Stage Two「火喰い鳥の羽根」
「蛮勇の士ウーサー、ここに討ち取ったり! 帝国兵よ、いさぎよく降伏するがいい。これ以上、刃向かうとあらば我々も容赦はしない!」
ゾングルダーク城でランスロット=ハミルトンは大音声で呼ばわった。
彼の手に握られているのはシャローム辺境の支配者、ゼテギネア帝国の処刑吏と恐れられた蛮勇の士ウーサーが愛用していたデビルハンマーだった。
真っ黒い柄に、誰も読むことのできない文字のようなものが頭部にびっしりと刻まれたそれは、一説には大昔のオウガバトルでの悪魔の忘れ物だと言われていて、その巨大なこと、常人には持ち上げるのがやっとの代物だ。
ウーサー自慢のデビルハンマーをその部下たちが知らぬわけはなかった。デビルハンマーはウーサーの代名詞でもあったからだ。
それが解放軍の手中にある理由に気づかぬ者はない。
恐れをなした帝国兵は次々に武器を捨てて降伏した。
ランスロットはデビルハンマーを掲げたまま、ゾングルダーク城の張り出しに出た。
続いて出てきた騎士のアレック=フローレンスとオーサ=イドリクス、人形使いのエマーソン=ヨイス、魔法使いのカシム=ガデムが勝ち鬨の声を挙げると、呼応する声がいくつもあがり、解放軍の勝利を否が応でも広めていった。
「おめでとう、ランスロット。ウーサーはあなたの仇だったのだろう」
そこにウォーレン=ムーンを従えたグランディーナが現れた。刀こそ鞘に収められていたが、返り血のついたままの胸甲は、彼女もまた戦いのなかにあったことを知らせていた。
ランスロットは彼女を張り出しに招いた。
「仇か。ウーサーと対峙した時に感じたのは、奴がわたしの記憶にあるよりずっと小さかったということだ。恐ろしくなかったわけではない。だがわたしは奴を過大評価していたようだ。ゼテギネア帝国の処刑吏としてゼノビア王国騎士団の者を多数殺したウーサーもしょせんは帝国の命令で動いただけなのだ。本当の敵を見失うなと、そう亡きグラン王に言われたような気がしたよ」
解放軍のリーダーが現れると、歓声はもっと大きくなり、グランディーナも今度はそれを抑えようとはしなかった。しかし彼女が自分から愛想を振りまきもしないことは、ウォーレンやランスロットの予想していた通りだ。
「明日はラワンピンジに向かう。各部隊のリーダーだけ上がってきてくれ。以上だ」
手短にそれだけ言って、グランディーナは張り出しから引っ込んだ。
やがて、言われた通り、各部隊のリーダーが玉座の間の隣の部屋に集まってきた。
解放軍は3〜5人からなる小部隊で行動している。それぞれの部隊にはリーダーが1人いて、伝達事項は各リーダーを通して行われることになっていた。各部隊のリーダーは、ランスロット、リスゴー=ブルック、ガーディナー=フルプフ、ロギンス=ハーチ、それにウォーレンとマチルダ=エクスラインだ。
ランスロット、リスゴー、ガーディナーの部隊は騎士と戦士を中心にしており、1、2人の魔法使いや人形使い、それに女戦士が加わる。
ロギンスは魔獣を専門に使うが、いまのところ解放軍にいるのはグリフォンが1頭とヘルハウンドが1頭だけだ。ウォーレンの部隊は補給、マチルダの部隊は治療が主体だった。
解放軍のリーダーであるグランディーナはどこの部隊にも所属せず、一種の遊撃隊のような存在であった。
「言った通り、明日はラワンピンジに向かい、シャローム地方を落とす。シャロームを落とせば、旧ゼノビア王国の版図で目立つのはゼノビア以外はイグアスの森だけとなる。何か質問はあるか?」
「特にないようだ」
皆の反応を見て、ランスロットが応える。
「そのシャローム地方だが、帝国に反抗する義勇軍が存在する。それほど派手な活動はしていないそうだが、バハーワルプルで合流したいと言ってきている。異存はないな?」
「そのような存在自体初耳ですが、信用してもよろしいのですか?」
ウォーレンが慎重な意見を述べると、皆が賛同するように頷きあった。
「彼らは元々ゼノビア王国の魔獣軍団の者だと言っていた。騎士団とは違うが、あなたたちにとっては身内も同然ではないのか?」
