Side Stage 2

Side Stage

その夜は魔獣部隊の者を中心に、ランスロットとカノープスの帰還祝いの席が1階の食堂で設けられた。アレック=フローレンスやマチルダ=エクスライン、かしまし三人娘にカシム=ガデムやエマーソン=ヨイスまで顔を出すなど多彩な顔ぶれが揃って、ランスロットは旧交を温めあった。カシムもエマーソンも解放軍では古株だ。志願者の世話にウォーレンを補佐して毎日、忙しくしているという話だった。
さらに魔獣部隊は酒の強さでは解放軍でも指折りの猛者揃いときている。後から顔を出す者も大勢いたので、人数の割に賑やかな宴会になった。
しかし、2人が主賓扱いされたのは最初の乾杯までで、あとはそこかしこで勝手に飲み食いが始まり、人の輪ができるのも魔獣部隊ならではである。
カノープスは最初、カリナに誘われたものの、皆と馬鹿騒ぎをする気分になれず、杯を片手に舐めるように飲んでいた。
「なぁに、ずいぶんいい男になって帰ってきたじゃないの。お姉さん、惚れなおしちゃいそう」
「あいにくと俺はおまえと軽口をたたくような気分じゃないんだ。だいたい、どいつがおまえなんか呼んだんだよ?」
「あぁら、御挨拶ね。失恋したところを慰めてあげようと思ったけど、そんなこと言うのなら、悲劇の主人公気取ってなさいよ」
「そいつはねぇだろう、デネブ?」
引き止めたカノープスに魔女は嫣然と微笑んだ。
「ここはお酒臭くてかなわないわ。もっと風通しのいいところに行きましょ」
「いいとも」
不思議なのは誰1人として2人が出ていったことに気づかなかったことだ。もっとも、ギルバルドとユーリアはともかく、魔獣部隊の面々は元来が酒好きなもので、酒を飲める口実があればよく、主賓のことは忘れがちだし、宴席の設けられた理由を忘れてしまうことも少なくない。最後までカノープスが消えたことに気づかなかった者、そもそもデネブがいたことにさえ気づいていなかった者も少なくなかったのである。
途中でグランディーナが顔を出し、ギルバルドやマチルダと隅の方で話した。
その姿を見かけたランスロットは、もう1ヶ月以上も彼女とともに解放軍内を見廻っていないことを思い出した。解放軍も大所帯になったが、グランディーナは相変わらずだ。
「グランディーナ、まだ廻るところがあるのならつき合おう」
「あなたとカノープスの帰還祝いだろう。主賓が2人とも席を外してどうする」
「えっ?」
それで、初めてランスロットはカノープスの不在に気づいた。ついさっきまでデネブと話していると思ったのに彼が占めていた場所にはライアンが座って、ロギンス=ハーチ相手にしゃべっていた。
「大丈夫だろう、わたしがいなくても。みんな、そんなことを気にしていたのは最初だけさ。それにここにいると始終、酒を勧められて断り切れない。ギルバルドやユーリアには申し訳ないが、君と一緒ならばいい口実だ。つき合わせてくれ」
「これから、アッシュたちのところに行くつもりだ。以前のようにいちいち皆の様子を見て廻るわけにはいかないが、来たければ来てもいい」
「ありがとう。ギルバルドに断ってくるよ」
しかし、彼もユーリアもそれほど残念そうな顔をしなかったのはせめてもの幸いだ。宴席を設けたけれど、ランスロットもカノープスも解放軍に戻ってきたのだから、機会はいくらでもあるだろうというのがギルバルドの言い分であった。カノープスに隠れて目立たないが、彼も負けず劣らぬ酒豪なのだ。
「解放軍の資金はそんなに潤沢ではないだろう?」
「それがマラノ市参事会の方々が協力してくださって、皆さんの悩みの種がかなり解消したんです」
ユーリアの言葉にギルバルドが頷いて続ける。
「おかげで大して残っているわけではないが、オブライエン家の財産も全て各地の復興に当てることができる。ありがたいことだ」
その言葉にユーリアが案ずるような眼差しを向けたが、ギルバルドは気づかぬ素振りだ。
「それではわたしは抜けさせてもらうよ」
2人は今度は揃って頷いた。
