イラン・イラクの国境近くのクルディスタン。イランの辺境の村から、今日も子どもたちが町へ働きに来る。主な仕事は密輸の手伝い。自分の身の丈ほどもある荷を背負い、密輸品のコップを新聞紙にくるむ。アヨブとアーマネも、そうして稼いでいる兄妹、村には母親代わりの長姉と、やはり密輸の運搬に携わる父親、母親の命と引き換えに生まれてきた幼い妹がいる。そして、不治の病にかかった長兄マディ。村に帰ると、父が地雷を踏んで亡くなったことが知らされ、12歳のアヨブが一家の長となる。叔父の家には8人もの子どもがいて、アヨブたちを養うことはできないからだ。仕事は父と同じ密輸の運搬。その路は険しい冬の山道で、荷物を運ぶラバには凍えて歩けなくならないようにウィスキーを飲ませる厳しい路だ。しかも国境地帯には警備兵の待ち伏せもあったりして、アヨブはマディの手術代を稼ぐことができない。マディの手術のために、ロジーンは叔父の紹介で見知らぬ男に嫁ぐが、マディはラバ1頭と一緒に戻されてしまう。もらったラバを売って、その金を手術代に充てようとするアヨブ。マディを背負い、ラバを引いて、アヨブはイランとイラクの国境を越えてゆくのだった。
たきがは、ずっとドキュメンタリーかと思って見ておりました。同じ時代にこんな子どもたちがいる。泣けもしないような深い絶望だと思っていました。でもこの画面から目が離せない。離すことはこの子らに対する冒涜なのだと思いました。しかし人間、どう美辞麗句をつなげてみましても絶望なんてものだけを見ていられるはずはないのでして、やはりこの映画から目を離せなかった理由と言ったら、こちらが圧倒されるような、その力強さ、命の強さにあるのじゃないかと思いました。そしてごく当たり前のように病気のマディをいたわる兄妹たちの愛情、一家の負担を背負わされた12歳の少年に対する愛情というのがあふれているのです。マディは15歳ですが、手足が成長しない不治の病で、手術をしても1年ぐらいしかもたないだろうと医者から宣告されている。でもアヨブもアーマネもロジーンも、マディのために、お互いのために頑張る。すごい映画なのです。
どんなに金がかかっていても、CGなんて安っぽい代物とは無縁の、自然のままの映像です。本当は「酔っぱらった馬」じゃなくて「酔っぱらったラバ」なんですが、酔っぱらわせないと越えられない山道というのも、そこで生きているということも、日本からはすごく遠い国なのだなぁと思わせられます。だいたい日本じゃ国境を越えるなんてないし。
やはり、本物のすごさに作り物はかなわないのだと思います。そういや、ハリウッドもCG全盛になる前はおもしろいの作ってたよなー、と全然関係ないことを思いました。
ちなみに監督のバフマン・ゴバディ氏は「ブラックボード −背負う人−」の主演俳優のお一人だったりしますです(教師レブアルの役ね)。
(了)