Stage Seven「皇子」
「グランディーナ、無事だったのか!」
解放軍の野営地にたどり着くなり、血相を変えたランスロットとカノープスがすっ飛んできた。遅れて、アラディとケインも近づいてくる。
「フェルラーラのロシュフォル教会に行ったら、帝国に押さえられていたのでこちらに戻ったのです」
「皇子はどうしたんですか?!」
「トリスタンはフェルラーラに残した。十三人会のなかにアプローズに密告した者がいたんだが、ジャックが機転を利かせてくれてリニュ家に行った」
ケインが力なく座り込んだ。
「我々もロシュフォル教会の側まで近づいて待ち伏せされているのがわかった。心配させたな」
「いえ、皇子がご無事ならいいんです」
「それで成果はあったのか?」
「ええ、罠は二重三重に仕掛けられていて、1つ外しても足りるものじゃありません」
「場所は示せるか?」
地図を渡されるとケインはすぐにフェルラーラ地区に何ヶ所かの印を書き込んだ。アラディが補足するが、2人とも地名の二重の書き込みについては突っ込まなかった。
「物は?」
「すみません、入手できませんでした」
「謝ることはない。あっても十三人会全員は説得しきれないだろう。罠についてウォーレンやデネブには確認したのか?」
「ウォーレン殿にだけおうかがいしました。ここで報告しますか?」
「いや、彼には私から訊く。
それよりアラディも昨日からご苦労だった。2人とも休め」
アラディとケインが去るのを待たずに彼女はカノープスに向き直った。
「パドバの様子と帝国兵は捕獲できたか?」
「できたけど、いまは寝てる時間だ。パドバも特に問題はねぇし、ギルバルドとライアンからも報告は入ってきてない。おまえも休んだらどうなんだ?」
「ウォーレンは?」
「じじぃは夜番の担当じゃない。寝てるに決まってるだろ。こんな時間まで起きてるのは俺たちと夜番くらいなもんだ」
「わかった。私も休む」
「おまえと皇子を待ってて、俺たちまで徹夜するところだったよ」
「それは悪いことをしたな」
グランディーナが素直に立ち去ったのを確認して、ランスロットとカノープスはどちらからともなく安堵のため息をもらした。
「何だ、おまえもか」
「君だってお互い様だろう」
「あれは俺の作戦勝ちだ。いくらあいつだって用事がなければ休むしかない。帝国兵はとっとと見張り付で休ませたし、ウォーレンが夜番でないのもギルバルドたちのことも本当だ。嘘は言ってねぇぜ」
「それなら我々も休むとしようじゃないか」
「まったく、あいつといると退屈しないのはいいが、こっちの体力がもたねぇと思う時があるぜ」
カノープスの言い分にランスロットも苦笑いするしかなかった。
「あれがパドバの守備隊長だったという騎士か?」
「奴とは俺が戦ったから顔を覚えてたのさ。怪我してて逃げ遅れたってのもあるらしいが、手当てしてやったから昨日よりも元気になったろう。で、奴に何の用なんだ? 言っておけば訊いておいてやったのに、おまえにしちゃ、手落ちだったな」
「アプローズのことを聞いておきたい。ラウニィーの言っていたことが引っかかっている」
「何かおかしいってあれか。わざわざ気にするようなことか?」
「理由はわからないが気になる。そんな曖昧なことをあなたに訊かせるわけにもいかなかったろう? それにギルバルドのアプローズ評も考えると、ますますマラノに仕掛けた罠の意味がわからなくなった。ならば、アプローズと話したことのある者に確認するのがいちばん早い」
「解放軍を倒すためじゃねぇのか? それにポグロムの森で同胞をあれだけ殺した奴だ、その功績でいまの地位を手に入れたのなら、ここでマラノごと解放軍を一網打尽にしちまおうと考えたっておかしかねぇだろう?」