「待たせてすまなかったな」
「それほど急ぐわけじゃない」
廊下で待っていたグランディーナは、すぐに歩き出した。
「ここは城塞だが、大丈夫なのか?」
「地下にも牢獄はあったが誰も入れられていなかった。ジェミニ兄弟は武人であって、規則違反でもしない限り、牢獄は使わなかったそうだ」
「そうか」
「あなたも心配性だな」
アッシュはケビン=ワルド、チェスター=モローとともに皆の教練に当たるはずだったが、ジェミニ兄弟の攻撃で重傷を負ったので観戦するだけだそうだ。
そう言われてみれば、元騎士団長は屋上で再会した時も軽装だった。しかし、同じように怪我を負って見学しているアレックに言わせると、アッシュは見ているだけの時の方がよほど口やかましいそうで、つい手を出してしまうのだという。それをチェスターが慌てて止めることも多いとか。
「誰が行くのか決まったか?」
「このような構成にしてみたが、どうだ?」
アッシュの差し出した紙にグランディーナは視線を走らせる。
「ケビンとチェスターが2人とも来るのでは都合が悪い。留守のあいだ、こちらの指揮をあなたに頼みたいが、別に動ける者が必要だ」
「それならばチェスター殿に行ってもらおう」
「あとはこのとおりでかまわない。皆には伝えてあるか?」
「全員には通達しておらぬ。明日発つのだから、これから伝えねばなるまい」
「ほかの者はともかく、あなたにはそろそろ補佐をつけた方がいいな。希望があれば聞くが?」
「誰でもかまわぬのか?」
「当人が承知すれば」
「ケインに頼みたい」
「訊いてみよう」
グランディーナは部屋を出ると、右手に向かった。残りの者のところか、そうでなければ、いまの話を切り出しにトリスタン皇子のところに向かっているに違いない。
2人の後からアッシュも部屋を出て、廊下の端にある階段を下っていったようだった。
「後で城塞内の地図を渡す。1人で歩けぬようでは不便だろう」
「わたしたちが帰ってきたからには長居しないのだろう? それにわたしは君の側を離れるつもりはない。だいたい、なぜわたしが迷っていると思うんだ?」
「ほとんどの者がそうだからだ。自分の部屋と食堂、倉庫、城門、中庭には皆が行き来できるようになったが、それ以外の場所には不案内な者ばかりだ。それにあなたを司令官室に寝泊まりさせるわけにはいかない。部屋が別でそんなことは言えまい」
「それは、確かに君の言うとおりだな。だが、そう思っているのなら、そこら中に城塞の地図を貼り出して現在地を記してやれば良かったんじゃないか?」
「あなたは頭がいいのだな。私も含めて誰もそんなことは考えつかなかった」
「逆だよ。現に迷っているから案内図がそこら中に欲しいんだ。こんなに広くて帝国軍は不自由していなかったのかな?」
「どうだろうな。早速、ヨハンに頼んでおこう」
グランディーナは階段を下りていく。
「アッシュ殿は一人部屋ではなかったようだが、誰が同室なんだ?」
「ヨークレイフだ。またトリスタンの部屋に行っているのだろう」
「皇子の部屋は遠いのか?」
「アッシュと同じ階の反対側だ」
「あまりいい人選とは思えないな」
「同室を言い出したのはアッシュだ。ヨークレイフも断らなかったし、ほかに組ませる適当な者も思いつかなかった」
「一人部屋にしてしまえば良かったのに」
「アッシュに断る理由も思いつかなかったからな」
やがて2人は倉庫に着いた。アラムートの城塞は地上4階、地下1階建てで、倉庫は台所を挟んで食堂と並んでいる。食堂からは相も変わらず喧噪が聞こえてきた。
「ヨハンはいるか?」
「これはグランディーナ殿、ランスロット殿もご一緒でしたか」
「ええ。先ほどはご挨拶もせずに失礼しました。ヨハン殿はお元気そうですね」
「はい、資金という問題が片づきましたので補給も順調です。それに最近は食事にも恵まれているせいか、若い時よりも肌に艶が出てきたぐらいですよ。
しかしサラディン殿がお戻りになったというのにまだお話しさせていただくことができません。先ほど倉庫にも来られたそうなんですが、いま、どちらにいらっしゃるのかご存じありませんか?」