また皆が顔を見合わせた。だが貧乏くじを引かされたのは、今度もウォーレンだ。
「魔獣軍団は騎士団や魔法団とは違い、ほとんどの団員が無事です。それもこれも軍団長ギルバルド=オブライエンが、グラン王の暗殺直後にゼテギネア帝国に降伏したためだとはもっぱらの噂、あなたの仰るように同じゼノビア王国の一員とはいえ、これほど事情が違うこともそうありますまい」
「知っている。シャローム地方じゃ有名な話だ。ある者はギルバルドを帝国の犬と誹り、ある者はギルバルドに助けられたと言う。だが私の言っている義勇軍はギルバルドが帝国に降伏後、離反した有翼人たちが主体だそうだ」
「それでは彼らを信用すると仰いますか?」
ウォーレンがもっともな疑問を口にしたが、グランディーナはすぐに頷いた。
「義勇軍の存在は本当にあるし、彼らを疑う理由がない。帝国の罠を疑うには行動が早すぎる。戦力は欲しいところだ。まさかゼテギネア帝国相手にこの戦力のままで勝ち進めると思っていたわけではあるまい。ほかに反対意見はあるのか?」
「慎重なご対応を、としか申し上げようがありませんな」
答えたのはランスロットよりわずかに年上のリスゴーだったが、皆の気持ちは同じようだ。
「勝ち戦で守りに入れば次には負ける。慎重な対応とやらはあなたたちに任せる。いいだろう。義勇軍の代表には私1人で会う。
ロギンス、明日はグリフォンを借りるぞ」
「いつでもどうぞ。あいつらも血の臭いを嗅いで気が立ってまさぁ」
鷲の頭に獅子の身体を持つグリフォンは気性の荒い魔獣だ。その翼はゼテギネア大陸に棲息する魔獣のなかで最も速く、伝令や個人の移動に重宝されているが、グリフォン部隊を作るほど多数のグリフォンを手なずけたという話も聞かれたことはない。
「待ってくれ」
ランスロットの挙手に皆の視線が集まった。
「グリフォンはともかく、いまの話では君1人で行くつもりか?」
「そうなるな」
皆の反応を確かめてグランディーナは頷いた。
「シャローム地方はいまだ敵地だ。味方に会いに行くのだとしてもわたしも同行させてもらう。リーダー1人で行動させるわけにはいかない」
「あなたの部隊はどうする?」
「今日の戦いもある。アレックをリーダーにして、しんがりを任せればいいだろう。帝国の反撃はそれほど心配する必要はあるまい」
「ウォーレン、あなたの意見は?」
老占星術師はひとつ咳払いをした。
「ランスロットの意見は的を得たものだと思います。お一人での行動は慎んでいただきたい。あなたが我々の将であるということをお忘れなきよう願います。それと、念のために義勇軍の代表の名前もお伺いしておきたいのですが」
「代表の名までは聞いていないが、仲介役はカリナ=ストレイカーと名乗った。知っているか?」
「いえ、ゼノビア王国の魔獣軍団であれば、知った名の1人もいるかと思いましたが知らない名でした」
「では、あなたの知っている有翼人の名は?」
「ギルバルドの親友にカノープス=ウォルフというバルタンがいました。実力では魔獣軍団一と噂されていましたが副団長位にもなかった人物です。彼がいれば我々の心強い味方になってくれるかもしれません」
「カノープス=ウォルフか。気にしておく。明日は先に発つ。ラワンピンジで合流しよう。ほかに何かあるか?」
「ないようだな」
ランスロットがまたも皆の気持ちを代弁する。
それでグランディーナは真っ先に立ち上がった。
「初戦突破は吉兆だが1勝ぐらいで浮かれさせるな。いまは休まずに進む時だ。それと各員の行動はリーダーの責任を問う。よく肝に銘じておけ。ロギンス、グリフォンのところまで付き合ってくれ」
「承知しました」
彼女が猛獣使いとその場を離れると、軍議は自然と解散となった。
フェルナミアを発って3日目、解放軍は最初のゼテギネア帝国の拠点、シャローム地方辺境のゾングルダークを落とした。ウーサーに率いられた帝国軍は、幸い、戦闘にまだ慣れていない者の多い解放軍にとってもそれほど手強い相手ではなく、負傷者は出たが、死者は出さずに乗り切ることができた。帝国軍の駐留部隊が、本来ならば数で劣るはずの解放軍より少なかったことも幸いした。ゼテギネア大陸の東端は、戦略的に見れば、大した重要性はなかったのだろう。
