Stage Fourteen「女神」
「トリスタン皇子とケイン、それにヨークレイフがいないというのか?」
ユーリアは頷いた。エレボスで突然、現れたと思ったら、トリスタン皇子が行方不明になったことを報せ、驚いたリーダーたちもグリフォンやワイバーンに乗ってソロンに向かっているというのだ。
「アッシュさまはひどく驚かれて、このことだけでもグランディーナに伝えるよう言われて、私を先にやらせたのですが」
「そのグランディーナ殿も行方不明ときている。サラディン殿、何か良い知恵は浮かびませんかな?」
ケビン=ワルドに話を振られ、皆の注目がサラディンに集まった。
「トリスタン皇子の行方は心当たりがないが、グランディーナはタルト殿によれば天宮シャングリラに呼び出されたそうだ。シャングリラに至るカオスゲートはアラムートの城塞の南方、砂漠のなかにある。そこから戻るのは時間もかかろう。グリフォンを迎えにやるべきだ」
「グリフォンって言ったって、この場合はエレボス以外に考えられねぇし、エレボスだけ飛ばしたってあいつを見つけられるわけもねぇから俺が行くってことでいいのか?」
「兄さんより私の方が速いわ。私が残るより兄さんが残った方が何かと都合がいいんじゃないかしら?」
「何かっておまえ、一人の時に襲われたらどうするんだよ?」
「もちろん逃げるわ。私の役目はグランディーナを迎えに行くことで戦うことではないのだもの」
カノープスとユーリアは睨み合ったが、とうとうサラディンが頷いたので、この問題は、それで決着となった。
しかし、もっと頭の痛い件が残っている。トリスタン皇子がどこへ行ったかということと、グランディーナも皇子も不在のいま、解放軍がどうすべきかということだ。
「クリューヌ神殿には行かない方がいいと思うわ。デニスは四天王最強、戦うことになったらデボネア一人では荷が重いもの」
「ラウニィー殿、そこまではっきり断言されると少し傷つきますね」
名指しされたデボネアは苦笑いしたが、彼女は笑いもせずに続けた。
「デニスはお父様からも3本に1本は取る人よ。私たちの誰が戦っても荷が重い相手だわ。グランディーナがどうするつもりかは知らないけれど何の対策もなしにクリューヌ神殿に行くのは早計に過ぎるわね」
「ではソロンに留まるというのですか?」
「そんなことまで、私が決めるわけにはいかないでしょう? みんなが揃うまで待つか、ほかの人が決めてちょうだい」
ラウニィーが振った話を受けたのはサラディンだ。
「ならば、ここでほかの方々がおいでになるのを待つとしよう。せめて影がいてくれれば皇子の行方もわかるかもしれないがな」
「そういやあ、ミルディンはどうした?」
「彼ならばライの海には来ていないはずだ。セウジト地方で別れたからね」
「あ、そう」
「ユーリア、いま発ってもそれほど進めぬだろう。発つのは明日にするとよい」
「ありがとうございます。支度もありますから、そうさせていただきますわ」
それで引き続きソロン城の近郊で野営を続けることになり、皆は支度を始めた。と言っても、昨日から同じ場所にいるので、することはそれほどない。せいぜい食事の支度ぐらいだ。
するとスティングがデボネアに近づいていった。
「デボネア殿、剣の稽古をつけていただけないでしょうか?」
「わたしがかい?」
「はい。ガルビア半島からずっと同じ小隊にいさせていただいて学ぶことは多いはずなのですが、なかなか上達しません。是非一度、お願いします。いえ! お疲れだったら、またの機会でいいのですが」
彼が申し出を引っ込めかけたのはノルンに睨まれたからだが、デボネアはすぐに応えた。
「そんなことはないさ。君たちがやる気なのに、わたしだけ疲れたなんて言えないよ。教えるなどおこがましい。わたしの方こそ君たちから学ばせてもらいたいな」
「是非、よろしくお願いします!」
スティングが喜び勇んで走っていったのを見てデボネアは立ち上がった。
「クアス、あなたは働き過ぎだわ。どうせ明日も移動なのだから今日はゆっくり休むべきよ」
「君は四天王を見くびるのかい? あれぐらい戦っただけで休むなんて言ったらフィガロにも怒られてしまうよ。それほど怪我をしたわけでもないんだ。せっかく彼らがその気になっているのに水を差すような真似ができるかい?」
「大丈夫よ、ノルン、私も参加するから。なんだったら、あなたは救急部隊として待機していて。怪我人の1人2人くらいは出るでしょうからね」
「ラウニィーさままで、そんなことを仰って」
すると彼女はノルンに、こっそりささやいた。
