蝶の舌

蝶の舌

スペイン、1999年
監督:ホセ・ルイス・クエルダ
出演:モンチョ(マヌエル=ロサノ)、ドン・グレゴリオ(フェルナンド=フェルナン・ゴメス)、ほか
音楽:アレハンドロ=アメナバール
見たところ:銀座シネスウィッチ

 私が行く映画のなかでは、珍しく満員になったもの。前評判がいいので、すでに観た人もいると思います。かくいう私もその一人、本来、第二次大戦前後のネタは好きなので行こうと思っていたんですが、こんなに混んでると思わなかったよ。

オープニングで嫉妬した。いい音楽、モノクロの写真、どれをとっても好みなんだけど、「この音楽は私のものにはならないんだな」という嫉妬である。

主人公の少年がうまい。素朴なスペインの風景に繰り返されるテーマ音楽がよく似合う。ドン・グレゴリオ先生は喘息持ちで内向的だった少年を導く理想的な教師だ。子どもに教えるのは難しい。でもこんな先生だったら教わってみたいなぁ。

 スペインは共和国が興ってからまだ5年、主人公の父親も先生も、酒場の親父も共和派だが、まだ王党派も残っている。誇らしげに共和国の歌を歌う人々、それを遠目に睨みつける兵士、後にスペインが真っ二つになって争った内戦の悲劇はここに萌芽しているのが見える。
 でも主人公の周りでは世界はゆっくりと変わっていく。サクソフォーン吹きの兄はなかなかバンドで吹かせてもらえないが、好きになった娘のために一世一代の名演を奏でる。けれど彼女は人妻で、小さいころに狼に襲われたショックで話すことができない。
 情事を親友とのぞき見した娘は、実は父の隠し子だった。その母親の葬式をのぞき見した主人公は、先生に死について尋ねる。無神論者の先生は、「地獄は人が造るものだ」と教えてくれる。
 先生は教科書に載っていないような授業をする。スペインの詩人の詩を読ませる。春になったら自然観察に行く。蝶には舌があること、オーストラリアのティリロノリンコという鳥の雄は雌に蘭の花を贈ること。やがて先生は歳のために退職してしまうけれど、主人公と虫採りに行く。顕微鏡で蝶の舌を見るために。
 川で水浴びをしている少女たちのなかに、主人公の好きな女の子もいる。カーニバルで一緒に踊った子、親友の妹だ。初めて見る女の子の裸に立ちすくんでしまった主人公に、先生は「ティロノリンコのようにしなさい」と花を渡して励ます。少女からは花のお礼にキスをもらった。
 けれど、牧歌的な日常はある日一変する。母親は父親が共和派だったことを隠しとおそうとする。ポスターや新聞を焼き捨て、主人公にも「先生に背広を仕立ててあげたことを言ってはいけない」と言いつける。その背広は主人公が喘息の発作を起こした時に先生が助けてくれたお礼にただで仕立てたものなのに。
 共和派の人々は父親以外みんな捕まってしまった。彼らは町の人の前でトラックに乗せられてどこかへ連れて行かれるのだ。一緒に共和国5周年を祝った人々にことさらに冷たい言葉を投げつける母親。促されて父親も「裏切り者」と罵倒するが、本当の裏切り者は誰か、それなのに引っ立てられていく人たちは誰一人として言葉を発しない。父親を「裏切り者」とは罵らない。
 親友は酒場の息子だった。彼は群衆をかき分けて、必死の形相で止める母親を振り切って父親にすがりつこうとする。
 最後に先生が連れて行かれた。母親に促されて主人公は先生を罵る。走り出したトラックを追いかけて石を投げる子どもたち、主人公もそれに倣う。けれど、彼が最後に先生に叫んだのは・・・。

ラストシーンが圧巻。先生を罵る主人公。ただ彼だけを見つめている先生。「そうじゃないだろう、おまえが言いたいことはそんなことじゃないはずなのに」憎しみさえあらわにして「アカ! アテオ(無神論者のこと)!」と叫ぶ彼の表情に涙ぼろぼろ。で、さらに石を持ってトラックを追いかけながら、また罵る。「そうじゃない、そうじゃないんだ」あんなに好きだった先生に罵詈雑言をぶつける悲しさ、一瞬の躊躇、「さよなら」の替わりに彼が言えた言葉。

こんなに泣いたの「聖なる嘘つき」以来です。

(了)

[ もっと映画日誌を読む | 映画日誌のトップに戻る | 五十音順一覧 | 映画のトップに戻る ]
[ トップページ | 小 説 | 小説以外 | 掲示板入り口 | メールフォーム ]