原因は何であれ、初戦突破は吉兆だ。だが戦いはまだ始まったばかりであった。
翌影竜の月14日、ウォーレンに率いられた解放軍はゾングルダークを発って街道を西に進み、ラワンピンジに向かった。ゾングルダークからラワンピンジまでは街道を半日も歩き通せば着く距離だ。
昨日の話し合いどおり、ランスロットに替わってアレックに率いられた部隊が最後尾を勤め、先頭はリスゴーとガーディナーの部隊が進んだが、帝国軍の襲撃もなく、一瞬、自分たちが戦争のまっただ中にいることを忘れそうなのどかさであった。春の陽気も暖かで天気も申し分なかった。
グリフォンの翼は速い。
本隊より先に発ったグランディーナとランスロットは、夜明け後、2時間ほどでバハーワルプルに着いた。
バハーワルプルはシャローム地方でも1、2を争う大きな町で、中州の島にあるため、外壁を持っていなかった。
本土との連絡はヴォルザーク島のように船で行うが、住民に有翼人が多いため、自らの翼で行き来する者も珍しくない。
2人の姿を見て、地上にいた1人のホークマンが手を挙げた。
ホークマンはゼテギネア大陸でいちばん多い有翼人であり、人間の3倍ほどの寿命を持つことで有名だ。その翼はホークマン自身の身長より高く、白と茶のあいだで様々な色と模様があった。またたいていのホークマンもたいていの人間より身長が高かった。
グランディーナはグリフォンを器用に操り、彼の側に着陸させた。
速いグリフォンの最大の欠点は同じ飛行する魔獣であるワイバーンに比べると力で劣ることだ。そのために後列に座ったランスロットは、剣以外を全てウォーレンに預けてきていた。
先にグリフォンを降りると、グランディーナは手綱をランスロットに押しつけた。
彼女は足早にホークマンに近づいていくと、黙って赤く染められた羽根を差し出した。
仏頂面をしていたホークマンの厳つい顔に笑みが浮かぶ。彼は自分も赤い羽根を差し出した。
「バハーワルプルへようこそ、解放軍の勇敢な嬢ちゃん」
「私はグランディーナだ。あなたがカリナか?」
「そうさ。それが来てもらっておいてすまねぇんだが、昨日、うちの大将に話したら怒られちまってよ。紹介してやれそうにないんだ」
「紹介してもらわなくてもかまわない。勝手に会いに行くから、場所だけ案内してくれ。それと彼の名前を聞いておこう」
「本気で言ってるのか?」
「私たちも遊びに来たわけではないからな。ゼテギネア帝国と戦いたいと言ったが、あれは本心ではなかったということか?」
「そんなことあるかよ! 俺は1人でだって解放軍に参加するさ。ただ大将が腰をあげねぇんじゃ、ほかの奴らは動かねぇってことさ」
「さっきから大将と言っているが、何者だ?」
「なんだ、おまえは?」
「わたしはランスロット=ハミルトン、彼女の護衛で同行している」
「へぇ、まるで騎士様だな。うちの大将はカノープス=ウォルフってのよ。バハーワルプルにその人ありと言われた、風使いさまよ」
「ゼノビア王国魔獣軍団の一員、シャローム地方の支配者ギルバルド=オブライエンの元親友殿か。そうと聞いてはその顔を拝んで帰らぬわけにはいかなくなったな。協力を頼んで、なぜ怒るのか、話も聞いてみたいところだ」
カリナは心底驚いたような顔をした。
だが、グランディーナは赤い羽根を手持ちぶさたに回し、ランスロットがグリフォンを繋ぐ場所を探すにいたっては、腹をくくったらしかった。
「ついてきな。グリフォンなら町の入り口に繋げる。だが俺はカノープスんちまで案内するだけだぜ。うちの大将、酒を飲むと人格(ひと)が変わるからな、紹介まではしてやれねぇぜ」
「上等だ」
バハーワルプルの町は活気にあふれていた。複雑に入り組んだ路地はゼルテニアの里を思い出させなくもなかったが、その幅はずっと広く、すれ違う者もホークマンが少なくない。