「ポグロムの森とマラノとでは帝国にとっての重要さは比較にならない。森1つ全焼したところで痛くもかゆくもないが、マラノを壊滅させても帝国が得るものは何もないはずだ。アプローズのやりたい放題にさせておく理由もない」
「わからねぇな。じゃあ、アプローズは何のためにマラノに罠を仕掛けたんだよ?」
「それを知る鍵がないか、彼に訊くつもりだ」
捕虜の見張りはアレック=フローレンスとフォーダム=ボアローがしていたが、縛られているわけでもないし悪い待遇でもない。それが逆に居心地悪そうな顔である。
「彼に話がある。2人とも席を外してくれ」
「ご苦労だったな」
1人だけ残されて騎士は緊張した表情になった。彼にとっては運の悪いことに足を怪我していて、逃げ出す恐れはほとんどないようだが、ランスロットとカノープスは念のため、彼の背後に立った。
「あなたに訊きたいことがある。素直に答えてくれればすぐに釈放する」
「それはありがたいな。戦はもうこりごりだ。マラノに配属された時に運がいいと喜んだが逆だった。アプローズ男爵がああいう人物だと知っていれば、マラノになど来なかったものを」
「私が知りたいのも、そのアプローズについてだ。だが順に片づけよう。まず、あなたの名は?」
「これは意外なことを訊かれたな。身代金を取ろうにも大した家ではないぞ」
「他意はない。話をするのに、あなたの名も知らないのでは話しづらいと思っただけだ」
「これは失礼した。コールマンだ。コールマン=タルピダエ」
「それではコールマン、あなたたちのその士気の低さは何に起因するのだ? アプローズの命令か? それもアプローズ自身に起因するものか?」
「男爵はマラノに罠を仕掛けたと言った。だから周辺都市の守りなど、どうでもいいと言うんだ。だがマラノを防衛するには周辺都市の守り、特にパドバを重視するのが当然だ。そんなことは素人にだってわかることだ。けれど、わたしがそう言ったら、男爵には鼻で笑われたよ、『これだから剣を振ることしか能のない輩は困る。魔法の罠を使えば、もっと効率よく大勢の人間を殺せる。パドバでもトリエステでも反乱軍にくれてやるがいい』と言うんだ。これで士気の上がる奴がいるのなら、お目にかかりたいね」
「あなたの言い分はわからないでもないが、アプローズが『もっと大勢殺せる』と言った意味は考えなかったのか?」
「え? そう言われれば、あの時はそれほど意識しないで聞いていたが、とんでもないことを言ってるんだな」
「それにあなたはアプローズがあんな人物だったらと言った。その理由も説明してもらおう」
コールマンはそう言われたことがよほど意外だったような顔をした。
「あれはそれほど深い意味があるわけじゃない。ただアプローズ男爵に初めて会った時にすごく嫌な感じがした。あの人ならば、『大勢殺せる』なんてことを言ってもおかしくないと思ったから、気にも留めなかったのかもしれないな」
「奇遇だな。あなたと似たようなことを言った者が解放軍にもいる」
「誰だ、それは? 守備隊で反乱軍に加わった者などいるのか?」
今度はコールマンは、そのことがそれほど意外そうでもない顔だ。
「あなたの仲間ではないが、安全のため、マラノ攻略が終わるまで正体は明かさない方がいいだろう。だが聞いた話がいささか曖昧だ。あなたもそうなのだが、もう少し詳しく話してもらえると助かる」
「そう言われてもほかに似たような例を思い浮かばないからな。何と言えばいいのか」
「それでは思いつくまで、ここで考えていてくれ。
私は先にウォーレンの話を聞いてくる」
「本気で言ってるのかい?」
グランディーナだけが去り、コールマンは残った2人に訊ねたが、カノープスに言わせればそれは愚問というものであった。
「昨日はずいぶんと遅いお帰りだったようですね」