「どこに行ったかな。会ったらあなたを訪ねるよう伝えておこう。夜になったからサラディンも手が空いただろう。彼もあなたに会えたら喜ぶと思う」
「だと良いのですが。グランディーナ殿はサラディン殿とお知り合いでしたね。あの方が解放軍に参加してくださって、どれほど心強いことかわかりません。ところで、今日はわたしからは特に報告すべきことはありませんが、何かご用ですか?」
「あなたは城塞の見取り図を持っているか?」
「ええ、もちろんです。これがなければどこにも行けませんからね」
「何人かで手分けして地図を写して城塞内に貼っておいてくれ。枚数は多い方がいいし、できるだけ早く済ませてくれ」
「それはまた、なぜでしょう?」
「ランスロットがそこら中に貼っておけば皆が迷わなくてすむと言うんだ。地図の中に現在地を記すようにしておいてくれ」
「なるほど。それは名案ですね、ランスロット殿。
早速、手配いたしましょう。ところで、明日からの補給はいかがいたしますか? 海の向こうや天空の島となりますと自由がききませんし」
「天空の島ではじきに戦闘になる。必要最小限の物は持っていかせるから、あなたたちは待機だな」
「わかりました」
ヨハン=チャルマーズは補給の仕事が性に合うらしく初めて会った時よりも生き生きしていた。ホーライ王国時代も文官だったと言っていたので、事務的な仕事に向いているのだろう。
逆にウォーレンは補給の仕事をしている時はあまり楽しそうではなかったが、彼は人前では感情を表にすることはないのだ。
「君も決断するのが早いんだな」
「それで皆が助かるのなら早い方がいいだろう。私にはなぜいつまでも覚えられないのか不思議だがな」
「わたしに言わせれば君の方が早すぎるのさ。君はおおよそ迷子とは無縁そうだ」
「そうでもない」
「そういえば、君に借りた硬貨をずっと持ったままだった。わたしたちは助かったが、〈何でも屋〉のジャックには君からの呼び出しではなかったから、かなり残念がらせてしまったよ。ありがとう」
「どこにやったのかと思っていた」
彼女は無造作にポケットに硬貨を落とす。
「カリャオに買い物に行った時に君が貸してくれただろう? あの時に返し忘れたのさ。君にはまた彼に借りを作らせてしまったかな」
「私のことなど気にしなくていい。ジャックへの借りで救える命があるのならば、いくらでも作ればいい。もっともしばらく彼には会えそうにないがな」
その時、鐘が1回、高らかに鳴り響いた。あちらこちらの部屋が急に騒がしくなって、騎士や剣士たち、それに狂戦士たちが慌てて廊下に飛び出してくる。彼らはグランディーナとランスロットを見かけると挨拶をして、身軽な格好のまま、階段を下りていった。
「あれが1の鐘というものかい?」
「そうだ。皆がばらばらになったから連絡がしづらくなった。エマーソンが倉庫にしまわれていた鐘を見つけてきて、鳴らしたらどうかと言い出して、鳴らす回数で誰を呼んでいるかわかるようにしようということになった」
「それは彼らしい。だけど、寝てしまった者たちには気の毒だったようだな」
ランスロットが言うのは、何人かの者が皆に遅れて部屋を出てきたことを指していた。どうやら彼らは中庭に集まったようだが、本来ならば、こんな時間に呼び出されることはないのだろう。
2人は2階のポリーシャ=プレージとウォーレンとの部屋を訪ねた。グランディーナはアッシュにしたのと同じような指示を2人に出し、そのたびに名簿を確認したが、さらに細かく指示することはなかった。
それから再び3階に上がり、2人はトリスタン皇子の部屋へ向かった。
隣室がラウニィーとノルンだが、個室しかないことを2人とも大層こぼしていたそうだ。アラムートの城塞は城ではない。大きすぎる司令官室以外は全体的に実用的な造りなのである。
部屋に近づいていくと賑やかな笑い声が廊下まで漏れてきた。
「トリスタン、入るぞ」