そのうちの何人もの者が、グランディーナの赤銅色の髪に振り返った。はっきりと「バルタン」と口走った者もいた。
やがて彼女らが至ったのは、町中のそれほど大きくもない小屋だった。
「ここが大将んちだ。あとは任せたぜ」
グランディーナはその扉を軽く叩いた。ランスロットの予想したとおり、返事はない。
彼女も2度、叩きはしなかった。取っ手に手をかけると鍵もかかっておらず、建てつけの悪そうな音を立てて簡単に開いた。
バルタンは古代高等有翼人の末裔とも言われる、ホークマンとは異なる人種だ。その数は有翼人のなかでも圧倒的に少なく、同じ有翼人であるレイブンの方がずっと多い。だがその小屋は、そんなバルタンの1人が住むにしてはあまりにお粗末な造りだった。
「カノープス=ウォルフはいるか? 私はグランディーナ、ゼテギネア帝国と戦う解放軍のリーダーだ。あなたと共闘したくて来た」
「なんだと?」
小屋の奥から声がした。続いて、そこら中にぶつかるようにして、1人のバルタンが現れた。
真紅の髪に真紅の翼、顔の色まで赤みが差している。その翼はカリナよりさらに高く、むき出しの上半身には筋骨隆々という言葉がよく似合った。年齢は一見ランスロットより若そうだが、有翼人の常でずっと年上だろう。
「いま、寝言をほざいたのはおまえか?」
カノープスの片手には濁酒の瓶が握られている。言ってから彼はすぐに濁酒をあおり、こぼれた酒が白い筋になった。
「あれが寝言に聞こえるのであれば義勇軍とやらもたかが知れている。風使いの名も過去の栄光だろう」
カノープスの目つきが一瞬凶暴さを帯びたが、すぐに狂ったように笑い出した。
「だったら帰んな、お嬢ちゃん。俺が義勇軍なんてやってたのは昔の話だ。戦いなんてやめたのさ、殴り合いっこに興味はねぇよ」
「義勇軍の代表はあなたではなかったのか?」
「そんなこと誰から聞いたんだ?
カリナ! おまえか、こんな奴らを案内してきたのは?!」
だがバルタンが飛び出すより速くグランディーナがその太い腕をつかんでいた。カノープスを引き留めるためというより、最初からそちらの方が目的だったように勢いよく地面に引きずり倒す。
その場にいたグランディーナ以外の誰もがしばし唖然とした。
彼女の腕も女性にしては太い方だが、カノープスのそれとは比べものにならなかったからだ。女性としては太い方でもランスロットにも明らかに劣っている。
しかし、カノープスは酔っていた。酩酊状態では反射神経は鈍るものだ。瞬間的な腕力ではグランディーナに分がなかったとも言い切れない。
「何しやがるんだ、この女(あま)!」
「あなたがカリナに襲いかかろうとしたから止めた。当然の反応だと思うが。襲わないと約束するなら手を放す」
「ひとを虚仮(こけ)にするのもいい加減にしやがれ!」
カノープスは酔いが冷めてきた。だが、彼はグランディーナの手をはねのけられなかった。まるで万力ででも押しつけられているかのように押さえつけられた腕はびくともしない。
「手を離せ!」
「あなたがカリナを襲わないと約束するなら放す。するのか?」
カノープスは押さえつけられた腕に渾身の力をこめたつもりだったがやはり動かなかった。逆にグランディーナははらわたが煮えくりかえるくらい涼しい顔をしている。
「約束するから手を離せ!」
「わかった」
拍子抜けするほどあっさりと彼女は離れた。だがカノープスの腕にはその指の痕がはっきりした痣となって残っている。
そこが痛んだ。だが彼が起き上がったきり動こうとしなかったのは、その痛みのためだけではなかった。
「だいたい、おまえらは何で来たんだったけかな。もったいねぇ、酒が全部こぼれちまったじゃねぇか」
カノープスの言うとおりだった。濁酒の瓶は彼が地面に引きずり倒された時の衝撃で割れて、酒もとっくに地面に吸い込まれている。彼は瓶の破片を愛おしそうになでた。
その手にグランディーナが手を重ねた。
「何だ?」
「カノープス=ウォルフ、先ほどの無礼は謝罪する。私たちと一緒に帝国と戦ってくれないか」
「俺の話を聞いてなかったのか。戦いはやめたと言っただろう。俺は戦いを棄てたんだよ」