「本当はね、少し悔しいの。あのままデニスに会いに行かずに済んだことを安堵してしまったのが悔しいのよ。だから今日は本気でやらせてもらうわ。あなたが待機していてくれたら安心なのだけれど?」
「わかりました。でも、ほどほどになさってくださいね」
「任せて!」
ラウニィーが加わると日頃、彼女に羨望の眼差しを向けているポリーシャ=プレージたち槍騎士も稽古をつけてもらおうと参じたので一帯はすっかり賑やかになった。
「どうした、君が仲間に入らないなんて珍しいじゃないか」
ランスロットはカノープスの肩をたたいた。
「俺が入ったら主役をかっさらっちまうじゃねぇか。せっかくデボネアがやる気になったんだ。ここは譲ってやるさ」
そう言ってカノープスが皆の打ち合うさまを眺めたのでランスロットも、そちらに目をやった。
「まぁ、もうひとつ言えば、行って馬鹿騒ぎする気にならねぇんだ。サラディンは心配ないって言うし、あいつに限って万が一もねぇだろうけど、いるべき奴がいねぇとな」
「女神に呼ばれたんだ。危険はないだろう。それに彼女のことだ、引き留められたって帰ってくるさ。聖剣も持っているんだしね」
「そういやあ、腰にぶら下げたまんまだったな」
「珍しいわね、兄さんが何もしないなんて?」
「おまえまで、それを言うのかよ? 俺だって、いつでも主役をとりたいわけじゃないの」
「あら、自覚はあるってことね」
ユーリアの額を軽くこづきながらカノープスも黙って言われていない。
「そんなことより支度はもう済んだのか?」
「すぐに終わったわ。携行食糧と水、天幕と毛布、それだけあれば十分でしょう?」
「エレボスの分はどうするんだ?」
「町に寄って、都度、調達するしかないわね。エレボスの食糧まで積んだら重くなりすぎてしまうもの。保存も利かないし、それがいちばんいいと思うわ」
「ちぇっ。少しは俺の仕事も残しとけってんだ。ウォーレアイから飛ばしてきたんだろう? 大丈夫なのか?」
カノープスが立ってグリフォンの方に向かうのをランスロットとユーリアもついていく。
「心配ないわ、兄さん。今回は留守番させられていたから、すっかりくさっていたの。あんまり速く飛びたがるからアッシュ様たちを置いてこなければならなかったぐらいよ」
「へぇ。そいつはたいしたもんだ」
グリフォンは野営地の隅で休んでいたが、3人が行くとカノープスかユーリアの気配を察したものと見え、目を覚ました。
「今日はもういいんだぜ、飛ばなくても」
話しかけながらカノープスがくちばしの脇を掻いてやると、グリフォンは頭の向きを次々に変えて、掻いてもらいたい箇所をねだった。
「その代わり、明日から頼むぜ、エレボス。うちのリーダーを連れて来てもらわなきゃならねぇんだからな。大役なんだぜ」
グリフォンは、ますます甘えるように彼の手にくちばしをこすりつけてきた。
まったく、この兄妹の魔獣の馴らし方といったらたいしたものだとランスロットは、いつも感心させられる。獰猛なグリフォンも気難しいドラゴンも、この2人にかかると借りてきた猫だ。
「お前も本当に気をつけろよ。俺たちが勝ってるとは言ったって帝国軍の残党が、そこらにいないわけじゃねぇんだからな」
「わかってるわ。でもエレボスと一緒なんだから大丈夫よ」
カノープスは、まだ何か言いたそうだったが、そこで止めた。
「頼んだぜ、エレボス」
代わりにグリフォンに念を押したが、さすがの魔獣も眠そうに鼻を鳴らしたのみであった。
彼らが皆のところに戻ると剣と槍の稽古は相変わらず続けられていた。それは時折降る激しい雨に邪魔されながらも、互いに見えづらくなるまで続けられたのだった。
翌黒竜の月24日の昼頃、ギルバルドに率いられて各部隊のリーダーたちが到着した。
ユーリアはエレボスに乗って起床後、すぐに発ち、南下していった。サラディンはグランディーナがフェルアーナの神殿に召喚された場合、カオスゲートからアラムートの城塞、ダルムード砂漠を経由してくるだろうと予想していた。それでユーリアはライの海を南下していき、ダルムード砂漠からは街道に沿って飛んでいくことにしたのだ。
一方、アッシュたちと合流したサラディンたちは、これからどうするかの話し合いを設けたが、首脳部以外の参加は好ましくないと考えたので、デボネアとラウニィーは、またしても稽古に引っ張り出されることになった。
「こうなったら、どちらが先に倒れるか根比べだ」
「悲愴なことを言わないの。四天王だったあなたが聖騎士の私より先に倒れるなんて恥くらいに思ってほしいわね」
2人の話をノルンが心配そうに見守っている。
「もちろん、あなたより先に降参するわけにはいきませんがね」