グランディーナが声をかけると話し声が止んだ。
扉を開けると、室内の5人がこちらを見ている。トリスタンとケインに、ラウニィーとノルン、予想どおりヨークレイフまでいた。
「ランスロットも一緒だったのか」
「ご挨拶が遅くなってしまい、申し訳ありません。本日、サラディン殿のお供を果たして戻りました」
「堅苦しい挨拶は要らないよ。君たちが無事に帰還してくれて何よりだ」
トリスタンに肩をたたかれてランスロットは恐縮する。カノープスは歓迎するかもしれないが、皇子の気さくさは却って気を遣いそうだ。
「トリスタン、アッシュがケインを補佐に欲しがっている。かまわないか?」
「アッシュ殿にはなぜ補佐がお要りなのですか?」
答えたのはケインだ。それでグランディーナは当人に向き直った。
「彼に騎士たちの教練を頼んでいるが、解放軍でもいちばん数の多い部隊だ。ケビンとチェスターだけでは庇いきれないところもある。補佐をつけるのに誰がいいかと訊ねたら、あなたを指名した」
「わたしはかまわないが、君はどうなんだ?」
ケインの表情からたちまち笑みが消える。
「なぜ、アッシュ殿はわたしを指名されたのでしょう?」
「彼に訊け。あなたが断れば、無理にとは言うまいが、その時はほかの者を探さなければならない。早く決めてくれ」
「わかりました。アッシュ殿の部屋は廊下のいちばん奥でしたね?」
「奥から3番目だ。隣2室は空いている」
「グランディーナ殿、もしもわたしがアッシュ殿の補佐をお受けした場合は、部屋もそちらに移った方がよろしいでしょうか?」
「アッシュに訊け。私が指図することじゃない。後のことは任せるぞ」
「それでは失礼いたします」
ランスロットが一礼して急いで扉を閉めると、グランディーナはすでに階段の方に向かっている。
鐘が2回、3回が鳴ったのはじきのことだ。2の鐘は槍騎士や女戦士たちを、3の鐘は魔法使いや人形使いたちを招集するが、どちらも場所は中庭と決まっている。廊下からも松明が何本も掲げられているのが見え、話し声も聞こえて賑やかだった。
治療部隊と魔獣部隊の鐘は鳴らされなかった。治療部隊は毎朝の簡易礼拝で伝え、魔獣部隊は先ほどの宴会で伝えられ、確認されたものと思われる。
「君は自室に帰るのか?」
「そうだ」
「さっき言っていた城塞の見取り図を貰いに行ってもいいかな? 自力で部屋まで行けそうにない」
「かまわない」
4階には司令官室以外の居室がない。ほかの部屋はどれも大きな会議室である。ランスロットがそのことを知ったのも見取り図を貰ってからだ。こうして見るとそれほど複雑な構造ではないが、2階と3階の居室がどこも似たような造りで、廊下にこれといった目印もないのがわかりにくい原因ではないかと思われた。
「あなたとカノープスの部屋は2階だ。アッシュの隣の方が良かったか?」
「いいや、どうせ仮の住まいだ。どこでもかまわないよ。それにしてもこの部屋は大きいな。ジェミニ兄弟というのはそんなに巨漢だったのか?」
「半巨人と噂されるぐらいだ。身長も7バス以上はあった」
「カノープスよりも高いのか。それは、確かに言われるだけのことはある」
ジェミニ兄弟との戦いでは大勢の者が負傷させられた。アヴァロン島で大怪我を負って戦線を外れたユーゴス=タンセとスティング=モートンが復帰したというのに、それ以上の数の者がミナチトランやテグシガルパのロシュフォル教会での静養をやむなくされているし、アッシュやアレックのようにアラムートの城塞内で静養する者も少なくない。なかには傷が癒えて戻ってきた者もいるが、全員が揃うのはまだ先のことだろうし、これからも途中で解放軍を去らなければならない者、去る者が出ることは避けられないのだ。
ランスロットはふと、さきほどの宴会でマチルダが嘆いていたことを思い出した。
「彼女はアヴァロン島ではリスゴーさまたちを見舞っていたのに、今回はミナチトランにもテグシガルパにも来ないんですよ。『私が行っても手伝えることはない』なんて、リーダーが来てくれるだけで皆も励まされるでしょうに」