アルマアタでの予告どおり補給部隊から外れたウォーレンは1人になって気楽に過ごしているようだ。ゼノビア王国の残党をまとめていたという実績の割に、ランスロットと違って孤独を好む性格なのである。
「ケインから話を聞いているだろう? あなたの見解を聞きたい」
「原理はおわかりでしょうが、あのような魔法陣がマラノ全体に二重三重に仕掛けられているようです。わたしの見解など申し上げるまでもなく、炎1つでマラノ全市がポグロムの森以上の惨劇に巻き込まれるのは確実でしょう」
「それを止める手段はあるのか?」
「最初にアプローズ男爵側に魔法を唱えさせないことです。6地区に少なくとも魔法使いを4人から5人ずつ配置し、何らかの合図で一斉に魔法を唱えるものと思われます。この1撃目か2撃目の魔法を止められなければ我々もマラノとともに焼かれましょう。地図はありますか?」
グランディーナが渡すと、ウォーレンは外門にいちばん近い印を指した。
「たとえば、こことここは別の魔法陣だと思います。さらにこれも。これらの魔法陣にそれぞれ1人ずつ魔法使いを置けば結果はお話しするまでもありません」
「厄介だな。1人2人の魔法使いを倒したところで罠の発動は止められないということか」
「ですが、罠が発動すればこの魔法使いたちも巻き込まれるのは必然です。アプローズ男爵はそこまで残虐でしょうか?」
「そうとしか考えられない。なぜかはわからないが彼は罠を発動させたがっている。それなのにこちらはマラノ側の協力を得るのに手間取っている有様だ」
「それで殿下はマラノに残られたのですか?」
「それだけでもないがな」
「これからどうされますか?」
「私はまたマラノに戻る。今日は帰らないかもしれないが、留守のあいだは頼む」
「承知しました」
「思いついたか、コールマン?」
「おまえ、そんなことを言ったって、あれから大して経ってねぇぞ」
「私もそれほど時間がない。十三人会とトリスタンをマラノに待たせたままだ」
カノープスは肩をすくめた。
「わたしもあまりうまく言えないのだが、アプローズ男爵から感じたのは彼がことあるごとに物騒なことばかり言うってことだ。殺すだの壊すだの、周りの目を気にせずにそういうことを口にする。あんまりこういうことは言いたくないんだが、性格破綻者というのかな、何しろ話を聞かされているこちらまでおかしな気持ちになってくる。まるで反乱軍、ああ、君たちは解放軍と言うのだな。そう、解放軍を倒すためだったらマラノなんかどうでもいいような言い方もするんだ。いや、解放軍でも見物客でも罠にかけられるならば誰でもいいようだ」
「アプローズがラシュディに師事して魔法を学んだというのは事実か?」
「よくそんなことを知ってるな。本人に確認したわけじゃないが確からしい。噂ではラシュディに師事したんじゃなくて魔力をもらっただけなんて話もあるが、あれだけ自慢するんだからけっこう強いんだろうな」
「わかった。いろいろ参考になった。
ランスロット、彼に食糧と旅に必要な荷を譲ってやれ。私はマラノに戻る」
「そんな話でいいのかい?」
コールマンばかりかランスロットとカノープスも驚いたが、グランディーナは走っていってしまった。
「なぁ、どこかで見たことあると思ったんだけど、彼女って何者なんだい?」
「そんなことも知らねぇで話してたのか。おまえさん、意外と大物になれるかもな」
「彼女は我々のリーダーだ。どこかで見たことがあるのは手配書のせいだろう」
「なるほど」
「君さえ良かったら解放軍に来ないか? 元帝国軍だろうと我々はいつでも歓迎する」
「いいや、わたしはやはり故郷に帰って漁業を手伝うことにするよ。わたしはライの海のウォーレアイの出身なんだ。もう二度と会うこともないだろうが、もしも近くに来ることがあったら寄ってくれれば歓迎させてもらうよ」