そう言いながら、カノープスの片方の手は破片を弄んでいる。
「なぜ戦いを棄てたのだ? あなたはずっと義勇軍を組織して帝国と戦ってきたのではないのか?」
「義勇軍か」
カノープスは自嘲するような笑みを浮かべた。手の中の破片を握りつぶす小さな音が聞こえるのと同時だった。
「そんなものがあったのは昔のことだよ。そうだろうが、カリナ? 義勇軍なんて胸張れるほど、ご大層なことをしたか? 俺たちは何もしちゃいない、他人(ひと)に自慢できるようなことなんて何もな。解放軍なんてご大層なものが現れて、すがりたくなったおまえを責めやしないが、カリナ、俺たちに義勇軍なんて名乗る資格があったと思うのか?」
「でも大将」
「やめとけよ、カリナ。おまえが俺の部下だったのは20年以上も前のことだ。義勇軍の代表にも俺が成り行きで収まっちまったけど、あれはおまえがやっても良かったんだ。もう俺はおまえの大将でも何でもないんだよ」
「彼が君を慕うのは君の人柄の表れだろう。命を預けられると思えるほどの相手に出逢えることは幸せではないのか」
「誰だ、おまえは?」
「わたしはランスロット=ハミルトン、ゼノビア王国の騎士でいまは解放軍の一兵士だ」
カノープスは、穴が空くかと思われるほどグランディーナとランスロットの顔を交互に凝視した。
カリナも突然出てきたゼノビア王国の名に驚いたようだが、口は挟まなかった。
「解放軍の正体はそれか、ようやく合点がいったぜ。だったら訊きたいことがある。おまえらが戦ってるのは何のためだ? 金か? 名誉か? 正義か? 自由か? それともゼノビア王国復興のためか?」
「それを訊いてどうするんだ?」
「どうもしねぇ。別に答えなくてもいいんだぜ」
「答えないとは言わないが、私の答えはそのどれでもない。私が戦っているのは何より自分のため、ゼテギネア帝国を倒すためだ」
カノープスばかりかランスロットもカリナも、まじまじとグランディーナを見た。
「解放軍は確かにゼノビア王国の者ばかりだが、私はゼノビアの人間じゃない。これから人が増えるにつれ、さらにゼノビア以外の人間は増えるだろう。私はそれが悪いとは思わないし、この先必要なことにさえなっていくと考える」
カノープスはグランディーナの手を乱暴に払った。
「大した理想だな! だがそんなものに俺を巻き込むな。俺は戦いを棄てたんだ。ゼテギネア帝国が勝とうが解放軍とやらが勝とうがどっちでもかまわんさ。野蛮人のお仲間になる気はねぇよ」
グランディーナは立ち上がり、カノープスを見下ろした。彼女がそのような尊大を態度をしてみせたことにランスロットは内心驚いた。心なしか握りしめられた拳も強ばって見える。
「ではシャローム地方の支配者、ゼノビア王国の元魔獣軍団長ギルバルド=オブライエンの生死にも興味はないというわけだな。あなたとは親友同士だったと聞いたが、ギルバルドとは2、3日中に戦うことになる。いかな立場にあろうとゼテギネア帝国に汲みする以上、我々には敵だ。明日には戦端を開く。その生き死にもあなたには関係のないことか、カノープス=ウォルフ?」
「帰りな」
カノープスは地面に目を向けたまま即答した。
「どこで聞いたのか知らないが、俺がギルバルドと親友だったのは20年以上も前の話だ。奴とはずっと会ってねぇし、互いの消息も気にしてねぇ。そんな奴の生死なんてどうして俺が気にしなきゃならねぇんだ。奴を殺したければ殺すがいいさ。名誉も地位もかなぐり捨てて延命だけ考えた奴には裏切り者の死が似合いだろうよ」
「それがあなたの本心とも思えないが、私たちは帰る。朝から邪魔をした」
「痣は作るし酒はこぼすし、とんでもねぇ客だぜ。二度と来るな。今度その面見せたらはっ倒すぞ」
「戦いを棄てた者にはっ倒されるほど私はなまっていない。できるものなら、その壁の鎚の埃を払ってから来るがいい。
行こう、ランスロット」
「待ちな!」
「まだ何かあるのか?」
カノープスはカリナを手招いた。彼が言われたとおりに近づくと、いきなりその顎に強烈な一撃が見舞われて、カリナの身体は10数バス(1バスは約30センチ。3メートル以上)も吹っ飛んだ。今度はグランディーナにも止めることはできなかった。