「グランディーナも少しは落ち着いて怪我を治したいんじゃないのかな」
「彼女に限って、そんな殊勝なことは考えません」
「それは手厳しい」
「冗談事ではないんですわ。ランスロットさまからも仰ってください。この先、アラムートの城塞を離れてしまえば、そんな暇もなくなります」
「彼女には彼女なりの考えがあるのだろう。わたしがとやかく言えることではないよ」
「ですが、リーダーが怪我人を見舞わないなんて、どんな正当な理由があるとも思えませんわ」
「グランディーナには訊いてみなかったのかい?」
「ですから、先ほども申し上げましたとおり、『私が行っても手伝えることはない』の一点張りです」
「わかったよ。わたしが言っても聞き入れるような彼女でもないだろうが、後で訊いてみよう」
「お願いします」
「グランディーナ、マチルダから聞いたんだが」
「怪我人を見舞えという話か」
そう言った彼女の表情がさもうんざりと見えて、ランスロットは2人がこの会話を幾度もしてきたことに気がついた。
「マチルダに何を言われたのか知らないが、いまさら考えを変えるつもりはない」
「テグシガルパとミナチトランのロシュフォル教会に行くだけだ。グリフォンを飛ばせば、1日で往復できる距離じゃないか。なぜ行かないのか、理由だけでも聞かせてくれ」
「そのこともマチルダにさんざん言った。重傷者の治療をロシュフォル教会に任せきりにするわけにはいかないから、こちらからも何人か行かせるべきだと言い出したのはマチルダだ。ならば、私が行ったところで手伝うことなどなかろう」
「問題をすり替えないでくれ。マチルダが君に求めているのは解放軍のリーダーとして怪我人を見舞うことであって、手伝うことじゃない」
「知っている。だが、私が行けば傷が早く治るのか。負傷者をいちいち見舞っていてはきりがない」
「君は解放軍のリーダーだ。君が立てた作戦で負傷した者たちを見舞ってやるのは当然じゃないのか」
グランディーナはそこでようやく身体全体をランスロットの方に向けた。その表情からは先ほどまでの、この議論を嫌がっている様子は見えなくなっている。
「私もそう思っていた。今回のアラムートの城塞攻めは皆に無理をさせた、ディアスポラの時もそうだ。私の立てた策が別のものだったら、負傷者を減らすことができたかもしれない、死者を出さずに済んだかもしれない。だがいちいち振り返るにはゼテギネアは遠すぎる。だから後ろを見るのはやめた。生者も死者も責任は私が負う。どんな責めも受ける。怪我人は誰も見舞いに行かない」
「それは君のうぬぼれだ。わたしはわたしの意志でもって解放軍にいる、カノープスやギルバルドもそうだ。もしもその志が途中で絶えてしまっても悔いることなどないし、君に責任を押しつけたりはしない」
「だが、あなたのような意見は少数だ。だからマチルダは私に来いと言うし、命を失うようなことになって初めて、人はなぜこんな戦いに参加したのだろうと思い、私のせいだと罵る。そんなことにいちいち耳を傾けるつもりはない」
「マチルダにはそう言わなかったのか? 彼女はわからず屋じゃない。君がそのつもりでいるのなら、話せばわかってくれたろうに」
「彼女にはわからない」
そう言いながら、グランディーナはわずかに天井を仰いだ。
「彼女は戦士じゃないし、他人を切り捨てることができない。話はしたが納得していないだろう。だが彼女を治療部隊のリーダーから外すこともしない」
アラムートの城塞を落としたことで解放軍への志願者は増える一方だ。そのなかにはそもそも能力の足りない者や勘違いしている者も少なくなく、志願者というだけで受け入れられたのは遠い昔の話となっていた。
魔獣使いはもともと旧ゼノビア王国以外には絶対数が少なかったので志願者自体もほとんどいないそうだが、騎士や剣士、狂戦士などはどこの国にも大勢いた。そのため、志願者も多く、ケビンやチェスターはしばらく試験ばかりしていたそうだ。僧侶や司祭の志願者ももちろんいるが試験するのはもっぱらモームの役割になっている。それらの判断に解放軍のリーダーとしてグランディーナが絡んでいるのは間違いない。
