。
1人、その場に残ったランスロットを置いて、グランディーナと魔術師たちの話が再開される。
トリスタンたちと入れ替わるようにアラディたちが戻ってくる。彼らが野営地にいるのは珍しいことだ。何があったのか訊こうとして、ランスロットはウォーレンが話し始めたので、そちらに気を取られた。
「結論から申し上げれば、マラノ全体を焼き尽くすことは可能だと思います。相当大がかりな仕掛けになりますが、アプローズ男爵がマラノの領主になって20年以上経ち、十三人会の協力もあったようですし、このような罠を町中に仕掛けるのも、たやすいと考えられます」
ウォーレンが立ち、皆がランスロットと同じくらいの位置まで下がる。その眼差しはどれも真剣で、彼も思わずウォーレンの動きを注視した。
老占星術師の前には一束の粗朶(そだ)がある。地面には円が描いてあるようだが、粗朶が置いてあるのでよく見えない。
その時、短い呪文とともにウォーレンの指先から小さな火の玉が飛び出した。
粗朶に燃え移った炎は舌を枯れ木に這わせていたのもつかの間、不意に最初の火の玉より大きな火柱となって燃え上がった。
「ウォーレン殿、お下がりを!」
ケインが素早く引っ張り、火柱はウォーレンの立っていた場所まで届いたが、燃料の粗朶が燃え尽きてしまったため、じきに沈静化した。
「ありがとうございます、ケイン」
「いいえ、大事なくて幸いでした」
グランディーナが燃えかすを踏みつぶし、元のような輪ができる。彼女はいつの間にか靴を履いていた。
思いも寄らぬ場に立ち会ったランスロットは、いまの実験に眠気も吹っ飛んだ。
「さて皆さん、いまのがいちばんよく知られている魔法陣の効果です。魔力の増幅が主な用途ですが、ご覧のようにファイアーボールでもファイアウォールに匹敵する威力を得ることができます。実戦で使われない理由は1つ、魔法陣を描くのに時間がかかりすぎるので素早く対応できないからです」
「その魔法陣の大きさと描くのにかかった時間はどれくらいだ?」
「直径1バス(約30センチ)の円ですが、描くのは皆さんのご協力をいただいても1時間ほどかかりました。あなたがポグロムの森で会った賢者ポルトラノ殿という方は直径30バス(約10メートル)ほどの魔法陣を2時間ほどで描かれたと聞きますので相当な力と知識をお持ちの方と思われます。わたしでは1日以上かかりましょう」
「マラノはゼテギネア最大の町だ。広さはおおよそ70平方バーム(約70平方キロメートル)あるが理論的にはできるということだな」
だがグランディーナの言葉に誰も頷かない。彼らの話が行き詰まっていることはランスロットにもわかる。
「それでどうするの、グランディーナ? 状況証拠ばかり集めたって灰色は灰色のまんまよ。あなたのお友だちから何も聞いてないの?」
「罠のことを聞いたのは今日になってからだ。それにジャックたちには明日も会う。あと6日か」
ケインがウォーレンに何のことか確認すると、
「ラウニィー殿とアプローズ男爵の結婚式がです」
という返事だった。
突然グランディーナが立ち上がった。
「皆は休め。私はアラディと出かけてくる」
「よろしいのですか?」
「デネブの言うとおり、これ以上、ここで話していても埒(らち)があかない」
「どこへ行くんだ?」
「今回あなたはついてくるな。アナトリアのような身代わりは要らない。こんな時間では見つかるわけにはいかない。それとここにいる者にはマラノ攻めに加わってもらうのでそのつもりでいろ。行くぞ」
そう言われてまで無理についていくわけにもいかず、ランスロットは居心地悪く腰を下ろす。もっともそう感じたのは彼の早とちりかもしれない。
「まったくいつも元気ね、あの娘(こ)は。あたしはもう休むわよ。睡眠不足はお肌の大敵なんだから」
デネブが大あくびをしながら席を外したのを皮切りにランスロット以外の者が皆、思い思いの休憩場所に移動していった。それはふだん、共に行動することのない影たちも同様だ。
「あれを聞かれていたとは思わなかった。彼女も大した地獄耳のようだな」