「ライの海とは遠いな。気をつけて帰ってくれ」
「ああ、わたしもあなたたちの武運を祈らせてもらうよ。それじゃあ!」
コールマンが手を振ったのでランスロットも振り返した。マラノからライの海までどれぐらいかかるのか彼には見当もつかない。アラムートの城塞を通り、その先の行程はどうなっているのか、解放軍もいずれ向かうことになるのだろうが、グランディーナはマラノの次の目的地は話していない。
「なぁ、気づいたか?」
「何だ、カノープス。いたのなら手ぐらい振ってやれば良かったろうに」
「俺もそれどころじゃないんでな。奴が故郷に帰るのならそれでいいじゃねぇか。まだまだ戦わなきゃならん俺たちには関係ねぇ話だ、そうだろう?」
「それもそうだが、気づいたって何に?」
「言わなきゃわからんようならいいよ」
「コールマンの話に彼女が顔色を変えたことか?」
「わかってんじゃねぇか。まぁ、そういうこった」
「訊く間もなく彼女はマラノに行ってしまったんだ。だが、ラウニィー殿がアプローズについて話していた時、真面目に聞いていたのは彼女ぐらいだったからな。何かわかったなら、話してくれればいいんだが」
「そういうことを簡単に話すたまじゃねぇからな」
「だが結婚式まであと4日だ。そろそろ具体的な話があってもいいころだと思わないか?」
「ああ。みんながみんな、俺たちみたいに物わかりがいいってわけじゃねぇんだからな」
「まったくだ。それにしてもラシュディの弟子は公式には3人と聞いていたがほかにも大勢いそうだな」
「賢者殿は意外と面倒見がいいってことなんじゃねぇの?」
「何を呑気なことを言ってるんだ。アプローズ男爵の魔力がどれだけのものか知らないが、皆、我々の敵ばかりだぞ。この先、どうやって戦うんだ?」
「魔法のことを俺に訊くなって言ってんだろうが。あいつが考えているさ。そうでなかったらウォーレンでもデネブでも専門家はいるだろう?」
「そうならばいいんだがな」
確かにバルタンのカノープスは魔法のことはさっぱりわからないようだ。だが傭兵として諸国を巡ったランスロットは魔術師を上回る魔法使いの存在を知っている。いずれ見(まみ)えるであろう賢者ラシュディのことを思う時、現在の解放軍には彼に匹敵する、とまでは言わないまでも強力な魔法使い、妖術師が存在しないことを彼は案じずにいられないのである。
「トリスタン皇子、彼女は戻っていませんか?」
「何のご用だろうか?」
一度も自分の意見は言わなかったが、ブラモア・ド・ガニスと内緒話ばかりしていたから彼もよく覚えている。金髪の気弱そうな男、カドールだ。
「いえ、実は、彼女にちょっと訊きたいことがあったのですが」
「まだだが、戻ったら、カドール殿の部屋に伺うよう伝えよう」
「い、いや、そこまでしていただくには及びませんよ。お邪魔しました」
彼にとって残念だったのはグランディーナがそれからじきに来たことだ。
「十三人会はどうしてる?」
「今日はまだカドール殿に会っただけだな。何だったら彼の部屋に行ってみたら?」
「罠の話を聞いて臆病風に吹かれただけだろう。わざわざ聞く必要などあるまい。それよりも十三人会全員と話す方が先だ。あなたも一緒に来てくれ」
「何かわかったのか?」
「これは私の推測だが、アプローズの目的はおそらくマラノ市の壊滅だ」
「馬鹿な!」
「だから十三人会のなかで誰が裏切り者だろうとどうでもいいことになった。ラウニィー=ウィンザルフを囮にアプローズのもとに乗り込んで奴を暗殺する。十三人会には最初の予定を伝えるし、予定どおり皆を乗り込ませるがそれだけだ」