「わかった。マチルダにはわたしから話そう。この件でこれ以上、君を煩わせないように伝えるよ」
「そんなことができるのか?」
「彼女とのつき合いはわたしの方が長い。うやむやにしても厄介だからな」
「頼む」
「それではわたしも休むことにするよ。お休み」
グランディーナは頷くと机に向かい、読みかけの書物を開いた。
アラムートの城塞の司令官室には蔵書も少なくない。荒鷲の要塞を落としてからサラディンたちを待つあいだ、負った傷の静養も兼ねてか、彼女が外に出てくることは稀だったそうだ。グランディーナがその時に何をしていたのか正確に知る者はいないが、傷の治療に毎日、通っていたアイーシャによれば、彼女が蔵書を開いていたことは多く、それも行くたびに違う本だったという。
アイーシャが言うには、彼女はアヴァロン島にいた時も蔵書室に入り浸っているか、借りてきた本を読みふけっていることも少なくなかったそうだ。
部屋に着くとカノープスはまだ戻っていなかった。
糊のきいた敷布に横たわるなり、ランスロットは眠りに落ちていた。
朝方まで目も覚めなかったので、起きたらカノープスがいた時には驚くというより、まだ朝ではないのかと勘違いしたほどだった。
「もう夜は明けたのか?」
「とっくにな。6つ鐘が鳴ったら朝飯の合図で、10回鳴ったら、昨日見つけたカオスゲートに行く前の最後の打ち合わせだそうだ」
「朝食の鐘のことは知らなかった。誰に聞いたんだい、そんなこと?」
「城塞中の連中が知ってるさ。連絡手段に鐘を使うことにしたのはいいが、年がら年中鳴ってるから、うるさくてかなわねぇって話だ」
「それは、仕方ないんじゃないかな」
ランスロットも立ち上がり、大きく伸びをした。熟睡したせいか疲れはすっかり癒されている。
「昨晩は早々にどこへ消えたんだ?」
「まぁ、ちょっと野暮用でな」
「朝食の鐘が鳴る前に城塞の中を歩いてみないか。グランディーナに見取り図を貰ったんだ。この先はここでのんびりする機会もなかなかないだろうからね」
「いいとも」
見取り図にはさすがに誰がどの部屋なのかまでは書き込まれていなかったが、城塞内を探索するには十分役に立った。
「また面子が増えたそうだな。俺はもう、全員の顔を覚えるのは諦めるぞ」
「そんなことを言って。君ならば、わたしよりも早く覚えられるだろうに」
「魔獣部隊の連中は別だが、どうせ一度も話さないような奴らばかりさ。覚えられたら覚えるよ」
ランスロットは見取り図を片手に場所を確かめながら歩いていたが、先を行くカノープスは最初に一瞥(いちべつ)したきり、どんどん歩いていってしまう。
とうとう最後に、2人は中庭に下りた。
「君はどこを歩いたか、わかっているのか?」
「ここからこうだろう? 聞いてたほどには面倒なところでもねぇな」
「そんなことを言ってのけるのも君ぐらいのものだ。グランディーナはほとんどの者が迷ったと言ってたんだぞ」
「外に見える物に注意してればそんなこともないさ。その『ほとんど』に有翼人は入ってねぇな。
飯時だったのか?」
カリナとチェンバレン=ヒールシャーが振り返って挨拶をした。
「最近、戦闘もないし餌もいいんで運動が欠かせないんすよ」
「エレボスが帰ってきたから、グリフォンたちの散歩も楽になるな」
「魔獣はどれぐらい増えたんだ?」
「大しては。ケルベロスが2頭と、最近入ったデルタって人形使いがストーンゴーレムを連れてきたぐらいですかね」
「ゴーレムは魔獣じゃねぇぞ」
「リーダーが同じところに置いておけって言ったんすから」
「あいつも無茶苦茶言いやがる。魔獣とゴーレムを一緒のところに入れておくなんて、何、考えてるんだ」
「でもゴーレムっていうのは敵だと認識しないと動かないそうですよ。ほかにでかい部屋もありませんからね。魔獣どももいまじゃ慣れちまっておとなしいものでさぁ」