「言ってくれるわね。だったら競争しましょ。先に倒れた方が残った方の言うことを1つ聞くの。どう、受けてくれる?」
「かまいませんとも」
ランスロットとカノープスは今日も稽古には参加せず、当然のような顔でリーダーたちの会議に混じっていた。
ルバロン将軍の強さは有名なので、グランディーナが不在の時に敢えてクリューヌ神殿を攻めようと主張する者はいなかった。それで話し合いの向きは収まったが、問題はその後だ。ユーリアを迎えにやらせたもののグランディーナが本隊と合流できるのは、いまのままだと20日ぐらいかかるだろうというのがサラディンの見立てだった。
「それに気にかかるのはトリスタン皇子の行方だ」
彼の言葉にリーダーたちはうなだれた。
トリスタン皇子が解放軍参加以前からの部下であるケインとヨークレイフしか連れていかなかったことは皆には少なからず衝撃的なのだ。皇子が本当に信頼するのは、その2人だけなのかと思わされたこともあったし、その2人でさえ皇子を止められないのかという思いもある。
「殿下がその2人を連れていったのは、よほどの緊急事態なのだろう。ならば陛下亡きいま、理由はひとつしか考えられぬ」
「ですがアッシュさま、その方は24年前に陛下とともに殺されたのではありませんか?」
マチルダの言葉にアッシュはギルバルドの方を見やった。このなかで24年前の惨劇に居合わせたのは彼1人なのだ。
「わたしは妃殿下のご遺体は確認しておりません」
その言葉に元騎士団長は頷いた。
「牢獄にも風の噂は届く。フローランさまは24年前のあの時、ゼテギネア帝国に捕らえられ、そのまま、どこかに幽閉されているのだと」
「では殿下はそのことを知って、そこへ行かれたのでしょうか?」
「おそらくは。だが、それがどこかわからんのだ」
皆は沈黙したが、ウォーレンが思い切ったように顔を上げた。
「シュラマナ要塞ではありますまいか? 殿下ほど慎重な方が、まさか少人数でゼテギネアやザナドュに行くとは思えません。クリューヌ神殿ならば、単独で行く必要はないでしょう。残る帝国の主要な拠点はシュラマナ要塞以外には考えられませんが、いかがでしょうか?」
アッシュは腕組みをしたまま黙っていたが、サラディンが頷いた。
「確かに消去法だと、シュラマナ要塞がいちばん疑わしいようだ。だが帝国が24年間も秘匿したものを皇子がどうやってお知りになったのだろうな?」
「リゲルめ! 殿下に余計なことを吹き込みおったか!」
アッシュがいきなり立ち上がったので皆は驚いた。その眼は怒りに燃え上がり、持っていたロンバルディアを鞘ごと地面に突き立てたほどだ。
しかし、ほとんどの者はリゲルの名を知らないので事情がわからない。元騎士団長がいつまでも彼について説明をしないのでサラディンが口を添える。
「もとは旧オファイス王国の暗殺団の者だ。ゼテギネア帝国に固執するプロキオンを討ち、トリスタン皇子に仕えることを選んだのだ」
「その者が殿下にフローランさまのことを教えたというのですか?」
「わしらでさえ知り得なかった妃殿下の居所を教えられる者に、ほかに心当たりがないだけだ」
「では我々もシュラマナ要塞へ行くべきではないでしょうか。殿下をお助けしなければならないのではありませんか?」
ポリーシャの言葉にウォーレンが困ったような顔で遮る。
「確信はありません、可能性が高いと思われるだけです。殿下がクリューヌ神殿やゼテギネア、ザナドュ、あるいは我々の知らない場所に行かれた可能性も否定できません」
それで皆は黙り込んだ。
しばらく発ってから発言したのはアッシュだ。皆、彼が言うのを待っていた節さえある。
「シュラマナへ行くとしよう。そこがいちばん殿下のいらっしゃる可能性が高そうだし、グランディーナが戻るまでここにいるのも愚かしいことだ。もしも、この判断が間違っていたのなら、わしが責めを負う」
「誰か連絡係を置いていた方がよくはありませんか?」
ギルバルドの提案にアッシュは首を振った。
「シュラマナへ行けば、たとえグリフォンとて、すぐに連絡はできまい。ならば人と魔獣を割くのは無駄というものだ。ウォーレアイに残った者とも合流して皆で発とうぞ」
それでも野営地をすぐにたたむというわけにはいかなかった。ソロン城の近郊には解放軍が百名近くいたし、天幕も立てっぱなしだったからだ。それにアッシュたちが着いたのも昼近かったので片づけ終えるまでに夕方になってしまっていた。
結局、天幕を畳んだまま、解放軍は明日、出発することになり、野営地には急に慌ただしさが漂ってきたのだった。