「確かにアプローズのしたことはわたしも許せない。だが、こういう言い方をするのはおかしいと思われるかもしれないが、24年前にアプローズがポグロムの森での虐殺を手みやげに帝国に取り入ろうとしたことはわからないでもない。しかしマラノの壊滅は彼にとっても何の利もないはずだ。なぜそんなことを?」
「いまのアプローズはふつうの精神状態ではないらしいとしか言いようがない。アヴァロン島でガレスと会った時にも感じた。バインゴインで帝国軍と戦っていた時、ガレスが現れて人間のいちばん多かったところへイービルデッドをたたき込んだ。当然こちらも被害を受けたが、実際の負傷者は帝国軍の方が多かったほどだ」
「現れてとはどういうことだ? バインゴインの指揮を執っていたのはガレス皇子じゃなかったのか?」
「指揮は執っていない。それまで戦場にもいなかったのが突然、現れてイービルデッドを撃ち、消えた。後日、ガレスとはアムドの手前で再戦したがアッシュたちが言うには鎧だけで中身は何もなく、倒したはずなのにまた現れると捨て台詞を残していったそうだ」
「そうだ? 君は彼らと一緒に戦っていたんじゃなかったのか?」
「私はガレスのイービルデッドを喰らって昏倒していた。後で皆から聞いた話だ」
トリスタンは背筋を冷たいものが流れるのを感じた。ガレス皇子と対峙した話はアッシュから聞いていたが、戦場ではいまのところ無敵の彼女を昏倒させるほどの威力を持つイービルデッドは、自分の知っているどんな攻撃よりも凄まじいものに思えたのだ。
「話が横にそれたな。ガレス同様、アプローズもラシュディに師事して暗黒魔法を学んだともラシュディの魔力をもらっただけとも言われている。2人のすることに共通点があるのはそのせいかもしれない」
「またラシュディか。ゼテギネア帝国について話すと必ずと言っていいほどラシュディの名を聞かされる。帝国が賢者ラシュディ1人でもっているという噂は案外、本当なのかもしれないな」
「事実だろう。そもそも24年前の戦争からして、いくらハイランドが軍事国家とはいえ、総合的な国力で勝る四王国を相手に勝てるはずがない。グランの暗殺、ホーライ王国軍の壊滅、どちらもラシュディの功績だ。オファイス王国は内部分裂したし、最後まで残ったドヌーブ王国も、サラディンがアルビレオに倒されて反帝国の動きは沈黙した。2人ともラシュディの弟子だ。奴がいなければ24年前の戦争は起きなかったと言う者さえいるほどだ」
「我々の戦いもすべてはラシュディに帰するというわけか。避けて通れない相手とはいえ、その力を聞かされるほど、彼と戦うのは気が重い話だな」
トリスタンは嘆息とともにつぶやいたのだが、グランディーナは力強く頷いた。
「奴は私が倒す。あなたにはそう言った」
グランディーナが先に廊下に出て、トリスタンも続いた。
アグラヴェインに話すと、じきに十三人会とジャックが集まったが、昨日のような食堂ではなく客間か応接室のような部屋で、中央にある卓もまん丸だった。
彼女に促されて席に着いたトリスタンは、昨日のようにジャックから十三人会の席次を書いた紙をもらって安堵した。
「グランディーナ殿にはずいぶん早いお帰りのようだが何かあったのかな?」
真っ先に訊いたのはグリフレットだ。さすがに彼とブラスティアスの名はトリスタンも覚えた。
「こちらの状況が多少変わった。炎竜の月24日のラウニィー=ウィンザルフとアプローズの結婚式に蜂起したい。それまでのあいだ、マラノ、マントーパ、ベルチェルリ、フェルラーラ、ボローニャ、モンビーゾの各地区に我々の仲間を数名ずつ匿っていてもらいたい。お願いできるか?」
「喜んで協力させていただこう」
まずブラスティアスとルーカンが頷く。アグラヴェインも同意し、3人の視線がグリフレット、エクトル=ウルムゼル、ボールス=ド・トリーに向けられる。