カリナの言い分にカノープスはまだ納得してなさそうだったが、その話をそれ以上混ぜっ返すのは止めることにしたらしかった。
「それより大将、あのケルベロス、誰が連れてきたと思います?」
「誰がって、魔獣使いかホークマンに決まってんだろうが。それにしちゃあ、昨日のつらのなかに新顔はいなかったな」
「外れ!」
「ランスロット、おまえ、知ってるか?」
「わたしが魔獣のことで君より詳しいはずがないだろう。だいいちケルベロスがいるなんていままで知らなかったんだから」
「カリナ、もったいぶらずに言え」
「大きい方がタラオスで小さい方がコイオスって名前なんすよ。ラウニィーさんが飼い主だそうです」
「えぇっ?!」
カリナとチェンバレンは笑っているが、ランスロットもカノープスも心底、驚いた。
魔獣使いや有翼人以外で魔獣を飼おうなどと考える者がいるとは2人とも思いも寄らなかったからだ。ましてやケルベロスは3つの頭を持つ凶暴な魔獣である。もちろんその大きさはヘルハウンドの比ではない。いくらウィンザルフ家が帝国一の名家とはいえ、その餌代も相当かかったはずで、そんなものを飼いたがるラウニィーも奇抜ならば、そのことを許したのであろうヒカシュー大将軍の甘さも飛び抜けていた。しかも2頭もだ。
「マラノまで連れてきたのはよかったけれど、ラウニィーさんがカストロ峡谷に逃げた時にマラノに置いてきたそうです。で、大将たちが出かけてるあいだに解放軍にめでたく合流ってことになったんすよ」
「よく、グランディーナが許したな」
「戦力じゃヘルハウンドとは比べ物にもならなかったからな。あの2頭、ただの愛玩動物じゃないんだ」
「可愛いなんて理由でケルベロスを飼う馬鹿がいるもんか。半分は愛娘の護衛も兼ねてるってわけか」
「聖騎士殿に護衛ですかぁ?」
「うるせぇ。飼い始めたころはラウニィーだって聖騎士じゃなかったんだろうが」
聞けば、アラムートの城塞戦では魔獣部隊とともに行動し、最後のジェミニ兄弟との戦いでもラウニィーともども活躍したそうだ。
解放軍のヘルハウンドは、ロギンスのベレボイアとチェンバレンのプロメニーしかいない。ケルベロスが加入したならば、ますます出番はなくなってしまうに違いなかった。
「でも、あの2頭、女性の言うことしか聞きやがらないんで」
「ラウニィーとユーリアだろう?」
カリナもチェンバレンも頷いた。
「ギルバルドの奴、しょげてなかったか?」
「団長は気にしてなさそうでしたけどね」
「魔獣使いの自尊心にかけてそのうちに手なずけようとするぞ。まぁ、その前に俺が懐かせてやるけどな。おっと」
その時、高らかに鐘が6回、鳴り響いた。カリナたちは道具を片づけてグリフォンたちを宿舎に入れ、ランスロットとカノープスもそれを手伝った。
「あ、明日は俺、盛りつけの当番だ」
「魔獣の世話はロギンスとニコラスに頼めばいいだろう。俺も当番だしな」
「ああ? なんだ、その、盛りつけ当番てのは?」
「いままで女連中だけがやってた食事当番すよ。リーダーが人数も増えたから男もやれって言うんで、部隊のリーダー以外はやることになったんです。でもやってみると、これが案外難しいんですよね」
「おいおい。まさか、その当番てのには、俺たちも入ってるのか?」
「さぁ?」
「わたしは構わないと思うが、君には嫌がる理由でもあるのか?」
「女子どもに混じって当番なんかやってられるか。だいたい、おまえだって、グランディーナがどっか行こうっていうのに、当番だからって残れるのか?」
「それは、確かに難しいな」
「当たり前だ。誰が決めてるんだか知らねぇが、俺たちは含めないよう言っておかないと」
「言い出しっぺはグランディーナなんだし、彼女に言っておけばいいんじゃないのか?」
「そうだな。手っ取り早くいこう」
それから4人が揃って食堂に向かうと、すでに大勢の者でごった返しているところだった。
「おいおい、鐘が鳴ったら朝飯じゃなかったのかよ? こんなにいるなんて聞いてねぇぞ」