「こいつを連れていけ。確かに義勇軍はあったが、会ったこともねぇ奴にぺらぺらしゃべるような奴はいらねぇ。そいつはおまえらにくれてやる。二度とここには来るな」
ランスロットに助けられてカリナが呻いた。だがランスロットが何か言おうとするのを、グランディーナは遮った。
そしてカノープスは小屋に引っ込んでしまった。
「一度ラワンピンジに行こう。どちらにしてもギルバルドとの戦闘は避けられない」
ランスロットは頷いて、カリナの右腕の下に左腕を突っ込んだ。
「いまは我々と来るがいい。まだあなたに訊きたいこともある」
返事の代わりにカリナはもうひとつ呻いた。だがランスロットに助けられながらも立ち上がって、まだ未練がましそうにカノープスの小屋を見やった。
「彼はまだ戦いを棄ててない。案ずることはない、このままにしておく気はない」
バハーワルプルからラワンピンジまではグリフォンで1時間ほどの距離だった。出発の間際にカリナが自分のグリフォンを連れてきたので、飛行速度が落ちないで済んだのである。有翼人の翼はグリフォンの速さには遙かに及ばないからだ。
「あんたたちには悪いことしちまったな」
「何の話だ?」
「あんたたちに接触したのは俺の勝手だったってことさ。まさか大将があんなふうに思ってるなんて思わなくってよ」
「カノープスに会えれば上出来だ。だが次は別の手を考えなければなるまい」
「次ってまた会うつもりなのか?」
「会わなければギルバルドは死ぬしカノープスも出てきはすまい。私はそのままにしておく気はないと言った」
「グランディーナ、カリナの所属はどうする?」
海を越え、ラワンピンジが見えてきたころ、ランスロットが訊ねた。
「武器は使えるのだろう。しばらくグリフォンも一緒に私といてもらう。そうすればポリュボスを借りる必要もないからな」
「いいだろう。昨日のように君が1人でいるよりはよほど安心できる」
グランディーナは黙ってグリフォンを急降下させた。彼女らが降りるころ、ラワンピンジの入り口にウォーレンらが出迎えていた。
「首尾はいかがでしたか、と訊くまでもなさそうですな」
開口一番にそう言ったリスゴーに、グランディーナは軽く肩をすくめた。
「言い訳する気もないしこれで諦めるつもりもない。
ラワンピンジには簡単に入れたようだな」
後の言葉はウォーレンに向けられたものだったので、老占星術師は頷いてあとを引き取った。
「我々がウーサーを倒したことを告げると大層な歓迎ぶりでした。町長があなたに会いたがっております。何でもぜひにお願いしたいことがあるとか」
「来たか。ほかの者はどうしている?」
「町長が我々に宿舎を提供してくれました。そこで待たせておりますが?」
グランディーナが1歩下がると皆と向かい合う位置になった。
「全員、宿舎から追い出せ。柔らかい寝台に寝ていて戦争ができるか」
「しかし町長殿のせっかくの心遣いを無になさるおつもりですか?」
「ぜひにと頼みたいことがあるのならば、宿舎など断っても気を悪くはするまい。町長にはこれから会う。わびは私から入れる」
「ですが、皆には何と伝えるのです?」
「私が言ったことを言えばいい。戦いの楽なうちに身体をならしておけ。この先、全ての町が我々を受け入れるとは限らない」
「我々は騎士です、そのような傭兵まがいの真似ができましょうか?」
グランディーナは振り返り、粘るリスゴーを睨みつけた。
「くだらない自尊心にしがみついていなければ戦争ができないならばヴォルザーク島に帰ったがいい。あいにくと私は傭兵あがりだ。体裁にこだわる気はないし地べたに寝るのも慣れている。数で劣る我々が正攻法で帝国に勝てると思うほどおめでたくもできていないのでな。
行くぞ、ウォーレン」
「それでどうするんだい、ランスロットさんよ」
グランディーナがウォーレンとラワンピンジに入ってから、カリナが真っ先に口を開いた。