ジャックのよこした紙片には13人の出身も書いてあったが、どうやらその6人がマラノ市内6地区の出で、グランディーナの要求は彼らの負担となるのだ。だが十三人会のなかではいちばん席次の低いベディヴィアの屋敷でさえ並みの住宅を遙かに凌駕する大きさである。彼よりも高位の3人に場所的に解放軍への協力を断る理由はないはずだが、グリフレットはやはりすぐに同意せず、エクトルとボールスもその意向をうかがっているようだ。
「罠はどうするのかうかがってもよろしいか?」
「罠は回避する方法が見つかった。発動させないですませられる」
彼女があんまり自信たっぷりに言い切ったものだから真相を知っているはずのトリスタンでさえ頷いてしまった。
それは当然13人に見られていたが、彼が頷いたことでグリフレットも意を決したらしい。
「良かろう。そこまで言うのなら、これ以上、協力を断る理由はあるまい。マラノはアプローズ男爵のお膝元だが解放軍に協力するとしよう」
「グリフレット殿がそう仰るのなら、ウルムゼル家としても反対する理由はありませんな」
「ド・トリー家も協力させていただこう」
エクトルとボールスが即座に口を揃えたが、突然、立ち上がった者があった。昨日も堅固に反対意見を貫いたブラモア・ド・ガニスだ。
「皆の衆。解放軍の策になぞ乗せられてマラノを戦場にするおつもりか?! 24年前、マラノの自治と引き換えに帝国に降伏したのはマラノを守るためぞ、このような策に屈するためではない」
「だが解放軍は我々の協力があろうとなかろうとマラノを攻めると言っている。ここは解放軍に協力した方が被害は最小限に抑えられよう」
「愚かなことを! それではただ脅迫に屈しているだけではないか。解放軍などと名乗っているがしょせんは帝国軍と同じ野蛮な輩よ、我らは商人ぞ、戦争なぞ余所(よそ)でやるがいい!」
「あなたはシャモニーの出身だったな?」
グランディーナの声は相変わらず平静だ。
しかし、ブラモア・ド・ガニスも容易に腰かけないでいる。
「そうだ。我がスール家はシャモニーを仕切る名門、その功績は周辺都市とはいえどマラノ6地区の方々に劣るものではない」
「そのシャモニーも明日の昼ごろには我が軍の手に落ちるだろう。幸い、アプローズは周辺都市の守りには興味がないようだ。おかげで守備隊の士気は落ちまくり、我々が攻撃すれば我先に逃げ出す始末だ。シャモニーを最後にマラノの周辺都市は全て解放軍の指揮下に入る。あなたがいくら非戦を叫んでもマラノにおいて解放軍と帝国軍はとうに交戦下にある。戦争は余所でやれだと? あなたたちが忌避してきただけでマラノで戦争は始まっている」
ブラモア・ド・ガニスの両の拳ははっきりと震えている。両隣のウリエン=ランヌとベディヴィアも怒りに震える長老はなだめられないようだ。
「この薄汚い戦争屋め! その調子で何人殺してきたのだ?! これから先、何人殺せば気が済むのだ?!」
「何人殺したかなどいちいち数えていられるものか。これから先もゼテギネア帝国を倒すためならば何人でも殺すだろう。そんなことで立ち止まっていられるか、それが私の仕事だ」
円卓になったので長老の席次はグランディーナの右に2人あいだに置いたところだ。そこから近づいてくるとブラモア・ド・ガニスは怒りに満ちた眼差しで彼女を見下ろし、2人の視線が交錯した。
「それならば、このわしを殺してから話を進めるがいい。わしはてこでも動かんぞ」
彼女が薄笑いを浮かべて立ち上がった。
「私が丸腰だから、できないと思っているのではないだろうな? あなたのような老人など素手で十分、そんなに死にたければ殺してやる」
「待たれよ!」
グリフレットが2人のあいだに素早く割って入った。