「いまの解放軍には100人以上もいるのに、一度に食事できるわけないでしょ。いくら大きいと言ったって、この食堂では一度に食事できるのはめいっぱい詰めても80人がいいところだわ」
前掛けをしておたまを手にしたシルキィ=ギュンターが応じれば、
「そうよ。遅く来たカノープスたちが悪いのよ。順番は守ってよね」
とパン挟みを手にマンジェラ=エンツォも口をとがらす。
「それならそうと昨日、言えよ。俺たちは帰ってきたばかりなんだから、そんなこと知るわけないだろうが?」
「だったらカリナが教えてあげれば良かったじゃないの。グランディーナさまだって並んでるんだから、例外はなしよ」
最後には馬鈴薯のサラダを盛りつけるフィーナ=タビーにまで言われたので、カノープスはカリナを、次いでグランディーナを睨みつけたが、小さくなったホークマンの若者はともかく、解放軍のリーダーは気づかぬ風でサラディンと談笑している。
しかしランスロットが袖を引くまでもなく、彼は列の最後に並んで、強気な態度のかしまし三人娘たちやそのほかの女戦士たちを安堵させた。
「よく堪えたじゃないか」
「あいつらの言うことにも一理あると思ったから従ったまでさ。納得できなければ引き下がるかい」
「なるほど」
「ただ、いっそのこと、80人ずつ一斉に詰め込んぢまった方が話は速いだろうけどな」
カノープスの言うように食堂を見渡すとけっこう空席が目立つ。2人、3人と集まるのはよいが、そうした者たちが座りたいように座っているものでどうしても半端な席ができてしまうのだ。なかにはアッシュのように一人だろうが隣の席が誰だろうがまったく気にしない者もいないわけではなかったが、ほとんどの者はそうはいかない。
「詰めろ」
「え?」
「おまえの隣の隣が空いているだろう。詰めろって言ってるんだよ」
「後から来たあなたに何でそんなこと言われなくちゃいけないんですか?」
ランスロットが止める間もなかった。お盆を卓上に置いたカノープスは、いきなりその若い騎士にげんこつを喰らわした。
「ここは田舎の食堂でもなければ、学校でもねぇし、ましてやおまえのうちじゃねぇ。さっさと食って、剣でも振ってこい!」
若い騎士は抗議をしようと立ち上がったが、真紅の髪と翼のバルタンを知らぬ者はごく少数だし、解放軍内での彼の力を知る者も多い。あっという間に周りから手が伸びて、騎士を抑えつけ、その場から引きずり出していった。
「ずいぶん強引な追い出し方だな」
「おまえに言われる覚えはねぇよ。だいたいおまえに限って、どうして薄ぼんやり見てやがったんだ?」
「鐘は私が命じなければ鳴らされない。それと、そろそろリーダーたちには別の場所で食事を取らそうか考えていたところだ」
カノープスは若い騎士が座っていた席に腰を下ろしたが、彼がなかなか移りたがらなかったのも道理、そこにはたまたま、解放軍のリーダーが向かいに座っていたのであった。
「考えなくていいから、とっとと実行に移せ。ほかの奴らはともかく、おまえがあんな順番を真面目に守るほど暇だとは思わなかったぞ」
「たまには列に並んで皆の様子を見ているのもおもしろい。こういう場では人の口は滑らかになる」
「おまえがいることに気づかない奴なんかいるもんか。そんなことよりちょうどいい、俺とランスロットを当番とやらに混ぜるんじゃねぇぞ」
「もちろんそのつもりだ。担当には伝えてある」
「お、ちゃんとわかってるじゃねぇの」
グランディーナとサラディンが同時に立ち上がった。
「じきに鐘を鳴らす。急げ」
「わかってるよ」
鐘が鳴らされたのは2人が食べ終わったところでだった。ランスロットとカノープスは片づけもせずに会議室へ走るはめになり、後でかしまし娘たちに怒られた。
グランディーナは2人が来るのを待って話し始めた。
行く先はわからぬが、すでに帝国軍の進軍が確認されている。解放軍も先へ進まねばならなかった。
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