彼の存在はいままでずっと無視されてきていたので、ランスロット以外の者、リスゴーとマチルダは驚いて彼を見た。
「わたしのことは呼び捨ててかまわない。
リスゴー、マチルダ、彼はカリナ、今日から我々の仲間だ。元ゼノビア王国魔獣軍団だそうだな」
「よろしくお願いします」
マチルダが挨拶をすると、カリナは少しだけ赤くなった。
「それではリスゴー、宿舎に案内してもらえませんか。皆に話さなければなりますまいし、野営するのに適当な場所を探すのに時間もかかりましょう」
「あんな暴言に従われるのですか?」
「私はそれほど暴言だとは思いませんわ」
「なぜですか、マチルダ殿?」
彼女は胸に手を置いた仕草で微笑んだ。それはマチルダの癖のようだ。
「ロシュフォル教会の寝所はどれも木ばかりです。私たち僧侶は聖ロシュフォルの生活に倣って清貧を心がけ、勤労と祈りに励みます。リスゴーさまは傭兵まがいと仰いましたが、私たちもあのような瀟洒(しょうしゃ)な暮らしには戸惑いさえ覚えます。私たちの聖地アヴァロン島の大神殿でも生活は似たようなものだとか。要は慣れではありませんか」
ロシュフォル教はゼテギネア大陸最大の宗教だ。ラシュディと同じ五英雄の1人、シャロームの皇子ロシュフォルが、アヴァロン島出身の僧侶ラビアンと結ばれ、起こした教えである。ゼテギネア帝国下では太陽神フィラーハを最高神と崇めるその教えは禁教とされていた。帝国の宗教は女帝エンドラをフィラーハの上に置くゼテギネア教だからだ。
だがどんなに小さな村や町にも教会を持ち、僧侶の勤めるこの宗教を、帝国は根絶やしにすることはできなかったのであった。
女性のマチルダに「瀟洒な暮らし」と言われては、いくら宗教上の理由とはいえどもリスゴーにもそれ以上強硬に反対する理由もない。
カリナと2頭のグリフォンをその場に残して、ランスロット、リスゴー、マチルダの3人は皆が休んでいるという宿舎に向かったのだった。
「これから人数も増える。そのたびに好意とやらに甘えていたのではきりがないし好意の負担も大きくなるばかりだ。負担と感じればそれは好意ではなくなる。義務になれば我々の存在意義が危うくなる。どちらにしても場所によって野宿は避けられない。いまのうちに身体をならしておかないといざという時に辛いぞ」
グランディーナはそう一気にまくし立てた。
「申し訳ありません。わたしが気づかぬばかりによけいなことを。ですが、あのような言い方をしなくとも、リスゴーもわかりましょうに」
「別に怒ってるわけじゃない。それにリスゴーが反対するのは騎士の体裁ばかりが理由ではあるまい。気づいていながら何の策もしなかったのは私の過ちだ」
ウォーレンは思わず彼女の腕をつかんだ。2人はもうラワンピンジの町長の屋敷の前まで来ていた。
「待ってください。リスゴーのことで何を気づいていたと仰るのです?」
「どこの馬の骨ともわからぬ傭兵がリーダーになっていることを快く思わない者がいる。気づいていたなどと驚くほどのことではあるまい?」
「そうでした」
「それとガルシアン=ラウムを知っているだろう」
「ええ、名前だけは。魔獣軍団の副団長でギルバルドの片腕の1人とも言われていました。だが彼は10年以上前にに処刑されたと伺いましたが?」
「そうだ、魔獣軍団員のなかでも数少ない処刑者の1人だ。しかも殺されたのは彼1人、騎士団のように一族根こそぎじゃない」
ウォーレンは手を放した。
「気づいたようだな、ウォーレン。これから会うのがその父親だ、ラワンピンジの町長を務めている。ギルバルドを帝国の犬と誹る者は少なくないが、そのなかでも有力者の1人だ」
「いつの間にそれだけの情報を仕入れられたのです?」
「おかしなことを訊く。影を寄越したのはあなたの方じゃないか。それにシャローム地方で聞き込めばこれぐらいの情報はすぐに入る。ギルバルド=オブライエンは厳格な為政者だが、民の口は塞ごうとしていないからな。彼のことを犬と誹る者もあれば、敬称をつけて呼び、感謝の意を表す者も少なくない」
「そうでしたね。迎えが来たようです。続きはまた後で聞かせていただきましょう」