「ブラモア・ド・ガニス殿、24年前、あなたのご決断がマラノを救ったことは疑いようもありませんが、どうか、いまは解放軍の策に従ってはいただけますまいか。お二人の覚悟が本気であることは、わたしにもよくわかります。ですが、ここは我々が争う時ではありません。どうか、このわたしに免じて怒りの矛先をお納めください」
「24年前、帝国に降伏した時は、おぬしはわしの決断を腰抜けと罵ったのではなかったか?」
「あの時は若さゆえ、そのような性急な判断もしました。いまはあなたの判断がマラノを救ったことを疑うものではありません。ですが、24年前は帝国に対抗しうる勢力など、どこにもありませんでしたが、いまは解放軍がいます。逆に我々がここで解放軍に恩を売っておかねば、マラノの自治は二度と取り戻せないことになりましょう」
「自治自治、どいつも判で押したように同じことを言う。マラノの自治はマラノ市民の命と引き換えにするほどのものか? マラノの平和と引き換えにするほどのものか? まさか、そこのトリスタン皇子に示された約束を信じているのではあるまいな? 彼はあの神帝グランの息子ぞ、マラノが生み出す巨額の富に目がくらみ、わしらのご先祖が命がけで守り抜いたマラノの自治を踏みにじろうとした男の息子だぞ! そんな奴の言葉が信じられるものか」
トリスタンははじかれたように立ち上がったが、今度は足は踏まれなかった。
「わたしは父とは違う! 父がマラノにどのような難癖をつけたのかは知らないが、わたしはあなた方に交わした約束を破らないつもりだし、あれがただの口約束などとは思ってもいない。それでも信じられないのか?」
彼は隠し持ってきた短刀を引き抜いた。
「ならば約束の証に指でも手でもくれてやる!」
小指のつけ根に刃まで当てかけたトリスタンを止めたのは誰あろう、それまでずっと静観していた〈何でも屋〉のジャックだった。
「およしなさい、トリスタン皇子。ゼテギネア大陸を後々、治めようという方が指が欠けていては格好がつかないでしょう?
それにブラモア・ド・ガニス殿、わたしはこのような事態を招くために解放軍をあなた方にご紹介したわけではありませんよ。マラノの平和を守り、自治を守り抜こうとされる姿勢はご立派ですが、帝国にも降伏されたあなただ、ここは1つ、わたしの顔を立てて、長いものには巻かれていただけませんかねぇ?」
十三人会にとって〈何でも屋〉のジャックという人物がどのような立場にあるのかトリスタンは知らされていないし、彼とは昵懇(じっこん)の間柄にあるグランディーナも知らないらしい。
だが、いかにも柔和な話し方をしていながら妙な圧力も覚えさせるジャックの言い分は十三人会にとって決して軽いものでないことだけは確かである。13人は黙り、グリフレットが無言で皆の顔を見渡す。最後にブラモア・ド・ガニスを見たが、とうとう長老もうなだれるように頷いた。
「十三人会を代表してお詫びする、ジャック殿。もう少しであなたの顔に泥を塗るところであった」
「いいえ、グリフレット殿。ただわたしも肝っ玉が小さいので血なまぐさいことはごめんです。いまのように殺せの殺すだの、指を切るだのという話は勘弁してくださるようお願いしますよ」
「承知している。我々十三人会およびマラノ市参事会は解放軍に協力させていただこう」
「その回答だけもらえれば私は十分だ。あなたたちには我々が武器を持ってマラノに入れるよう便宜を図ってもらいたい。我々はパドバの郊外で野営している」
「承知した。明日にでも迎えに行かせよう」
グランディーナは頷き、トリスタンを誘った。
「後のことを相談したい。野営地に戻ろう」
「お二人とも、わたしはパドバの出身だ。近くまで送らせていただけませんか?」
ラモラックがそう言いながら近づいてくる。
そう言えばグランディーナが彼にした質問はまだ答えられていないとトリスタンは思ったが、予想に反して彼女は首を振った。