置いていかれたことを感傷的になってもしょうがない。細くなってきた焚き火を消して、ランスロットもようやく寝に就いたのであった。
翌炎竜の月20日も朝からよく晴れ上がった。この時期は天候が安定していることが多いのだ。
そして解放軍の約3分の1ずつと半数ずつの魔獣を率いて、ギルバルドとライアンがトリエステを発った。ギルバルドは街道をしばらく南下し、東南のサンベルナールとモンスニーラへ、ライアンは街道を西進し、ウージネやモンファルコーネ、西南のシャモニーへ向かうことがグランディーナには伝えられている。
さらに残りをカノープスが率いてパドバを攻めることになっていたが、それはすなわちマラノ攻めの面子でもある。
その一方でケインもアラディに連れられて早々にグリフォンで出かけた。従者の行く先はトリスタンも知らず、グランディーナに訊ねれば、
「マラノに出かけた」
とにべもない言い方だ。
当の彼女は赤銅色の髪を地味な茶色に染めていたので、驚かない者などいないほどだ。
「ところで解放軍にはいま、何人いるんだ?」
「あなたたちが来たから101人と魔獣が21頭だ。話し相手が欲しいのならばアッシュかランスロットに頼め。私は忙しい」
「彼らではわたしの知りたいことを知らない。だから本人に訊ねている」
「私個人のことなどあなたに話す義理はなかろう。私はあなたの臣下でもない。マラノのことがなければ、あなたを迎えに行くつもりもなかった」
「わたしもただの好奇心で君のことを訊ねているのではないよ。ここまで解放軍を率いて戦果を上げてきた君の実績を疑うものではないが、君という人間に信頼が置けない。だから君個人のことが知りたいと思ったのだが教えてもらえないか?」
グランディーナがここで初めて顔を上げた。彼女とトリスタンは列のしんがりを歩いていたが、2人の話に耳を傾けていた者たちが慌てて顔を背ける。
「ここでするような話ではない。マラノ攻めが終わるまで待てないのか?」
「フェルラーラで十三人会に会う前に聞いておきたいんだ」
彼女の足が止まり、トリスタンも立ち止まったが残りの者は進み続ける。
グランディーナが話を再開したのは声が聞こえないところまで皆が離れてからだ。
「私の正体とゼテギネアの未来を天秤にかけるつもりか。あなたが自己満足以外に何を得られるのか聞いてもいいか」
「ほかならぬ君が率いている解放軍がゼテギネアの未来を担う者たちだ。君が解放軍のリーダーであり続けることはかまうものではない。わたしも最初からそのつもりはなかった。だがわたしはこの戦いの後に残される大陸の再建を負わねばならない。それがわたしの役割だと理解もしているよ。ただ疲弊しているのは国土ばかりじゃない、人も、何もかもだ。ゼテギネアの再建を負わされる者としては君がいかなる人物でこの先どのように帝国と戦っていくつもりなのか、解放軍に加わらない者、敵対する者をどのように扱うつもりなのか知る義務があると思う。そうもしないで、わたしが十三人会に戦後の保証をするなどおかしな話だと思わないか?」
「そういうことならば、ここで話す。だが私も、あなたのことを少し甘く見ていたようだな」
「甘く見られる方が人は思わぬことまで話してくれるものさ。そうでなくてもわたしも神帝グランの血筋のおかげで色眼鏡で見られることも多いのでね。だが、君はそうではないようだな。それに必要最小限のことしか話してくれないことも多いと聞く。いま君と戦っている者たちはいいだろう。君の強さも君の戦い方も、あるいは君自身をじかに知っている。だがそうでない者は結果でしか解放軍のことは判断しないだろうし、解放軍とはすなわちリーダーの君以外にはあり得ない。いくらわたしが解放軍として表に出なくても君にあまり好き勝手をやられては後々、都合も悪いんだ。わかるだろう?」
「そういうことならば、大して答えられることもないと思うが、何が訊きたい?」
[ − 戻 る − | − 続 く − | 目 次 ]
[ トップページ | 小 説 | 小説以外 | 掲示板入り口 | メールフォーム ]