「トリスタンと2人で話したいこともある。ご好意だけいただいておく」
「そうですよ、ラモラック殿。このわたしを差し置いて彼女を送ろうなんて抜け駆けは許されません。
さあ、行きましょうか?」
「そういうことだ。失礼する、十三人会の方々」
ジャックがさも嬉しそうな顔でグランディーナと腕を組んで先に部屋を出て行き、トリスタンも2人を追いかけた。
それからジャックの馬車に乗り込むまで3人は無言だったが、馬車が動き出したとたんにジャックが開口一番に言った。
「あまりうまい断り方ではありませんでしたね。それに昨日はあれだけ言っておいてアプローズ男爵と組んでいる方にも言及はなしですか?」
「話しても意味がないからやめた。それに誰が裏切り者か言及するつもりがないのは昨日も言った」
「あなたにしてはずいぶん穴だらけの作戦のように思えますが、まさか十三人会は偽装ですか?」
「そうだ。裏切り者がアプローズにたれ込んでくれれば多少時間も稼げるだろう。こちらはそのあいだにラウニィーを囮にアプローズを直接暗殺する」
「なるほど。アプローズ男爵は賢者ラシュディの力を譲られたとも暗黒魔法を学んだとも言われています。ラシュディがかつてガレス皇子を騎士団長アッシュに化けさせてグラン王を暗殺したように、解放軍も聖騎士殿に化けてアプローズ男爵を暗殺しますか。賢者殿にこの皮肉は通用しないでしょうけれど」
ジャックの指摘にトリスタンはもとより、グランディーナも驚いたように彼を見た。
「それは気づかなかった。そうだな、ラウニィーに本人の役をやらせる必要はないわけか」
彼女がわずかな笑みを浮かべ、ジャックも楽しそうに頷く。
「その役目、わたしにやらせてもらえないか?」
「駄目だ。ラウニィーはあなたより背が低い。アプローズにはすぐにばれる。それに王になる者が暗殺などに携わらない方がいい。あなたは加えられない」
「それではラウニィーの役は誰がやるんだ?」
「彼女がアプローズを討てるなら本人でもいいが、そうでなければ私がやる」
「暗殺とはまた物騒な手段に出たものですねぇ。あなたらしい判断とも言えますが」
「仕掛けられた罠が複雑すぎて解除できないし発動されたら致命的だ。いろいろ考えたがアプローズを殺すのがいちばん早い」
淡々と言い放つ彼女をトリスタンは見つめる。そのやり方は危険だと内なる声が警告している。マラノ解放、アプローズ男爵打倒という大義を掲げながら、やろうとしていることは賢者ラシュディやガレス皇子と大差はない。いずれ解放軍のしたことが白日の下にさらされる時、アプローズ男爵の暗殺という行為は批判されてしまうかもしれない。
けれど、ゼテギネア帝国相手の戦いがきれいごとだけでは済まないことはトリスタンもよくわかっているつもりだ。先のディアスポラ大監獄解放前夜、彼女がアッシュやウォーレンたちに勝つ必然性を説いたことを彼はアッシュから聞かされた。
そう、必要なのは勝つことだ。傍目には無理な戦力差を引っ繰り返し、勝ち続けてみせること、そうしなければ民衆の支持は得られない。民衆の支持や協力がなければ解放軍は帝国と戦い続けることもできない。
そしてその裏で交わされる取引や暗殺などという決して正当化できない行為を、グランディーナは解放軍のリーダーという立場において全て1人で背負おうというのだ。この先、当然、生じるであろう帝国や旧五王国とのしがらみさえも1人で持っていき、自分には疲弊した、しかしまっさらな国土を残そうとしている。
ゼノビアという国を背負ったトリスタンにはとうてい真似のできない覚悟だった。
そう思ったら自然と苦笑いがこぼれた。そんな皇子をグランディーナもジャックも無言で見ている。
馬車はまだパドバに着きそうになかった。